達真空手は禅・ヨガ・站椿・気功・ストレッチ・自己整体の各々の長所を取り入れて作られた「力禅」という独特の稽古方法を基礎にして、東洋の武術と伝統派・実戦派の空手を融合した空手です。稽古日 月曜日 夜7時〜、金曜日 6時半〜 (ダルマトレーニング)
達真空手(ダルマカラテ)は真崎明が40年の集大成(禅やヨガの要素を取り入れた)として作り上げた世界に一つしかない特殊な空手です。禅・ヨガ・站椿・気功・ストレッチ・自己整体の各々の長所を取り入れて作られた「力禅」という独特の稽古方法を基礎にして、東洋の武術と伝統派・実戦派の空手を融合して真崎 明が創設した新たな空手流派です。入門費10,000円月会費12,000円 (学生10,000円)空手衣13,000円〜スポーツ保険2,000円(年間)初期費用は上記の合計です。稽古日 月曜日 夜7時〜 金曜日 6時半〜 (ダルマトレーニング)入門に関する疑問・質問等のお問い合わせは劇団真怪魚の問い合わせフォームより気軽にお送りください。<問い合わせフォーム>お問い合せ | 劇団真怪魚www.shinkaigyo-up.com ★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は2023年度より募集予定》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝12000円(学生 月謝10000円)空手衣13000円〜スポーツ保険2000円稽古場 だるま堂★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
※前半の記事はコチラです迂回ルートを車で進み、第一ポイントの印を車内から注意深く探しながらゆっくりと車を走らせました。そうしている間に宗家の記憶は少しづつ鮮明になってきているようでしたが、確証には至りません。そこで車を道端に駐車して全員で歩いて探すことになりました。道は登りとなっていて、想像していたよりもずっと山奥で、想定していたよりも長い距離を歩きました。車を停めてからも1時間以上探し続けていました。徒歩で印を探す宗家と道場生位置を確認する宗家と自分脚に自信があった僕は山道を皆んなよりも先に登ってそれらしい印が見つかれば写真を撮って送るつもりで歩を進めました。何箇所か印らしいものが見つかって写真を送ったのですが、電波が届かない山奥で画像を送れていませんでした。もちろん、状況を報告しようにも電話も通じませんでした。しかしそれでも、何としても印を見つけて宗家に報告したいという想いと、何故だか大山総裁に試されているような気がしていました。山の中で午後3時過ぎといえば活動を終えなければいけない時間帯であることは重々知っていながらも、ここで断念したら大山総裁に顔を上げられないという想いとこれまでの苦労が水の泡になってしまうという想いなどが複雑に交錯していました。登山ならば「引き返す勇気」が問われる状況ですが、とにかく崖崩れがあった場所まで登り詰めれば全区間を間違いなく確認したことになるのだし、それで見つからなければ諦めもつくと考えました。しかし、崖崩れがあった場所までは思った以上に距離があり、しかも傾斜はどんどんキツくなっていきました。さらに困ったことは、途中で道が修復されてしまっている区間があったことです。もしもこの区間に印があったのだとしたら二度と第一ポイントを見つけることはできないと思いましたので、崖崩れの場所までいっても印がなければ修復された区間が第一ポイントである可能性が高くなると考えました。そのためにも何がなんでも崖崩れの現場まで行って証拠の写真を撮って全区間をひと通り探したという実績を残さなければと思いました。キツくなる一方の登り坂をひたすら走り続けました。恐らく、人生の中でこんなに一生懸命に走ったことはなかったかも知れないと思うほど必死に走って登りました。その間も陽は刻々と沈み、恐らく皆んなが自分のことを心配しているだろうと思いました。しかし、木々の隙間を選んで電話をかけても電波が通じることはありませんでした。汗でびしょびしょになりながら、ようやく崖崩れの場所を確認しました。その間に印らしきものを見つけることは遂にできず、残った可能性は道が修復された区間だけという確証を得ることができました。道の所々に落ちている落石木がいつ倒れてきてもおかしくない状況急いで皆んなのところへ戻ろうと濡れた坂道を転ばないように気をつけながら走って下っていると、途中で副座長のねこまたぐりんさんと新人の空知さんが僕のことを探して上がって来てくれていました。副座長からは心配したとお叱りを受け、先輩の敏蔵さんからは僕が転落して遭難でもしたのではないかと心配され、宗家にいたっては、僕の心配というよりもこの時間からこの場所にレスキュー隊を呼ぶことの重大さを心配されたようでした、、。皆んなのいる場所まで戻った時には既に3時を回っていました。しかし朗報がありました。僕が探している間に宗家が第一ポイントの印を発見しておられたのです。副座長たちはその事をいち早く僕に知らせようと坂道を登ってきてくれていたのだと思いました。印は自分が写真を撮って送ったものの内の一つでした。日が傾き始めていましたが、この場所が第一ポイントであるという確証をさらに深めるために、ガードレールにロープを結び付けて、宗家と僕の二人で川まで崖を降りてみることになりました。しかし、間近に夕闇が迫っており、そればかりか嵐が近づいてもいましたので、この時間から崖を川まで降りるのは危険を伴うと副座長が猛反対されました。そこで先ずは、途中で停めておいた車を取りに戻り、第一ポイントの直ぐそばに駐車し直していつでも乗り込めるようにするということにして何とか副座長から了承を取り付けました。嵐の急接近を告げる空模様宗家と僕との二人で車を取りに戻り始めたのですが、しかし、こんなに遠かったのかと改めて痛感するほど長い距離を皆んなで登って来ていたことを知りました。ようやく車を停め直すと、ガードレールにロープを結び付けて宗家と二人で崖を降り始めました。予め用意しておいたロープシステムロープを張りながら崖を降りる自分様子を見守る唐橋さんと空知さん一番心配している副座長崖下の川の状況(増水している)川幅や川の周辺の状況を確認して、この場所で間違いないという確証を遂に得ることができた宗家と僕は、崖を登り返して上で待っていてくれている皆んなに報告してロープを回収し始めたのですが、ロープを回収した途端に驚くことが起こりました。なんと、これまで何ともなかった天候が一変して突然雨が降り出し、しかもそれがこれまでになく土砂降りの大雨だったのです。僕がロープを回収してから皆んなが車に乗り込むまでの僅かな間に路面はびしょ濡れになり、本当に間一髪で全身がずぶ濡れになるのを回避できたのです。この瞬間に恐らく誰もが思いました。奇跡が起きたのだと。その奇跡は山の神様が起こしたのか、それとも大山総裁が起こしたのかは定かではありませんが、僕たちがこの場所を発見するのを待っていたかのようなタイミングであったことは間違いないことです。ロープを伝って崖を登り返す宗家ロープを回収しながら登り返す自分第一ポイントが明確になったことで、次なるミッションは修行現場に行くことになりました。しかしそのミッションは、今回のミッションよりもさらに難航するであろうことが想像できます。それほどに、大山総裁が修行を積まれた現場は人里離れた山奥で危険な場所であったということを誰もが身に染みたと思います。