天津神であります。「天津」と書いて「あまつ」と読みます。
中国にある都市の地名ではありません。ついでながら天津飯なる料理は中国にはありません。
その天津(てんしん)出身の中国の方が、日本に来て「なんじゃこれは?」と思ったそうです。でも、食ったら旨かった、とか。
同じくイタリア人が日本で、イタリアにはないというスパゲッティ・ナポリタンを食って、同じように「旨い!」なんて言っていたという話があります。
日本人というのは海外の文化を取り込んで消化し、それを日本独特のものに変えてしまう才能を持っているようです。
漢字も中国から取り込み、さらに神という概念もまた取り込んでおりますが、やはり日本独自のものに変えてしまっております。
さて、そんな神、それも記紀神話に登場するという、あまたいる八百万の神様の中でも本流の神様は、大きくはこの天津神と国津神の二つに分けられます。
天津神であるイザナギ、イザナミ
前者はヤマト王権や皇族、さらにはそれに近い有力豪族が祀っていた神であり、後者はこういった支配者に平定された土着の豪族が祀っていた神だとされます。
前者の代表が天照大御神であり、後者の代表といえば大国主神でしょう。
それぞれ伊勢神宮と出雲大社に祀られております。
つまるとこと同じ神様、さらにそれを祀る神社といえども、元々はその系統が異なっていたわけです。
で、微妙なライバル意識を持っているようにも思われます。
なお、支配者となったヤマト王権、皇族、主力豪族の祀っていた神も、被支配豪族の祀っていた神も、要は自分達の氏神、あるいは守護神のようなものであったわけですが、そこはやはり「勝てば官軍」ではないですが、天津神のほうが国津神よりも格が高い、ということにされているようです。
今回はまずこの天津神にスポットを当ててみたいと思います。
テキストは『日本の神々の辞典』(学研)で、その中の園田稔センセの「天津神とは」であります。
この天津神なるものは、天上遥か雲の上におり、国津神は高い山低い山の重なる地上の山中にあって、雲や霧のなかに鎮まるとされております。
天(アマ)と土(ツチ)・国(クニ)にその所在が分かれるということになります。
「天津・国津」は「天神・地祇」などとも言うようで、元々は中国の概念であったとされます。なお、中国で「天神」といえば天空神、あるいは太陽・月・星、風や雨といった自然神であり「地祇」といえば大地や季節、方角の神であったのだとか。
このような概念を中国から借りながら、日本固有の捉え方をしたされます。
その天津神はといいますと、高天原という天上世界にいるものとし、この高天原の下に「中つ国」という地上世界があり、人々はそこで生きているのであります。さらにその下に「根ノ国・底ノ国」という、言い換えるなら黄泉の国があると考えたようです。
なお、ユダヤ教がキリスト教に分化していった時、本来はユダヤ民族の神であったヤハウェは、いつしか、ユダヤ民族を超えた普遍神、絶対神に昇格(?)しておりますが、天津神もまた同じように、普遍神化していったように思います。
さて、ではこの「中つ国」、あるいは「大八島国」とされるこの地上世界で誕生する神々が地祇、言い換えるなら国津神かというとそうではなく、イザナギ・イザナミの夫婦神から誕生した神々は天津神なのであります。
一方の国津神はといいますと、これは須佐之男命(スサノオノミコト)、つまりその傍若無人な振る舞いによって高天原から追放された神の系譜から始まる神々なのであります。
国津神の祖 須佐之男命
ゆえに、国津神は出雲系の神々ということにもなります。
これに対応し、天津神は天孫系ということになります。「正統」なのであります。国津神は「傍流」にされてしまう。
さらに、この天孫系は「大和系」ともなります。
しかしながら、大和という地を初め近畿地方には、そこにいた土着の豪族が祀っていた神々がおり、それらは国津神なのでありますから、ややこしい。
いずれにせよ、神武東征神話が物語るように、あるいは大陸から九州に渡ってきたのかもしれない、言うなれば外来系豪族が、まず九州をその支配下に置き、さらに瀬戸内海を周辺から近畿にまで勢力を伸ばし、最終的には大和の地に達したのでしょう。
神武東征
その間、様々な土着民、豪族を平定し、その支配下に置いたと考えられます。
(昭和天皇自身が、祖先は恐らく朝鮮半島から渡ってきたのではないかと思っている、なんて発言をしております)
神武東征神話なんて言いますと、明治から終戦まではともかく、今では嘘くさい、それこそ神話以上のものではない、なんて思ったりもしますが、実際は、ある程度の史実に沿ったものであったように思います。
まあ、神武天皇なる方(即位する前はカムヤマイワレビコノミコト)は伝説的な存在だとされておりますが、そのモデルとなったような人々はいたのでしょう。
「歴史は勝者によって書かれる」なんて言われますように、かなりの美化、脚色があったように思いますが、全くのフィクションということでもないのかもしれません。