あやしいキリスト教 金持ちが救われるためのはどーすればいい? に対するイエスの辛辣な答え | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

とある金持ちの男がイエスの所にやって来て尋ねます。

 

 

先生、永遠の命を受け継ぐにはどーすればいいのでしょう

 

 

 

 

ハインリッヒ・カール・ホフマン 『イエスと金持ち』

 

 

 

永遠の命を受け継ぐ」とは、神に認められ、その魂が救済されるというような意味のものでしょう。あるいは後にパウロが盛んに説いていたことか。

 

 

まあ、金を持ってようが、持っていまいが、同じ人間である以上、生きてゆく上にあっての不安は生じるもの。

 

 

これに対し、そもそもイエスは金持ちなんて者が嫌いらしく、冷たく言います。

 

 

 

あんたぐらいなら、モーセの十戒を知ってるだろ。それを実践すりゃいーんだよ

 

いっそ、釈迦の所に行ったらどうだ。あいつは、そーいうことに詳しそうだから

 

 

 

んな、ありきたりの答えを聞きに来たんじゃねーよ

自慢じゃねーが、オレ様はそんなこたーガキの頃からやってるぜ

それに、あの釈迦の野郎の言うことは湿っぽくていけねえ

 

 

 

と金持ちが言います。

 

そこでイエスは言います。

 

 

 

だったらなー、あんたの全財産を売り払って、ぜんぶ貧乏人にやっちまえよ

 

 

金持ちは何も言えず、悲しそうに去ってゆきます。

 

 

 

して、もし、彼がイエスに言われたことをそのまま実践したらどうか。

 

後の聖人、アントニウス、フランチェスコのようになったでしょう。

 

 

これこそが「天に宝を積む」ということであり、キリスト教会に奨励されたことだとされます。

 

 

なお、この「天に宝を積む」ということこそを善とする主張は、怪しげな新興宗教でもよくいわれることで、オウム真理教や、旧統一教会、他にも多額の寄付やお布施を求める教団が少なくないようです。

 

 

宗教学者の島田裕巳が、そのように多額の寄付やお布施を要求するような宗教団体には関わらない方がいい、なんて言ってましたが、キリスト教、あんたもかい?

 

 

イエスという男』を書いた田川センセによれば、イエス自身はそんなことは言っていなかったとしております。

 

 

金持ちが、そんなことをするはずもないと見込んでいたのであり、言うなればこの金持ちが、どこまで本気で魂の救済を求めているのかを知りたかったのだと思います。

 

 

まあ、いずれにせよ、イエスからすれば、食うに困らぬ裕福な生活を送っているような人間が、その上、さらに魂の救済を求めて自分に尋ねてくるなんてのが気に入らなかったのでしょう。

 

福音書を読めば、イエスの周りにいる人々はどんな人々であったがよくわかります。マタイ書の山上の垂訓などからすれば、貧しい人々ばかりです。他にも、いわれなき差別をされている方、病人、寡婦、取税人といった、それこそ社会の底辺にいるような人々です。

 

そして、イエスは、彼らと混じり、共に飲み食いし、彼らの気持ちの代弁者でもあったように思います。

 

 

 

 

山上の垂訓

 

 

あんたらこそが救われるべきなんだよ

もし、神様がいるんだったら、真っ先に救うのはあんた達なんだよ

 

 

 

なんて言っていたわけです。

 

 

そんなイエスに、金持ちなんてのは磁石のSとNのようなもの。

 

 

 

仮に、あっしが、イエス真理教なんて、わけのわからん新興宗教を打ち立てて「悔い改めよ、神の国は近づいた!」なんて言っている時に、「今日は三越、明日は帝劇、明後日は、すきやばし次郎の鮨を」なんて、タワーマンションの最上階に住んでるような方がやって来て、「ねずみ男先生、どーしたら永遠の命が得られるんでしょうか?」なんて尋ねてきたら、あっしだって言うように思います。

 

 

 

あんたコンビニのバイトの時給っていくらだか知ってるか、非正規派遣社員の年収っていくらだと思う

駅のホームの立ち食いそば屋の、かけそばの大盛って、いくらだい?

東京の山手線内の1Kマンションの賃貸料の相場はどうだ?

 

 

知らねーよな

 

 

もし、あんたが、オレ達貧乏人と同じよーな生活するという覚悟があるんだったら教えてやるよ

 

 

 

ピカソ 『貧しい食事』

 

 

 

なんて言うと思います。

 

 

食うに困らず、唸るほどの金を持って、この世の春を謳歌していて、その上で魂の救済を、なんておこがましい、ってもんですよ。

 

そもそもイエスは、そんな精神的な意味での救済を説いていたわけではないように思います。もっとずっと現実的な意味での救済でしょう。

 

いっそ、もう、マルクスのごとく「立ち上がれ、貧しき労働者よ、虐げられている人々よ」ですよ。

 

まあ、マルクスは「宗教はアヘンだ」なんて宗教を否定してましたが。

 

 

 

ちなみに、田川センセによりますと、このイエスと金持ちとの問答には「十戒」批判があるのだとか。

 

言うなれば、言葉だけの(?)教条主義を批判していたのか。

 

 

 

だったら、いっそのこと、クリスチャンなら守らねばいけない使徒信条なんてのも教条主義ではないのか。

 

 

んなもの信じなくたってクリスチャンでいられる?

 

 

そういや、田川センセは「自分は神を信じないクリスチャン」だ、なんて言ってましたねえ。

 

 

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イエスの大将、あっしも永遠の命が得られるんでしょうか

 

 

ねずみ男、お前も全財産を売り払って・・・、

 

 

って、おまえみてーな貧乏人じゃなー

ドロボウが盗みに入ったはいいが、あまりの貧しさに同情して

なけなしの金を置いてきた、なんてぐらいの貧乏だろ

 

 

まあ、三途の川の渡し賃ぐらいは用意しとけよ

 

なんなら貸してやろうか

「そこに愛はあるんか」のアイフルよりも金利は少し高いけどな

 

 

で、ちゃんと返せよ

返さねーと・・・、地獄まで取り立てに行くからな

 

 

「地獄で仏」じゃなくって、「地獄でイエス」ってなー

 

 

 

 

 

 

 

です。

 

 

地獄の獄卒である牛頭馬頭(ごずめず)すらも、思わずもらい泣きするような鬼です。