『史録 日本国憲法』 国体に拘る日本と民主化を求めるアメリカ 様々な思惑が絡んだ産みの苦しみ | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

つまるところ、憲法は何のため、誰のためのものなのか。

 

 

 

 

 

 

戦勝国アメリカが日本に求めたのは、その利益のためなら戦争もいとわないというような国家指導者を生み出さないような新生国家を作ること、さらには軍部の暴走を止められないような国家体制組織の変革であり、そのためには形ばかりの民主主義的な国家ではなく、真の民主主義国家であったと考えられます。

 

 

むろん、二度とアメリカに牙を向けることの無いよう従順化させるということも頭にあったのでしょう。

 

 

 

お互い仲良くした方が、双方の利益は大きい。

 

 

これは戦略的ゲーム理論からも導き出されるものだと思います。賢い者は喧嘩せず、仲良くして自らの利益を引き出す。アホウは喧嘩して他人のものまで奪おうとする。

 

 

 

 

協力し合った方が、結果としてはお互いに最大の利益が得られる

 

 

 

 

この戦略的ゲーム理論からするならロシアのプーチンさんなんぞはアホウ、いっそ大バカ野郎ということになるでしょう。

 

 

たとえ、この戦争に勝ったとしても得られるものと、失ったものを考えるなら、間違いなく失ったものの方が大きいはず。

そういう戦略的長期的ヴィジョンが見えないのが国のトップとなったら、その国は悲劇です。

 

 

 

まあ、かつての日本のトップも同じであったというべきか。

 

 

さて、現在の日本国憲法の、自称・エヴァンゲリオン(伝道者)だという護憲派の弁護士である伊藤真は、「憲法は国民のためのものであって、国のものではない」なんてことを言っております。

 

 

 

国破れて山河あり」なんて言いますが、日本という国がなくなったってそこに人はいるわけです。大事なのはその人であって国ではない。

 

 

しかし、終戦間もない頃の、まだ以前の大日本帝国という国家理念にしがみついている人々の頭にあったのは、つまりは、その日本の政治中枢の人々のが考えていたのは、あくまでもその国家理念であって、それを支えるはずの国民なんてものは二の次だったとしか言いようがないように思います。

 

 

変な譬えかもしれませんが、仮に天皇を国旗とするなら、その国旗こそを守れ、死守せよと。極端なことを言えば、そのためにはどれだけの犠牲が出たってかまわない。

 

 

まあ、つまるところ、周りにいたものが皆犠牲になろうとも、その旗のもっとも近くにいた側近こそが旗とともに生き残ればいい、と。

 

 

 

 

 

 

さて、憲法改正案の作成という問題は、松本国務相率いる東大派と、近衛公爵率いる京大派というような学閥対抗戦(?)のような様相を呈してきましたが、一方、GHQにあっては本国アメリカの国務省から、日本の憲法改正に対する国務省、つまりはアメリカの考えを示す訓令が送られてきておりました。

 

 

そこには天皇制を存続させるか否か。さらには、いずれの場合にあっても、いかなる新生日本という国を再構築させるか、というアメリカ政府の基本的見解が示されておりました。

 

これを見たマッカーサーは参考にはするが、そのまま鵜呑みにするつもりはないと突っぱねます。日本という国の現状を知るのは自分達GHQであり、ただ机上の空論を振りかざすだけの本国の国務省の指示に従ういわれはない、と。

 

 

 

この辺りも興味深いですねえ。

 

もし、マッカーサーが、本国の言われるがままにそれを進めていたら、日本国憲法の内容は今のものとは微妙に違っていたかもしれませんねえ。

 

 

さて、GHQでは、政府首脳部内大臣府、つまり天皇側との、二つの憲法改正に向かっての動きをちゃんと把握していたようです。しかし、例えば松本国務相率いる政府首脳グループの改正案の骨子とも言うべきものは、なんとも保守的で、GHQがそれとなく匂わせていたことを全く理解していないと感じていたようです。

 

 

いっそのこと、極秘とはいえ、本国から、こういう訓令が来ていると伝えるという手もあるが、むしろ却って混乱させかねない。

 

となれば、少し様子を見よう、ということであったようです。

 

 

 

