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バイカルアザラシのnicoチャンネル

 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 松阪駅から名松線に乗って行くと伊勢竹原駅で下車すると淡墨桜の巨樹があります。樹齢400年の桜、今が満開です。一週間前に来たときも満開でした。その日から気温が下がったのか、花びらは落ちていません。

 

 大きく空に枝を伸ばし、江戸時代初期に植えられたとは思えない命の伸びやかさが見られます。

 

 満開なのですが緑の葉っぱが出始めました。これからは春風に吹かれて花びらが一枚、また一枚と散っていくのでしょう。この花の付き方から見れば、散りゆく姿もきっと美しいことでしょう。

 

 改めて振り返るとやはり美しい姿です。今年はもうここには来ないので、しっかり眼に焼き付けました。

 

 ため池に映るボタン桜。実像と虚像で2倍美しいです。美杉村にはこのような桜が各所に植えてあります。

 

 オホーツク海で発達した低気圧が大陸からの冷たい空気を紀伊半島まで吹き寄せ、波が凪ぐことがありません。これでも風が弱くなった一瞬を切り取ってみました。

 

 池には錦鯉が悠々と泳いでいます。桜が映らない湖岸に来ると風は止みました。春風は気まぐれ。

 

 名松線の終着駅伊勢奥津。ここから歩いてミツマタを探しに行きます。美杉のミツマタ畑に来ました。辺りは花をつく芳香で覆われています。ここも以前来たのですが、寒さが続いたので花は今ひとつです。暖かくなれば、花びらの内側の黄色がもつと映えて真っ黄色に覆われるでしょう。それにしても美しい杉林が黄色に波打っているのは素敵です。

 

 まだ白いですね。これがまっ黄っ黄になるのはまだ一週間はかかりそうです。いっそうのこと画像ソフトで黄色を強調したくなる衝動になります。でも、今日はこの薄黄色。これが今日の美しさ。

 

 やはり白いのは仕方ないか。暖かくなればどんどん花びらが開いて黄色が濃くなっていくでしょう。その分、香は最高潮

 

 映画「ウッドジョブ」で美杉村は一躍有名になりました。神去り村の今日は、冷たくてどん曇り。それでも桜の美しいこと。そして、どこまでも静かでした。

 

 

 

 今年の冬は寒く長くなかなか終わりませんでした。三寒四温の季節を越えてやっと春らしい気温になり、紀伊半島でも桜の花が咲いてきました。それでも昨日から寒の戻りで花曇りとか寒桜などの言葉が天気予報で出てきます。


 今日は稲荷山公園の桜を撮りに来ました。今から四十年ほど前に植えたソメヨシノはこんなに美しく咲くようになりました。


 山眠り山凍る冬、山の神は山に篭もっています。春3月、山の神は里に降りて穀物を豊かに実らします。人々は春祭りをして五穀豊穣を祈ります。収穫が終わりと秋風が吹く頃、秋祭りをして収穫の感謝をします。山の神はまた山に帰る。これが日本の素朴信仰です。


 稲荷山公園の麓には美田が広がり素朴信仰の世界を今でもここに見ることができます。桜の花が豊かに咲くと、山の神が稲荷神社にいらっしゃるのだと思っていしまいます。ソメヨシノ、今が見頃です。子供たちは春休みでブランコに乗ったり桜の下でお弁当を食べています。

 

 

  今日は3月の終わり、紀伊半島は二週間遅れて桜が咲き始めました。やっと満開になった江戸ヒカンザクラ。青と白のまだら模様の空に凜として咲いています。

 

 春谷寺というと定番の構図です。

 

 誰もが撮る構図。それはそれでいいですけど。

 

 ヒカンザクラなのでソメヨシノよりも二週間は早咲きなのですが、今年は同時に咲いています。赤が濃いのがここの特徴です。

 

 本堂のガラス戸に映るヒカンザクラ。御灯明も見えて寺らしさがここにあります。時間によっては光の加減で本物よりも美しくなる瞬間があります。

 

