まずは、古今亭志ん生の落語の枕の中の小話を。
師匠がよく知っているはずなのに名前が出てこないという方と往来でバッタリ会って「どこへ行くんだい?」と声を掛けると「お前んとこから出てきたんだよ」なんて言う。
しばらく歩いていると、また、これまたよく知っているんだが、やはり名前の出てこない方とバッタリ会う。同じように「どこへゆくんだい?」と声を掛けると、「お前んとこに行くんだよ」なんて言う。
で、前の方は福の神で、後の方は貧乏神だった、なんてオチなのであります。
柳田国男の『遠野物語』には座敷童(ざしきわらし)という神とも妖怪ともつかぬものが登場します。歳の頃は12,3歳ばかりの童子にて、人の前に姿を現すこともあるのだとか。
悪戯(いたずら)が好きなのか、人のいないはずの部屋でがさがさと音を立てたりもする。
『遠野物語』に収録された話以外にも様々な言い伝えがあり、見た者に幸運をもたらす、家が栄えるのだとも。男の子だったり、女の子だったり、性別がよくわからない、なんてこともあるのだとか。
座敷童像
子供と遊ぶこともあるも、年かさの子には見えず、幼い子だけに見えたりもする。
何人もの子供が遊んでいて、お菓子をあげようとすると、なぜか差し出される手が人数分よりも多い?
(※ 欲の深い子がいて、両手を差し出した?)
夜中に、寝ている人の上に載ったり、枕を返したりもする。
ちなみに、この「枕を返す」のは、その名も枕返しという妖怪のしわざともされます。
妖怪 枕返し
枕が足下にあった、なんてものから、起きたら北枕で寝ていた、なんてこともあるらしいです。なお、このように枕を返されることは不吉なことだともされます。
(※ 寝相が悪かった、ということも考えられますけどねえ)
余談ですが「仏壇返し」というのは、妖怪ではなく、四十八手の一つです。
わからんという方は調べてみましょう。
さて、柳田の紹介している話がなかなか興味深いです。
とある旧家には童女の神(座敷童)がいると言われておりましたが、ある年のこと、とある方が橋のほとりで見慣れない身なりの良い二人の童女に逢います。どこから来たのかと尋ねると、その旧家から来たという。次に、どこへ行くのかと尋ねると、別の村の旧家の所だというのであります。
それからしばらくして、なんとその旧家の一族郎党が、幼い一人の娘を除いてみな食中毒で亡くなってしまうのであります。
して、もし、座敷童が守護神だとするならば、その守護神の気に障るようなことをしたがゆえに、怒って出ていってしまった、とも考えることができるでしょう。
この旧家にあっては、少し前、無益な殺生ともいうべきヘビ殺しをしております。また稲荷の祠を作り篤く信心していた、なんて話もあります。(※ 守護神が嫉妬した?)
つまるところ、その守護神を正しく祀るというか、その守護神を怒らすようなことをやってはいけないという教訓がここにはあるようにも思います。
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外から帰ったら、部屋の中に見知らぬ童子ならぬ、薄汚いジジイがいた、なんて場合はねえ。
これは座敷童ではなく貧乏神でしょう。
水木しげるセンセの描く、貧乏神、疫病神の面々
(※ 元ネタは、陰陽師・安倍清明が折伏したという疫病神でしょう)
失礼ですが、どちら様で?
またまたー、ねずみ男の大将。あーたのお仲間ですよ
後から、疫病神の他にも、いろいろと来ますから、まあ、楽しくやりましょう
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(ある日、一人の独身男のアパートに、見ず知らずの他人が闖入し、「友達じゃないか」なんて居座ってしまうという、安倍公房の、わけのわからん小説『友達』を思い出します)
帰れ、頼むから帰ってくれ!