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バイカルアザラシのnicoチャンネル

 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 台風15号が紀伊半島に近づいています。このままだと四国に上陸して紀伊半島中部を通り抜けていきそうです。雨雲レーダーを見ていると刻々と赤い豪雨の雲が東に移動しています。何本かの線状降水帯も見られ、いよいよ紀伊半島にも掛かりつつあります。今回は勢力が弱いため、風よりも雨に注意が必要です。

 

 三重県に住んでいる人にとって台風が来ると1959年9月26日に紀伊半島に上陸した伊勢湾台風を思い出します。今から66年前のことです。アメリカ軍が台風の目にラジオゾンデを落とすと気圧が900mbを切りました。今で言えばスーパー台風です。すでに紀伊半島は台風上陸前か1000mm程の雨が降っており、土砂災害がいつでも起こりうる状態でした。

 

 折しも伊勢湾の満潮と重なり、5098名の方が犠牲になりました。その多くが貯木場の材木が高潮で街に流れ込み家を破壊し尽くしました。櫛田川流域では橋桁に材木が挟まり、それがダムになり多くの家が水没しました。濁流に流され、「助けて・・・ 助けで・・・」と言う声が豪雨の闇から聞こえています。消防団が必死の救出活動をしましたが、助けられなかった方もいます。

 

 自分家の前の雨戸を少し開けると風が入ってきます。懐中電灯を照らすと、前の道路に泥水が怒濤のごとく流れています。泥の臭い、異状でした。

 

 父親が窓が暴風でしなってきたので抑えていました。サイレンがけたたましく鳴り響きます。家の柱が軋む音が不気味に聞こえてきます。もう我慢できないとでも悲鳴を上げるような音が何度もして、それが段々激しくなってきました。

 

 雨漏りはあるだけのバケツと洗面やたらいで滴を受けても足りません。隙間風が入ってきます。その隙間風の強さが強くなり、これで家もお終いかと思いました。

 

 諦めと疲れでそのまま朝まで眠ってしまいました。朝起きてみると吹き返し風が強かったです。それでも青空が見え始め、台風が過ぎ去ったのだと知りました。停電は一週間以上続きました。台風が過ぎ去ると台風一過の晴天となりました。泥臭い街中の橋の下に新築した家が河原に落ちていました。

 

 三軒隣の家は水没していました。電柱の上の方に泥水の跡が見え、ここまで水がやって来たのだと目印をつけていました。家族総出で親戚の家の復旧の手伝いに行きました。畳も泥まみれ。どうしようもない状態でした。

 

 伊勢湾台風が上陸したのは1959年、高度経済成長が始まる6年前です。日本はまだ貧しく、堤防がありません。増水した川は容赦なく川の側面をえぐり取っていきました。砂防ダムもなく鉄砲水が渓谷で起きていました。

 

 台風が上陸する前、不思議な現象が起きました。川のカニたちが河原に上陸してきました。カニは簡単に捕まえることが出来、捕まえて羽釜で茹でて食べました。ひよっとしたら、カニたちは洪水になることを察知していたのかもしれません。

 

 上陸前の数日間、夕陽が橙色に染まりました。それは空気の粒さえも橙色に染めるような美しい夕焼けでした。

 

 台風15号、今夜から明日の昼までが紀伊半島を通過していきます。何とかこともなく過ぎ越してくれるといいのですが。台風が来る度に伊勢湾台風が上陸した夜を思い出してしまいます。

 

 紀伊半島の南部には南東斜面が幾筋もあり、南からの湿った空気が峰々にぶつかると大雨になります。日本一雨が多い尾鷲市は、大台ヶ原という太平洋に屏風のようにせり出した山塊に雨を降らします。大台ヶ原では一ヶ月に40日雨が降ると言われ、500円玉台の棒雨が降ります。棒雨とは雨粒ではなく、棒状の雨が降るというのです。

 

 最近目立つのは紀伊山地の山体崩壊です。土砂崩れのような規模ではなく、山肌だけでなく岩盤自体が崩落しています。大台ヶ原昇ると立ち枯れしたまっ白な枯れ木を見ることができます。これは伊勢湾台風で枯れてしまった林です。再生するには数百年は掛かることでしょう。

 

 自宅に設置した雨量計も風速計も確実に風雨が強まっていることを示しています。

 

 

 

 

 

 庭にイチジクの木があります。そろそろ熟して食べ頃になると必ず食べていく者がいます。朝早く見張っていたら、子ギツネでした。コーギーに番犬をしろと命令したら、断られました。今も、トイレの前で寝ています。

 

 子ギツネにとられなかったら、ヨーグルトに載せられるのになあ!!!

