あやしい宗教学 宇宙論 その起源は、その構造は、その運命は そもそも宇宙とはどういうものか | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

学生時代、何かの講義で「この世界はマクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙)で成り立っている」なんてことを聞き、よくわからんままに、なんとなく妙に納得してしまったことがあります。

 

 

 

 

ロバート・フラッドの大宇宙と小宇宙の図

 

 

 

人間の中に宇宙の本性や能力が内在しており、大宇宙そのものが一つの人間であり、両者が類比関係にあり、互いに影響を及ぼしあうのだとか。

 

なお、小宇宙(ミクロコスモス)こそが人間なのだそうです。

 

 

確かに、我々もまた宇宙の一部なのでしょうから、これを構成する要素の一つだということなのでしょう。異次元空間(世界)からこの大宇宙の中に忽然と湧いて出た、ということではないと。

 

 

ということは、そこに働いた摂理、法則により、この宇宙の中に一つのまとまりある存在として誕生し、つまり固有の生を受け、その生の期間が終われば、それは死であり、再びその元々在ったところに還ると言えるでしょう。

 

 

仏教的な世界観ですと、その摂理、法則を「縁起」なんて言い、これによって「」から「」が生じ、その「有」というものは、一時的な一つの「」、「形象」でしかなく、その結び目がほどけると再び「無」に戻る。

 

 

しかし、この「無」は「空(くう)」ではなく、ギリシア神話でいう「カオス(混沌)」のようなもので、言うなれば栄養たっぷりの泥状のスープのようなもの?

 

 

ちょうど、砂場で、その砂を使っていろんな形のものを作りだすも、壊せばまた元の状態となってしまうようなものか。

 

 

 

なーんて考えておりますと、もはや脳みそバーン状態で、もっとわけがわからなくなります。

 

 

 

 

特別出演『稲中卓球部』の前野君

 

 

 

 

さて、現在の我々は最新の天文学、宇宙物理学なんてものの基礎知識がありますから、自然科学的なビッグバン宇宙論なんてものを知っておりますが、こんなものを知らない過去の人々は、それこそ、その豊かな想像力を駆使して様々な宇宙論、宇宙観なるものを思い描いていたのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

それは「創世神話」をもって説明されてきました。

 

( ※ 以下、再び脇本平也『宗教学入門』に沿って話を進めてゆきます)

 

 

 

そしてこの神話には「創造型」と「進化型」の二つのタイプがあるとされます。

 

 

前者は人格的な根本存在が動力因として造りだしてゆきます。後者は人格的、非人格的であったりしますが、言うなれば自然発生してゆくものとされます。

 

前者の例としてはユダヤ・キリスト教の唯一神によるこの世界の創造があげられるでしょう。万物を創造してゆくのであります。

この場合、その神は全て単独で行います。一元論的です。

 

 

これに対し、例えば日本神話におけるイザナギ・イザナミの二柱(男神・女神)による場合は「生殖神話」なんて言いまして、思うに、世界ではこのタイプのものが多いように思います。二元論的です。

 

 

ただし、日本神話の場合、この二柱の神々の前に、まず天之御中主神(アメニミナカヌシノミコトなんて神様を筆頭に、「独り神」と呼ばれる神が7柱登場し、その後に8柱の男女ペアの神々が登場するも、再び忽然と姿を消してしまっております。

 

 

 

おめーら、何しに出てきたんだ?

 

 

 

とツッコミをいれたくもなりますが、どうも、こういった神々はこの宇宙の始原を、そして言うなればそこに座標軸のようなものを構築するための存在であったように思われます。ゆえに、天之御中主神というのは「原点O」のようなものではないかとも思います。

 

 

続いて、「進化型」なるものですが、何かのようなものがあり、それは、それこそ混沌とした泥海のようなものがあって、そこから天や地、さらには様々な神々が分かれてゆくのであります。

 

これは「卵生神話」などと呼ばれるもので、例としてはギリシア神話のものがあげられるでしょう。

 

 

 

