※2026年2月5日訪問※
姫路城の【西の丸】までやって来ました
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この曲輪は、姫路城主本多忠政が大坂の陣の後、将軍徳川秀忠の長女千姫を娶った息子忠刻のために、元和4年(1618)に御殿を建てたところで、「中書丸」とも呼ばれていました。
中書とは、忠刻の官職中務大輔の唐名です。
御殿を囲むように築かれた長屋は通称「百間廊下」ともいい、約300mの長さになります。
そのうちヨの渡櫓から北の部分が長局です。小さな部屋が廊下に面して並んでいて、西の丸の御殿で働いく女中が住んでいたとみられます。
長局の北端に化粧櫓があります。大きく解放された窓や床の間、畳敷きなど、ほかの武骨な櫓に比べると、人が居住できる拵えになっています。
千姫が男山にある天神社を拝むため、西の丸に来た際に、身繕いをしたり休息した場所と言われています。
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◆播磨国・姫路城(白鷺城) 西の丸跡 カノ櫓/世界文化遺産・国宝・特別史跡◆に続く