 防災の日から京都大学の鎌田先生の見た南海トラフ巨大地震を考えました。先生の視点は地球の歴史という長いスパンから見た防災でした。今日は、そのときそこで何が起こり、人々はどう行動したのか。ミクロの視点で考えてみたいと思います。

 

 東日本大震災から14年が経ちました。この出来事を風化することなく今もその日のことを思い起こし、ここから何を学び、このようなことが起こればどう行動するのか。

 

 

 現在の時点での死者・行方不明者は22,228名です。震災関連死の方を含みます。昨年能登半島で起こった地震では直接の犠牲者よりも震災関連死の方の数が多くなっています。災害で助かった命がなぜ失われたのか。自助や共助を越えて社会全体で考えなければならないことだと思います。

 

 松阪市ではJR線の所まで津波が来ます。と言ってもこれは想定された物。自然は想定外のことをすることがあります。

 

 東京大学大学院教授の片田敏孝先生は津波の三原則を提言されました。「想定外にとらわれるな」はその一つです。

 

 三原則の二つ目です。とにかく逃げること。まず自分が助かること。一見エゴイストにも思えますが、自分が死んでしまえば他人を助けることはできません。巨大津波が来たとき、全員が助かることは簡単なことではありません。そのとき最善を尽くしてやるだけのことをやるしかありません。

 

 まず、自分が逃げること。そうすれば、みんなも逃げます。何もなければ儲けものです。笑われたってどうってことないです。

 

 片田先生は釜石と尾鷲に長年係わっておられます。尾鷲市は南海トラフ巨大地震が起こると言われています。そして、釜石で起こりました。それは尾鷲市でも起こりうることです。

 

 片田先生のお話を国土地理院地図に落としてみました。津波が来たのはございしょのさとまで来ました。その様子は次にあります。

 

 ここから小中学生に学びたいと思います。子供たちは片田先生の教えをそのまま実行しました。お年寄りを助けに行った中学生には、「彼はよく生きた」とおっしゃいました。この言葉は心に刻みたいと思います。

 

 津波が起こったらどう対応するか? 簡単なことです。この三つのことをそのまま実行するしかありません。人はそのとき迷います。「今起こっていることは大したことない」「他の人も助けなくては・・・」前者は正常性バイアスという誘惑です。後者は大切なことなのですが、まず自分が助かることを考えましょう。そして、あなたも逃げましょうと誘いましょう。

 

 

 東海地震が30年以内に起こる確率は70%と言われていました。今、それが80%になっています。昭和東海地震が1944年に、南海地震が1946年に起こりました。あれから80年が経ちました。しかも、前回は南海トラフ巨大地震は半割れで東海地震は起こっていません。大切なのは、南海トラフ巨大地震がいつか100%起こるという事実です。人はいつかは死にます。でも、それをどれだけ現実のものとして受け止めているでしょう。それと同じように巨大地震は必ずやって来ます。人生100年時代、人は一度か二度は巨大地震に遭遇すると言ってもいいでしょう。南海トラフ巨大地震では29万人の犠牲者が想定されており、津波で直接亡くなる犠牲者は23万人です。

 

 あのとき、ここで釜石の小中学生がどう行動したのか。彼らに学びたいと思います。必ず起こる、いつかは起こると考えて、そして、そのとおり行動しました。世界は「釜石の奇跡」と呼びました。しかし、彼らは、言います。「釜石の実力」彼らは片田先生の教えの通り、訓練の通り行動しただけです。奇跡を起こしたのは、日頃の教育や訓練の延長。当たり前のことを当たり前に行っただけ。それが命を救いました。

 

 鎌田先生の地球規模のマクロの視点、片田先生のミクロの視点。2つの視点を組み合わせれば、南海トラフ巨大地震に向かう私たちは、29万人の犠牲者を十分の一に減らすポテンシャルを持っていると思います。

