あやしい宗教学 神と仏 ④ 楽しい日本の神様 八百万の神の中には祖先神、貧乏神、疫病神までいます | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

日本の神様であります。一応、日本の神といえば神道における神様ということになりますが、実はも日本では神の扱いであったと考えられます。毘沙門天、帝釈天、多聞天、さらには不動明王、鬼子母神なんて本来はインドの神様がいつしか仏法(仏教)の神様となっておりますが、他にも寺院に安置されております阿弥陀如来や観音菩薩、薬師如来といった諸仏もまた、その位置づけ、役割からしますと神と言えないこともないよう思います。

 

 

 

 

鎌倉大仏も、言うなれば神様?

 

 

 

例えばの話、初詣なんかでは神社だけではなく仏閣にも行きます。東京周辺なら成田山新勝寺川崎大師・平間寺などが有名ですが、その本尊は前者が不動明王で、後者は弘法大師(空海)であります。

 

 

これに対し、明治神宮の主祭神は明治天皇であります。

 

 

いずれにせよ、こういった神社仏閣で祈願する内容は全く同じでしょう。家内安全、無病息災、合格祈願恋愛成就など。

 

 

 

して、考えてみますに、例えば不動明王はそれこそ仏法を守護し、これに従わない者には懲罰を与えるという怖い神様ですし、弘法大師、明治天皇はそもそも人間(※ 明治天皇の場合現人神[あらひとがみ]という神様の扱いでしたが)であったはずです。

 

 

 

何だって、誰だっていーんだよ

ご利益さえあれば

 

 

 

ということなのでしょう。

 

 

その流れで行きますと、大阪は通天閣にいるビリケンさんや、中華街にある関帝廟(※『三国志』に登場する関羽を神として祀る)における関羽も、もしかしたら八百万の神にはいるのではないのか。

 

 

 

さて、仏教というか仏ですが、これは異国、外来の神として、これを蕃神(ばんしん ー 隣りの国の神)なんて言っていたとされます。そもそも仏教は日本に伝わった時は、釈迦の説いた深淵な哲学というよりは、異国の強力な神と理解されていたようです。

 

 

ゆえに、天皇をはじめ為政者はこれを積極的に取り込もうとしたのでしょう。

 

 

 

当時、日本には土着の神(氏神なんて呼ばれる部族神)に対する信仰(宗教)があり、これを古神道なんて言いますが、大陸から伝わった仏は、それこそ先進的な高度な文化をバックにしており、明治の時代ではないですが、こういう異国の先進文化を積極的に取り込もうとした考え方を持った人々もいたわけです。

 

蘇我氏なんてのが、まさにそれで、これに対抗したのが保守派ともいえる物部氏中臣氏で、言うなれば両方の立場の権力争いという要素もあったのでしょう。

 

同じことが明治期にもあったわけで、革新的な人々からすればあくまで、日本という国を近代国家に作り上げてゆくには、これまでに日本文化、精神、思想、宗教では不十分で、西洋文化(文明)を積極的に取り込むべきだとしたのでしょう。

 

それがあの鹿鳴館であり、中には日本語を廃止、英語を公用語とすべきだ、なんて意見もあったとか。

 

 

 

さてさて、話を戻しまして、我々日本人における神に対する態度は、先に書きましたように「ご利益があるんだったら、何だっていい」という、きわめて合理的な考えであるように思います。

 

 

鰯の頭も信心から」なんて言葉もありますが、これは、そもそも、鰯の頭から発する生臭い嫌な臭いが、鬼などの邪悪なるものを近寄らせないという意味のものとされます。ドラキュラに対するニンニクのようなものと同じというべきか。

 

 

 

 

節分に玄関に飾ります

 

 

 

これなど、神社やお寺でもらって玄関の柱に付けておくような護符と同じ効能を持っていると考えていいと思います。

 

 

 

いっそ、みんなの嫌われ者のねずみ男を玄関の前に立たせておいたらどうだ

うーん、確かにあいつ、人相がよくないから、悪質セールスマンとか、エホバの証人なんかが避けるかも

でも、類は類を呼ぶで、疫病神とか貧乏神が来そうな気もするが・・・

 

 

 

 

なんて、好き勝手なことを言われても困ります。

 

 

 

さて、この蕃神に対し、一般的な日本の神は天津神国津神、さらにはそれらにも入らない民俗神、さらには人物神なんて神様達がおります。

 

一般的には、神は自然神人格神にも分けられます。この自然神は民俗神でもあります。

 

 

 

その自然神ですが、様々な自然物が神になる、あるいは神が宿る、憑依しているとされます。あるいは、そのようなもの、形で示現(顕現)すると考えます。して、これを崇めることを「自然崇拝」なんて言ったりもします。

 

形が異様であったり、生態が神秘的であったりするものは「聖なるもの」とされ、超常的な力を持つとされます。

 

 

 

思いつくままに上げてみますと、まず、太陽、月、星といったものが神とされております。

 

 

記紀神話ですと太陽は天照大御神、月は月読神(つくよみのみこと)、そして星なら北極星・北斗七星天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)になっておりますが、これは後付けで、『古事記』や『日本書紀』が書かれてから以降のことでしょう。