山歩きに慣れている僕自身でさえ、この山域の雰囲気には危険を感じました。こんな場所で延べ一年半にも渡って、たった一人で山籠りをされていたというその精神力は想像を絶するものです。しかし僕は今回の捜索で大きな恵みを頂いたように感じました。何といっても大山総裁と気持ちが通じたような気がしたからです。結果的には宗家ご自身が印を見つけた訳ですが、僕個人としてはあの時諦めずに、大山総裁の視線を感じながら「押忍」という掛け声を自分に浴びせながら最後までやり遂げたという自負が生まれていました。今後の人生の中で今回ほど必死で走ることは恐らくないと思うのですが、あの瞬間の僕の精神は肉体の限界や苦痛を完全に超越していたと思います。その証拠に、実は朝から微熱があったのですが、捜索を終えた頃には完全に体調が回復していました。風邪をひいているときでも力禅を長くすると治るのですが、恐らくこれと似たような原理で、必死で走った影響で免疫力が最大になり体調が回復したのだろうと思います。ただ、今回の自分の行動は皆んなに心配と迷惑をかけたことは間違いなく、その点は反省しております。こうして二日間の合宿は大山総裁修行現場へ至る第一ポイントの再発見をもって無事に終了しました。今回の合宿の第一の目的は自然の中でおこなう力禅の素晴らしさを体感することにあったと思いますが、その目的は各人が自分なりに体感できたと思いますし、その感覚はこれからの空手修行の羅針盤になると思います。そして何よりも"真に達する"という達真空手の修行の目的に一歩近づく体験ではなかったかと思います。さらに今回の合宿では聖地巡礼という特別な体験が加わって、しかも偶然を通り越して奇跡のようなことを連続して体験することになった不思議な二日間でもありましたので、記憶に残る特別な二日間になったように思います。こうなると次は何としてでも大山総裁修行現場をこの目で見てこの足で踏んでみたいとなるのですが、その価値を理解できる自分であるためには日々の稽古の積み重ねが大事なのだと改めて思う次第です。以上、長文となりましたが最後までお読み下さりありがとうございました。河辺林太郎拝★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は2023年度より募集予定》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝12000円(学生 月謝10000円)空手衣13000円〜スポーツ保険2000円稽古場 だるま堂★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
※長文になります達真空手(ダルマカラテ)では年に一回、合宿をおこなっています。合宿の場所は毎回決まっているわけではありませんが、今年11月21日・22日の二日間の日程でおこなわれた合宿は、極真空手(きょくしんからて)の聖地である千葉県の清澄山が舞台となりました。達真空手に入門して8年になりますが、これまでに一度も聖地を訪れたことはありません。僕以外の他の道場生も、宗家を除いては誰も訪れたことがなかった場所で、満を辞してと言いますか、ようやく今回の合宿で聖地巡礼を果たすことができるという、僕にとっても、また他の道場生にとっても特別な意味を持つ機会になったように思います。達真空手の合宿で何故ゆえに極真空手の聖地を訪れるかについては少し触れる必要があるかと思いますが、当ブログに掲載している宗家のプロフィールからも由縁を辿ることができますのでお手隙の時にでもご参照頂けましたら幸いです。⇒達真空手とは何か『達真空手とは何か』達真空手(ダルマカラテ)は禅・ヨガ・站椿・気功・ストレッチ・自己整体の各々の長所を取り入れて作られた「力禅」という独特の稽古方法を基礎にして、東洋の武術と伝統…ameblo.jp簡単にその由縁を申し上げますと、宗家が極真空手世界チャンピオンの中村誠師範と師弟関係にあられ大山倍達総裁の元でも稽古に専念しておられた歴史があるからです。そして何を隠そう宗家は、数々の取材を重ねた末に大山倍達総裁が山籠りしていたまさにその場所を発見した第一発見者でありそのエリアに建てられた記念碑の発起人でもあられます。僕たち道場生はそうした経緯を聞いていますし、大山総裁の随筆も読んでいますので、世界最強と呼ばれた男がどんな場所でどんな稽古を積んでいたのか、ということに興味を抱かないわけがありません。極真空手の聖地大山倍達総裁修行の地 記念碑その実際の場所はかなりの山奥で危険な場所でもあると聞かされていますが、今回の合宿ではその場所を目指すというのが目的の一つになっていましたので、参加する道場生にとってただならぬ緊張と特別感を抱くのは至極当然のことでした。たとえその実際の場所にいけなかったとしても、清澄山という地は大山総裁が稽古に励んだ地であり、また、日蓮聖人ゆかりの地でもありますので、そうした地で基本に立ち返って稽古ができるというだけでも特別な合宿になることは想像に難しくありませんでした。しかし、合宿の日程が近づくにつれて道場生の間に一抹の不安がよぎり始めました。それまで快晴続きだったはずなのに、合宿の日程だけが雨の予報になっていたのです。そうして迎えた合宿初日の早朝。天候は不安的中の雨、でした。小雨くらいなら山籠りの現場に行ける。そんな期待を誰もが胸に密かに抱きながら、目指すは合宿の宿舎となる清澄寺(せいちょうじ)。この古刹は、元々は天台宗だったものが徳川秀忠の命により真言宗に改宗し、さらに、この寺に得度された日蓮聖人が遊学の末に日蓮宗に改宗したことから、現在では日蓮宗となっています。清澄寺 本堂大山総裁は日蓮聖人を尊敬していたことから修行の場としてこの地を選んだそうで、当時のご住職とは恐らく親しい関係だったと想像されます。アクアラインのパーキングエリアで早めの昼食を済ませて、車一台通るのがやっとという里山の細道を抜けて清澄寺に着いたのがお昼をだいぶ過ぎた頃でした。山門の少し手前にある記念碑の前でご挨拶を済ませて荷物を各自宿坊に預けると、いよいよ達真空手の修行の始まりです。記念碑の前にて清澄寺 山門今回の合宿では、達真空手の基礎中の基礎となる『力禅(りきぜん)』を3つの異なる場所で3度に渡っておこないましたが、稽古始めの最初の力禅は清澄寺の境内にある奥の院でおこないました。奥の院へは誰もが登れるようになっているのですが、この場所は、日蓮宗のとある大きな宗教団体が清澄寺で修行する際には有志しか登れない特別な場所として設定されているほど神聖で霊気の溢れる場所となっているようです。清澄山のエリアに足を踏み入れた時から感じていましたが、この辺り一帯は既に空気感が違っていて、特に奥の院へ向かう山道から山頂にかけてはピシリと引き締まるような澄んだ空気が張り詰めている感覚をずっと感じていました。こうした空気感の中でおこなう力禅は、普段自宅や稽古場でおこなっているものとは全然違う感覚が呼び覚まされてきます。この場所で力禅を始めて自分がまず感じたのは"大地"でした。足の裏から伝わってくる離そうとしても離れがたい、自分と一体となっている大地の感覚です。この場所には杉の大木がそこかしこにあるのですが、長い年月をかけてこの場所に根付いたそれらの大木のように自分も大地と一体となっていくような感覚にとらわれました。冷たい風が頬をかすめ、小雨が肩を濡らし、杉の梢は風に揺れていましたが、自分もこの森の一部になっていくような感覚に包まれました。