次に松本国務相の動きとして、政府首脳と内大臣府があたかも対立するような形で憲法改正の手続きを進めるのはよくないと判断し、その懐柔策として、内大臣府の御用掛の佐々木博士を政府側の調査委員会に加えたいという旨を木戸内大臣に伝えます。

 

 

これに木戸内大臣は賛成してくれます。彼としてもその方が望ましいと考えていたのでしょう。

 

 

 

しかし、近衛公爵の先走り、独走癖(?)はとどまるところを知らず、今度はAP通信との記者との会談にあって、「天皇の退位もありうる」なんてことを口走ったのであります。そして、これが新聞にも掲載され、これを見た松本国務相は、それこそ怒髪天を衝くという勢いで首相官邸にて駆けつけ、幣原首相にその怒りをぶちまけます。

 

 

天皇の退位というのは、やはり近衛公爵の個人的な見解であるとしても、彼が政府と協力して憲法改正案作成を進めているとしている以上、それは政府見解もそれに近いということにもなりかねない。

 

 

松本国務相、そして幣原首相他政府首脳部にあっても、さらには恐らくはほとんどの国民が国体の変革なんてことは想定もしていなかったのでしょう。しかし、近衛公爵はしきりに天皇大権の縮小、あげくには退位についてまで言及している。

 

 

 

それはもはや「国体の変革」を意味する。その国体の変革とは、明治維新以降、今まで築き上げてきた日本という国のアィデンティティー、その存在基盤、根拠を失うことにも等しいこと。

 

 

松本国務相にすれば、日本が未曽有の敗北を受諾したのも、その国体護持のためであったはず。それを根底から突き崩しかねないような近衛公爵の見解には納得できないし、なおかつ、それが政府首脳の考えにも通じるなんてことにされたらとんでもない話ではないか。

 

 

 

国体変革だー!?ふざけんな!

 

 

 

議会どころか、国民から何を言われるかわかったものではない。

 

 

なお、この松本蒸治国務相という方ですが、オールドリベラリストと言われ、ガチガチの保守主義というのでもない。しかし、この時代のこの世代の方というのは、天皇制というのは言うなれば空気のようなもので、それが当たり前のものだと思っていたようです。

 

 

言い換えれば、その世界観こそは普遍にして永世続くものであり、天皇制なくしては日本という国は成り立たないのだと。

 

 

 

この世界観とは数学の幾何でいう座標軸のようなもので、天皇は、その原点Oのようなもの。

 

 

 

 

 

その原点が失われたら、日本という世界は成り立たないではないか。

 

 

まあ、そう考えるのもわかります。

 

 

 

しかし、先ほどの「国破れて山河あり」ではないですが、その国がなくなったって、そこに人はいるんですけどねえ。

 

 

ただ、松本国務相がこのように国体に拘っていたというのも、決して特異な考えというものではなく、多くの人々にも共有されていたものなのでしょう。ただ、みながそう思っていたからと言って、それが唯一、正しいということもないはずなんですが。

 

 

さらに、以前、「天皇機関説」という、法的には至極もっともな考え方を提示した憲法学者の美濃部達吉が「天皇をないがしろにしたもの(※ ここでいう「機関」とは「システム」、「組織」、「部門」といった意味なのですが、畏れ多くも天皇を石炭で走る機関車のような物とするのは不敬にもほどがある、なんて批判もあったとか)と非難され、暴漢に襲われたなんてこともあったことから、天皇退位なんてことを言い出したら国粋主義者の激しい抵抗があると、松本国務相は考えてもいたようです。

 

 

 

 

天皇はSL(蒸気機関車)じゃありません

 

 

 

 

興味深いのは、ここで、あの白洲次郎(※ 当時は終戦連絡事務局次長)という方の、この松本国務相のついての回想として「(大日本国憲法の)第1条から4条にまで手を付けたら殺されますよ」とつぶやいていた、というものがあります。

 

 

 

それこそ、絶対に侵してはいけない神聖不可侵のタブーということであったのでしょう。

 

なんせ天皇は神様でしたからねえ。

 

 

その神様を否定するなんてことは考えられないわけです。

 

 

が、その考えられないことが現実には起きてゆくのでありますから、すごいというべきか。

 

ニーチェだって「神は死んだ」なんて、キリスト教徒が聞いたら驚天動地的なことを言ってましたから。

 

 

何が起きてもおかしくはないのであります。