 

 

こういった天体は、既に遥かな昔から神とされて崇拝されていたと考えられます。

 

なお、太陽を神として崇める信仰は日本に限らず世界各地にみられるものです。古代エジプトのラーや、古代ギリシアのアポロンなどが有名ですねえ。

 

 

 

同じ太陽なんですから、つまり、

 

 

天照大御神 = ラー = アポロン (その他)

 

 

 

ということにもなるはずです。

 

ということは、皇室の祖先神とされる太陽神・天照大御神という設定も、日本でしか通用しないということになります。

 

 

また、北極星・北斗七星は近世になりますと仏教の妙見菩薩と習合しております。神仏習合で、この神様を祀るのが全国にある北辰神社、妙見神社であります。(※ ただし、神となるのは明治以降)

 

 

この天空全体を神格化し天父(天空)神なんていうこともあります。ギリシア神話におけるゼウスなどもこの神とされます。

 

なお、キリスト教ですと「天にまします父なる神」なんて言いますが、同じ神というべきか否か。

 

 

 

この天父神に対抗しますのが地母神と言われる女神で、これまた世界各地に見出せる神であります。

 

 

日本ですと、あまり具体的な女神のイメージはありませんが、海外ですと、アルテミス、デメテル、イナンナ、そしてヴィーナスなどがおります。聖母マリアも神格化され、この地母神と習合しているように思います。

 

 

 

父なる天」に対し「母なる大地(海)」なんて言ったりもします。

 

 

さて、大地にある、さらには鉱物、岩、山、洞窟、川、泉、沼、滝、海もまた聖なる場所とされ、神が宿ったり、そこに住むなんてされてきました。

 

 

 

 

天岩戸神社(宮崎)

 

 

 

沼の主と言われるような大きな魚も神とされたり、水神、竜神が住むなんて言われる川や沼もありますが、その一方で様々なモノに神が宿る、とすることもあります。

 

七神氣」なんて言いまして、米粒には7人の神様が宿っている、なんてことも言います。(※ 水、土、風、虫、太陽、雲、作り手)

 

だから大切に扱い、十分な感謝をして味わって食べなさい、ということなのでしょう。食べ物に対するこういう感謝の気持ちは大事でしょうねえ。

 

 

 

また、そこに住んでいるのか、普段は別の場所にいて、ときにはそこにやって来て憑依するのかは微妙なところでもあります。

 

 

巨石や岩に、しめ縄が欠けられ、これを磐座(いわくら)なんて言いまして、古代にあってはここで祭祀が行われたともされております。その時だけ、そこに神を憑依させる、降りていただくと考えられます。

 

これが、現在でも工事の無事をその土地の神様に祈願する地鎮祭における神籬(ひもろぎ)の原型ではないかと思います。

 

 

 

神籬

 

 

 

なお、この神籬が後に(やしろ ー 神を迎えるために清めた場所)という常設の場所としての神社になったのではないかと思われます。

 

つまり、祭祀を行う時だけ神を呼び寄せるのは大変だからと、いっそのこと神の住居を作ってしまえばいい、ということであったのか。確かに住所不定というのもねえ・・・。

 

まあ、前科は付かないと思いますが。

 

 

 

なお、このような神社は仏像を安置する寺院に影響されたのだとか。

 

 

して、このように神も仏も住所不定ではなく、その場所に行って祈願すればいいわけですから、人間としてはこれはありがたいわけです。

 

また、有名な神様ともなりますと勧請と言いまして、分家(?)してくれます。

 

 

八幡神なんかですと、京都に石清水八幡宮、鎌倉に鶴岡八幡宮なんてものを筆頭に全国に勧請されております。

 

それでいて効能(?)は変わらないらしいです。

 

 

この点はすごいですねえ。普通は分家ともなると、資産分割でしょうから、双方がその資産が少なくなるはずです。

 

 

いっそ、自分の家の庭なんかに勧請して社(やしろ)というか、お宮なんかを作ったっていいはずです。

 

実際、稲荷神なんかですと、こういう社やお宮、祠(ほこら)が日本各地に多数あります。

 

 

 

 

マイ神様、マイ稲荷神です

 

 

 

天高くにいる崇高な神様より、身近にいるこういう神様の方が気軽に祈願なんかができていいですよねえ。

気軽に参拝もできます。

 

 

神様と仲良くできるような気もしますし。

 

いいことがあるんじゃないか、とも。

 

 

毎日油揚げを捧げておけばいい・・・、えっ、たまには酒を飲ませろ!?

 

 

まあ、「お神酒上がらぬ神はなし」なんて言いますからねえ。

 

んで、これがだんだんエスカレートしてゆくと、

 

 

えっ、ピンドンを飲ませろ?

この前はレミーマルタンでしたよねえ

 

 

 

ドンペニリヨン・ロゼ(ピンク)

 

 

 

(※ ピンドン ー ドンペニリヨンのロゼ。略してピンドン。高級クラブ、キャバクラなんかのボッタクリ酒。レミーマルタンは高級コニャック)

 

 

なんて贅沢になってゆくかもしれないです。