『史録 日本国憲法』 憲法改正など不要と幣原喜重郎は突っぱねますが、この方、実際はねえ | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

長い歴史と伝統の上に立つ、日本という国の礎ともいえる天皇制、つまり言うところの国体を護持したい、という思いが日本政府首脳、そしてその周辺の人々の思いであったわけで、高木八尺東大教授もその一人として、GHQ司令部マッカーサーに次ぐフェラーズ准将に直言を行うのであります。

 

 

高木教授が後に述懐するところでは、「日本は負けたという認識もなく、ずいぶんと呑気な主張をしたものだ」とか。

 

 

して、このフェラーズ准将が言うには、自分も日本の文化、精神、そして天皇のことについては相応に理解しているつもりだと、そして彼の上官であるマッカーサー元帥に、そのことについて意見具申したことがあると答え、その内容が書かれたメモについて教えてくれたとされます。

 

 

これがなかなか興味深い内容で、少し長くなりますが引用してみましょう。

 

 

日本国民の天皇に対する態度は、一般的には(アメリカには)理解されていない。

彼らの天皇は、祖先の美徳を一身に内包している生きたシンボルである。

天皇は国民の精神の権化であり、不正や過ちをおかし得ない存在である。

天皇に対する忠誠は、絶対である。

日本国民は誰も天皇を恐れないが、すべての国民は天皇に尊敬と畏敬の念を捧げている。

 

 

 

日本国憲法第1条の文言と比較してみますと、ここには、既に天皇が「」ではなく「シンボル」として捉えられていることがわかります。しかし、その内容は概ね、当時の日本人の天皇観を正確に示しているように思います。

 

 

それこそ、明治になって、大日本国帝国憲法教育勅語、そして国家神道政策によって、国民教化がなされてきた結果としてのものでしょう。

 

 

 

 

教育勅語

 

 

 

 

しかし、あえて言いますと、明治という時代になるまでは、一般民衆における天皇(天子様なんて言われてもいたようです)は、遥か雲の上の存在にして、もっと言いますと、ほぼ忘れ去られていた存在であったように思います。

 

 

平安時代以降は公家が、鎌倉幕府以降は武士が、実質的には政治を行ってきたのであり、それが700年以上も続いてきたわけですからねえ。

 

 

つまり、この時代の日本人の天皇観は、明治という時代になって作り上げられたもの言えます。

 

 

さて、高木教授はこのフェラーズ准将の言葉に安心したとされます。よく理解してくれている、ということであったのでしょう。

ゆえに、GHQとしても、憲法改正について、天皇を頂点に据えた日本の国体を危うくするような強硬な主張はしてこないだろうと踏んだようです。

 

 

むろん、これはあくまでフェラーズ准将の考えであり、最高責任者であるマッカーサーがどう判断するかはまた別の問題でしょうし、高木教授の楽観的な理解もあるように思います。

 

人間なんてものは、誰しも自分にとって良い方に解釈する傾向がありますからねえ。近衛文麿などもまたそうであったように思います。

 

 

この高木教授は、近衛公爵の秘書である牛場友彦の訪問を受けます。彼は近衛公爵がマッカーサーから憲法改正任されたから協力して欲しいと。

 

こうして、近衛公爵による、あえて言えば彼の独断による憲法改正準備がスタートしてゆきます。

 

そして、GHQの意向をさらに知るためにと独自に折衝をはじめ、そこで示された内容の主要なものをあげてみますと、

 

 

議院内閣制の変更(※ 枢密院、貴族院の廃止)

市民の基本権の保障

国務大臣の文民性

過度の中央集権(警察、教育)の排除

 

 

 

といったものであったようです。

 

 

ここには「天皇の象徴化」、「軍備撤廃・戦争放棄」も入ってはおりません。

 

 

高木教授達は、ここには自分達が受け入れがたいような苛酷な要求は何もないと安心します。しかし、GHQとしては、憲法の改正を急いでやれと言っていると感じたとされます。

 

つまり、それは日本が憲法改正をのんびりやっていたら、それこそGHQが新憲法を用意し、押し付けてくる可能性があるということになる?

