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バイカルアザラシのnicoチャンネル

 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

緑の濃い森に開かれた田舎のビオトープ。雨なので誰もいません。

 

 ここは三重県多気町。平安時代には「竹の国」と言われていました。町の花はヤマユリです。花盛りはもうとっくに過ぎていますが、最後の二輪が残っていました。

 

 ビオトープの傍に咲く花橘。平安時代に多気郡には天皇のご名代として仕える斎王様がいらっしゃった所です。紫は高貴な色をしてます。

 

 今の季節は何と言ってもアジサイです。地元の小学校の俳画。

 

 雨に濡れたアジサイはひときわ美しいって、本当なのですか?今日の花は色づきも今一歩です。花はやはり咲き始めが美しい。花盛りもピークを過ぎれば何となく美しさに陰りが見えます。

 

 美しいと思ったのはアマガエルでした。緑の中で緑色をして健気に生きています。

 

 こちらを向きました。生まれたばかりなのでしょうか。葉っぱに雨水を湛えて、緑の葉っぱと水とアマガエルの緑が一体になっています。これを見ると植物と動物の境が限りなくボーダーレスに見えてきました。葉っぱの緑はクロロフィル、光合成をするための緑です。アマガエルの緑は天敵から守るための保護色の緑。

 

 オタマじゃくしが薄紅色のアジサイに這い上がっています。透明な体を必死に緑に染めようとしています。命、生き吹く者達はいつも透明。雨のビオトープの中で、ひときわ命の輝きがまぶしかったのはこの蛙たちでした。緑に包まれて、自らも緑に染まる。田舎の雨のビオトープは命の息吹に満ちていました。

  雨が上がって青空が見えています。深緑は朝日に照らされて眩しい。

 

 お地蔵さんの梅は熟してもう梅雨入りも間近なのでしょう。

 

 棚田の高垣を超えていくとどんな景色が広がっているのでしょう。

 

 雨ですっかり洗い流された空気はどこまでもクリアーです。風が凪いで水面は鏡のよう。シンメトリー世界です。

 

 稲荷山は少し朝霧で煙っています。急な石段を急いで上っていく一人のおばあさん。火急のお祈りが必要なのでしょうか。

 

 

 棚田の水面には吹かしたばかりのアメンボがすいすい泳いでいます。ここかしこにいます。その姿はアメンボ幼稚園。生まれたばかりの命は透明なのですね。体の中の臓器まで見透せる透明さは命の不思議。

 畑のニンニクの花。初めて見ました。朝露が孕んで風が吹くと朝日に光って金剛石のように輝きました。

 深野の棚田、日本の棚田百選に指定されています。夜明け前、伊勢三山の中央にそびえる白猪山の麓には朝霧が立ちこめています。

 

 急な斜面にへばりつくように立っている集落。石垣は宝暦3年に起こった白猪山大崩落でできた花崗岩を石垣として積んだ物です。その美しさは石の芸術と呼ばれています。

 

 さらに麓には櫛田川の河岸段丘が広がり、棚田はここで終わっています。どこまでも朝霧に筒待たれ集落。美田はどこまでも広がっていました。

 昨日の大雨が上がったものの、名峰白猪山は霧に包まれています。一色線に延びる農道。その右側には三重県で有数の美味しい牛乳を産出している牧場があります。

 

 一面の麦畑。まもなく収穫の時期です。

 

 平安時代に「竹の国」と呼ばれた町のサザンカ。雨に濡れると色が濃くなり美しくなります。村全体がサザンカの径になっています。

 

 一羽の蝶が純白の花に止まって蜜を吸っています。複眼の一つひとつまで映っています。命って美しい。

 

 昨日紀伊半島に大雨を降らせた低気圧は東の海上に去って、その代わりに西からの強風をもたらしました。かぜになびく薄紫の花の群落。名前が分かればもっと美しく見えるような気がします。

 梅の実が熟してきたから梅雨入りも間近かも。

 

 ツツジの花の季節になった。暑い!

 

 清楚に咲く小さな花。名前は知らない。

 

 もうアジサイが咲いている。夏かも!

 

 ヘビイチゴ、口に入れたら美味しくない。

 

 アザミなのか、何なのか。分からない。

 

 菖蒲なのか、アイリスなのか、カキツバタなのか。名前知らない。

 

 鴨が二羽泳いでた。つがいかどうかは分からない。