そうしているうちに、今度は空から引っ張り上げられるような感覚に見舞われました。大地だけではなく天とも繋がっている、その狭間に立って呼吸している自分が思い浮かんできました。冬の冷たい空気を肺いっぱいに吸い込んで、こんどは体内に生まれた二酸化炭素を外に吐き出す。普段の生活の中では自動的に無意識におこなってきたこの自然のサイクルが、ここではまるで地球と一緒に呼吸しているような錯覚を覚えました。力禅は立ったままの姿勢でおこなうもので、数ある型の中には両腕を前に突き出しておこなうものや膝を曲げて中腰でおこなうものもあります。これを何十分もおこなうのはとてもキツいのですが、肉体的な苦痛を感じるどころか、自然の中で呼吸している自分が心地良すぎてずっとこのままで居たいという心境の方が強く、気づいてみれば1時間以上が経過していました。宗家の合図で『動力禅』→『歩法』を各自がその場でおこなってこの時間の稽古を終えましたが、皆んなそれぞれに清々しい表情をしているのが分かりました。相変わらず小雨が降っていましたが、そんなことは誰も気にする気配すらありませんでした。下山して宿坊に戻った後は、空手着に着替えて寺の道場内での基本稽古となりました。古刹である清澄寺の研修道場は立派なもので、畳敷きの広い道場には立派な祭壇が置かれています。僕はかつてこの道場である方の講話を聴くために訪れたことがあるのですが、まさかこの場所で空手着を着て空手の稽古をする日が訪れるとは夢にも思いませんでしたし、こんな立派な道場で空手の稽古ができる機会も滅多にないだろうと思いました。あまりにも立派な道場なので気合いの声をどこまで張り上げればいいのか分からず遠慮気味にしていましたが、それでも自分の中の邪心を打ち払い魔を斬るつもりで内心では気合を込めて一つ一つの技を出すようにしていました。いつもおこなっている基本稽古が特別なもののように感じられました。宗家(右)との組み手の様子信育道場にて初日の稽古はここまでとなり、あとは楽しい食事とお風呂の時間です。合宿というと粗末な食事を思い浮かべるかも知れませんが、達真空手の合宿は違います。宗家が特別な精進料理のお弁当を用意して下さり、さらに特別な日本酒まで出てきました。合宿にもかかわらず、料理にはこだわりがあるのです。そんな料理とお酒を囲んでの食事時間は、いつもの稽古の時の張り詰めた雰囲気とはガラリと変わって談笑しながらの楽しい時間となりました。こういう時間がたまにあるからこそ、また頑張ろうとか、もっと頑張ろうとか思えるのかも知れません。でも、実のところ、精進料理だけではお腹が満たされなかったのですが、達真空手を応援して下さっているパトロンさんが差し入れて下さったアンパンとカレーパンを風呂上がりに頂くことができ、お陰でその夜はグッスリと眠ることができました。ただ、一つだけ気掛かりだったのは、夜がふけるにつれて雨足が強くなっていることでした。一晩ガッツリ降ってくれて、翌日はスッキリ晴れてくれたら、と誰もが思っていたかも知れません。2日目の朝。早朝5:30に集合した時点では雨が降っていたのですが、いざ力禅をしに外へ出るタイミングになると不思議なことに小雨になり、宿坊の裏手の広場で力禅を始める頃になると雨がピタリと止みました。その場所は少し小高い丘のようになっていて、千光山一帯を見渡すことができてその先には太平洋が一望できました。眼下には雲海が広がっていて、山肌をこすりながら雲が移動していく様は、まるで墨絵にでもなりそうな神秘的な光景でした。力禅、動力禅、歩法から推手までの稽古をこの場所でおこないましたが、その間中、雨は止んでいました。そしてその後、本堂での御祈祷に全員で参加させて頂く頃にはまた雨が降り出していました。朝食を済ませた後は、3度目の稽古をするために宗家と場所の選定をおこない、さらに大山総裁修行の現場に行けるかどうかを話し合いました。雨足は少しづつ強くなっていましたので稽古ができる屋根のある場所を探したのですが、宗家の古い記憶の中にそのような場所があり、地図上で確認すると大山総裁修行現場の近くに野外ステージが見つかりました。修行現場へ行くかどうかはその時の天候次第ということにして、チェックアウト後は屋根のある野外ステージに向かいました。広い公園の敷地内にそのステージはありました。雨は勢いを増していました。それほど広くはないステージでしたが、各自が思い思いの場所を選んで力禅を始めました。その間に宗家と僕は、大山総裁修行現場への道筋を確かめるために別行動を取ったのですが、実のところ、宗家がこの地を訪れるのは7年ぶりくらいになるそうで、修行現場にいくのはもっと久しぶりのため正確な場所が分からないという状況でした。そのような状態で道場生全員を連れて行動するのは危険なため、別行動を取ったのですが、大山総裁の修行現場というのは地元の人でも滅多に寄り付かないような山深いところで、そこへ行くのは決して簡単なことではなかったのです。宗家の古い記憶の中で大体の目処は立っており、予め地図上で確認していました。そして修行現場へ辿り着くための第一ポイントは、"ある印"を見つけることにありました。その印の場所から川に降りて、さらに30分ほど山の中を掻き分けて進むと現場があったのだそうです。「細い山道の右側に川が流れていて宗家が道端で見つけたある自然の目印(非公開)があった」これが宗家の古い記憶の中にあった第一ポイントの確証でした。そして地図上で予め確認しておいた地点まで車で向かおうとしたのですが、何としたことか、そこへ向かう道の途中が崖崩れで通行止めになっていたのです。大岩と大木で完全に道が塞がれていたために、たとえ自分たちがそこを越えられたとしても道場生を危険に晒すわけにはいかないと判断してそのルートは断念しました。しかし、万一の場合に迂回ルートがあることは予め突き止めていました。その迂回ルートを辿って目印となる第一ポイントまで行くかどうかはこの時点では判断できず、そもそも雨は朝からずっと降り続いていたのです。宗家と僕はとりあえず野外ステージまで戻り、皆んなと合流して稽古を始めました。動力禅、歩法の後は、今回は『爆力(ばくりき)』をおこないました。爆力は、力禅によって内に蓄えた力を、技を通して瞬時に外に放出する方法です。爆発するようなパワーが技に宿るために『爆力』と名付けられていますが、簡単に身に付くものではありません。僕は8年経ってもまだこの技が身に付いていません。土の上で爆力を正確におこなうと土に穴ボコができてしまいます。爆力を何度もおこなうとそこら中が穴ボコだらけになります。それくらいに強い振動が伝わるような技なのですが、この感覚を掴むのに皆んな苦労しているようでした。そうこうしている内にいつの間にか小雨になり、空が白んできて雨雲の中に青空を見つけられる状況になってきました。昨日からの経験では、稽古の時になると雨が止むという不思議な体験をしてきた僕たちは、ここにきてもまた再びその体験をすることになろうとは、薄々ながら期待はしていたものの、本当にそうなってきたことに少なからず驚きを覚えました。道場生の一人である唐橋さんはその場で何度も天気予報を確認して、それまでとは状況が変わってきて午後3時頃まではこの天気が持ちそうだと言います。僕の中でも行くなら今しかないとの思いが増していましたので唐橋さんと共に宗家にそう打診しました。宗家は行くなら昼食を済ませてからと考えておられたようでしたが、昼食は断念して直ぐに第一ポイントに向かうことになりました。時刻は午後の1時頃だったと思います。タイムリミットは2時間。大山総裁修行現場までは行けないにしても、第一ポイントまでは行けると思いました。その途中、宗家の記憶からも失われていた神社があり、全員でお参りしました。とても立派な神社でした。僕自身は少しでも早く先に進んだ方が良いのではという焦る思いがあったため神社に寄っている余裕などあるのかと思いましたが、結果的にはこの行動が命運を左右したのではないかと思っています。次週につづく。記事:河辺林太郎清澄寺 信育道場にて ★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は2022年度より募集予定》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