 桜の里だと思わせる光景。一面はヒカンザクラで覆われています。

 

 境内に植えてあるシキミが薄黄色の花を咲かせています。仏花なので境内にあるのは違和感はないのですが、花を見ると改めて美しい。

 

 日本の桜百選に指定されている所は、宮川堤三多気の桜ですがそれに劣らず美しいのが春谷寺。夜はライトアップがされていて闇に浮かび上がる姿が妖艶です。

 

 立梅用水の遊歩道を行くとしだれ桜が咲いていました。昨日からの大雨で一気に桜が咲き始めました。梅の花は無残にも遊歩道に散らばっています。

 

 スイセンが芳香を放っています。鼻を刺激するツンとした香りは春です。

 

 今頃雪の下が咲いています。先月の雪の日には葉っぱだけだったのに。ユキノシタなら雪の下で咲きなさいと言いたい。でも葉っぱの緑と濃い桃色は今咲くのに相応しいのかも。

 

 スミレの花が咲いています。でもバイオレットならもっと濃い青色をしています。こんなに群落を作ることもありません。たぶんスミレです。でも、何か別の名前がありそうです。

 

 田圃の畦に咲くホトケノザ。一面が濃いピンクで覆われています。

 

 立梅用水の寒椿。肝心の寒の時期には全く咲いていませんでした。立梅用水にはやはり梅が似つかわしいように思います。

 

 

 

 桜を詠った名歌はたくさんあります。平安時代の在原業平もその一人です。

 

  世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし 

 

 この世界にまったく桜がなかったら、春の心はのどかなものになったでしょうに。宴会の中で、藤原氏の繁栄を願う歌を求められて詠みました。業平は文徳天皇の第一皇子惟喬親王に仕えていました。皇太子のなるのもまもなくです。そうなれば、大臣の座も見えてきます。そのとき、藤原良房の娘が惟仁親王を産みました。文徳天皇はわずか8歳の惟仁親王を皇太子にしてしまいます。業平の将来は一気に閉ざされてしまいました。 

 

 自分の未来を奪った藤原氏の繁栄を歌にしなければならない。夢なのか現なのか、あり得ないことが現実には起こっています。その激しい葛藤の中で、業平は桜の美しさから一歩身を引いて、この一句を詠みました。桜の美しさや春爛漫そのものを詠めば、千年の時を超えて、この歌は残らなかったでしょう。 

 

 それは深い深い漆黒の奈落の中で純粋に透明に結晶した貴石のようなものです。遙かなる時空を超えて、業平の31音は今を生きる私たちの心に直に伝わってきます。それは失意の中でなお今を生きようとするひたむきな心なのかもしれません。そんな人の営みを知らないで、今日も桜は美しく咲いています。 

 

 業平が生きた時代は貞観年間で、平安時代では天皇の政治が讃えられ、貞観の治と呼ばれました。しかし、貞観11年には貞観三陸地震が起こります。その様子は三代実録に記されています。

 

 5月26日(ユリウス暦の7月9日)に陸奥国で巨大地震が起きた。空を流れる光が夜を昼のように照らし、民は叫び声を上げて体を臥して立つことができない。ある者は家の下敷きになって死に、ある者は地割れに飲み込まれた。驚いた牛馬は走ったりお互いに踏みつけあい、城や倉や城壁は崩れ去った。稲妻のような海鳴りが聞こえると波が湧き上がり、川は逆流し、潮津波が連なって押し寄せ、城下までやって来た。内陸まで果てしなく水が入り、野原も路も大海原になった。船で逃げたり山に避難できなかった人が千人溺死し、田畑も財産も跡形も無く何も残らない。

 

 この記事を読むと2011年に起こった東日本大震災を思い起こします夜に閃光が光ったのは二つの異なるプレートがせり上がったときの巨大なエネルギーが放出されたプラズマが光ったのでしょう。東日本大震災でも閃光は目撃されています。城は多賀城などの東北地方にめぐらした要塞なのでしょう。この記事を読んでいると3月11日の新聞なのかと思ってしまいます。

