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バイカルアザラシのnicoチャンネル

 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 

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 満開だった桜も散り始めました。風が吹くと里にまで桜の花びらが舞い散ってきます。今年の花は豊かでした。豊かなので散り時も大胆です。やはり花びらの多さなのでしょうか。


 マイロナイトの絶壁に岩を裂いて咲く山桜。今年も豊かに花をつけました。マイロナイトは地中深くのとてつもない圧力を受けて変成する岩です。なので堅さは一級。しかし、その固い岩に根を張って岩を裂いてそびえ立つように生えています。生命はこんなに強いのものなのでしょうか。


 幸い今日は風が強くないので春の日差しに照らされるように花びらは残っています。明日は雨の予報。風が吹けば雨とともに濡れた花びらは落ちてしまうでしょう。風が吹けば桜吹雪になるかも。それもまた春の風情なのかも。


 ドローンは桜の山を離れて東へと飛行しています。ここから見ると低い峰々が高く見えてこんなに故郷の山が尊かったのかと気づかされます。綺麗に植林された針葉樹はやはり故郷の宝です。ドローンはひるがえり、櫛田川の左岸松阪市を飛んでいます。櫛田川の左岸には幾層にもできた河岸段丘のに上に家々が立っています。こんな中山間地なのですが、峰に上ると海が見えると言います。実際に登ると伊勢湾が一望でした。伊勢湾の彼方には250km離れた富士山が見えたときは、何という光景かと思いました。


 いよいよ桜前線は週末には吉野山や三多気の桜で満開を迎えそうです。満開を望む頃が一番嬉しい時節です。満開を過ぎて風になびく花びらは美しいのですが、一瞥のさみしさを感じます。


 人の欲望は限りないのか、桜の次はサツキやツヅシが咲いて、室生寺や大台ヶ原では真っ赤なシャクナゲが咲くのに。長谷寺では大輪のボタンがお坊さんの御詠歌とともに楽しめるのに。こんなことを考えていると、もう桜のことを忘れようとしたのか、桜には申し訳ありません。

 日本一の清流だと言われている多気郡大台町を流れる宮川、下流には伊勢神宮があります。源流は深田久弥が書いた日本百名山大台ヶ原から流れています。


 今日は松阪市から大台町へ相津峠を越えてここに来ました。峠には桜並木があります。そこには自生の山桜の並木があります。その桜並木を越えて奥伊勢湖に来ました。三瀬谷ダムがせき止めた人工の湖です。
 

 

 ドローンは宮川中流域の左岸から飛び立ちました。向こう岸には湖面すれすれに桜が咲いています。もともと岸辺の上に咲いてたのでしょう。中には湖面から幹が出ているのもあり、ダムに沈んだ桜だったことがうかがえます。


 今日は風も凪いで穏やかです。湖面すれすれに飛んでいくと向こう岸に小さな集落が見えてきました。なんと閑静な街なのでしょう。こんなところに住んでいたらストレスも無く心安らかに日々を送れることでしょう。


 紀伊半島の中央部は大峰山大台ヶ原があり、夏は太平洋から湿った空気が大雨を降らします。冬は北からの湿った空気が雪を降らせます。年中雨と雪、大台ヶ原では月に40日雨が降ると言います。そこから流れる川の水質は綺麗なのは必然的なことなのかも知れません。


 今年の冬は寒くて長かったのか、それとも4月になっても底冷えのする日々が続くのでなぜか桜の花もちはいいようです。人々は桜の下でのんびりくつろぎ、カメラを構える人もいます。山肌を桜で覆う吉野山のような桜もいいのですが、湖面に凜と咲いている桜も風情があると思いました。

 

 

 画像をクリックすると動画になります。宮川湖畔の桜、今が満開。馬 馬 馬

  伊勢市の宮川堤のソメヨシノは「桜の名所100」に指定されています。宮川は二十年に一回伊勢神宮の社を建て替え、ご祭神を新しい宮に遷す式年遷宮の行事が行われるところです。木曽檜などを宮川まで運び、ここから外宮や内宮へ御木曳(おきひき)といって御用材を運びます。もちろん古代と同じやり方で、すべて人力で何トンもある檜材を運びます。この行事に参加したことがありますが、人々の表情は晴れやかで感謝に満ちています。

 

 どこまでも続く宮川堤の桜並木。堤防を平清盛が築きました。河川敷には陸上のトラックが敷いてあり、伊勢市民はここで散歩やジョギングをします。皇居のジョギングは天皇のお住まいの回りを走るのですが、ここは神様の傍を走ることになります。桜を見ながらのジョグはまた格別でしょう。

 

 何とも華やかな咲き方。豪華です。満開から少し散り始めました。

 