コロナ禍により、2021年度昇級審査が数ヶ月遅れて開催されましたが、ようやく結果発表と表彰式が取り行われました。達真空手は、一年に一度の昇級審査が行われますが、本来武道というものは、簡単に昇級してゆくものではありませんでした。一年の修行を通して自分自身の心技体の上達度を見つけてゆくのに昇級審査はとても参考になります。数ヶ月毎に昇級してゆく制度では、合理的に昇級出来たとしても、また数年で黒帯を取れるというシステムで取得出来たとしても、本当にそれに相応しい空手家として武道家としての心技体の中身が備わっているのかという疑問が生じます。『石の上にも十年』実戦空手の創始者大山倍達の座右の銘です。『十年経たねば空手の門に立つこと出来ず』とも明言しました。達真空手はそれを地でゆく空手道なのです。★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は2022年度より募集予定》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
木々の新緑が春光に映える季節になりました。いつも、達真空手のブログをご覧いただき誠にありがとうございます。達真空手は、近い将来に一般・学生向けに対して公の募集を行う予定ですが、現在は指導者育成に力を注いでおります。空手の道は、技を磨き、強靭な身体を作ることも大切ですが、心と精神、魂を鍛え上げてゆくことは最も重視する必要があります。先ずは、空手を通して豊かな人間性を育むことが第一です。そのためにも指導者は、空手の技術取得は当然として、強く逞しくあると同時に公正さと優しさと備え責任ある実行力を伴った周囲に尊敬される武人(空手家)でなければならないと思っております。現在、達真空手はそのような指導者を育成するために十年近い歳月を費やして参りました。『石上十年』これは、私の空手の原点となった極真空手創始者の大山倍達先生の名言です。石の上にも三年では、到底『空手の門』に立つことすら出来ないでしょう。いや、修行の道十年を経て、初めて『空手の門に立つ』ことができると言っても過言ではないでしょう。たとえ指導者になったとしても、生涯をかけて道を極めてゆくことこそ真の空手家の姿です。今、達真空手はようやく空手の門に立とうとしている門下生たちが育ってきております。2021年度は、彼らが門に立つための最終審査期間としての一年間とするため、入門者の募集は2022年度以降といたします。どうぞご理解のほどお願い申し上げます。宗家、門下生一同さらなる努力精進を重ねて参りますのでどうぞ今後もよろしくお願いいたします。宗家 真崎 明☆今後、しばらくは達真空手ブログは、ランダムな更新となります☆ ★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は2022年度より募集予定》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
皆さまこんにちは、竜宮 いかです!突然ですが、私は昔人前で声を出すのが大の苦手でした。人前だと特に、小さな声でしか話すことができませんでした。何かの発表会や国語の教科書を読み上げるとき、気の知れた友達以外と話をするとき……そうしたときにどうしても緊張するような、恥ずかしいようなそんな気持ちになったのです。何て言ったの?と聞き返されるときはそこからいなくなりたい思いでいっぱいいっぱいになったこともありました。それでも私は堂々と話しかけることはできず、小さな声でしか接することができませんでした。運動会の時やマラソン大会などでは応援する際頑張って声を出すものの、他の人と比べると自分の声がかき消されるくらいにはあまり大きな声を出す、ということには慣れていませんでした。それでもそれ以降演技に関わる勉強をしていく内にだんだんと声の出し方は変わり、少しずつ普段の話す声もはっきりと話せるようになっていきました。といっても昔に比べて大きな声で話せているのかといいますと、そこまで大きく変化したとかではなく、昔に比べたら少し大きな声で話せるくらいになった、という程度だと思います。ですが、達真空手に入門したことで更に私の声の出し方が大きく変わった・そして、それによりからだの変化に気づいたと思う部分がありました。それは気合いを出す際に気づきました。攻撃をしたりするときに気合いを入れることによって、普段の自分からは考えられないほどお腹から声を出していたのです。もちろんそれは入門してからすぐに出来たというものではありません。はじめの頃は気合いをもっと出してと言われて、自分がイメージしたくらいの気合いで大きな声を出していました。しかしやはりそれはただ大きく声を張り上げて発しているだけで、お腹の中から響き渡り相手を圧倒させたりするほどの気迫などは全くありませんでした。何度も何度も稽古をしていくなかで宗家からのご指摘やアドバイス、また先輩方の姿勢を見ていくなかでどうすれば技に威力が増すか、どうやって相手の隙を作っているのか、など考えていく内に、気合いの重要さに少しずつ気づいていきました。そして自分の限界だと天井を決めつけていたところから越えた勢いでがむしゃらになって気合いを出してみたところ、上記でも言ったように自分では信じられないほどの気迫や声の大きさが出せていたのです。また、そうしてお腹から声を出して力を乗せて相手に挑むことで、声の大きさだけではなく自分から力強いパワーやエネルギーも出ていたことに気づいたのです。身体中がオーラを纏うようにして、そしてからだ全体に血が巡り熱くなって、これまでの自分では考えつかないほどの熱量が自分のからだを通って拳に集まっていくのを感じました。それから、お腹から出した気合いをするととてもからだの中で溜まっていたもやもやが全部外に吐き出されていくように感じたのです。気合いはただお腹から声を張って出しているだけのものだとこれまでは思っていました。ですが気合いにはそれだけではなく、もっとほかにも沢山の秘められた力が備わっていたのだと改めて思いました。この事で私は気合いの際ただ声を張る、と言うところからプラスして、以前よりお腹から声を響かせるように大きく出せるようにもなれました。これからは更に強くなるため、そしてさらに強い相手にも挑めるように拳や技の強さを磨くだけではなく、それらに更に強さを加えるための気合いにもより力をいれて稽古も励んで以降と思いました。今回はここまでとなります。最後まで読んで下さりありがとうございました!それではまた次の記事でお会いしましょう。竜宮 いかでした!★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半(金曜日の だるま体操 夜6時半〜8時も参加出来ます)入会金10000円 月謝5000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝4000円)※道着代・保険代は別途稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~17:00)※定休日:木曜日・日曜日