 

それは極力避けたい。

 

 

 

近衛公爵一行は、その足で宮内省木戸内大臣を尋ねます。

 

 

というのも、大日本国帝国憲法は、天皇が制定する形式の「欽定憲法」であり、改正もまた天皇の意思にもとづくものとされているからであります。

 

 

 

 

大日本国憲法の発布式

 

 

 

もし改正するというなら、天皇の発議が必要となるのであります。

 

 

あえて言いますと、確かに天皇は日本という国のトップであり、その権限もあるということになりますが、実質的には政府や軍部が日本という国を動かしてきたのであります。

 

しかし、形式としてであり、名目としてであっても、天皇が憲法の改正の発議を行う必要があるわけで、近衛公爵達の考えもまた、これはこれで筋が通ったものと言えるでしょう。

 

 

しかし、ことを勝手に単独で進めるわけにはゆかず、あくまで政府と調整を取り合わなくてはいけないと木戸内大臣は近衛公爵に告げます。

 

して、その政府と言えば、やっと幣原内閣が誕生したばかりで心もとない。

ならばこそ、政府に先行する形で事をさらに進めていいのではないかということになります。

 

 

そして、近衛公爵が言うには、憲法学者が必要であり、自身の出た京都大学時代の恩師にして、今は名誉教授の佐々木惣一博士に依頼するとします。

 

佐々木は立憲主義に立った憲法論を説き、東の美濃部達吉とともに大正デモクラシーの理論的指導者とされた方であります。

 

 

 

さて、木戸内大臣は、幣原首相と面談し、それまでの経緯を説明します。

 

しかし、幣原は憲法改正など不要と突っぱねるのであります。

 

 

 

幣原が言うには、明治憲法は本来、自由主義、民主主義的なものであり、ただ、その運用の仕方を誤ったがゆえに今日の結果となっているだけのこと。ゆえに、憲法そのものを改正する必要などなく、選挙法と周辺の法律と制度改革で対処可能である、と。

 

しかし、アメリカはそれでは満足しないかもしれないと木戸内大臣が言うと、幣原はその時は仕方がないですね、なんて答えます。

 

このように幣原には頑固な一面があったように思いますが、政府首脳部の中にはこういった改正不要を主張する人々もいたのでしょう。戦争に負けたからと言って、なんでもかんでも言いなりになる必要はない、ということなのでしょう。

 

 

しかし、どうも幣原はまだ、この問題の重要性を十分に理解していなかったのではないかと思われます。14年間も政治から遠ざかっていたために、彼には今の緊迫した、そして日本という国の置かれていた状況がわかっていなかったのか。

 

 

まあ、そうなんでしょうねえ。

 

 

しかし、この幣原は、先回少し触れましたように、実際にはその憲法改正に大きく関わり、その歴史に名を残すような偉業、といっていいかどうか、あの「戦争放棄」を日本国憲法に示すことになるのであります。

 

 

 

 

 

 

 

考えてみますと、憲法改正に熱心に取り組もうとした近衛は、結果としてその表舞台に登場することはなく、逆に改正に消極的、いっそ否定的であった幣原がその表舞台に立ったということは、なんとも皮肉なものですねえ。

 

 

 

まあ、世の中には率先して「オレが、オレが」なんて事を仕切ろうとする人間のやることは意味をなさず、むしろ表に出ることもないも、裏側、目立たないところで、実質的には、その事を見事に処理してしまうという人間がいたりするものです。

 

 

 

 

バカと煙は高い所に登りたがる」なんて言いますが、言うなれば、そういう方のものは中身のないスタンドプレーのようなものではないのか。(※ 近衛公爵が、そうだと言っているわけではありません)

 

 

賢い、いっそワル賢い人間は下で暗躍する?

 

 

んで、あっしなんぞは、例えば大阪なら、あべのハルカス東京ならスカイツリーに登りたがる連中に対し「バカと煙は・・・」なんてねえ。

 

 

 

 

(でも、それって、ただ、あんたが一度も登ったことがないからじゃないの?)

 

 

 

 

 

 

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