便に関するお悩み相談への回答です

 

皆さんこんにちは看板持ち

DASUケアLABの大関です気づき

 

 

先日から始めました音声配信。

ラジオトーク、というアプリで配信していますキラキラ

 

 

 

本日は、朝に話したラジオトークで解説した

ブリストルスケールについて

画像でも見ていただきたくブログ記事に残しますキラキラ

 

 

 

  ブリストルスケールとは?

 

1997年にイギリス・ブリストル大学の教授が発表した

便の状態をあらわす基準です。

 

うんちの「色」「硬さ」「形」を元に

7段階に分けられています!

 

イラストだとわかりやすいですね!

 


 

体の中・消化器官を
どのぐらいの時間で通り過ぎてきたか?

の目安になるのが、このブリストルスケールですうんち

 

 

腸内の様子は、エコーでしか見れないですが

それだと病院に行かないと難しいのが現状です。

(最近はポケットエコーを活用する訪問看護さんもいらっしゃいますねハート
 

まずはこのブリストルスケールを使って

自分の、または相手の体の中の様子を推し測りましょう!!



今日のラジオトークはこちらから・・・!

 

 

 

 

 

 

 

2023年残り10日となりましたね


ご無沙汰しております泣き笑い


久しぶりにamebloを開いておりますが

投稿がない時も訪問してくださる方

本当にありがとうございます看板持ち愛



さてさて今年も残りわずかとなりましたね


悔いなく終えれるよう

絶賛、手が痛いという症状に困っているわたくし泣き笑い


手が使えなければ他を使え!!!


と、思い立ち


大好きな方が配信している

Radio talkというアプリで

配信を始めてみましたキラキラ





これまでいただいた

ご質問やご相談にお答えしていく内容にします。


アプリだとバックグラウンド再生ができるので

とっても聞きやすいのでオススメですバイバイ


よろしければアプリダウンロードの上

番組をフォローしていただければ嬉しいですハート



 

 

 

 

    

135年残るもの🌳

 

 

 

土用が明け

甲子の満月で二十四節気の立夏

 

 

以前の帰省時には

雪が積もっていて行けなかった

ご先祖様が讃えられた碑文の場所へ走る人

 

 

 

 

 

 

 

 

おじいちゃんのお父さんの

お父さんのおじさんの「大関常八さん」

 

旧会津藩士の赤羽・山田の老翁に就いて
漢学を修めた方で

 

 

遺愛碑 
と刻まれたこの石碑は

常八さんが明治時代に
建立に力を注いだ小学校と

そこでの指導を称えたもの

 

 

もう、碑文自体は
判読が難しい状態になっています

 

 

書かれている内容を知ったのが

親戚にあたる「仁おじさん」の発行する

こちらの通信からでした

 

 

 

 

 

遺愛碑に書かれている内容は

 

 

この時に、故人の遺徳を偲びながら記し刻むのは
故木幡小学校長大関君の業績である。
君の名は常ハといい
耶麻郡木幡村の人。

生来、温厚で学問を好み、
旧會津藩士赤羽・山田の老に就いて漢学を修めた。

明治十二年、本県師範学校に入り、
在学すること若干年にして、耶麻郡木幡小学校に着任。

以後、精魂込めて職務に励み、
十余年一日の如く修むことなく悪切に教育し続けた。
その煮育を受けた者は学業・行状が行き届いており、まことに立派である。
就学を願う生徒は日増しに多くなり、旧校舎では収容しきれず、
大関君は枝舎増築の行動を起こした。
立案を始めとして工事の計画・進歩にいたるまで
君が示した情熱と行動力は偉大であった。
官はその薬積を称え、賞を頂くこと数回に及んだ。

しかしながら、天は寿命を重ねることを許さず
君は知命(五十歳)に至ることなく病に倒れ、永眠することとなった。
ああ、悲しいかな!!

近頃、陶を受けた警ての児童・子弟と
郷里の有志が相談して力を合わせ、
大関君が管て植えた桜の樹の下に碑を建て、
其の薬積を未永く後世に遺すことになった。
これをもとに大関君の遺徳を人々はいつまでも深く肝に銘ずべきである。


ー 平成10年山都町郷土史研究会が訓読・解釈を施したものを
仁氏が編集する「上林通信」にて略述・意訳されたものを引用

 

 

 

ここまで感情露わに書かれた石碑は

今まで出会ったことがなく
とても印象深くて

 

このGW帰省の大きな目的になりました

 

 

 

大関家家系譜より

 

 

父や私が出てくるのはもう少し下。


お寺が焼けてしまい
遺っている家系譜から読み取れるところから

私は10代目の大関です

(そして二人姉妹は嫁に行きどうする状態)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今はもう、学校自体は残されていませんが

常八さんが植えた欅の木は

今樹齢135年に

 

🌳

 

 

 

 

 

 

 

こうして今残るものを目の前にして

そこには
喜びや青春も含め
痛みや悔しさ、失望など

様々な感情を
当時感じていた方が

確かにいたことに

思い馳せています
 

 

 

今残っている校門跡

残る校門と欅🌳

 

 

 

時間の経過とともに

そのまざまざと生きていた当時の感覚は

当たり前だけれど

誰も体感し得ないものになって


ただ、今は“なつかしさ”という
丸い感覚で眺めることができる

落ち着きがあるのは

 

 

今が、戦争や貧しさが

すぐ隣には見えないように

先人が遺してくれたものなのだろうと感じます

 

 

 

もちろん

今年度から高校の教員として

関わるようになった

私自身

 

今目の前で

毎日心のどこかにある

「次の授業はどんな問いで何を考えてもらおう」と

リアルな想いで過ごす4月でした

 

 

 

地位や規模は違えども

同じ「学業」に関わっている

 

その事実は

底から湧き上がってくるような

嬉しさに似た

なんとも言えない感情になります

 

 

 

 

 

 

 

 

さぁ

思いが殘る跡を

どう生きる?

 

 

 

 

 

   

 

大きく見せず

小さくもならず

 

 

今の自分でできる領分を

丁寧にしていこう✨