押忍。林太郎です。中学生の頃、探偵小説や探偵漫画が好きで自分も探偵になろうと夢見ていました。小説や漫画に出てくるようなドラマチックな依頼や事件などはそうそうあるものではないでしょうが、猫探しでも迷い人探しでも、何でもいいから困っている人の手助けができるような小回りのきく探偵屋稼業をしながら好きな街で暮らせたらと漠然と考えていたのです。当時は会社の屋号を決めて、手彫りでロゴの印鑑を作って、依頼メニューも手書きで用意していました。たしか猫探しが10円だったと記憶していますが、友人には笑われていました。結局のところ宣伝活動をするのでもなく、自分で何かをしたいという気持ちが膨らんで自己満足しているだけだったようです。そんな折、ある小説で目にした言葉が胸を打ちました。『強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない』とても有名なセリフだと思いますが、小説家のレイモンド・チャンドラーが彼の作品に登場する私立探偵フィリップ・マーロウに言わせたセリフです。中学生ながらにグサリと胸に突き刺さりました。自分は強い人間だろうか?強いとはどういうことだろうか?中途半端な生き方をしていないだろうか?と、経験の未熟な頭で必死に考えました。喧嘩に強いとかいうような腕力のことを言っているのではない事はわかりました。でも、チャンドラーが言う強さを得る手段がまったく思い浮かばず、そしておそらく当時の僕にとっては想像の域を超えていました。そこへきて今度は、優しくなければ生きていく資格すらないとチャンドラーは言います。当時の僕にとって強さと優しさはまったく別の土俵にある相反するもののように捉えていましたので、両者を結びつけることは困難でした。あれから30年余り経ったいま、チャンドラーのセリフは今もなおグサリと胸に突き刺さります。『強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない』優しさというものは強さの中から生まれるものなのだと思います。強さだけが秀でていても優しさが伴っていなければ、それは真の強さとは言えないのではないかと、達真空手で稽古していくうちに考えるようになりました。空手の稽古を通じて身体の強さを磨き上げていきますが、体と心は一体不可分である為、鍛え上げた精神力以上の身体の強さを得ることはできないと思います。空手が上達して強くなるということは、同時に精神の強さも向上しているはずなのです。でも、自分の強さを自覚しはじめたときに、その強さを得た意味をどう捉えるかによって、強さの意味が違ってくると思います。強くなければ確かにこの世の中を生き抜くことはできません。でも、単に強いだけでは周囲にとって危険となることもあり、調和を乱すことさえあり、したがって生きていく資格が与えられないのです。自分のために強くなることを浴するのは精神的な成長段階の初期に見られる当たり前のプロセスですが、そこで傲慢になってしまうと成長が止まってしまうばかりか、他者にとっての脅威になり兼ねません。世の中を見渡してみると、強くはあっても自己中心的で欲望に突っ走っているだけにしか見えない人がチラホラと見受けられると思いますが、これでは強者と弱者ができるだけで対立が永遠に終わらないでしょう。でも、人はそこから更に成長段階を上っていき、チャンドラーの言う優しさを知ることが必要なのではないかと思います。優しさの伴わない強さは凶器でしかないのです。中国の思想家である孔子が『罪を憎んで人を憎まず』と書き遺していますが、孔子の精神の在り方は人としての精神の成長段階においてとても高い位置にあると思いますし、チャンドラーの言う優しさにも通じているように思います。それとは反対に、孔子の精神と真逆にあるものとして僕の頭にいつも思い浮かぶのは『目には目を歯には歯を』という言葉です。知っている方、聞いた事がある方はたくさんおられると思いますが、旧約聖書や古代ローマの十二表法の中に記述されています。これは謂わば「やられたらやり返す」「倍返し」あるいは「自粛警察」など刑罰を手本とした応酬を正当化する考え方の基礎となっている古い教えです。この言葉を法典に書き残したハンムラビ王の意図は、現在私たちが捉えているものとは少し違うようですが、それでも孔子の精神とは真っ向から対立しています。この方程式には終わりがありません。人類歴史上ずっと続いてきた報復論でもありますが、その結果がいまの地球上のあちらこちらで起きている闘争や戦争であることは一歩引いて考えてみれば分かることではないでしょうか。しかし、ならば、孔子が言うように人を憎まない、もっと言えば人を許すということができるかと言えば、それには相当な自己犠牲が伴います。自分の感情や考え方を治めて、客観的に全体像を把握して、本当に制裁を加えるべきものが何なのかを熟慮しなければできないことです。罪を犯すに至った背景と心の動きがあるわけで、そうした事情を考えていくと必ずしもある特定の人物だけが悪いとは言えない事象、つまり社会的背景や家庭的・思想的背景なども出てきます。そうした事にまで目を向けて、単に個人を裁くに止まらないグローバルな視点をもって真実を見極める度量が要求されるのが『罪を憎んで人を憎まず』という姿勢ではないかと思いますし、チャンドラーのいう優しさも行き着くところは同じなのではないかと思います。許された相手がつけ上がることも考えられますが、それでもやはりその背景に目を向け続ける事でしか本当の解決はないだろうと思います。こうした態度を称して愛と呼んでも良いかと思いますが、達真空手では、最近は特に宗家が愛というものについて、武士道を志す者の姿勢について強調されています。武術を身につけようとする者には愛がなければいけないのだと改めて思います。武術は敵を倒して打ちのめすためのものではなく、あくまでも自己防衛のための手段です。それと同時に、何も持たない丸裸の人間を守るための義務をも背負うことになります。武術の本道というものを考えたときに、いまの自分はどこまでそれを身に付けているのか、実際の有事の際に武士道を貫けるのか、そういうことを強く考えさせられます。まだまだ修行が足らない若輩者ではありますが、武士道の根本に立ち帰って精進したいと思います。ところで、探偵の夢の話からとんでもない話題に広がってしまった感がありますが、探偵という仕事も、あるいは他のどんな仕事にしても、自分自身が強くなければ継続することは難しいですし、杓子定規に規定して型にはまっているだけでは自己の成長も他者との協調も起こり得ないはずですので、僕が仮に中学生の時に事業を起こしていたとしても成功はおぼつかなかっただろうと思います。強さと優しさを兼ね備えてこそ一人前の社会人として社会に役立てるのではないかと思う次第です。以上河辺林太郎でした。 ★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
