『史録 日本国憲法』 マッカーサーの改正草案を突き付けられた日本は度肝を抜かれる 白洲次郎の登場 | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

松本国務相率いる日本政府による憲法改正委員会の立場は、思うに当時の日本という国の最高の憲法についての学者、官僚、政治家からなるものであり、そこで作り上げられようとしていた憲法も、世が世ならば十分に通用したものであったように思います。

 

 

しかし、この時日本という国の置かれていた立場、敗戦国として、さらには傍若無人ともいえる戦争を起こした責任を問われるという立場を客観的に自覚していたのか、ともなると疑問ですねえ。

 

 

GHQが日本に求めていたのは、日本という国がそのような方向に向かってしまった要因としての、国家の基礎法とも言うべき憲法の改正でした。その国にはその国の考え方があり、その国なりの憲法を作るのは自由であるはずで、日本が作った憲法に対し諸外国から文句を言われる筋合いはない。

 

 

しかし、その憲法が少なくとも客観的に見て、日本という国が進むべき道を誤らせてしまった。確かに、その内容ではなく運用が問題であったともされます。しかし、そのような運用を許容するようなところがあったとすれば、やはりそこには瑕疵(かし)があったというべきではないのか。

 

 

GHQは、そのことを、それとなく示しながら日本政府に現憲法の改正を求めます。

 

しかし、日本政府は、あくまで日本の憲法なのだから日本が思うにように作ってもいいはずだと楽観的というか、自分にとって都合のいいように解釈いたします。

 

 

 

GHQは、そのことを伝えてはいませんでしたが、近々設立される戦勝国からなる極東委員会が、口に出してくるということが十分に考えられ、憲法の改正もさることながら、最悪はドイツのように分割統治ということもありうるとしていたとされます。

 

 

 

極東委員会

 

 

して、GHQは、つまるところアメリカであり、当然のことながらアメリカは自国の利益のためにこそ動いていたわけで、まずは日本という国の牙を抜き、さらにはアメリカに対し従順な国になることこそが望ましかったわけであります。

 

とは言っても、既に伝え流れてくる松本国務相率いる日本の改正委員会の試案は、それこそ旧態依然としたもので、極力現状維持を目指したものとしか思われなかったようです。

 

 

こんなものでは、たとえGHQが容認しても、恐らく極東委員会は納得しないはずで、であるなら、ここは、ただ日本の自主性に任せていてはダメで、極東委員会ですら文句を言えないようなものを、GHQ側で試案として作り、これを持って日本政府を導いてゆくしかないと。

 

さらに言えば、日本はしきりに天皇制の保持こそを最も大事なこととしているようだが、そしてGHQとしても、占領政策的に見ても、天皇の基本的立場をどうこういうつもりはないし、むしろ、その保持は容認するところでもある。

 

ただし、極東委員会を構成する戦勝国の中にはそれを快く思わない国も少なくなく、天皇の立場を現状のままにするなどとしたら、それこそ、そこを突かれかねない。天皇にも刑を与えよ、と言っている国もある。

 

 

 

ゆえに、天皇の立場も、現状のものよりも譲歩させるべきなのだ。

 

 

 

 

 

こうして、日本政府側としては、自分達が作った草案GHQに提出するも、GHQは「こんなものではダメだ」と拒絶されてしまったのであります。

 

 

 

さらに、驚くべきことに、この時にGHQ側が用意した草案を逆に呈示されます。

 

日本側が提出したのは改正点を列挙した「要綱」にすぎなかったのに対し、GHQのものは「前文」までついた完全な体裁のまさに「草案」であったのであります。

 

 

驚天動地。松本国務相以下、日本政府首脳はあまりのことにショックを隠せず、それこそどうしてよいかわからず、いっそパニック状態に陥ります。

 

 

なお、ここに近衛公爵にも近く、吉田茂外相の秘書ともブレーンとも言うべき、終戦連絡中央事務局次長という肩書を持った白洲次郎も同席していたとされます。

 

 

 

白洲次郎

 

 

戦連絡中央事務局なんて耳慣れない政府組織は、終戦直後に作られた臨時のもので、言うなればGHQの占領政策に対する日本政府側の窓口のようなものであったようです。

 

 

ケンブリッジ大学への留学経験を有し、英語も堪能なことからの抜擢であったのでしょう。

 

 

GHQの高官(マッカーサー)から、「お前は英語が上手だな」と言われて、「あんたも、ちゃんと勉強すれば上手になれる」と切り返したのだと、白洲の妻であった正子は述懐しております。

 

彼女は「次郎は喧嘩のやり方を知っていた」とも言っております。

 

 

なんせ、白洲の英語は本場物の、つまり正統的な「クイーンズ・イングリッシュ」であり、「ブロークン」にして品のないアメリカ英語とは違うのであります。

 

 

 

GHQが、マッカーサーが、なんぼのもんじゃい

ナメとったら、あかんよ

 

 

 

という、とかく敗戦国の人間がみな卑屈で、従順な態度に出るのに対し、白洲はそんな態度は全く見せなかったとか。なんせ、すぐに「ホワイ?」と質問してくるので、GHQ内部では「ミスター・ホワイ」と呼ばれていたともされます。

 

 

 

きわめて骨太の方なのであります。

 

 

して、この方が、その日本側に示された草案(いわゆるマッカーサー試案)に対し、日本政府側が考えるところをもって、GHQ側に折衝することとなります。

 

 

あまりにも急進的すぎて話にならない」というのが、松本国務相に代表される日本政府側の考えであったとされます。

 

何とかGHQ側に、そのことを、さらには日本の現状を、立場を理解してもらいたいと考えた松本国務相は、白洲に手元にあった紙片に図を書いて渡します。

 

 

 

 

 

 

出発点と目的地があり、その間にはいくつもの山がある。両地点を直線で結ぶ実線と、山の間を縫い、迂回しながら目的に地に達する点線。これは後にGHQによって「ジープ・ウェイ」と呼ばれますが、松本とすれば、その目指す目的は同じでもGHQのやり方は急進的過ぎると言いたかったのでしょう。

 

 

しかし、つまるところ、この白洲の折衝も実を結ぶことはありませんでした。

 

GHQとすれば、日本側の言うことは理解できるとしても、そのようなやり方であったがゆえに、今回のような悲劇を招いたのだ、と。

 

要は、生半可な、いっそ小手先の憲法改正なんかではダメなのだ、と。

 

これまた、GHQの基本スタンスであったのであります。

 

 

さあ、日本政府はどうすればいいのか。

 

いよいよクライマックスに近づいてきます。