朝日新聞社発行の『AERA Mook・新約聖書がわかる』の中に、太田修司という方が「なぜ、『パウロなくしてキリスト教なし』といわれるのか」なんてことを書いております。
「わかる」というより・・・、もっとわからなくなります
「そんなに簡単にわかってたまるか」なんて新約聖書がねえ
パウロがもしいなかったら、キリスト教の形態は歴史を動かしてきた「世界宗教」ではなく、ローカルなもので終わっていたかもしれない、などとしております。
まず、この「世界宗教」なるものに対比されるのが「民族宗教」でして、例えばインドのヒンドゥー教や日本の神道などがあります。ちなみに前者の信者数は相当の数だとされますが、あくまでインドおよびその周辺部にとどまっているとされます。
同じく神道も、まずもって日本だけのものでしょう。
まあ、戦後までは韓国や台湾にも日本の神社が作られましたが。(※ 現代ではアメリカ[ハワイ]にも神社があります)
以下、本田はパウロの偉大さ、影響力を三つに分けて論じております。
[ 新約聖書の著者 ]
新約聖書の27の文書のうち、パウロの名を冠されたものは13ある。ただし、その幾つか( ※ エフェソ、テモテⅠ・Ⅱ、テトスはパウロの弟子とされる)はパウロの真筆ではないとはいえ、もし、パウロの手紙がなかったら味気ないものになっていた、なんて言っております。
なぜ「味気ない」のかに、ツッコミを入れたくもなりますが、とりあえず先に進みます。
また、重要なポイントとして、彼の手紙は新約聖書にあっては一番最初に書かれたもの(※ 「テサロニケ人への手紙」が最も古いのだとか)で、つまりは福音書よりも先に書かれたのであります。
釈迦もそうでしたが、イエスもまた自らの主張(思想)を文書として著すなんてことはしておらず、その12人の弟子達もただ怠慢だったのか、文字が書けなかったのか、いっそアホウだったがゆえか、何の文書も残してはおりません。
そういう意味では、キリスト教の成立を知る上にあっては、この福音書と同時にパウロの手紙が重要なものになってくるといえます。
[ 宣教者 ]
「異邦人のための使徒」(ローマ人への手紙 11-13)として、イエス・キリストの福音を、広くギリシア・ローマ世界に宣べ伝えることに生涯をささげた。
ちなみに、前にも書きましたが、パウロの言う「福音」は「神の子イエスをメシアとし、その死、そして復活したという事実」でありまして、例えばマルコの福音書における「福音」の意味は、「イエスの説いたこと、主張(思想)」と解釈でき、「福音書」の「福音」もまた、そのようなものだと思われます。
つまるところ、パウロの言う「福音」とは、彼自身が打ち立てた(※ イエスの弟子達が始めた初期エルサレム教会の主張を受け継いだ?)もの、つまり、彼自身の解釈なるものでしょう。
ただし、それによってキリスト教はローマ帝国内に深く浸透することになり、その最大の功労者こそがパウロだとします。
ただし、深く浸透、つまり大きくなればいいってものでもないでしょう。
新約聖書学者の田川建三が、「キリスト教徒は同床異夢の集まり。誰しもが、勝手に自分にとって都合のよい救済があると信じている」なんて書いてますが、そしてキリスト教徒は、その教えこそが真理ゆえに、このように広まったのだなどと言いたがるようですが、当時のローマ帝国の為政者は、キリスト教が、その政治的統治に有効なものと考えたからこそ国教にした、というのが定説だとされます。
日本だって、時の為政者は仏教や神道を、その政治的統治の道具(!)にしてましたからねえ。
[ 神学者 ]
ユダヤ教を土台に、新たなる神学を打ち立てたのだ、と。
彼の手紙には、それ彼自身の独自の神学、というか思想が読み取れますからねえ。
それはイエスの主張(思想)とは特に何の関係もありません。あくまでパウロ自身のものでしょう。
さて、他にもこのパウロについて言及している幾つかのものにあたってみましょう。
まずは、「ウィキペデア」です。
正教ではパウロを「主座使徒」としているとされます。ただし、12使徒ではないのであります。
パウロ自身は、一生懸命に「自分もまた使徒の一人だ」と主張しておりましたが、彼はイエスに会ったこともなないのであります。ただ「復活したイエスが自分の前にも現れた」なんて言ってますが。
ムリリョ [パウロの回心]
フツーに考えりゃ、それは幻視、いっそ幻覚だったと思います。
