近衛文麿。天皇に最も近い臣下とされます。
近衛文麿
彼は日本の敗戦処理内閣ともされる東久邇宮内閣の副首相という立場におりましたが、過去には首相も三度務め、言うなれば日本政府の重鎮的存在にして、天皇(皇室)とも深い関わりがあります。
さて、GHQは日本に憲法改正を求めるも、それは次の内閣でという目算であったとされます。しかし、次の内閣のトップになるものが誰であろうと、日本の政界と国民に影響力を持った人物を日本で探すとすれば、この近衛しかいない、そうGHQは判断したようです。
ゆえにマッカーサーは近衛に初めて憲法の改正を提案したのでしょう。
しかし、ここに双方の微妙な解釈の相違があったことが後に明らかになります。
その提案を直接、口頭で指示された以上、近衛はそれが自分に任されたと判断しますが、GHQとすれば、あくまで日本政府首脳、もっと言えば日本という国、ひいては日本人に向かって提案したしたつもりであったようです。
近衛自身から皆に伝えて欲しい、ということであったと。
さて、実は近衛自身、大日本国憲法の改正について大いなる関心を持ち、特に現在の憲法では軍を統括できなくなるということに危惧を感じていたようです。まあ、実際そうなってしまいましたからねえ。
新生日本を自分が作る。その手始めの憲法改正。
こうして、近衛は自身の、この解釈のもとにその準備に取り掛かります。
一方、GHQにおきましては、この近衛もまた既に戦争犯罪人のリストに載っていたのであります。自身がいた政府首脳部は飾りにすぎず、あれは軍部による独走であると近衛自身が弁明しておりましたが、たとえそうであったとしても、その政府の首脳部にいた以上は責任があるというのがGHQの解釈であったようです。
むろん、この時点ではまだ公にはされておらず、近衛自身もそうなる可能性があるのではないかと不安であったようです。
それがマッカーサーに「憲法改正を」と言われた以上、自分は罪に問われないはずだと思ったのでしょう。
このように双方の思惑が微妙にずれたまま、話が進んでゆきますが、一ヶ月もたたぬうちに、その後生じた憲法改正という大問題における日本側の対応の混乱を正すようにマッカーサー自身が、近衛に憲法を改正すべきだとは言ったが、その具体的な改正業務までも依頼した覚えはないという声明を発表します。
これにより立場を失った近衛は、それに追い打ちをかけるように戦犯指名を受け、出頭を前に青酸カリを飲んで自らの命を絶つのであります。
この辺りもまたドラマチックですねえ。
著者の児島襄もまた、近衛がこのように解釈したのはごく自然のことであったと同情しております。
しかし、彼には政治的な意味での戦争犯罪というものがつきまとっていたわけで、その責任から逃れることはできなかったといえます。
さて、10月15日、政治犯の釈放、治安維持法の撤廃という指示が出たその翌日、ついにそれをもって敗戦処理内閣ともいえる東久邇宮内閣は総辞職に追い込まれます。
まさに、それをもって敗戦処理には一応のめどが立ったということになるでしょう。
次の内閣は、かつての外相であった幣原喜重郎に決まります。これは吉田茂の強い推薦があったからだとされます。
幣原喜重郎
外相を四回も経験し、日本きっての外交通とされた幣原は、その時は既に70代で、高齢を理由に当初は首相になることを強く辞退したとされますが、天皇に拝謁したさい「今日の、この難局に立ち向かえる人間は他にいない」と言われ、それで覚悟を決めたとされます。
この幣原喜重郎は、後になりますがマッカーサーとの会談の中、日本の戦争放棄を提案したという説があります。つまり、この説に従えば、今いろいろと騒がれている日本国憲法第9条は、アメリカが日本に押し付けたものではなく、日本こそが提案したものということになりますねえ。
この方も、まさに現在の日本国憲法成立にあってのキーマンの一人と言えると思います。