 2024年1月1日に能登半島で大きな地震がありました。今日は9月1日、防災の日で101年前に関東大震災があった日です。この時は、相模トラフが動きました。首都直下地震もいつ起こるか分からないと言われています。

 

 二年前には地震・津波で助かった命がどのようにしたら行き続けることができるか、このサイトで提案しました。キーワードは携帯トイレ寝具(シュラフ シュラフカバー マット)、食料と水衣服と靴です。

 

 今日は、地球規模の億年単位で起こった地殻変動や巨大噴火から考えてみたいと思います。資料は京都大学の鎌田教授の受け売りです。実は長尺歴史から学ぶことは多いのです。これを知れば、本当に備えが必要なこと、対策を講じないと生き抜くことはできないと実感できます。

 

 この地図は日本列島で想定されている巨大地震の規模を表しています。直下型地震も大きな災害を引き起こしますが、海溝型地震は規模が大きくなり、被害は甚大となります。

 

 今、想定されている巨大地震は何と言っても、東海地震・東南海地震・南海地震です。これが起これば、6400万人が被災し、29万人の方が犠牲となります。被害総額は100兆円で日本が先進国でなくなる可能性があります。

 

 1707年、江戸時代に宝永地震が起こりました。ここで東海・東南海・南海地震が三連動で起こり、地元伊勢市では街が海に沈みました。大湊にある灯台まで街並みが続いていたのですが、今は海の中です。

 

 1854年、安政地震が起こりました。江戸時代末期です。この時も東南海・南海地震が起こりました。さらに、太平洋戦争中1944年に東南海地震・南海地震が起こりました。

 

 南海トラフが起こす地震は、この年表から読み取ると100年に一回起こっていることが分かります。この年表で少し可笑しいと感じられ方もいらっしゃるのではないかと。東海地震が170年間起こっていません。つまり、駿河トラフでは100年毎にひずみを解放することなく、2倍のパワーが蓄えられていると言うことです。パワーが大きければ、地震の規模は大きくなります。

 

 南海トラフが起こす地震は、だいたい東南海地震から起こり、他の地域が連動します。それは数ヶ月後だったり、数年後だったり様々です。170年もの間沈黙を破るのが、東海地震なのか、それても東南海地震なのかは分かりません。

 

 ここで注意してほしいのは、貞観地震では富士山が噴火しました。青木ヶ原樹海を作った富士裾野で粘度の低い溶岩が噴火しています。宝永噴火では富士山中腹から噴火が起こりました。マグマが巨大地震で揺さぶられると、マグマの中に含まれていたガスが炭酸水を揺さぶると気泡が生じるように噴火します。富士山が噴火すれば、東海道が寸断され、火山灰は東に流れ関東地方の機能は失われてしまいます。もともと富士山は三十年に一回噴火していました。平安時代の竹取物語では、富士の山は不死の山で山頂に竹取の翁が不死の薬を焼いたので、今でもその煙が立っていると記しています。鎌倉時代の十六夜日記でも富士山が噴火いている情景が出てきます。

 

 この表はカルデラ噴火の年表なのですが、阿蘇山は4回噴火しています。火山の寿命は百万年なので、5回目があるのかは分かりません。7300年前に起こった鬼介カルデラ噴火では、南九州を火砕流が襲い、南九州の縄文人を絶滅に追いやりました。南九州では縄文文化が空白なのです。阿蘇山の4回目のカルデラ噴火では火砕流が山口県まで及びました。

 

 最後の表は、生命が絶滅した時代があります。古生代の終わり、三葉虫が栄えました。彼らは一億年に一度起こるペルムブルームという巨大噴火で絶滅しました。2億5千万年前のことです。地球は10枚ほどのプレートでできていますが、これが地球を一周するのに一億年掛かります。つまり、一億年毎に地球規模の巨大噴火が起こりました。生命の95%が死に絶えます。しかし、残った5%が急激な進化を遂げ、生命爆発と言われる多彩な種が生まれることになります。

 

 6500万年前、地球に10km程の小惑星がユカタン半島沖に衝突しました。数百メートルの津波が生じて、塵が地球を多い恐竜が絶滅しました。そして、私たちの祖先、小さなネズミのような哺乳類が進化し、400万年前人類が登場します。

 

 このことを見ていくと、巨大地震も巨大噴火もいつかは必ず起こることが分かります。とくに南海トラフ巨大地震は、2035年を中心に±5年で起こると言われています。2030年代に起こるのが確実視されています。

