◆駿河国・駿府城(駿河府中城・静岡城) 本丸天守台跡◆③ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2020年1月6日訪問※


発掘された駿府城の【大御所家康期】天守台西辺にやってきました音譜





天守台西辺は、石垣が数段残っているので見応えがありますねキラキラ

発掘された石垣には劣化防止の為、ネットで保護されているとの事でした音譜



天守台発掘調査のパネルや、駿府城で見られる石垣の種類、そして発掘調査員の方の衣装についても説明してくれていますニコニコ音譜







こちらの石材は直接触れる事が出来る展示になっています音譜



そして天守台の北西角部分の石垣です音譜



青いビニールシートで、本丸の堀跡がわかりやすくなっていて、とても助かりますねニコニコ音譜


家康の築いた巨大な天守台に、豊臣期と推定される天守台と金箔瓦が出土するなど、今後の調査にも更に注目が集まる駿府城跡ですが、私が訪れた翌日に、静岡市教育委員会から新たな発表がありましたキラキラ

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静岡市は7日、2018年10月に駿府城公園(同市葵区)で見つかった「豊臣秀吉の天守台跡」に隣接した場所で、新たな天守台跡が発見されたと発表した。

大規模な天守に連結した「小天守」の跡とみられる。

江戸時代より前の城跡で連結型の小天守台の遺構が発見されたのは全国初。

専門家は「日本城郭史を考えるうえで重要な発見」としている。小天守の発見で秀吉と徳川家康が協力して築城した可能性も浮上した。

市によると、新たな天守台跡が見つかったのは、秀吉の命を受け、天正期(1573~1593年)に建てられたとみられる天守台の東側。

一辺約20メートルの石垣が検出された。

市は18年に天守台が発見された際、石垣の形状や金箔(きんぱく)瓦が同時に出土したことなどから、秀吉の家臣である中村一氏が築いた城との見解を示してきた。

しかし、家康の家臣の日記に【1589年に駿府で小天守建造に関わった】との記述があることから、今回の小天守台の発見で、

▽秀吉の協力を得て家康が大小の天守を築いた

▽家康が独自に築城した

など新たな仮説が浮上したという。

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家康の家臣・松平家忠の日記「家忠日記」には「一五八九年に駿府城小天守を工事」との記述があり、今回見つかった小天守台と状況や時期も一致する為、

①家康が天正期(五カ国時代)に個人で築いた。

と考える事も出来ますが、当時の徳川家康にこれだけの築城技術があったのか??という点、また、発見された小天守台や天守台の石垣には当時の最先端の築城技術が用いられていて、当時、徳川家康が豊臣秀吉の家臣だった状況からも家康個人で築いたというのは疑問が残りますあせる


そこで、静岡市が示した新たな見解が、

②家康が秀吉の力を借りて築城した。

という見解ですキラキラ


天正年間の末期と言えば、豊臣秀吉が天下統一に向け全国を平定している最中で、小田原の北条氏に対する最前線にあった駿府城主の家康を、秀吉が支援したとする可能性も充分に考えられるんですね音譜




◆駿河国・駿府城(駿河府中城・静岡城) 発掘情報館きゃっしる・金箔瓦◆に続く