あやしい宗教学 神と仏 ⑧ 弘法大師の御利益  お接待しましょう、おもてなししましょう  | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

柳田国男と並ぶ民俗学者の大御所である折口信夫の提起した概念に「稀人・客人(まれびと)」なるものがあります。外部からやって来た来訪者というもので、日本古来よりこの「まれびと」を丁重にもてなすという風習があったとします。

 

 

このまれびとは人間であったり神であったりもします。

 

神の場合ですと「寄り神」、「来訪神」といいまして、山から降りてくる神と、海の向こうからやってくる神がおります。

 

 

まず山から降りてくる「山の神」ですが、柳田国男は春になると山から降りてきて、「田の神」となり、秋の収穫が終わると再び山に帰って行くとしました。この神は祖先神、言うところの御先祖様とも等しいものとされます。

 

 

あるいは、盆や正月に祖霊が帰ってくるというのもそうでしょう。

 

 

 

 

来訪神とも言われる秋田のなまはげをもてなす

 

 

 

これに対し海の向こうからやってくる神もまた、海の彼方に死者の国(常世 ー とこよ)があり、海の近くに住む人々は山ならぬ海から祖霊が帰ってくると考えていたようですし、高貴な神がやって来ることもあると考えていたようです。

 

 

海にある大小の岩にしめ縄を張り巡らし夫婦岩(めおといわ)などと称して、その前に鳥居を置くことがあります。

 

 

 

 

九州・福岡 二見ヶ浦

 

 

 

四方を海に囲まれた日本にあっては、海の向こうからやってくる「まれびと」こそは、人であれ神であれ、丁重にもてなしたのでしょう。

 

よく似たものとして、メラネシアには「カーゴ・カルト」という信仰がありまして、こちらも、祖先の霊、または神が、いつの日か自分達のために贈り物を持ってやってくるのだとされます。

 

 

また、16世紀、漂流したポルトガル人が種子島に漂着し、日本に鉄砲を伝えておりますが、これなど、まさに「まれびと(異人)」がもたらした恩恵でしょう。

 

 

 

今度は国内に目を転じますに、真言宗の開祖である空海弘法大師と称せられておりますが、この方にまつわる伝承は日本各地に多数あります。

 

 

四国で生まれ、ここで修行し、唐に渡り、当時の仏教の最先端の思想を日本に持ち帰り、高野山金剛峯寺を開いた方ですが、亡くなったと見せて、実はその後も日本各地を修行して回ったという伝説もあったとされます。

 

 

毎年4月21日、御衣替えに、大師堂の御像の衣を替えてみると、いつもその1年の間に裾が切れ、泥に汚れているのだとか。

いまだに土の中の居にあって修行されているともされ、高野山では今でも毎日、食事を捧げているというのもよく知られております。

 

 

 

 

大師の食事を運ぶ高野山の僧

 

 

 

 

四国遍路にあって、「お接待」という風習がよく知られておりますが、これはそもそも、遍路の人を弘法大師(いっそ、神?)としてもてなすことだともされます。

 

 

仏教の布施、さらには喜捨というものが原型となっているように思います。「情けは人のためならず」なんていいますが、そもそも、これを行うことこそが、する方の精進であり、功徳を積むことになり、幸せな来生が約束されるとも言われております。

 

 

 

した相手も救われ、自分もまた救われる。

 

 

いいことじゃないですか。

 

難しく言うと「利他行動」なんていうものになります。人間だけではなく、動物の世界でも見られるもので、「なんで、こんなころをするんだろう?」とダーウィンを悩ませたとされます。

 

 

最近の研究では、これ、ちゃんと元が取れる、ともされます。

 

 

さて、その弘法大師にまつわれる日本各地の伝説ですが、柳田国男の『日本の伝説』(新潮社)の中の「大師講の由来」という章にいくつかの事例が紹介されております。

 

 

その多くが、飲み水の十分に得られないような土地に、一人の旅の僧がやって来て、のどが渇いたがゆえにと水を所望したというのであります。

 

 

その時、その土地の人が貴重な水を嫌な顔もせず、惜しげもなく差し上げたところ、そんなに水が不自由ならば井戸を授けようと、杖を地面に突き立てるとたちまちそこに井戸が沸いた、きれいな水をたたえる池や泉ができたのだとか。

 

 

 

 

 

 

弘法大師ゆかりの井戸 奈良

 

 

他にも日本各地の温泉にあっては弘法大師が開湯したというところが少なくありません。

 

 

こういった大師にまつわる伝承は、日本で5000ヵ所もあるとされ、史実とは考えにくく、恐らくは旅の僧、遊行僧(※ 高野聖)などがおこなったものが、ことごとく弘法大師のものとされたのではないかとも言われております。

 

 

 

まれびとを丁重に、あたたかくもてなす。

 

これは、きっと後でいいことがあるに違いない、ということなのでしょう。

 

 

 

みんな笑顔でニコニコ接客してくれる

なんだか自分が王様になったような気になった

 

(母国ではありえない)

 

 

 

なんて、日本を訪れた海外の方が、口をそろえて言います。

 

 

 

 

 

 

思うに、「まれびと」を丁重にもてなすという日本の風習は、今も根付いているのでしょう。

 

 

三波春夫が「お客様は神様です」なんて言いましたが、三波自身の言葉として、「お客様を神様だと思って、真摯に誠実に、己の芸を披露する」という意味なのだとか。

 

 

 

恩恵をもたらしてくれる、お金を落としてくれる、なら、ニッコリ笑って笑顔でサービス、ですよ。

 

 

 

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今も、全国を行脚しているのかもしれない、弘法大師が、あっしの家に来て一杯の水を所望したらですよ。

 

 

 

水なんていわず、冷えたビールがありますから

なんならツマミも用意しますよ

 

 

ささ、まあ、一杯

 

おお、これはお強い。ささ、もう一杯

 

どーです、こと後はキャバクラなんかに行くというのは

開店したばっかりの、いい店を知ってるんですよ

 

 

 

なーんて、お接待をすれば、それはもう大きなご利益がある、とか。