地蔵坂を越えていくと棚田があります。朝日が昇りました。一面は一気に赤色に染められました。伊勢三山の中央に位置する白猪山は遙か向こうに春霞に少しかすんでいます。
早苗は田圃の水面に隠れて今しか見えないシンメトリーの世界が広がっています。稲荷山公園の急な石段を駆け上がっていく参詣者。何かお祈りに行くのでしょうか。
水の張られた田圃には青蛙の卵が浮いています。ここからどれだけの蛙が生まれるのでしょう。命の固まりが春風に吹かれてふわふわ。
紀伊半島中部の台高山脈の分水嶺、西に雨が降れば、紀ノ川を通って大阪湾に注ぎます。東の分水嶺に降れば、櫛田川を通って伊勢湾に注ぎます。この櫛田川中流域の右岸は原生林でできています。今日は、ドローン1㎞ほどを飛んでみました。
2月、原生林は冬枯れでした。広葉樹はすべて葉っぱを落とし、細枝だけが鉛色の冷たい冬空に刺していました。それは寒々とした風景です。一度だけ大雪になったときは幹も枝もまっ白に雪で覆われ、空気も乳白色でそれは美しい冬景色でした。
3月の末、山桜が咲きました。仕掛け花火が時間毎に夜空を彩るように、次から次へと純白や薄紅色の桜色がパッチワークのように咲き続けました。今年の花の豊かさは例年を越えていました。桜の季節が終わるとあたりは新緑で覆われました。新芽から葉っぱが広がり、黄緑は日ごとに濃い緑へと変化していきます。棚田には水が入り、新緑を映し出しました。やがて田植が始まり、早苗が春風にそよぎます。
2月から4月の3ヶ月ほど、自然が多彩な顔を見せる時期は珍しいでしょう。四季を感じるのはやはりこの時節なのかも知れません。自然だけではありません。集落を見下ろすと人間の営みがよく分かります。よくも人々は自然を利用して米を作り、畑を耕し、生きる糧を得ています。
今日のドローンはゆっくり新緑にまとわりつく藤の花を撮影しました。新緑と藤の薄紫はこんなによく似つかわしいと初めて思いました。藤はやはり見る角度が大切でいつもは見上げてばかりで、近くでその豪華さを見ることはありません。ドローンはそれをいとも簡単にかなえてくれます。
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紀伊半島の中央に流れる清流櫛田川。松阪市を東西に流れています。中流域には原生林があり、河岸段丘には広葉樹林の巨木が並んでいます。冬の枯れ野だった川岸は緑に覆われ、春風が吹きます。その細枝をはうようにして藤が先端まで巻き付き、今は、薄紫の花を咲かせています。
藤と言えば、近代俳句を始めた正岡子規の一句があります。
瓶にさす 藤の花ぶさ みじかければ たたみの上に とどかざりけり
この一首は短歌ですが、三十一音にはどんな景色が広がり、子規のどんな世界が広がっているのでしょうか。この時、子規は7年間脊髄カリエスを患い死の床に伏せっていました。
瓶にさす藤の花房が短いので、畳の上に届かない。床に伏せっている私にはそれが見えない。
花房の短さを自分の命の短さに投影しているのでしょうか。床にうつ伏せになっている自分、そのために美しい藤の花房を見ることができないもどかしさ。子規の透徹した感性がこの短歌を生みました。この三十一音は、百年の時と空間を越えて、藤の花房が春風にそよぐ今に直接伝わってきます。
ただ、そのままの風景、情景を写し取った短い一句は、今、ここにその世界を広げ、確かに読み手の心に届きました。
ドローンは、櫛田川の河原を飛び立つと春風をもろともせずに、深緑の原生林を写し始めました。原生林は広い緑の葉っぱを春の日差しに向けて盛んに光合成をしています。気まぐれな春風がそれをなびかせ、藤の花房もなびきます。花房はどこまでも長く、細枝から河原まで垂れ下がったものもいます。さらに川岸の原生林から、深緑で覆われた麦畑を越えると、そこは山の裾野。この裾野にも藤の花が垂れています。辺りは新緑と薄紫の藤の世界。
一ヶ月前は桜で覆われていた裾野も今は、藤の花房。春は深まります。
紀伊半島の花を空撮するフローラ・ドローン・プロジェクト。梅から桜へ、桜から藤の花房へ、今度はどんな花を見せてくれるのでしょうか。
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護摩壇には結界が張られています。結界の向こうにはどんな世界が広がっているのでしょうか? そして、どんな祈りの世界があるのか? 山伏達は弓矢で邪気を払い清浄な空間を作ります。そして、仏を迎える準備をします。
護摩壇に火がつけられ採灯護摩が始まりました。今年は乾燥が進んでいるのが、爆発的に燃え上がります。
炎の勢いがあまりにも激しいので、前の山伏が自分の前から動かれると直接体に火照りが襲ってきて体が熱くなります。結界の向こうは灼熱の世界です。山伏達の険しい表情、装束はまたたくまに汗でびしょ濡れになり、ひたすら真言を唱えます。
太鼓の響きは体を通過していき、般若心経の声は、五臓六腑どころか、魂にまで染み込んでいきます。独特のリズムが人々を祈りの世界に誘います。それは、無心の世界です。言葉は聞こえてくるのですが、空の世界に引き上げられていきます。