押忍。赤井です。「左を制する者は世界を制す」ボクシングでの有名な格言です。おそらくですが、武術を習わなければ自分の利き手について悩む人はほとんどいないのではないかと改めて考えました。というのも、人類の9割が「右利き」と言われているようで、人間のたどった歴史と脳の発達が関与した結果そうなったとする説があるようで、残りの1割の人類が「左利き」となるそうです。また、これは人間に限った話で、動物にはそもそも利き手や利き足は存在しないそうで、両方が平等に扱えるそうです。自分は右利きなのですが、武術というものに触れるまで右利きの自分というものになにも不便を感じずに生活してきました。ところが武術、私の場合空手ですが利き手、利き足だけ使えば良いとは言えません。当然のことですが、拳一つ繰り出すにしても利き手の方が威力もスピードも上になります。足運びも利き足の方が上手く動かせます。ですがそれだと、自分の攻撃は利き手である右からの攻撃さえ警戒すれば良いわけで対策しやすくなります。左は下手なので更に対策しやすいです。単純なことですが、利き手と変わらないくらい反対も扱えれば強いのです。恥ずかしながら、私は未だに利き手利き足に頼りきりで、左右平等に扱えないのが悩ましいところです。そうした左右平等に扱えないもどかしさを経験すると、日常生活における「右手有利」な実態が浮かび上がってきました。今、私はパソコンの前でこのブログを書いておりますが、まずキーボードは右手と左手で役割が違います。左右の手で文字を打つのですが、最終的に右手でエンターを押すので右手の作業負担の方が多くなります。更に、マウスも右手で操作しますので圧倒的に左手は楽をしています。もっと日常生活に踏み込むと、改札も切符挿入口、交通系ICは右側です。買い物に出掛ければ、レジ機は店員の右側に置かれています。自分もレジ打ち経験者なので分かりますが、右側にレジ機が無いと非常に操作しづらいです。そして極めつけは文字です。文字は書くのも読むのも左から右へ流していきます。世界中の左利きに多い悩みはこの文字に関することのようで、文字を書くとき、ボールペンだとインクが乾く前に左手が文字に触れてしまい手が汚れるのだそうです。従って、左利きはペンの持ち方が独特なものになるのだそうです。日常動作において文字を書くのが右手スタンダードな社会なので、右利きの自分は気づきませんでしたが、左利きはずっとそうしたストレスにさらされて生きているのだそうで、寿命も右利きより短くなるそうです。以上のそうした生活様式から左右平等に使わない、右利き有利な構造を作ることで人類の9割が右利きになったのだと思います。左右平等に扱える動物と比べて人間の戦う力が劣るのも納得できる気がします。だからこそ、武術において利き手利き足があってはならず、左右平等に扱えるようにならなければなりません。拳一つ繰り出すにしても右手でも左手でも同じ威力、スピードを実現できれば利き手利き足しか使えない相手には一方的に有利に立ち回れるようになります。そもそもですが、武術、戦うことにおいてはより動物的な直観力、反射神経が大事になってくると思っています。そうなると、人間的なままでは戦えません。左右平等に扱えるシンメトリーなスタイルこそが、武術におけるスタンダードなんだと言えるのではないでしょうか。そう考えると、稽古以上に普段の生活スタイルからガラリと変えていかないと定着しそうにありません。今の右手至上主義な生活様式を見ていると、人間は戦う本能を捨てたのだろうか?と、考えてしまいます。無論ですが、平和主義なので戦わなければ戦わないに越したことはありません。しかし、いざという時戦えないのは間違いありません。一歩抜きんでた強さを得るには、稽古以上に自分の生活にもっと気を配ろうと思う、今日この頃です。左右平等な「ニューノーマル」を心がけていきたいと思います。★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
1977年7月、三年生の先輩たちにとって最後の剣道大会が開催された。他校との交流練習試合では、先輩たちはとても強かった。私は優勝すると思っていた。ところが、3回戦で惜しくも負けてしまった。練習では強くても、本番で緊張するあまり実力を発揮出来ないということがあるが、まさにそれだった。私達一年生には、先輩たちの敗北は衝撃的だった。先輩たちは、一学期の終業式後の部活動稽古をもって三年間の中学時代の剣道生活は幕を閉じる。あとは受験勉強だ。最後の稽古の日、私は館園先輩を相手に掛かり稽古をやった。私は全力でかかっていった。館園先輩は、私の勢いが衰えると面の一撃を私に食らわし「もう一本っ」と叫んだ。私は必死にもう一本面を打ち込む。「やっせん、もう一本」力を振り絞ってもう一度打ち込む。「気合いが足りん、もう一本」私は、ありったけの声を張り上げて懸命に打ち込んだ。「気・剣・体が一致しちょらん、もう一本」この頃、福田先生が私達に繰り返し言っていたのが、気・剣・体の一致の重要性である。気とは、気力であり精神、心、気合いにも通じるだろう。剣とは竹刀だが、本来は刀である。刀であれば切れなければ意味がない。確かな剣の振り捌きが重要だ。体とは、力、動作、体捌き、それらが一つになっていなければならない。『気剣体の一致』とは、これらの三つが調和され完全一致した状態のことをいう。この『気剣体の一致』した一撃を、無念無双の境地で成し得ることこそ剣の道をゆく者たちの目指すところであると、福田先生は常日頃そう説いた。私は、精魂を込めて館園先輩の面に向かって一撃を放った。今までで一番良いと思える一打だった。終わった、そう思ったが・・「まだまだ、もう一本っ、気合い!」館園先輩のもう一本は、ひたすら繰り返された。立っていることすらできないほど、フラフラになったが、私が朦朧とすると館園先輩は、面に一撃を加えて喝を入れた。「こらぁっ、油断するなっ!」限界だった・・「真崎っ、根性見みせんかーっ」私は再び竹刀を振り上げて立ち向かっていった。一体どのくらいの時間が経ったのだろう。全てが終わって面を取った時には、頭から湯気が出ていた。「茹で蛸じゃっど、真崎」知花が笑いながら言った。掃除を終えて着替えている時だった。「真崎っ」館園先輩が呼んでいた。私は、また何か怒られるのかと思い、慌てて先輩の元に急いだ。「今日は、わいは、ほんのこち、ようきばったど」(今日お前は本当によく頑張った)怒られるんじゃなかったのか・・えっ今、俺はもしかして褒められたのか?入部して以来、私にとって館園先輩は、とても怖い鬼にしか見えなかった。その鬼が今、褒めたのか・・私はキョトンとしていただろう。館園先輩は私の肩をポンと叩いた。「真崎っ、あとは南中の剣道部を頼んだど」館園先輩は満面の笑顔を私に向けてから去って行った。私は泣きそうになった。明日から、鬼がいなくなるという寂しさと褒められた嬉しさで急に悲しみが込み上げてきたのだ。しかも、あとを頼むってなんなのだ。意味が分からん。私は剣道部で一番下手くそで、幼少から長年剣道をやってきた同級生は部員にたくさんいるというのに。なぜ、俺なんか下手くそのビリッケツにそんなことを館園先輩は言ったのか・・外に出ると、西の空は夕焼け色だった。かすかに噴煙をあげる桜島は紅く染まり始めていた。私はその美しい雄大な姿に見とれた。「帰っど、真崎」知花が後ろから声をかけた。「まだ汗が出てくっど」言いながら、そっと涙を袖でぬぐって歩き出した。以下次回。★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