エチェンヌ・トロクメというプロテスタントの神学者は、「パウロ自身は、あくまでユダヤ教の思想家の一人」だとしております。つまり、ユダヤ教とは異なる、新たなる宗教を興そうなどとは考えていなかった、とします。
よく言われることに、「パウロこそキリスト教の創始者、教祖」なんてのがあるとされますが、トロクメによればこれは間違いなのだ、と。
そんなことを言うなら、イエスだって、この方はあくまでユダヤ教、ユダヤ社会の改革を意図していたとされまして、後に、一般的には自分がキリスト教なるものの教祖になっていると知ったら驚くでしょうねえ。
しかし、結果としては、そのように考えざるを得ないのでありまして、同志社大の神学部卒の作家(元外交官)の佐藤優などは、「キリスト教の開祖はイエス。教祖はパウロ」なんて言っております。
仏教もまた、釈迦自身の説いたことから大きく外れ、こと日本仏教ともなりますと、いっそのこと、もうわけのわかんねーものになっているように思います。
次に、ニーチェの『アンチ・キリスト』です。
「神はイエスを罪の赦しのために犠牲として与えた」というのはパウロと、直弟子の解釈にすぎない。イエスの教えの中にこの「犠牲死」、そして「復活」さらには「最後の審判」なるものが混じっている、としております。
また、パウロの主張は、イエスの教えではない、としております。
さらには、パウロはユダヤ教を再解釈し、イエスをメシア(救世主)に祭り上げ、復活したなんてデマ(!)を作り出し、信じれば永遠の命が得られるなんて嘘八百を並べた、なんてボロクソです。
その過激な主張は、キリスト教なるものを斜め横から見ている、というか、いっそ、おちょくっている(?)あっしからしても、「いいのか、そこまで言っていいのか!?」というものですねえ。
かといって、この方はイエスの主張はそのまま認めております。
最後に『聖書』(中央公論社)の著者である聖書学者の赤司道雄のパウロについてのものです。
まず、興味深い話としてアンドレ・ジイドの『田園交響曲』の登場人物の言葉として「教会の福音書解釈はパウロのもの。それは、キリスト(イエス)の精神から外れている。自分は直接、キリスト(イエス)の言葉に耳を傾ける」なんてのがあるのだとか。
して、これはジイドの意見だろう、ともしております。
ニーチェといい、ジイドといい、「イエスにこそ帰れ!」という主張(?)に、あっし自身も共感を覚えますねえ。
おお、同志よ。戦いの火ぶたは切って落とされた
さあ、ともに立ち上がろう
がんばろう 突き上げる空に
燃えるイエスのこぶしがある 戦いは今から!
って、もんですよ。
いっそ、もう、独自に、例えばイエス真理教なんてものを立ち上げる、とか。
勝手にイエス真理教なんてものの教祖にされ、迷惑そうな(?)イエス
ローマ教皇庁から、ソッコーで「異端」とされると思いますけど・・・。
で、ここでイエスの御旗(んなもの、あるのか?)を掲げるならともかく、「血の流れるのを恐れず!」なんて、赤旗なんかを掲げると違う方向に行ってしまうような。
さて、赤司によれば、やはりキリスト教が世界宗教になる端緒を開いたのはパウロだと、評価しておりますが、やはりイエスその人とパウロの主張(思想)の相違が問題であり、それは19世紀以降に顕著になったとしております。
そもそも、パウロは元々ユダヤ教パリサイ派の熱心な信者で、その流れから、その説かれている世界観、それは律法遵守により、やがては訪れるであろうメシアの王国(神の国?)に入るための準備が必要でだと考えていたのだといいます。
しかし、パウロ自身は律法を十分に守っている、遵守しているとは思われず、罪の意識に苦しんでいたものの、イエスが自ら犠牲となって、その罪をあがなってくれたために(贖罪)、救われた、と考えたのだとか。
そして、パウロにとっては復活したイエスこそが信仰の原点であり、この復活を信じることにより、死んだ者も、生きているものも、新たに永遠の命を得ることができると考えたとも。つまり、死の超克ですねえ。
この、現代ではキリスト教の教義の核心ともいえるものは、つまるところパウロの、あえて言えば「そうあって欲しい」という希望、願いに基づいたものといえると思います。
次回は、このパウロの主張(思想)なるものを、もう少し詳しく考えて、いっそ、ツッコミを入れてみたいと思っております。