 

 この後、貞観11年には鳥海山が、16年には開聞岳が噴火しています。その前に貞観8年には富士山が噴火し、粘度の低い溶岩が富士山の麓に多数の噴火口から沸きだし、今の青木ヶ原樹海を作りました。この噴火は二年間続きます。

 

 まず貞観地震が起きて、その揺れで富士山の下にあるマグマが泡状に大きくなり、噴火が始まったと考えがちですが、実はこれは逆。富士山が噴火して貞観の巨大地震が起きているのです。

 

 確かに地震が起きれば、その揺れによってマグマに気泡ができて噴火に至る例は東日本大震災のあとの草津白根山の噴火が有名です。その後、東日本の火山活動は活発になったことから、巨大地震と火山活動は関係があることが分かってきました。

 

 しかし、貞観地震の場合は、富士山が先に噴火したことに着目する必要があります。巨大噴火がプレート地震を引き起こすのか? それは、分かりません。例えば、1500万年前に紀伊半島で起こった地球規模の巨大地震である室生カルデラ熊野カルデラの地震では、プレートがどのような状態なのかはよく分かっていません。カルデラ噴火ではプレートがマントルにめがけて落ち込んでいくと考えられています。マントルは柔らかい物質(と言っても個体)なのですが、プレートは固くてそれがマントルに落ち込んでいくなんて、考えられません。地球という惑星を考えたとき、マントルは大きく見れば力学的には液状のような物なのかも知れません。

 

 ちなみに伊勢竹原の淡墨桜のある紀伊半島は室生カルデラの巨大噴火でできた地形です。津市美杉には鎧岩や鎧岩や屏風岩というカルデラ噴火の地形が数多く残っています。淡墨桜はそんなことは知らず、今日も美しく咲き誇ります。否、桜の巨樹は大地に根を張り、そのエネルギーを吸って、かって日本列島で起こった巨大噴火を思い起こしているのかも知れません。

 

 屏風岩公苑の桜の後ろに高さ200mのカルデラ噴火が固まった溶岩が立ちはだかります。山頂は幅が10m程で細々とした峰が数キロも続きます。右も左も絶壁でした。特に屏風岩はカルデラ噴火でも割れ目噴火の名残をそのまま留めており、その姿はいかに噴火の様子が激しかったかを今日に伝えています。200mのマグマの火柱がそのまま固まって残っているのですから。それは1500年前の噴火の瞬間をそのまま切り取った形なのです。

 

 割れ目噴火で現在も進行中のものはアイスランドにあります。この火柱は50m程度ですが、美杉の屏風岩は200mあるのですから、噴火していた当時の光景はどんなものなのでしょうか。ちなみにアイスランドの場合は、二つのプレートがお互いに離れていく構造でそこから噴火が起こります。ハワイと同じ仕組みです。

 

 ところが、紀伊半島の場合はアムールプレートにフィリピン海プレートが沈み込んでいるためにできたものです。おそらくはどちらかのプレートがマントルに落下して起こったのでしょう。紀伊半島には火山はないと言われていますが、紀伊半島自体が火山活動でできた半島なのです。

 

 紀伊半島には日本三大名湯の榊原温泉があります。また、大友皇子が愛した白浜温泉、江戸時代に温泉番付で横綱以上の行司の位にランク付けされた本宮の湯があります。日本最大級の炭酸泉花山温泉入之波温泉もあります。花見を堪能した後は、やはり温泉に入るのが一番なのかも。

 

 湯船の外はすぐ熊野灘。源泉掛け流しで硫黄分を吹くんだ炭酸泉に入っていると恍惚状態になります。歌のことや噴火のことなんかつべこべ言わず無心に湯船に浸かれば、地中のぬくもりが五臓六腑どころか全身に染み渡ってきます。

 

 イメージ的にはこんな感じ。これは和歌山県白浜温泉の崎の湯。観光協会のお写真をお借りしました。一生に一度は入りたい温泉の一つですね。