バイカルアザラシのnicoチャンネル -15ページ目

バイカルアザラシのnicoチャンネル

 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 立梅用水には東海自然遊歩道が通っています。綺麗に圃場整備された田圃には麦の芽が出できて緑になりつつあります。霊峰白猪山は穏やかな春の日です。 

 

 白猪山の中腹に広がる深野の棚田日本の棚田百選に指定されていて、花崗岩でできた高垣は「石の芸術」と言われています。ここは寒冷さが大きくお米は甘くなります。しかも、白猪山からの清水が流れていて水も土も米作りには最高です。何と言っても夏明地区は、肥料を入れなくても豊かに実る地名です。全国にも夏明や虫明という地名がありますが、どちらも食材の美味しい所です。松阪肉の最高級品はこの地区で肥育されたものです。

 

 気になる立梅用水の梅の巨木。満開近くになりました。近づくと太い幹は朽ち果て、そこから新しい枝が出て空中に浮かぶようにふんわりと咲いているのです。その咲き様は奇跡と言うしかありません。右のマイロナイトの岩と比べるとその大きさは巨大。

 

 用水を遡っていくと棚田があります。棚田の土手には梅が植えてあります。棚田の上から見るとこんな感じ。白猪山の山頂は隠れています。風をよけて日溜まりの土手に寝っ転がると、少し春を感じました。

 田圃の中央を貫く農道、その道ばたにはホトケノザの群落が続いています。

 

 自転車を止めて紫の土手に降りてみると、この通りです。花が密集していてそれがどこまでも続いています。

 

 傍には黄色タンポポが咲いてます。

 

 イヌフグリも群落を作っています。今日の日差しは春。

 

 フキノトウは大きくなって、周りにはフキがいっぱい出てきました。春の山菜です。

 

 緑になった麦畑の向こうに梅並木を見つけました。いったいどんな風景が広がっているのでしょう。

 

 梅並木が続きます。自転車で漕いでいってもなかなか終わりません。

 

 もう密集して咲いています。山鳥がいるのですが、影しか見えません。梅の蜜を求めてきたのでしょうか。

 

 優しい陽光に照らされてふんわり咲いています。

 

 梅が咲く立梅用水。そばには梅が植わっているのでその名の通り立梅用水です。東海自然遊歩道に指定されています。やはりこの季節が一番似つかわしいかも。

 

 今日のお目当ては梅の老樹です。右に聳える大岩と比べると梅の巨樹の大きさが分かります。幅15m、高さは10m以上あります。梅の木としては考えられない大きさです。年を重ねているので、花は小さく控えめに咲いています。

 

 木の下にやってくると圧倒される大きさ。下から見上げるとドームのように花が咲いていて、一つの小さな宇宙のような不思議な感じ。

 

 紀伊半島の明日は午後から雨模様です。天気が下り坂になるにつれ低気圧が接近し、冬の北風を吹き寄せるでしょう。気温は急激に下がって真冬に元通り。三つ寒くなって四つ暖かくなる、一雨毎に春が近づく三寒四温の時節になります。

 

 子どもの頃、トタン屋根の下で薄い綿の布団で眠っていました。トタンなので雨粒の一つひとつが音を立てます。タン、パタッ、トン。雨音の間隔はどんどん短くなりゴーっという連続音に変わっていきます。このトタンに当たる雨粒のシンフォニーを聴きながら、いつのまにか深い眠りに入っていました。紀伊半島の明日からは、きっとそんな季節へと入っていくのでしょう。

 能登半島の地震と津波では直接災害で亡くなった方227名よりも災害関連死の方229名と二名上回りました。助かるべき命がなぜ失われるのか。そのことを自助・共助・公助で考えてみたいと思います。自助とは自ら災害に備えて一週間程度は生活ができるように衣食住を準備しておくことです。共助は隣近所などコミュニティでお互いに声を掛け合って助け合うこと。公助は消防や自衛隊・自治体の助けを借りること。

 

 ここに揚げたグッズはいざというとき持ち出す物です。最低限これだけは必要です。特にポータブルトイレは大切です。食は半日は食べなくても大丈夫ですが、トイレは1時間後には必要になります。我が家では50回分を備蓄しています。

 

