『創世記』におけるアダムとイブの物語は、過去に何度も取り上げておりますが、汲めども尽きぬ泉のような面白さがあり、今回もいろいろと考えてみます。
まず、第六日目に神はいよいよ人間を造るというのでありますが、第一章と第二章ではその内容が微妙に異なっております。その点に注意しながらまずは第一章からです。
なお、実は第二章の方が古い時代のものとされ(※ 前8世紀頃)、ここにはヤハウェという名の神が出てくることから、これを「J資料」といい、これに対し第一章(※ 前6世紀頃)にはエロヒムという神が出てくるので「P資料」といいますが、これらが合わせて『創世記』が書かれたとされます。
つまり、二つの(※ もしかしたら、もっとあった?)人間の創造物語が伝承されていたのであり、いずれも捨てがたいとこれを一つにまとめたとされます。
さて、まず最初に、
われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造ろう
という神の言葉が気になります。
多神教ならまだしも、唯一神しかいないはずなのに、なぜ「われ」ではなく「われわれ」という複数なのか?
この辺りを、キリスト教の神学者は長い間、喧々諤々と論争してきたらしく幾つかの説があります。
1.三位一体論からのもの
しかし、三位一体論は後のキリスト教において作られたものですから旧約聖書に当てはめるというのは無理でしょう。
2.あえて、複数の言葉を使った
神はいろんなところに現れる遍在的存在だから単数ではない?分身の術でも使うというのか。
3.天使も含めての「われわれ」という意味
他にもまだあるようですが、まあ、これが最も妥当なように思われます。
旧約聖書では例えば『創世記』の中ですと、アブラハムの孫であるヤコブの前に、新約聖書ならルカ書にあってはマリアの前に神の使い、つまり天使が登場しております。
この二人の前で、普通に会話できたということは、やはり人間によく似た姿であったのでしょう。まさか会話型AI人工ロボットということはなかったのでは、と思います。
マリアの前に、こんなロボットが現れたら笑いますけどねえ
して、ここでは男と女が同時に創造されたとあります。第二章のように女であるイブをアダムの肋骨から造ったわけではない?
もちろん、先に書きましたように、元々は別の物語であったとされますから、そういう違いがあってもおかしくはないはずです。
しかし、これを統一性を持ったものとするには、相応の解釈が必要となります。
実際は第二章に書かれた内容であったのだが、第一章はこれを総合的に言っているのだ、とか。
また、これ以外にも、実はこの最初に作られた女性(※ その名をリリトとしております)こそが、アダムの最初の妻だったものの、別れてしまった(!?)ため神は仕方なく、後妻であるイブを造ったのだ、なんていう突飛な説もあります。
これは12世紀に書かれた『ベン・シラのアルファベット』と呼ばれる文書にあるもので、ここにおいては、アダムが男性優位を象徴する(!?)正常位でしか交わろうとしないことに腹を立て神に直訴したのだとか。
アダムが淡白(?)で、その行為もマンネリ化していた!?
いっそ、仏壇返しなんかをやってあげれば・・・。
えっ、仏壇返しって何ですか、って。
それはねえ、江戸時代にあった四十八手の一つで。それをここで事細かに説明すると、以前、何度かやっちまった発禁、というか削除処分となりかねないので、興味のある方はご自身で調べていただくしかない、と。
このリリトと呼ばれるアダムの前妻説も、これはこれで面白い話がありますが、今回は触れません。
さて神は二人に対し、
生めよ、増えよ、地に満ちよ
なーんて祝福の言葉をかけてくれます。
この言葉をまねしたのではないかというのが昭和14年、時の日本政府(厚生省)が、日中戦争、満蒙開拓によって生じた出生率低下を危惧し(※ 兵士になる人間がいない?)、打ち出したスローガンの一つであります。
正確には「産めよ育てよ、国のため」だったのですが、いつしか「産めよ殖やせよ(国のため)」となっていったとされます。
少子高齢化、未婚・晩婚化が進んでいるという今、再び、こんなスローガンを掲げてはいかがかと。
不肖、あっしも、何かお手伝いすることがあれば・・・。なんなら四十八手を懇切丁寧に実地説明をする、とか。
たぶん、どこからも声はかからないと思いますけど。
さて、続いて神は、
海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物を治めよ
なんて言います。
「治めろ」とはつまり「支配せよ」ということであり、創造された生き物の中で人間が一番偉いということなのであります。まあ、神の姿に真似て造られたというんですからねえ。
しかしながら、家畜とか、ペットになる動物はともかく野生の動物もまた支配するのか。管理監督責任を負うというのか。
また、昆虫とか、両生類、爬虫類、いっそ細菌、ウィルスも支配せよたって、あーたねえ。
例えばの話、ゴキブリとか、アリなんかに、「おまーら、人間様の言うこと聞かないといかんよ」なんて言っても、彼らが聞いてくれるのか、了解してくれるのか?
いっそ、小鳥にも説教したという、そして小鳥は素直に聞いていたという伝説のある聖フランチェスコのように「お前らも、ちゃんと聖書を読んでだな。キリスト教をちゃんと理解しないと偉くなれないぞ」なんて言わなくてはいけないのか。
「俺達に構ってくれるな」とゴキちゃん
あー?何言ってんだ、おまい。気は確かか?
ですよねえ。
さてさて、続いては、
種を持つすべての草と、種のある実を結ぶ全ての木をあなた方に与える
と言っております。
少し先走りますが、第二章ではエデンの園にある全ての木の実を食っていいと言いながら、唯一の例外として「善悪を知る木」の実は食うな、なんて言ってます。
だったら、最初っから、そんな木を植えなきゃいいだろうと思いますよねえ。
最後には、
地の全ての獣、鳥に食べ物として青草を与える、なんて言ってますが、彼らがみな草食性ということであったのか。
もしかして、仏教の説いたように鳥や動物にも殺生を禁じたのか。
だったら、あんた、どーして肉食動物がいるんだ。これはいつ造ったんだ。
そこんとこはどーなんだ!
などと、厳しく追及したくもなりますが、畏れ多くも神に対し、そんな追及をしたらソッコーで地獄に叩き落されるでしょうねえ。