幸福なんてものを科学的に考察するとしたら、一般的には心理学や哲学、あるいは宗教学といった人文・社会が学がメインでしょう。その一方で、生物学者、あるいは精神医学者、脳科学者などからのアプローチがあります。
『ホモサピエンス全史』の著者であるハタリは、これを「化学から見た幸福」という節を設けて論じております。
「心」の作用とは、「魂」によるものではなく、我々の脳内における電気信号と化学物質の関係において説明されるのだとか。
我々の思考や感情というものも、脳内におけるシナプスと呼ばれる神経細胞内を微量の電気が流れることによって生じるのだとされます。そして、例えば「快」、「不快」という感情も、脳内における情報伝達物質、いっそ脳内ホルモンによるものなのだとか。
この脳内ホルモンを、俗に「脳内麻薬」なんて言うこともあるようでして、例えばエンドルフィンという、鎮痛効果や、多幸感をもたらす充足系快感物質と呼ばれるものは、モルヒネの約10倍の効果があるとされます。
他にも刺激系・興奮系快感物質ドーパミンどは、ネズミにもあるようですが、実験ではこのネズミの頭に電極を差し込み、レバーを押すと、このドーパミンが出るような仕組みにすると、なんと死ぬまでレバーを押し続けるとされます。
「メチャクチャ気持ちがいい」のだそうで、キット、このネズミは「この世の極楽」状態でいるのかもしれないです。
さらにセロトニンという、癒し効果、幸福感をもたらすものがあり、これはLSDにも似ているとされます。
「脳内麻薬」なんて言いますが、実際は「麻薬」の方が、この脳内の化学物質に似ているのであります。
ゆえに、いわゆるアブナイお薬、麻薬なんかを使ってハイ(興奮状態)になるよりも、このような脳内麻薬が出るようにした方が、ずっと安上がり(?)のように思います。これを称して「ナチュラル・ハイ」なんて言うこともあります。
マラソン選手などにあっても「ランナーズ・ハイ」なんて言われるものがよく知られておりますが、この場合も、こういった脳内麻薬が分泌されているのだとされます。
また、お笑い番組や、落語などを聞いて楽しんでいたり、笑っている時にも、こういった脳内麻薬が分泌されているそうで、興味深いのはナチュラル・キラー細胞(NK細胞)という免疫系も活性化されるともされます。
この活性化によって、風邪などをひきにくくなったり、ガンになる細胞を抑えるのだとも、いうところの「自然免疫システム」ですねえ。
規則正しい生活を行い、適度な運動をし、変なサプリメント、健康食品なんてものを摂らなくとも、栄養バランスのとれた食事をしていれば、この自然免疫システムも上手いこと機能するのでしょう。
さらには、旅行などの楽しい気分でいるときには、脳内麻薬の分泌が増えることもさることながら、このNK細胞が活性化することも実験の結果でわかっているのだとか。
「笑う門には福来たる」なんて言いますが、こういうことわざも、つまりはそういうことを示す先人の経験からの知恵ではないかと思います。
さて、例えばの話、宝くじに当たったとか、昇進したとか、恋人ができた、信真実の愛を見つけた(と思っている)としても、このような脳内麻薬が分泌されなくては幸せな気持ちにはなれない、とされます。
ここにおける「幸せ」とは、つまり「快感」でしょう。
手っ取り早く言えば「気持ちがいい」のであります。
して、例えばの話、宝くじの特賞に当たった時と、金がなくていつもは駅のホームの立食いそば屋で掛けそばばかり食ってる奴が、給料日に天玉そばを食う時とでは、その「気持ちのよさ」は、さして変わらないように思います。
つまり、幸せになりたいと言っても大金を掛けたり、大掛かりなことをしなくたって、やり方次第、考え方次第では簡単にそうなれることもあるのだ、と。
中勘助という詩人に『塩鮭』というものがありまして、その冒頭の一節に、
ああこよひ我は富みたり
五勺(しゃく)の酒あり
塩鮭は皿のうへにたかき薫りをあげ
湯気立つ麦飯はわが飢えをみたすにたる
なんてのがあります。
ささいな、夕餉でしょうが、そこには満ち足りた気持ちが現れております。
肉汁の下たる高級神戸牛のステーキとか、高級フレンチ料理なんてものを食わないと幸せにはなれない、なんてことはないのであります。
また、漫画家の花輪和一の、銃刀法違反で捕まり刑務所に入っていた時の体験を『刑務所の中』というマンガにし、これは映画化もされましたが、その中で花輪を演じる山崎努以下、収監者の連中が、刑務所の食事(いわゆる「くさい飯」)を、いかにも旨そうに食っているシーンが秀逸でしたねえ。
正月に出される、それこそささやかな、年越しそばや、おせち料理をたべることで「もう、思い残すことはない」なんて言う収監者がいるんですが、もしかしたら、人間というものはどんな過酷な環境、いっそ逆境にあっても幸せをみつけられるのではないのか、なんて思って見てました。
して、こういう快感があるからこそ生きてゆかれる。
そのような快感がもっと欲しい、と。
これが、生物としての人間の生きる原動力になっているのかもしれないです。
また、麻薬中毒者のことを「ジャンキー」なんて言いますが、脳内麻薬の快感が病みつき(!?)になっている、一般人だって、やはりジャンキーではないのか。
いうところのプレイボーイ(※ 女たらし、すけこまし、なんてことも言いますし、逆にプレイガールなんて方もいるようです)、伝説上の人物としてドンファンなる方がおりまして、こういう方は、これはと思う相手を次々に恋人にしております。
して、困ったことに、相手が難攻不落がゆえに燃えるのでありまして、なんとか、手に入れると、つまり、相手が自分になびいてくると、もう、そこでそれまでの情熱が一気に冷めてしまうのだとか。ゆえに、すぐにも相手の方からなびいてくるような場合にはまったく関心がないとされます。
そして、また新たな相手を探すのだとされます。
言うなれば、そのような難攻不落の相手を口説き落とすということにおいてこそ快感を感じるようでして、いったんそれを達成してしまうと、もう、そこに快感を感じなくなってしまう。
言うなれば結果よりも、そこに至るプロセスこそを重視しているのでしょう。
こういう方を称して「ラブ・ジャンキー」というのだとか。
しかし、その相手としたら、たまったものではないでしょう。
その気にさせておいて、いざとなったら、「はい、さようなら」ですからねえ。
さて、このように考えてきますと、幸福を快感と考えるなら、このような化学物質が、このように我々の思考や、感情、さらには行動をもコントロールしているように思います。
心理学では「欲求」という言葉で説明します。
「快」を求め「不快」を避けるのでありまして、これは当然のことでしょう。
して、この「快」を感じるときには脳内麻薬、あっし個人は「ごほうびホルモン」なんて言ってますが出るような生き方をすれば、幸せになれるのかもしれないですねえ。
次回は、このことをもう少し掘り下げてみたいと思います。