 気持ちよく眠ることは大切です。体育館で毛布だけでは冬はとても眠れません。強い味方になるのはシュラフです。それでもシュラフだけでは暖を採ることはできません。シュラフを包むカバーが必要です。これはゴミ袋を三つほど重ねて封筒状にして使ってもかなり効果があります。ライトは欲しいところですが、ヘッドランプは重宝します。冬の体育館は冷え込むので雨合羽を着れば暖かく過ごせます。シュラフに入るときは、雨合羽をシュラフの外側に巻き付けるとより温まります。シュラフは体温で中綿が膨らむので雨合羽は必ずシュラフの外にします。また、着替えはないと考えた方がいいので、これを常用することで汚れが少なくなります。体育館シューズも忘れずに。スリッパもないよりはましです。

 

 スマホなどの電源は予備バッテリーが必要になりますが、長期になるとポータブル電源とソーラーがあれば昼はソーラーで充電して使えます。電源300Wとソーラーパネル40Wのセットで三万円程度です。

 

 これくらいの食材は備蓄しておくといいです。賞味期限があるので、日常使いで新しいのに更新していきます。南海トラフでは一ヶ月以上支援が来ない可能性があります。せめて三日分、できれば一週間分は備蓄しておきたい物です。車中泊ではガスコンロがあれば、すぐに室内が暖かくなりますが、一酸化炭素中毒にならないように換気に注意します。

 

 私たちの住む紀伊半島で台風で1日半停電になったことがあります。テレビもラジオも聴けません。頼りになったのはスマホです。スマホならNHKテレビが視聴でき、ラジオも聴けます。また、ダウンロードしておけば映画や音楽も聴けます。ヘッドホンがあれば、お隣に気兼ねなく楽しめます。ただdocomoの中継基地が1日半でバックアップ電源が落ちてインターネットも電話も繋がらなくなりました。そうなると手回し式のFMラジオは貴重な情報源となります。

 

 このように1日半で通信手段は途絶えます。最後の頼みはアマチュア無線です。この周波数での運用は無線従事者免許状と無線局免許証が必要になります。144.5MHZと433.3MHZが非常無線周波数として割り当てられています。非常時には優先的にこのチャンネルでの通信が優先されます。

 

 能登半島のニュースで気になったのは水の確保です。自分が感じたのは井戸の大切さです。井戸があれば、水を得ることができます。水道・ガス・電気はパイプで繋がれていて地震では寸断される可能性が大きくなります。井戸は図のように単独なのでライフラインの寸断のリスクを低くすることができます。

 

 水道の仕組みをみればパイプで繋がれていることがわかります。電気もガスもラインで繋がれています。水道やガスは地中に埋められているため、一度寸断すれば復興はかなり後になります。上の図と比較すると地震では井戸の優位性がよく分かります。

 

 井戸があってもポンプが動かなければどうしようもありません。一番便利なのは手押しポンプです。二万円程度でDIYで売られています。自分は、こんなセットを組んでみました。家にある電動ドリルにポンプを繋いでホースで井戸水を揚げようとする物です。実際は吸水側ホースを井戸に入れるのですが、十分な水をあげることができました。

 

 井戸水にはピロリ菌などがいることがあり、飲用に適するかは保健所の検査が必要です。それでもトイレの水なら一分程度で揚げることができます。洗濯水なら10分程度でしょうか。このセットで1万円以内で揃えることができました。家を新築するとき井戸が邪魔で埋めてしまうお家が増えてきました。確かに井戸を使うことは少なくなりましたが、今一度見直してもいいのではないでしょうか。

 

 我が家ではアウトドアをするのでこのように災害への備えもできていますが、この自助や共助と言う言葉には疑問を感じるようになりました。もちろん自助や共助は大切なのは変わりません。

 

 それは神戸市にある「人と防災未来センター」を訪れたときのことです。ここで阪神大震災の揺れを実際に経験することができます。実体験して「これは助からない」と思いました。助かったならそれはラッキーでしかありません。片田先生のおっしゃるようにその時は「最善を尽くす」のですが、巨大地震ではそれさえできないこともあるのだと。様々な気づきを感じることができる施設です。

 

  自分の住む松阪市では避難時に、「水・食料・寝具」を持参するのが前提になっています。台風で避難するとき、実際にそんなことができるでしょうか。南海トラフ巨大地震が起こったとき、我が家で備蓄しているグッズを全部持って避難できるでしょうか。自助や共助には限界があること。いざ起こってしまえば、命からがら手ぶらで避難することになるのではないかと。

 

