『女と男のだましあい』 女が男に望むもの 愛と誠意? そもそも男は、そんなものを持ているのか? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

女と男のだましあい』の著者であるバスはアメリカはテキサス大学の教授であった時に、世界規模の調査を行い愛とロマンスに関わる全てを進化心理学の観点から分析していると、この本のカバー裏には書いてあります。

 

 

これまでこういった内容は、例えば文学や哲学といった分野の方々の、ともすればその著者の主観的な男女論、恋愛論、あるいは結婚論といったものが多かったように思います。

 

まあ、人生経験の豊かな方ですと、誰しもがこういうことに対しては一家言持っているようなもの。

 

 

 

 

 

しかし、そういったものは、あくまで理念というか、「こうあるべき」といった理想論であったように思います。もっと言えば指南書、いっそハウツー本とでも言うべきか。

 

 

 

そういったものが、全ての人間に当てはまるかというと、そんなこともないように思います。

 

 

また、そもそもパートナー(配偶者)選択というもの、今でこそ、多くの文化、社会で個々人の自由な考えに任せられていると思いますが、かつては必ずしもそうとも言い難く、例えば親などが決めた相手と結婚するしかない、なんてことも少なくなあったように思います。

 

 

典型的な例が、いわゆる政略結婚、政治的結婚というもので、これは特に上流階層の人々にみられたようです。

 

例えば日本における武家、それも大名クラスともなりますと、娘をそれ相応の大名、場合によれば敵対するような相手に嫁がせ、縁戚関係を結び、和睦を求めたりもする。

 

一般庶民にあっても、結婚は双方の親同士が決め、当人同士は婚姻当日になって初めて相手と会った、なんてこともあったとか。

 

 

しかし、それで、このように結ばれた男女がみな不幸であったか、というと、そんなこともなかったようです。「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」なんて言いますが、こればっかりは、もう運としか言いようがない。

 

 

大恋愛の、燃えるような恋の末に結ばれたカップルがあっけなく別れてしまうこともあれば、見合いで結婚したカップルが愛睦まじく一生、添い遂げたりもする。

 

 

 

 

和宮親子内親王

 

 

 

例えば、徳川第14代将軍であった家茂に嫁いだ仁孝天皇の第8皇女であった和宮は、「惜しましな 君と民とのためならば 身は武蔵野の露と消えても」と、降嫁の決心をした時に詠んだとされますが(※ 現在では家茂が上洛中の時の歌と推定されている)、その夫婦仲は良好で、また家茂は側室を置かず、和宮を生涯の伴侶としていたとされます。

 

 

 

生まれ変わっても、また同じ相手と結ばれたいか?」という質問をしたという、これはバスの調査とは別のものでしたが、その結果によれば「YES」と答えた方はさほど多くはなかったのだとか。

 

 

まあ、よっぽど相性が良ければそうなるんでしょうが、あえて言えば、相手にさしたる不満はないけれど、できれば違う相手と新しい可能性にチャレンジしたい、ということなのか。

 

 

毎日、昼めしには立食いそばを食ってきたが、それはそれで不満はないんだが、たまにはマックのハンバーガーを食いたいなー、とか。

 

 

じゃあ、あたしは立食いそばなの?

 

 

 

 

なーんていわれましても。

 

 

以下、バスの本の第2章は「女が望むもの」というタイトルでありまして、これに沿って考えてみたいと思います。

 

 

女性が男性に何を求めているのか?

 

飲みたくなったらお酒 眠たくなったらベッド 次から次へと差し出すあなた」なんて、かつてピンクレディーが『UFO』の中で歌ってましたが、んなことのできるよーな男がそうそういるわけもない。

 

 

そんな男は、いっそプレイボーイ、女たらしではないのか。

 

なんせ、こういう男は、狙ったターゲット(!)を口説き落とすためなら手段を択ばない、なんて言いますからねえ。

 

 

言うなれば先行投資でしょう。して、その投資したものに見合うだけのものが手に入ればいい、と。

 

 

前にも書きましたが、こういう男(※ 女にもいるようですが)はラブ・ジャンキー、つまり恋愛中毒患者(!?)だそうでして、相手をその気にさせることに情熱を注いでおりまして、困ったことに、その相手が落ちる、言い換えると、なびくともなると、途端にその情熱が消えうせ、また別の相手を物色するのだとか。

 

 

言うなれば難攻不落の城を落とすことに快感を覚えるのであって、なにもその城を手に入れたい、ということではないようです。

 

ゲームで言えば、目標に至るプロセスこそが楽しいのであって、目標を達成してしまえば、後はもう、どーでもよくなる。

 

 

して、その当の相手からしたら、勝手にその気にさせておいて、いざとなったら、「さようなら」じゃねえ。

 

 

 

ゆえに、あまりにも簡単に自身の望みを叶えてくれるような男は避けた方がいい?

