
桜を詠った名歌はたくさんあります。平安時代の在原業平もその一人です。
世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし
この世界にまったく桜がなかったら、春の心はのどかなものになったでしょうに。宴会の中で、藤原氏の繁栄を願う歌を求められて詠みました。業平は文徳天皇の第一皇子惟喬親王に仕えていました。皇太子のなるのもまもなくです。そうなれば、大臣の座も見えてきます。そのとき、藤原良房の娘が惟仁親王を産みました。文徳天皇はわずか8歳の惟仁親王を皇太子にしてしまいます。業平の将来は一気に閉ざされてしまいました。
自分の未来を奪った藤原氏の繁栄を歌にしなければならない。夢なのか現なのか、あり得ないことが現実には起こっています。その激しい葛藤の中で、業平は桜の美しさから一歩身を引いて、この一句を詠みました。桜の美しさや春爛漫そのものを詠めば、千年の時を超えて、この歌は残らなかったでしょう。
それは深い深い漆黒の奈落の中で純粋に透明に結晶した貴石のようなものです。遙かなる時空を超えて、業平の31音は今を生きる私たちの心に直に伝わってきます。それは失意の中でなお今を生きようとするひたむきな心なのかもしれません。そんな人の営みを知らないで、今日も桜は美しく咲いています。
業平が生きた時代は貞観年間で、平安時代では天皇の政治が讃えられ、貞観の治と呼ばれました。しかし、貞観11年には貞観三陸地震が起こります。その様子は三代実録に記されています。
5月26日(ユリウス暦の7月9日)に陸奥国で巨大地震が起きた。空を流れる光が夜を昼のように照らし、民は叫び声を上げて体を臥して立つことができない。ある者は家の下敷きになって死に、ある者は地割れに飲み込まれた。驚いた牛馬は走ったりお互いに踏みつけあい、城や倉や城壁は崩れ去った。稲妻のような海鳴りが聞こえると波が湧き上がり、川は逆流し、潮津波が連なって押し寄せ、城下までやって来た。内陸まで果てしなく水が入り、野原も路も大海原になった。船で逃げたり山に避難できなかった人が千人溺死し、田畑も財産も跡形も無く何も残らない。
この記事を読むと2011年に起こった東日本大震災を思い起こします夜に閃光が光ったのは二つの異なるプレートがせり上がったときの巨大なエネルギーが放出されたプラズマが光ったのでしょう。東日本大震災でも閃光は目撃されています。城は多賀城などの東北地方にめぐらした要塞なのでしょう。この記事を読んでいると3月11日の新聞なのかと思ってしまいます。
この後、貞観11年には鳥海山が、16年には開聞岳が噴火しています。その前に貞観8年には富士山が噴火し、粘度の低い溶岩が富士山の麓に多数の噴火口から沸きだし、今の青木ヶ原樹海を作りました。この噴火は二年間続きます。
まず貞観地震が起きて、その揺れで富士山の下にあるマグマが泡状に大きくなり、噴火が始まったと考えがちですが、実はこれは逆。富士山が噴火して貞観の巨大地震が起きているのです。
確かに地震が起きれば、その揺れによってマグマに気泡ができて噴火に至る例は東日本大震災のあとの草津白根山の噴火が有名です。その後、東日本の火山活動は活発になったことから、巨大地震と火山活動は関係があることが分かってきました。
しかし、貞観地震の場合は、富士山が先に噴火したことに着目する必要があります。巨大噴火がプレート地震を引き起こすのか? それは、分かりません。例えば、1500万年前に紀伊半島で起こった地球規模の巨大地震である室生カルデラや熊野カルデラの地震では、プレートがどのような状態なのかはよく分かっていません。カルデラ噴火ではプレートがマントルにめがけて落ち込んでいくと考えられています。マントルは柔らかい物質(と言っても個体)なのですが、プレートは固くてそれがマントルに落ち込んでいくなんて、考えられません。地球という惑星を考えたとき、マントルは大きく見れば力学的には液状のような物なのかも知れません。

ちなみに伊勢竹原の淡墨桜のある紀伊半島は室生カルデラの巨大噴火でできた地形です。津市美杉には鎧岩や鎧岩や屏風岩というカルデラ噴火の地形が数多く残っています。淡墨桜はそんなことは知らず、今日も美しく咲き誇ります。否、桜の巨樹は大地に根を張り、そのエネルギーを吸って、かって日本列島で起こった巨大噴火を思い起こしているのかも知れません。
屏風岩公苑の桜の後ろに高さ200mのカルデラ噴火が固まった溶岩が立ちはだかります。山頂は幅が10m程で細々とした峰が数キロも続きます。右も左も絶壁でした。特に屏風岩はカルデラ噴火でも割れ目噴火の名残をそのまま留めており、その姿はいかに噴火の様子が激しかったかを今日に伝えています。200mのマグマの火柱がそのまま固まって残っているのですから。それは1500年前の噴火の瞬間をそのまま切り取った形なのです。

割れ目噴火で現在も進行中のものはアイスランドにあります。この火柱は50m程度ですが、美杉の屏風岩は200mあるのですから、噴火していた当時の光景はどんなものなのでしょうか。ちなみにアイスランドの場合は、二つのプレートがお互いに離れていく構造でそこから噴火が起こります。ハワイと同じ仕組みです。
ところが、紀伊半島の場合はアムールプレートにフィリピン海プレートが沈み込んでいるためにできたものです。おそらくはどちらかのプレートがマントルに落下して起こったのでしょう。紀伊半島には火山はないと言われていますが、紀伊半島自体が火山活動でできた半島なのです。
紀伊半島には日本三大名湯の榊原温泉があります。また、大友皇子が愛した白浜温泉、江戸時代に温泉番付で横綱以上の行司の位にランク付けされた本宮の湯があります。日本最大級の炭酸泉花山温泉や入之波温泉もあります。花見を堪能した後は、やはり温泉に入るのが一番なのかも。
湯船の外はすぐ熊野灘。源泉掛け流しで硫黄分を吹くんだ炭酸泉に入っていると恍惚状態になります。歌のことや噴火のことなんかつべこべ言わず無心に湯船に浸かれば、地中のぬくもりが五臓六腑どころか全身に染み渡ってきます。

イメージ的にはこんな感じ。これは和歌山県白浜温泉の崎の湯。観光協会のお写真をお借りしました。一生に一度は入りたい温泉の一つですね。