さて、ここでもう一人、当時、東大法学部の教授であった高木八尺(やさか)という人物が登場します。
日本における、米国憲法、政治史の第一人者で、戦争末期には和平促進のために政府に提言を行ったともされます。近衛公爵にも提言しており、高木はアメリカは日本における天皇制に理解を示すはずと考えていたとされます。
というのも、GHQの一連の政策、その方針にあって政府首脳をはじめ、その中枢に近い人々は日本の国体、それはつまり天皇制を意味するものでもありますが、それがどうなるかについて大きな関心というよりも、不安と危惧をいだいていたからのようです。
天皇の側近はもちろん、近衛、幣原、そして高木、さらには政府中枢の人々の頭にあったのは何よりも、国体、天皇制の護持こそが最優先とされていたとされます。
まあ、国あっての国民(※ 当時は臣民)ですから、その言っていることはわかりますが、ここには日本の国体こそが第一であり、国民はその次、というニュアンスも感じます。
どおくまんの『嗚呼、花の応援団』という漫画の中で、一番偉い(?)大学の四回生(※ 四年生・関西ではこう言います)が下級生に、
トカゲと同じで、尻尾(下級生)はいくらやられて(切られて)もいいが
頭(四回生)は死守しなくてはいけない
なーんて檄(げき)を飛ばしてましたが、これと同じということなのか。
東映ヤクザ映画の中でも、親分が子分に「死んでも親分を守らなあかん」なんて言ってましたしねえ。
さらに言わせてもらえば、国民、一般民衆が幸福でいられるためには、国の形なんかどうでもいいのではないのか。
それとも、当時の日本という国の国体が護持できなかったら、日本という国は崩壊してしまうとでも言いたかったのか。
「国破れて山河あり」なんて言いますが、国が破れたらその国の国民もまたなくなってしまうでしょうが、そこにいた人間もまたいなくなる、ということではないでしょう。なんなら別の国を作っていいはずです。
まあ、できるかどうかはわかりませんが。
生物学には「ホメオスタイス」という概念がありまして、これは「恒常性」というものです。
これは生物がその身体の内部環境(体温、血糖、免疫など)を一定の(望ましい)状態に保ち続けようとする機能であります。
これは、例えば人間の作り出した社会(機構・組織)にも言えるもので、いったん作り出したその社会を何とか存続させようとするわけです。企業なんかももちろんそうでしょうし、特定のグループ集団もまたその維持、継続を求めます。
もちろん、国もそうです。
ゆえに、その存続に有害な人間、要素は極力排除しようとします。
先に上げた、大学の応援団なんてものにあっても、中途の退団(退部)なんてのは、ヤクザの組抜けと同じく厳しい制裁があるのだとか。
さて、当時の政府首脳部、及びその周辺部にあっても、このような、それこそ社会学的な意味でのホメオスタシスが働き、既存の日本という国、その社会構造(国体)を、なんとか存続させようとしていたのでしょう。
して、そういった国体を支えていたのが、それこそ大日本国憲法であったわけで、これを改正しろとGHQが言ってきたわけですから、関係者はうろたえていたのでしょう。
それこそ国体を維持できるかどうかが大問題であったわけです。
くどいようですが、実際のその構成メンバーであるところの国民のことよりも、そちらの方が優先されていたのでしょう。
天皇制ということは別としても、国民からすれば、自分達なんぞはどーでもいいというものになっていたのではないかと。
それこそ、トカゲの尻尾と同じでしょうから。
記紀神話などでは、自然発生した(「苔むす」の「むす」ですよ)、いっそ湧いたよーな雑草だとされておりますからねえ。
ちなみに、植物に造詣の深かった昭和天皇は「雑草」という言葉を嫌ってました。
「雑草なんて植物はない(どんなものにも、ちゃんと名前があるんだ)」と。
能條純一 『昭和天皇物語』
雑草と、ひとくくりにされそうな、あっしなんぞは、かたじけなくて涙こぼるる、ですよ。