日本国憲法が捉える天皇とは ー 民衆とともに、その先頭に立って、ともに泣き、ともに喜ぶ | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

先回書きましたように、かつての東北大震災の時、当時の天皇(※ 現・上皇)は皇后とともに被災にの人々を励ましておりまして、一般庶民、いっそ下々の人々と膝交えての姿は内外に大きな感動を与えましたが、一部保守的な人々は、天皇がそこまでやる必要はない(※ 権威が落ちる?)と批判的であったとか。

 

 

 

 

熊本地震の被災地訪問

 

 

しかし、昨日の朝日新聞に掲載された、皇室や天皇についての研究者である原武史の記事を読む限り、平成天皇は自らの使命として、このように国民に寄り添う姿勢を貫いていたとされます。

 

 

人間宣言をし、敗戦後はやはり国民を励ますためにと積極的に日本各地を回ったとされますが、昭和天皇はやはり、どちらかと言えば雲の上の存在に近く、近寄りがたい方でしたが、平成天皇は皇太子時代の結婚の祝賀パレードをもって、積極的に人々の前に現れて以降、昭和天皇以上に積極的にそれを己の使命と考える、実践したようにお思われます。

 

 

 

笠原一男の『日本宗教史』(山川出版社)の中に、

 

 

 

仏教は、日本人がいかに生きるか、いかに死ぬかの心の支えを教えてきた

 

民衆とともに、いや民衆の先頭に立って、民衆とともに泣き、ともに生きるのが僧侶の生きる道であった

 

 

 

という一文がありますが、ここにおける「僧侶」を「天皇」に置き換えてもいいようにも思います。

 

 

今も、天皇の役目として、宮中祭祀があり、天皇は言うなれば祭司、神官としてこれを執り行う宗教者でもあります。

 

 

 

 

 

 

そして、宗教者とはまさにこういう方を言うのではないのか。

 

昭和天皇が、なぜかイエスに重なって見えます。イエスもまた、まさに、民衆とともに泣き、ともに生きた方でした。

 

 

 

それに引き換え・・・。

 

 

その権威にすがり、偉そうにふんぞり返っているような宗教教祖。宗教を金儲けの手段にしているとしか思われない宗教団体。

仏教は葬祭業者に成り下がり、キリスト教は十年一日のごとく、ただ聖書の言葉をくりかえしているだけ。

 

 

 

てめーら、少しは平成天皇を見習え!

 

 

 

なーんて言いたくもなります。

 

さて、今回も引き続き、日本国憲法は天皇をどのように意味付け、位置付けてきたのかを考えてみたいと思います。

 

 

大日本帝国憲法、言いかえるなら明治憲法におきましては、天皇は様々な大権(君主の政治的権限)を有しておりましたが、現憲法下にあっては形式的、儀礼的、公証的性格の「国事行為」のみであり、「国政に関する機能を有しない」としております。

 

 

責任という観点から言いますと、旧法にあっては天皇の名をもって統治を行っていても、責任は各大臣が負い、天皇には責任が及ばないようになっていたとされます。

 

しかし、新法においては、そもそも、最初から天皇に政治的な責任がないのであります。

 

 

して、以前の神権天皇制にあっては、これをもって国体と称しておりました。簡単に言えば、天皇を国の頂点に据えた国家体制であります。

 

なお、この「国体」という概念は1925年(大正14年)制定の治安維持法に初めて登場したとされます。こと、戦時下は特にこの概念が強調されたとか。

 

これは義務教育、さらにが軍隊教育を通じて広く国民の意識に浸透していったとも。

 

 

お国のため」、「国を守る」、そして「天皇陛下のため」ということだったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

ちなみに、ロシアのプーチンさんが、国民に愛国教育を行うべき、なんて言ってましたねえ。どこでも考えることは同じか。

 

 

なお、そもそも、この「国体」というもの、原義としては単なる「国家体制」というもののはずですが、日本の場合ですと幕末に水戸学によって打ち立てられ、明治憲法と教育勅語により定式化され、天皇が永久に統治権を持つ日本独自の国家システムという、言うなれば一つの国家思想になったものだとされます。

 

 

なお、当時、美濃部達吉などの法学者が「天皇機関説」なる主張をいたしました。

 

これは、統治権は法人たる国家にあり、天皇はその国家における最高機関だというのであります。なお、議会や裁判所も機関だとされます。

 

ちなみに昭和天皇自身は、この説に肯定的であったともされます。

 

 

しかし、この説は西洋思想を無批判に導入するものであり、我が国の国体にはそぐわないと批判がなされ、これは完全に否定されてしまいます。

 

 

笑えるのは、この「機関」を、「機関車」や「機関銃」のごときものとして捉え「畏れ多くも、天皇陛下を機関車なんぞにたとえるのは無礼千万!」なんて、その意味をほとんど理解していない愛国思想者もいたとされます。

 

 

 

 

余談ながら、天皇陛下が行幸する時に乗る列車を「お召し列車」といい、それをけん引する機関車をお召し機関車と言います。

 

 

 

 

お召し機関車

 

 

 

鉄道ファンが大喜びするものですが、これを写真に撮るなんて連中は不敬罪にすべきです。

 

 

通る時には、皆、線路の前で土下座すべきです。(ホントかよ!)

 

 

 

思うに「天皇機関説」とは、簡単に言えば、天皇は企業で言うなら代表取締役社長ではないかと。

 

しかし、この社長、何かあれば責任を取って首が飛ぶこともあります。

 

 

そんなことをさせるか、と。

 

 

いっそ、オーナー社長、ワンマン社長でないといけない?

 

 

まあ、実際のところ、天皇に大いなる実権を持たせるというよりは、言い方は悪いですが、天皇を表看板にして、その裏で実質的な権力をほしいままにするという人々の思惑があったように思います。

 

軍部なんかがそれによって、言うなれば天皇の大権を利用して(?)、結果的に暴走していったとされますからねえ。

 

 

しかし、敗戦(※ 「終戦」と言い換えるというのが、なんとも小賢しい、なんて言う方もおります)を機に、国体は大きく変わったとされます。

 

 

それを象徴するのが、あのマッカーサーと並んだ昭和天皇の写真だとされます。

 

 

 

 

この写真の構成は、GHQが意図的に行ったともされますが、この写真を見て多くの日本人は敗戦を実感したともされます。

 

 

そして、昭和天皇の人間宣言であります。

 

三島由紀夫をして、「などて、すめろぎ(※ 天皇の古称)は人間となりたまいし」と嘆かせたというものであります。

 

 

 

そして1959年。皇太子(※平成天皇)の婚儀のTV放映をもって、皇室は開かれたものになっていったとされます。

 

もはや天皇は、雲の上の存在としての君主、為政者ではなく、それをもって国民は畏怖の感情から親近感を抱くようになっていった押されます。敬意から親しみへの変化です。

 

なお、天皇や皇室に対し、親近感を持つという国民は約75%以上だとする調査もあります。

 

 

 

昭和天皇から平成天皇へ。

 

先に上げました、原武史によれば、平成天皇は、自らの立場をよく理解し、誠実にその使命を果たしたと評価しております。

 

 

しかし、現天皇は、まだ、その姿勢がよく見えてこない、なんて言っております。能登の被災地にまだ行っていない、とも。

 

 

まあ、これからだと思いますけどねえ。