 キイロタンポポも咲いています。

 

 外宮の遷宮館です。入場料は300円。どう見ても1000円は要りそうな展示内容です。最初の式年遷宮は持統天皇四年(690年)に行われました。それ以降、20年毎に行われ、2033年には63回を迎えます。伊勢神宮は125の社があり、すべての遷御が完成するのは十年後です。しかも、遷宮が終わると次の遷宮のための準備も行われます。

 

 令和15年にはこの地に神様が遷御されます。そんなことを言っていると森林破壊だと批判する方もいらっしゃるかと。実は、遷宮は役目を終えた御用材は、各地の神社に下賜され新ししい社として蘇ります。前回は東日本大震災で被災した東北の神社が御用材で復興を遂げました。何と言っても伊勢神宮の社だった材木なので極上の物です。そして、広大な神宮林を擁しており、近い将来は神宮林だけで御用材がまかなえるように計画されています。式年遷宮は究極のリサイクルとリユースを1300年の間、行ってきました。

 

 外宮の正宮で祈る人々。ここで私的な願いはしません。五穀豊穣や国家安泰など、無心に祈ります。二礼二拍手一拝。私的な願いは多賀宮でします。多賀宮豊受大神の荒ぶる魂を祭っています。正宮は鎮まった魂。個人的な願いは荒ぶる神に願った方がパワーがあっていいのでしょう。ここにくると清々しい気持ちになります。それが私たちか世の中でよりよく生きていくことに繋がっていきます。その心の変化が大切なのでしょう。

 

 神宮の森に夕陽が傾いて、木漏れ日から葉っぱを幹に照らし出しました。不思議な光景でした。

 

 さて、お詣りの後は赤福餅です。お団子は桜のあんことヨモギだんご。ほうじ茶がよく合います。いたってシンプル。全国各地から徒歩でへとへとになって伊勢に到着した旅人を迎えた江戸時代からのおもてなしの配慮が各所に息づいています。店内に入って注文はタッチパネルなのに驚きました。カードで支払いを済ませて、テーブルに着くと店員さんがほどなく注文の品を持ってきてくれます。老舗なのにハイテク!

 

 

 少し歩いて若松屋のお好み焼きをいただきました。お詣りとグルメは表裏一体。これがお伊勢参り。「美し国 うましくに」三重は海の幸・山の幸に恵まれた食材が多彩な国です。口の中にほおばれば、エビなのかイカなのか、様々な海鮮の出汁や天かすのうま味が口いっぱいに広がって、打ち上げ花火のようにお味が変わってきます。

 

 伊勢神宮の外宮は、内宮のご祭神天照大神にお食事を献上する神様です。食に従事される方や広くは商売や物作りに関わる方、そして、新しい決意で新しいことに挑戦する方々の願いを聞いてくださります。

 

 何はともあれ、伊勢に来たならこの季節、宮川堤のソメヨシノを見て、外宮に詣でて、グルメに浸る。午後は、内宮に詣でておかげ横丁でこれまたグルメを楽しんで。これがお伊勢参りの勘所です。伊勢は四季折々に魅力があるのですが、この季節は気候と言い、自然と言いマストシーの時節です。

 

 神宮は寄り添う神様です。各地の神社には神宮遙拝所があり、また、伊勢神宮の方向を向いて拝せばそれで現地に来たのと同じ御利益があります。どんなに遠くにあっても、あなたの近くにあるのが伊勢の地です。このブログをご覧になられたすべての方に今日受けた御利益がもたらされますように。

 

 NHKでブラタモリが始まりました。一番に選ばれたルートが伊勢路です。タモリさんが「伊勢路って魅力あんの?」とおっしゃっていましたが・・・。グルメで言えば、桑名の焼き蛤からはじまり、伊勢エビ・アワビ・伊勢うどん・手こね寿司、松阪肉。テーマパークは鈴鹿サーキット、ナガシマスパーランド、志摩スペイン村。宿泊施設は伊勢志摩サミットが行われた志摩観光ホテルがあります。歴史好きの人には、吉野ヶ里、多賀城遺跡とともに日本三大史跡の斎宮歴史博物館があります。全国で唯一ラッコを飼育している鳥羽水族館も。何と言っても迎える人の「おもてなし」の精神は、伊勢の街に根付いています。それは、見て、聞いて、触れて、味わえば、きっと納得の行くものになるでしょう。

 

 

 

 平安時代に「竹の国」と呼ばれた地域があります。紀伊半島の中央部にある多気町です。ここの山桜は見事です。

 

 対岸は松阪市です。稲荷山公園の桜も見事。

 

 油田公園は江戸時代は庄屋さんでした。今はお医者さん一族、しかもみんな名医。ここの桜も見事。

 