皆さまこんにちは、竜宮 いかです!大変遅くはなってしまいましたが、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。昔からオブラートにいえばおっちょこちょいな部分が自分の中にあり、よくからだに傷をつけていました。それなのに痛みに耐性も全くなかったので、小さい頃は少しの怪我でもすぐに泣きじゃくってしまうほど弱虫でもありました。よく怪我をしてしまうのは実を言いますと今現在になっても継続しておりまして、ここ最近も足を滑らせて盛大に前のめりにこけたりしてしまいました…笑ただ怪我の認識や捉え方が私の中で以前と違うということに気づいたのです。空手の稽古で組手や宗家の攻撃を受けたりすると、決まって私の受け方が悪く、いつもどこかしらに痣や擦り傷が出来ていました。最初の頃は、手加減していただいてたはずなのに攻撃が当たった部分がものすごく痛くて痛くて『辛い、キツい、しんどい』と半分泣きそうになりながら痛みに耐えていました。その経験が増えていくたびもうやりたくない、痛いのは当たりたくないと考えることもあったりしました。気づけば組手で名前を呼ばれたり、宗家から個別で呼ばれ攻撃を受けるようにと指示を受けるたびに、内心ぎくっとなって自分の中で逃げたいと思うほどに痛みから避けたがるようになっていました。それを宗家は察してか、私にこのようなことを話して下さいました。"何度も何度も攻撃を受ける、もちろん痛いのは当たり前。でもその攻撃を何度も何度も受け続けていくと逆に今度は体の方がどんどん変化していき、頑丈に強くなる。だから耐え忍びその痛みをどう乗り越えていくか、そしてその痛みをどう捉えるか、そうすることでこの痛みへの向き合い方が変わるはずだよ"正直に言いますとはじめはその言葉を素直に飲み込めず、結局痛みを我慢して耐えるしかないのか…と変にネガティブに受け取ってしまい、とても消極的に感じてしまいました。そして何度も何度もからだに傷をつけて稽古を終えるのでした。それからしばらくしての稽古でまた、以前のときのように名前を呼ばれ攻撃を受ける時がありました。なるべくそのままの威力の攻撃を受け止めないように攻撃を受け流す事を意識しつつ、そして受け止めた痛みを痛いで終わらせるのではなく、どうしてその威力で攻撃を受け止められたのか、なぜ痛いと思うことを理解し、それをわかった上であえて攻撃を受け止めるのか、これを考えて攻撃を受け止めてみようと思い立つ瞬間がありました。そして、いざ攻撃を受けたとき、これまでと違う手応えのようなものを感じました。痛い。たしかに痛いしキツいけど、そこまで前ほど痛く感じない。受け止めたあとも次の攻撃に移れるくらいの心のゆとりも感じました。大丈夫、私まだまだ平気だ。そんな言葉が頭に浮かびました。そして稽古が終わり、着替えている時にふと何気なく攻撃を受けたところをさわってみると、気のせいかもしれませんが心なしか以前より皮膚が固くなったような、からだが丈夫になったような感じがしました。その時ハッと上記で書いた宗家の言葉が脳裏をよぎりました。また、その気づきによって自分のからだに少し自信がもてるようになり、受けに対する姿勢も次第に挑もう、つぎはもっと頑張ってみようとポジティブに捉えていけるようになりました。何より、こうした気づきと思考の向上を経験できるような場と機会を与えてくださった宗家や先輩方の愛情をようやく知ることが出来ました。これまで痛みに対してマイナス的なイメージや感覚しか持っていなかったのですが、別の視点から見た痛みに気づきそして知ることが出来た良い機会だったと思いました。この感覚を忘れずにポジティブに何事も捉え、押忍の精神で今後も取り組んでいきたいと思います。今回はここまでとなります。最後まで読んで下さりありがとうございました!それではまた次の記事でお会いしましょう。竜宮 いかでした!★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
林太郎です。新年明けましておめでとうございます。本年も、達真空手共々どうぞよろしくお願い致します。昨年は世界規模での未曾有の年でしたが、今年はそれを遥かに凌ぐようなさらなる激動が予想される一年が始まったのではないかと思わずにはいれません。新型コロナウィルスの猛威は止まるところを知らず、世界中が恐怖と不安に包まれた先行き不安定な状況はまだまだ続きそうな予感がしますし、世界をリードしてきたアメリカにおいては新大統領がようやく就任したものの二大政党が激しく牽制しあって国が分断してしまいそうな雲行きになっています。常にアメリカの影響を受けてきた日本にとっては対岸の火事では済まされない切実な問題に発展するのではないかと危惧してしまいます。そしてアメリカの選挙に呼応するかのように幾つかの国では同時期に内閣が総辞職したという動きがあったようですので、益々、アメリカの動向からは目が離せなくなりそうです。でも、こうしたアメリカを中心とする世界的な動きの影に隠れて広がりつつある問題の一つに自殺があると思います。新型コロナウィルスの拡散がその引き金になっていることは間違いないですが、昨年において一気に加速したステイホームとリモートワークの在り方が直接の原因ではないかと考えています。インターネットを介せば世界と簡単に繋がれる便利な世の中であることをこれまで以上に実感させてくれたのは良かったと思いますし、これからは5G、6Gになることによってもっと便利な世界になるだろうと思います。ですが、その反面、ある一定の距離からは縮まることのない新しいコミュニケーションの在り方によって人と人の繋がりがさらに希薄になるのではないかと思います。すでに実感している方もおられると思いますが、SNSを含むインターネットやLINEなどを介したコミュニケーションでは伝わらないことがあります。お互いが同じ空間にいるのではないために、よほど親しい間柄でもない限りは相手の持つ雰囲気や息遣いなどはあまり分かりませんし、意図的に隠すこともできてしまいます。効率性が重視されるので他愛のない話題に触れることも殆どないと思います。でも、対面でのコミュニケーションには言語では表現されない言葉(ボディランゲージ)があって、お互いのボディランゲージのぶつかり合いによって発展、親密化するコミュニケーションがあると思います。しかしいまの世の中は"密"を避けろという方針ですので、親密になることは許されません。空手の稽古でも、今までは道場でお互いに向き合って相手の気(気配)を読み取ることを自然に訓練されていたはずですが、コロナ禍ではそうしたことが公にはやりにくくなりました。ですから自然な流れとして"密"を避けるようになります。"密"を避けて親密になれるはずがありません。親密に話せる相手がいなければ孤立してしまいますので、自分の本当の気持ちを話せる相手が見出せず、自死という選択をしてしまうのではないかと思います。少し話が飛びますが、サザンオールスターズの古い楽曲の中でこういうフレーズが出てくる曲があります。「互いにギター 鳴らすだけで分かり合えてた ヤツもいたよ♪戻れるならoh in my life again目に浮かぶのはoh better days 」『YaYa〜あの時を忘れない』という曲ですが、懐かしく思い出す方もおられることでしょう。