大人とはどういうことなのか? 子供との境界はどこにある? 年齢は関係ないと思います | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

最近は沈静化(?)したとされておりますが、かつて成人式といいますと派手なファッション(着物)に身を固めたヤンキーなあんちゃんたちが酒を飲んで大騒ぎする、なんてのがあったようですが、これは一定年齢を持って法的に「成人」となることを意味する通過儀礼(成人儀礼)をイベント(お祭り騒ぎ)化したようなものであったように思います。

 

 

昔ですと、公家や武士の子どもですと元服なんてものがありました。12歳から16歳頃とされます。一般庶民の場合もほぼ同じ頃ですが、男女によって一人前の大人と認められる年齢は異なり、女性の場合は初潮をもってそうなるとされ、これを「腰巻祝い」なんていうこともありました。ちなみに、男性の場合は「ふんどし祝い」と言いました。

 

 

広く世界を見渡しますに、この子供から大人への昇格(?)の時期、方法というのは様々で、例えばアフリカの狩猟民の男だと、一人で狩りに行き。獲物が取れて初めて大人として認められたと言いますし、南太平洋バヌアツ共和国バンジージャンプも、元々は成人儀礼であったとされます。

 

 

 

 

バンジージャンプ

 

 

 

 

して言うなれば、その共同体、社会において男女ともに大人として期待される能力、責任、役割を果たすことができると認められると「大人」として扱われると考えられます。

 

 

なお、日本の場合、そのための準備期間、教育というものがあり、農漁村ですと、「若衆宿」、「娘宿」なんていう合宿所のようなものがありました。ここで男女ともに、年長者から「大人」となるためのレクチャーを受けるわけです。

 

 

 

前にも書きましたが、若衆宿の場合、俗にいう「筆おろし」体験もあったとか。

 

 

ちなみに、こういう性教育は大事なものでして、とある深窓のお嬢様が、なーんも知らんままに結婚したものの、その旦那が豹変(!?)したと泣きながら実家に帰ってしまった、なんて話があったとか。

 

 

その旦那は、そもそもノーマルな方であったようですが、なんせ女性の方が、なーんも知らなかったがゆえの悲劇(?)であったようです。

 

 

さて、たまたま、今日の新聞に、「30歳でも大人の人、50歳でも子供の人」なんてタイトルの本の広告がありました。

 

 

 

 

 

 

 

読んではいませんが、だいたい内容はわかります。

 

 

いわゆる精神年齢肉体年齢は異なるものです。いくら肉体的に成熟しようと、精神的には幼いまま、なんて方はざらにいるように思います。逆も、まあ、然りなのでしょう。

 

 

西原理恵子の『ぼくんち』という文藝春秋漫画賞を得た作品の中に、下っ端ヤクザの、どーしようもないオヤジを父親に持った幼い女の子が登場します。父子家庭で、母親はおりません。

 

 

そんな父親がポックリ亡くなってしまう。そんな彼女に対し、主人公の、これまた幼い男の子の、血の繋がっていないらしい年長のお姉さんが言います。「少し早く、大人になってしまったけれど、それはそれで、いいこともある」のだと。

 

 

 

同じようにな父子家庭で、多くの兄弟姉妹の長女であったがゆえに、小学校3年生の時から家事の一切をやっていた女の子が、高校生になった時、親しい友人の母親から「あなたも苦労してきたのねえ」と、しみじみ言われた時、今まで一度だって泣いたことがなかったのに、号泣してしまった、なんて実話を聞いたことがあります。

 

 

彼女の場合、そうしたくてそうなった、つまり精神的に成熟したくてそうなったのではなく、そうならざるを得なかったと言えます。同世代の子がまだまだ、子供という時代を満喫しているのに対し、彼女は否が応でも大人になるしかなかった。

 

どうしようもなく具合が悪くなった時、家の中を必死に探して保険証を持って病院に行った、なんてこともあったとか。まだ10歳前後の子どもが、家族のことはもちろん、自分のことは自分で何でもしなければいけないというのは、どれほど心細いものであったのか。

 

 

一方に、「ピーターパン症候群」(精神的に未熟な大人)、「アダルト・チルドレン」、さらには「パラサイト中年」(親と同居している未婚の中年者)なんて方もおります。

 

 

 

 

 

 

中には、引きこもりで、年金生活の親に頼って生きている、なんて方もいるのだとか。

 

 

 

もちろん精神的、肉体的な問題を抱えてという場合もあるでしょうし、ただ単に甘え、ということだってあるのかもしれない。

 

こういう方も、親が倒れてしまったり、いっそ亡くなってしまったりして、初めて「大人」として生きてゆかざるを得なくなる。

 

 

 

さて、もう少し通俗的なものとして、一応は社会人ではあるものの、精神的に未成熟というか、子供っぽい(ガキっぽい)という方も少なくありません。

 

 

上司がミスを厳しく叱責したら、その母親が職場に怒鳴り込んできた、なんて話もあったとか。

 

こういう場合は、親にも原因があるように思います。いわゆる過保護ですねえ。

 

 

 

あっしが、かつていた職場にも、重要な取引先の重役の息子というのが配属されてきたんですが、これがまさに、そんなタイプの方で、どうにも仕事にならず、すぐに辞めていってしまいましたが、後で知るに、どこに行っても同じであったとか。

 

 

上司や同僚、後輩といった方の中にも、それこそ精神的に未熟というか、思慮分別のない、感情に左右されるという方が少なからずいたように思います。

 

こと、そんな上司の下に付くと悲劇でした。

 

 

何かあっても責任を取らない、その責任を部下に押し付ける、言い訳ばかり、それでいて自分の上司には尻尾を振り受けがいい。

 

 

 

いつか殺す!

 

 

いつも、明るい月夜の晩とじゃ限らないぞ

暗い夜道は背後に気を付けるんだな

 

 

 

なーんて思ってました。

 

 

そういや、あの、汚物を風船で飛ばすというような、もう、幼いガキの発想のような嫌がらせをするような北のボンクラ兄・妹も、救いようがないですねえ。

 

 

 

 

 

こんなのが、国のトップにいるんですから、その国民は悲劇でしょう。

 

 

 

ちなみに、「少年の心を持ったまま(大きくなった)」なんて、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公のような方の場合ですと、これは、言うなれば褒め言葉なんでしょうが、中にはこれを勘違いしているような方、特に男も少なくないように思います。

 

昆虫採集大好きの少年が、長じてもこれを続けている、なんてのは許容されるでしょうが、採集するのが人間の女性(!)ともなると、どうか。

 

 

 

ジョン・ファウルズの小説『コレクター』の主人公がまさにそれ。

 

 

 

 

 

思うに、自分の考えや行動に責任が持てる、という方こそが、あるべき「大人」というものでしょう。

しかし、これ、けっこう大変なことだと思います。

 

 

あっし自身、努力はしておりますが、なかなかねえ。

 

 

 ーーーーーーーーーーー

 

 

余談ですが、あっしはイギリスに行った経験があるのですが、その当時の地下鉄の切符は窓口で購入しなければならず、その窓口の駅員に「大人(の切符)2枚」と伝えるのに、あっしの、つたない英語の語彙を必死になって探して・・・、思い付いたのは、「アダルト・ビデオ」の「アダルト」という言葉で、「アダルト ツー」なんて言いましたが、ちゃんと通じました。

 

 

 

通じましたが・・・。

 

 

たぶん、『このバカ野郎』って思われていたのではないかと思います。