 春爛漫の季節になりました。甍と白壁、桜がよくマッチしています。

 

 ボタン桜は花が大きいので輝くように咲いています。

 

 キイロタンポポが田圃の畦に群落を作りました。

 

 ムスカリの花。青紫が絶妙に美しい。緑の草原に一瞬で見つけられるほど鮮やかな色をしています。

 

 田圃にレンゲソウの青の絨毯か敷かれています。そして、このレンゲの花。日ごとに強くなるお日様の日差しが花びらを輝かせています。自ら光っているかのようなまぶしさです。

 

 

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 山凍り、山眠る冬は終わり、桜の季節となりました。三つ寒くなり、四つ暖かくなる一雨毎に気温が上がる三寒四温の季節も終わりました。雨が降る毎に冬の枯れ野には、濃いピンクのホトケノザが咲き、薄青色のイヌフグリが群落を作っています。黄色タンポポが群落をつくり、田圃のレンゲソウが真緑の絨毯を敷きました。そこには春の日差しに輝くかのように薄桃色のレンゲが花をつけました。 


 誰が植えたのか、それとも自生しているのか山には桜が咲いています。冬の枯れた森は緑が芽吹き、枯れ枝はどれもが花をつけています。純白のもの、薄桃色のもの、濃い桃色のもの、白から赤へと色とりどりの桜は、どれ一つ同じ色の物を探すのが難しいです。 

 
 ひときわ目立つのが
東海自然遊歩道から見える桜です。その桜はマイロナイトの絶壁にそそり立ち、そこから根を張り岩を裂いているのです。日ごとに強くなるお日様はその桜の花びらを輝かせます。遠くから見てもそのオーラは他の桜を寄せ付けません。どのようにして岩から養分を吸い取り、岩を裂いていくのでしょうか。そのとてつもないエネルギーはどこから来ているのか。自然は厳しければ、厳しいほど美しいといいます。これほど過酷な環境の中で春の青空に誇らしげに枝を伸ばし、桜の花びらを開いている大樹を見たことがありません。


 ドローンは多気町の空を飛んでいます。平安時代、延喜式という法律で「竹の国」と呼ばれた街です。名前の通り、竹林が各所にあり、一山が竹林でできている所があります。ここのタケノコは絶品です。特に春先に出るタケノコは京都の料亭の食卓に上がります。新鮮なタケノコは生で食することができます。最初にいただく春の山菜はフキノトウがありますが、タケノコは春の到来を感じさせる味覚です。どこへ行っても桜の花、竹の国に春が来ました

 

 

 桜が満開近くになると想い起こす歌があります。江戸時代後期のお坊さん俊寛僧都の一首です。


 散る桜 残る桜も 散る桜


 俊寛僧都辞世の句です。散る桜もあれば、残る桜もある。それでもいつかは散ってしまうものだ。


 この三十一音には無常観が漂っています。すべてのものは移り変わります。咲けば必ず散るのも世の常です。4月5日は戦艦大和に沖縄特攻が命じられた日です。乗組員は上陸し最後の準備をしていました。家族や大切な人々と会うことが出来ました。会うのが許されると言うことは、別れることであることは、乗組員のだれもが知っていました。ある乗組員は俊寛僧都の言葉を友人に言付けて、出撃します。

 

 大和を率いる伊藤整一第2艦隊司令長官は6日、全乗組員に訓令を発します。

 

 神󠄀機將ニ動カントス。皇國ノ隆󠄁替繋リテ此ノ一擧ニ存ス。各員奮戰激鬭會敵ヲ必滅シ以テ海󠄀上特攻隊󠄁ノ本領ヲ發揮セヨ


 片道燃料援護機なし。そんな無謀な作戦があるでしょうか。しかし、長官は「大和が一億総攻の先駆けになる」と士官の言葉を借りて出撃命令を受け取りました。

 

 4月7日14時23分、アメリカ軍も猛攻を受け、北緯30度43分東経128度04分に大和は沈みました。戦死者は3056名、生存者は276名です。有賀艦長は操舵室に自分の体をローブで縛り舟とともに沈みました。実際は航海長だったという話もあります。


 さて、80年後の今、ドローンは稲荷山公園を飛んでいます。そこから来迎寺の中条山に向かいます。人は死ぬと魂は山の頂に宿り、祖先を守ると言います。日本古来の素朴信仰です。そして、いつしかそこには桜が植えられています。気まぐれな春風が桜の枝を揺らしています。桜が咲くと「散る桜 残る桜も 散る桜」この言葉がいつも想い出されます。

 

 私たちがこのように平和な生活を享受しているのも80年前の出来事にルーツがあることを思い起こしたいと思います。

 

 

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