 災害へは悲観的に備え、いざ起こってしまえば楽観的に行動する。これが鉄則のようです。というよりそうするしかないようにも思えます。伊勢湾台風を経験してしみじみとそのことを感じました。

 

 我が家でこのように備えているのは、もともとアウトドアが講じてのことで、日常を楽しんで災害が起これば、このノウハウを利用する。ただそれだけです。車中泊をしながら遠出をするのも面白いです。その延長上に災害の備えにも役立てればいいと考えています。

 

 減災を考えるとき、災害から逃れて助かったとき、いかにして命を長らえるか。生き続けられるか。これは大きなテーマになると思います。

 東日本大震災から14年が経ちました。この出来事を風化することなく今もその日のことを思い起こし、ここから何を学び、このようなことが起こればどう行動するのか。考えたいと思います。

 

 

 

 現在の時点での死者・行方不明者は22,228名です。震災関連死の方を含みます。昨年能登半島で起こった地震では直接の犠牲者よりも震災関連死の方の数が多くなっています。災害で助かった命がなぜ失われたのか。自助や共助を越えて社会全体で考えなければならないことだと思います。

 

 松阪市ではJR線の所まで津波が来ます。と言ってもこれは想定された物。自然は想定外のことをすることがあります。

 

 東京大学大学院教授の片田敏孝先生は津波の三原則を提言されました。「想定外にとらわれるな」はその一つです。

 

 三原則の二つ目です。とにかく逃げること。まず自分が助かること。一見エゴイストにも思えますが、自分が死んでしまえば他人を助けることはできません。巨大津波が来たとき、全員が助かることは簡単なことではありません。そのとき最善を尽くしてやるだけのことをやるしかありません。

 

 まず、自分が逃げること。そうすれば、みんなも逃げます。何もなければ儲けものです。笑われたってどうってことないです。

 

 片田先生は釜石と尾鷲に長年係わっておられます。尾鷲市は南海トラフ巨大地震が起こると言われています。そして、釜石で起こりました。それは尾鷲市でも起こりうることです。

 

 片田先生のお話を国土地理院地図に落としてみました。津波が来たのはございしょのさとまで来ました。その様子は次にあります。

 

 ここから小中学生に学びたいと思います。子供たちは片田先生の教えをそのまま実行しました。お年寄りを助けに行った中学生には、「彼はよく生きた」とおっしゃいました。この言葉は心に刻みたいと思います。

 

 津波が起こったらどう対応するか? 簡単なことです。この三つのことをそのまま実行するしかありません。人はそのとき迷います。「今起こっていることは大したことない」「他の人も助けなくては・・・」前者は正常性バイアスという誘惑です。後者は大切なことなのですが、まず自分が助かることを考えましょう。そして、あなたも逃げましょうと誘いましょう。

 

 

 東海地震が30年以内に起こる確率は70%と言われていました。今、それが80%になっています。昭和東海地震が1944年に、南海地震が1946年に起こりました。あれから80年が経ちました。しかも、前回は南海トラフ巨大地震は半割れで東海地震は起こっていません。大切なのは、南海トラフ巨大地震がいつか100%起こるという事実です。人はいつかは死にます。でも、それをどれだけ現実のものとして受け止めているでしょう。それと同じように巨大地震は必ずやって来ます。人生100年時代、人は一度か二度は巨大地震に遭遇すると言ってもいいでしょう。南海トラフ巨大地震では32万人の犠牲者が想定されており、津波で直接亡くなる犠牲者は23万人です。

 

 この日、22,228名の御霊に想いをいたすとともに、そのときどう行動するのか。静かに考えたいと思います。

 

 

 

 平安時代に「竹の国」と呼ばれた郷がありました。そこに立梅用水が流れています。

 

 郷全体が梅の香りで満たされています。それは春の香です。忘れかけていた懐かしい香です。山眠り、山凍る冬。大陸からの空っ風は否応なしに土の香を伴って容赦なく吹きます。その風は凪いで、春風に変わると鼻の奥底が大きくなったようなつんとした香が漂っています。そして、人はハッと梅の香だと気づくのです。

 

 春の日差しを受けてまっ白に輝いています。

 

 満開なのでしょうか。それでもまだまだ蕾があるので梅の花はもっともっと密になるでしょう。あんなに寒かった季節はウソのよう。日に日に太陽高度は高くなり、春は爛漫へと舵を切りました。