なお、『創世記』にも、このような混沌とした泥海があったような記述がありますが、あくまで神が手を加えて万物が造られてゆくのであり、こちらは、あくまで自然発生的なのであります。

 

 

ちなみに、創造型の場合ですと、例えばの話、神はその万物の長とも言うべき人間を造っておりますが、同時に、その人間にとって有害ともいえるもの(※ ハエ、カ、ダニ、ヒル、ヘビ、病原菌、ウィルスなど)まで造りだしており、この辺りの製造物責任を追及したくもなります。

 

 

これに対し、進化型の方は、つまり自然発生とすれば、これはもう仕方がないということになるでしょう。

 

 

ついでながら、日本神話におきまして、天皇こそは始原からの神々の末裔として位置づけられておりますが、一般人はと言いますと・・・、どうも、苔や草のように、いっそ、ボーフラのように(?)湧いて出たらしいです。

 

 

苔むす」なんて言いますが、この「むす」は「むすい」と言い「生す」、「産霊」なんて字が当てられたりもします。

生成、発展させる霊的な力だともされます。

 

 

 

また、「解体神話」、「屍体化成神話」なんてものがあるのだとか。

 

これは「ハイヌウェレ神話」とも言われる食物の起源を示すものにも通じるものでしょう。

 

 

ハイヌウェレという少女(女神)を殺して埋めると、そこから様々な穀物の芽がでてきたというのであります。この伝承が日本に伝わり、オオゲツヒメノカミなんて女神もまた殺されて埋められると、そこから五穀が生じたとされます。

 

 

 

なお、この犠牲というか生贄とも言えるものになるのは女神ですが、男神という場合もあります。

 

 

古代シュメールの神話にあっては、ドゥムジという男神がイナンナという女神(地母神)と結ばれるという聖婚(これをヒエロス・ガモスと言います)神話がありました。なお、女神は大地を表し男神は作物を表します。

 

 

 

 

聖婚(ヒエロス・がモス)

 

 

この作物は夏には死に、春には再生し、ふたたび両者は結ばれます。死と再生の循環が大地とそこから誕生する作物に示されているのであります。

 

 

余談ながら、これを現代的なホラー作品にしたのが、トマス・ライオンの『悪魔の収穫祭』でしょう。

 

古くからの因習が残る村で、男神ならぬ一人の男が、まさに豊穣祈願のための生贄とされるのであります。

 

 

 

 

 

 

 

しかしながら、ここにあるのは世界は、この生と死の循環によって動いているという考え方で、なかなか興味深いものではあります。

 

 

余談ながら、イエスの死と復活も、このような「死と再生」を意味しているように思います。

 

 

 

これをさらに拡大しますと、老荘の説いた「道(タオ)」に示される陰陽二元論というものになると思います。

 

陰、極まりて陽になり、陽、極まりて陰になる」なんて言いまして、これが繰り返され永遠に循環してゆくのであります。

 

 

 

して、これをさらにさらに拡大しますと・・・、ビッグバン宇宙論における、この宇宙の創始こそは大爆発によるものだとされ、現在もまだ宇宙は膨張し続けているとされますが、いずれ、これは終息の時を迎え、今度は逆に縮小してゆく?

 

 

その縮小が極限まで行った時、それは大爆発を起こし・・・。

 

 

 

 

まさに循環論なのであります。

 

 

アルファであり、オメガである」、「阿吽(あうん)」なんて言いまして、いずれも最初と終わりを示すものとされますが、実際は「オメガからアルファ」となり「吽」から「阿」にまた戻ってゆくのではないのか?

 

 

 

 

あんだよ、それ?

ぜんぜん、わかんねーよ!

 

 

 

 

 

アーニョロ・ブロンズィーノ『愛の寓意』(部分)

 

 

 

と、このように宗教的宇宙論なんてものを本気になって考え出すと、それこそ脳みそバーン状態となりかねないのであります。

 

ここはおとなしく(?)『創世記』や『古事記』なんかの創世神話を素直に信じていればいいと思います。