日臓上人が笙の窟で冥界に赴き、龍樹菩薩に出会うのですが、龍樹は仏教に空の世界を打ち立てた人。結界の向こうは空の世界が広がっていました。
採灯護摩は最高潮を迎え、護摩木が焼べられ始めました。山伏達は、人々の祈りや願いが書かれた護摩木を護摩壇に投げ入れます。願いは激しい炎で熱気とともに空に舞い上がりました。山伏達はそれぞれの役を渾然一体になり、厳かに祈りは進められます。
花供懺法会が滞りなく終わりました。鬼が投げ餅をするとは! 修験道の開祖役行者は鬼を調服して、修験の修行をする人たちのお世話をするよう命じました。鬼の子孫が前鬼という村に今でも住んでおられます。五鬼助さんとお話ししたことがあります。役行者は歴史上の人物かも知れませんが、五鬼助さんはれっきとした鬼の子孫で今もお元気です。その歴史は脈々と引き繋がれています。役行者は鬼に水を汲ませ、たきぎを採らせ、言うことを聞かないと呪縛したといいます。言うことを聞かない鬼も鬼ですが、体が呪縛されたらどんなでしょうか。前鬼の五鬼は5つの家がありましたが、今では一軒しかありません。五鬼助さんは嬉しそうに息子が継いでくれることになりましたと話してくださいました。当分は、大峰奥駈道ではお世話になれそうです。
日本最大の秘仏、蔵王堂の金剛蔵王大権現様です。今5月6日まで特別御開帳になっています。中央が過去を救済する釈迦如来、右が現在を救済する観音菩薩、左が未来を救済する弥勒菩薩です。室町時代の制作ですが、秘仏なので色も鮮やかに残っています。憤怒の形相は、すべての民衆を救おうとする仏の強い意志を表しています。乱れた世の中では、穏やかな表情ではすべての人々を救うのはできないのでしょう。
ちなみにイエズス会のフロイスは「日本史」で、吉野の山奥には鬼が住んでいて、悪魔の交わりの儀式をしている。とローマに報告しています。これを見たらキリシタンからは、まさしく悪魔。なぜ憤怒の形相をしているのか。その意味を深く観念したら彼らの布教は成功したのかも知れませんけど。
「日本の桜の名所百選」の吉野山の今日の様子、すでに満開を過ぎています。
中千本は、満開から散り始めの季節です。奥千本は満開だそうで。すでに新緑の季節に入ろうとしています。
それでも、桜を楽しむには充分です。風が吹くと花びらがひらひらと散っていきます。
始まりました。大名行列。十万石クラスの行列です。
吉野山に桜の開花を蔵王権現様に知らせる花供懺法会、女性の比率が男性よりも多いように感じられます。弓を射て護摩壇を清めます。
採灯護摩に火がつけられると激しく燃え上がりました。あまりに炎の勢いが激しいのか、山伏達の顔が揺らぎます。
人々の祈りが書かれた護摩木が焼べられ最高潮を迎えました。
どんどん護摩木が焼べられます。花供懺法会も終盤。オン・バサラ・クシャ・アランジャ・ウン・ソワカ、眞言が唱えられます。さらに太鼓を音頭に般若心経が唱えられ、太鼓の音は体を通過するほど響き渡ります。
最後は餅投げで終わります。赤鬼や青鬼が餅を投げるとは! 吉野山では役行者が鬼を調服して、仏道を守る存在なので、節分の豆まきでもここでは「福はうち、鬼もうち」と呼びます。
今日はいい天気でした。桜の開花もやや遅れ気味で桜を愛でるには充分花も残っていました。お店に入ってうどんと柿の葉寿司をいただきました。おうどんの汁は京風で薄味です。柿の葉寿司は鯖寿司を柿の葉で巻いた物で奈良県のソウルフード。吉野葛のデザートもついていて、これまた最高。
花より団子とはこのこと。萬松堂が宮内庁に献上した草餅はよもぎがてんこ盛りに入っています。三色団子は鉄板。桜餅は桜の香りがほんのり。きな粉餅も桜色。さすがに手の込んだ趣向です。
日本最大秘仏 特別御開帳5月6日まで
それにしても蔵王権現とはどんな神様なのでしょう。修験道を開いたのは役行者、舒明天皇6年(西暦634)に奈良御所市に生まれ、葛城山や大峯山で修行したと言います。大峯山の山上ヶ岳で祈っていると岩から憤怒の形相をした仏が湧き出したと言います。役行者が桜の木にその姿を刻みました。それが金剛蔵王大権現です。過去を救う釈迦如来、現在を救う観音菩薩、未来を救う弥勒菩薩の化身だと考えられています。つまり、蔵王権現を拝せば、過去も現在も未来も救われるというのです。鬼のような激しく怒った形相は、すべての人を救おうとする仏の深い慈悲を表しているのです。
桜は蔵王権現のご神木。吉野山では全山が桜で覆われています。桜の寿命は50年ほど、なので新しい苗木がどんどん植えられています。最近、桜並木が老木で危険なため立ち入り禁止になっている地域が増えてきました。吉野山では桜の更新が行われているので、いつまでも今のような桜の名所でありつづけるでしょう。それは、蔵王堂を中心に根付いた人々の信仰によるものなのでしょう。
花供懺法会での山伏達の表情は笑顔に満ち誰もが凜々しさで満ちあふれていました。それは5月3日の戸開け式を皮切りに修行の季節が間もなく始まるという喜びの季節なのだからでしょう。戸開け式に参加したことがありますが、ここは異世界です。神々しさと厳かさで圧倒されました。何か分からないのに悟りの世界がここでは確かに感じられるのです。
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