 

 

 

さてさて、バスは進化心理学者ですから、いきなり生物学的レベルの話から始まります。

 

男女にあっては、そもそも生殖細胞が異なるのだ、と。

 

 

 

当たり前といえば当たり前なんでしょうが、こういう生物としての事実をまず押さえておくべきだとも。

 

まず、男性の場合、一度に数百万の精子を放出し、さらに言えば精子は一時間当たり1200万個の割合で補充されてゆくとされます。

 

これに対し女性は一生を通じ約400個という限られた数の卵子しか排卵することができないとされます。

 

もっと言えば、年齢的な生殖可能期間も男性の方が、女性よりもずっと長いはずです。

 

 

また、女性は受精、妊娠を己の体内で行われ、その後も約9ヵ月ものエネルギー消費が求められ、出産後は約1~2年は授乳ということも求められるのだとか。

 

こういう事実は、生殖にあっては、男性と比べ女性にいかに大きな負担がかかるかを示しております。

 

 

ゆえに、究極的には子を成す、子孫を残すための結婚において、女性は男性よりもはるかに慎重な選択が求められるということでしょう。

 

ちなみに、日本の進化生物学のパイオニアとも言うべき長谷川真理子の『オスとメス 性の不思議』(講談社)の中には、『ギネスブック』に載ったという男性の最大生涯繁殖成功度はモロッコの王様で888人(!)の子を産ませた、なんて書いてあります。

 

 

 

 

 

いわゆるハーレムなんかを作って、何人もの奥さんがいたのでしょう。

 

 

一方、女性の方ですと、ウクライナの女性で69人(※ 双子や、三つ子を何組も産んだのだとか)だそうです。

 

 

 

つまるところ、その気になれば男性はこのような膨大な子を産ませることができますが、女性はそうはいかないのであります。

 

いくらフェミニストが「(性的な意味にあっても)男女は平等だ」と言っても、このように持って生まれた生物的、生理的構造が違う以上、平等とは言い難いのであります。

 

 

もっとも、このような差異に優劣をつけるからおかしくなるのであり、そこにそんなものはないというべきでしょう。

 

 

 

キリスト教的に言えば、神様が男女のそれぞれをそのように造ったがゆえなのであります。

 

進化生物学的に言えば、このような有性生殖こそが、より望ましいものとして進化してきた結果でしょう。

 

 

では、本来は無性生殖、例えば分裂のような形でも子孫を残せるのに、なぜ、手間暇がかかるような有性生殖が生まれたのかは、この長谷川真理子の本に、その仮説とも言うべきものが書いてあります。

 

 

簡単に言えば、無性生殖で、それこそ自身のコピー(複製)を作り出すよりは、雌雄がそれぞれ持った異なった遺伝子を出し合い、自身とは多少なりとも異なった資質を持った個体を作り出した方が、自然界の淘汰という厳しい条件をクリアできる可能性が高くなる、ということのようです。

 

前にも書きましたが、例えば女性の遺伝子構造にはない特定のウィルスに対する抗体を、結ばれた男性の遺伝子構造にあれば、その男性の抗体を上手いこと受け継いでくれた二人の子は(※ 受け継がない子も産まれる可能性もあります)、そのウィルスに感染する、つまり病気にはならない可能性が高くなるはずです。

 

 

 

 

 

 

つまり、有性生殖は生物が自ら作り出した、より有益と考えられる生存戦略だということができるでしょう。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーー

 

かつて、とある若い女性が、

 

 

 

女は全ての世界をあげたように思うのに

男はただオモチャをもらったようにしか思わない

 

許せないわ!

 

 

 

なーんて言ってましたが、まあ、そういうことなんでしょう。

 

やり逃げ、乗り逃げ、無賃乗車(!?)なんて不誠実な男もいるようですし・・・。

 

 

 

あえて言いますが、男がみなそんなのしかいない、ということではありません。

 

例えばあっしのようなのが、ねえ。

 

 

 

(あんたの場合、ただ単に、相手にもされていないだけなんじゃないの?)

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

最後に、広い生物界には男、というかオスの方が多大な投資を行う種もおります。

 

例えばスカラベ(※ フンコロガシ)は、文字通り動物の糞を丸めて転がす習性があります。

 

 

 

 

 

 

して、これはオスが行いまして、言うなればオスの所有する財産なのであります。その財産を見て好感を抱いたメスがオスにモーションをかけてきても、オスは気に入らないと相手にしません。

 

またオーストラリアに棲息する飛べない鳥エミューのメスは卵を産むと、さっさとどこかに行ってしまい、その卵を守り温め、孵すのはオスの役割なのだとか。

 

ゆえに、メスは、そういうことをしてくれそうなオスをめぐって熾烈な(!?)戦いを繰り広げるのだとか。

 

 

ちょっと、その男(オス)はあたしが、目を付けておいたんだからね

この、ドロボウ猫!(※ 鳥なんですけど)

 

なによ、だったら首輪でも付けて繋いでおいたらよかったのよ

後から来て、変な言いがかりをつけないで欲しいわ

 

 

 

つまり、女性(メス)の方が男性(オス)よりも多くの投資をするということは、なにも普遍的な法則というわけではないのだと、バスはいいます。

 

 

いろいろあるのだと。