 

 それではどのような対策すれば、災害から生き残れるのでしょうか。そして、生き続けることが大切です。能登半島地震では災害による直接死よりも災害関連死の方が上回りました。助かった命が失われる。そんなことがあってはいけません。

 

 災害対策には自助と共助と公助があります。能登の地震では公助の限界を感じました。もちろん国も県もその時できる最大の援助は行われました。そして、そう遠くない時期に起こる南海トラフ巨大地震では、公助は期待しない方がいいのではないかと思います。6400万人が被災するとしたら、だれが助けに来るのでしょうか。そして、被災した人がさらに深刻な被災をしたひとを助ける。このようなことになると思います。

 

 そうなれば、コミュニティが家庭がどれだけ食料や水を備蓄しているか。携帯トイレを持ち合わせているか。寝具(シュラフ シュラフカバー マット)があるか。これが生命を維持する決め手になります。特に冬では毛布だけでは生命を維持することはできません。冬に布団で体育館で寝ることができますか。羽毛シュラフに包まれて、しかもカバーに包まれて、さらにマットがないと体育館フロアからの冷気は容赦なく体を蝕んでいきます。

 

 夏はエアコンがないととても過ごせない気候に変化しました。体育館に空調設備が整っている所は残念ながらほとんどありません。発電所が稼働しているのか、稼働していても送電施設がどうなってるのか。電気が来ないと情報伝達はできません。

 

 まず、自分が助かって、生きながらえることができなければ、他の人を助けることはできません。あなたが助かることは、他の人も助けることができる。共に生きていくためには、まず自分が助かることが大切なのです。

 

 巨大地震も巨大噴火もいつかは起こる。これは確実なこと。100%起こります。その時にどう対応するのか。それは、今を備えることに他なりません。鎌田教授は長尺のスパンから災害を見ることを提唱しています。長い時間から見れば、必ず起こる。だから必ず備えなければならないことが分かってきます。

 

 

 

自分、アマガエルですんやけど

なぜ、カランの上で過ごしているかと言うと、

この横に宅配ボックスがあってですなあ

その色が白でして

夜になると街灯が点りますんや

そうなると、どう言うわけか、小さな虫が宅配ボックスに止まりますんやわ

そこへわしが吸盤でへばりついてますんやけど

虫が来たら食べます

 

こうして一夏、過ごしたら肥えてしまいましたんやわ

今年の夏は、暑てしょうありませんのやけど

カランはいつも冷え冷えで涼しく過ごしてます

昼は、こうしてひたすら過ごすのみ

ちょっと腹、減ってきましたんやけど

もうすぐ日も暮れますで、もう少しの我慢

早よ日さん暮れて、今晩もいっぱい虫、来てくれたらええんやけど・・・

 

伊勢言葉ですみませんけど

江戸時代は紀州藩で、今なら関西ですんやけど

今は、三重県に入れられてしもて、東海地方らしいけど

三重県は、近畿地方らしいんですけど、関西とは違うらしいですわ

関西は二府四県で大阪・京都・滋賀、奈良、和歌山、兵庫で

三重は関西に入れてもろてません

別に関西に入れて欲しい訳ではないですけど

東海地方なのもどうですんやろ

 

関東の人からは、「お宅、関西?」って

聞かれますけど

「東海です」と答えると、ドン引きされるし

関西のおばちゃんから、「兄ちゃん、アメやろか?」

と言われたら、もろてしまう優柔不断さに

自己嫌悪を感じます

 

こないだ、大阪のおばちゃんと話しとったら

あんた、伊勢やけど「関西に入れたろ」と言われて、

「そんなら仲間に混ぜてんか」と言うてしまいましたんや

 

三重のアマガエルですみません

それにしても今年は雨が降りませんなあ

ホースに溜まった水に浸かっとるのが一番の幸せ

アマガエルの独り言ですで

聞き流してください

 

 

話は長ごなりますけど・・・

 

三重は近畿地方って学校さんで教えられるとそうですけど

国土交通省では中部地方らしいです

農林水産省では東海地方

いったいどれが正しいですやろ?

 

自分はアマガエルですで、どんな色にも染まりますけど

三重はどんな地方の色にも変身できますんで

ああ、急がし!!!