僕はよくカラオケで歌いましたし、下手なギター片手にポロんとやったものです。興味のある方は検索してみてください。この歌詞の中に理想的なコミュニケーションの在り方が描かれていると思うのですが、こういう感覚を経験したことのある人はどれくらいいるでしょうか。ギターを鳴らすだけで、語らずともお互いに分かり合えるわけです。この感覚は僕も経験しました。青春とはそういうものだとも感じていました。でも、例えばいまの大学生は学校に行くこともできず、授業はリモートでこなしています。部活もできません。趣味の合うコミュニティやアルバイトにでも参加していれば身近なコミュニケーションはできますが、そうでなければこうした感覚は身につかないままではないかと思います。そういう人たちがこれからの未来を築いていくのかと思うとゾッとしてしまうのは半世紀を生きた人間の戯言かも知れませんが、寂しくもあります。肌身で感じるコミュニケーションがなければ他人との繋がりを実感し辛いので、他人を他人としか見れないままで、自分に不都合なことがあればいつでも回線をオフにして去ることができてしまうのではないでしょうか。だからこそ、いまこうした事に気づいている僕たちが何か手を打っていかなければいけないと思ったりします。僕は達真空手の道場に通い出して9年目になるのですが、空手の稽古で身につけてきたものは技術だけではなかったと感じています。礼を重んじる武道の世界では縦の関係を大切にしますが、それは力によるものではなく愛によるものだと思います。心身共に強くなるためには厳しい教えに則して自己を鍛錬しなければいけない側面がありますが、蓋を開けてみればそれらは成長を願われた愛から始まるものであることが分かります。そのような環境下で訓練されていると自然に横の関係でも同じような繋がりが継承されていきます。そうやって愛の輪が広がっているのがいまの稽古場の雰囲気ではないかと感じています。一般的な空手に対するイメージは屈強な体や精神や派手な技が特徴的だと思いますが、それ以上に重んじられているのは武道家としての在り方、人格です。人格の中心をなすのは愛情であると認識していますが、日常の中でその愛情を高めるために自分勝手な自己との闘いを制することが、空手における真の技ではないかと思う今日この頃です。こうした訓練の成果をもって世の中に貢献する役割が武道家にはあるのかも知れませんが、その観点からみて、いまの世の中が向かおうとしている方向には違和感を覚えます。前出の『YaYa〜あの時を忘れない』の歌詞では、戻れるならoh in my life again目に浮かぶのはoh better daysと、過去を懐かしんでいますが、でももう元の世界には戻れないと思います。ですから過去を懐かしんでいても仕方がありません。その代わりに新しい世界を創っていこうとしているわけですが、それは自己を中心として孤立を促進させるような世界ではなくて、和をもって尊べるような世界であって欲しいと思います。そう言えばつい最近のことですが、御歳86歳になられるお客様が支払いの時に珍しい旧札を差し出されました。一瞬、おっ?となりましたが、「まだ使えますよね?」というお客様の問いに勿論ですと応えて受け取りました。その旧札に印刷されていたのが聖徳太子だったのです。『第一条 おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ』出典:『日本の名著 聖徳太子』中央公論社聖徳太子の十七条憲法より(現代訳)以上河辺林太郎でした。"富士と菜の花 in 三浦半島" ★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
押忍。赤井です。明けましておめでとうございます。新年もよろしくお願いいたします。日々の稽古を通して、自分だけでなく他の門下生も皆様々な課題に挑戦して稽古に励んでいます。そんな中で、自分含めて皆が稽古での成長を実感するのは「出来ないことが出来るようになってきたとき」なのだと、話を聞いて思いました。単純に、「出来ないこと」というのは言い換えれば苦手とするもので、それが出来るようになったということは苦手を克服したということです。どんな時もですが、苦手が克服されたときは達成感に満ちて、気持ちも明るくなるものです。苦手というのも、その人が育ってきた環境や人間関係などによって様々で生きている限り必ず生まれるものだと思います。自分の好きな漫画に「NARUTO-ナルト-」という忍者漫画があるのですが、考えてみればコンプレックスや苦手とするものを気合と根性で乗り越えていくエピソードが多く、印象的なシーンが沢山あったなと思います。主人公「ナルト」は忍びを育てる学校の生徒で、クラスでも落ちこぼれでした。第1話では基本の忍術分身の術を失敗してクラスのみんなから笑いものにされているシーンもあるほどで、クラスだけでなく里の皆からも笑いの種にされ、迫害されていました。しかし、それでもめげないナルトには夢があり、絶対に里のトップである「火影(ほかげ)」(大統領とか首相みたいなもの)になって皆を見返すという夢があり、夢に向かって走り続ける主人公です。夢のために苦手な忍術も修行して克服し、「影分身の術」という里でも使うことが出来る忍びは限られる忍術を覚えて、持ち前の奇想天外な閃きとド根性で強敵に立ち向かっていきます。そんなナルトが昇級にかかわる試験、「中忍昇段試験」に挑み、クラスメイトと対決するエピソードで、里の天才忍者「ネジ」と戦うことになります。里の落ちこぼれが天才にかなうわけないと誰もが思うのですがナルトは絶対に勝つと諦めません。最終的にナルトは奥義の影分身の術と閃きでネジに勝利するのですが、その時のネジとナルトのやり取りが大好きです。ネジ「とっさに影分身?お前の得意忍術か、うかつだった…」~省略~ナルト「分身の術は、俺の一番苦手な忍術だったんだ…」このセリフの下りが好きで、努力が天才に打ち勝った名場面だと思います。宗家が稽古で仰っていたのですが、「苦手なものほど克服したとき、得意なものになる。そして人に教えるのも上手くなる」と稽古の時に語っておられました。考えてみれば面白いことに、自分の得意なことが他人が出来ないとき、「なぜ出来ないんだろう?」と思い、出来ることが当たり前になってしまっていて、相手の出来ていないところに気づけなくなってしまいます。しかし、苦手を乗り越えている場合、相手が出来ていないときに自分の通過した道でもあるので、より理解しているし、相手の身になって教えてあげることが出来るようになります。きっと宗家にも同じことがあって、同じように努力されたのだろうと、その言葉からは想像に難くありません。そうなると、最初からできる人を超えた力を得るのなら、やはり、出来ないことがあった方が伸び代があるというもので、努力のし甲斐もあると思います。出来ないことも出来るようになる、と期待を込めて努力し続けることがモチベーションに繋がるし、気持ちを明るくし、困難を乗り越えた時の喜びもひとしおです。そうした出来ないことが出来るようになる、ための訓練とプラス思考で何事にも取り組む気持ち作りをするのも、達真空手における稽古の醍醐味なのかなと思います。従って本当に打ち負かすべきは自分の「出来ないという諦めの感情」なのだろうしそれこそが「苦手」というものの正体ではないかと思います。幽霊の正体見たり枯れ尾花、ということわざの通り、結局のところ戦うべき相手は自分の感情なのだと分かれば苦手意識にも抵抗は感じなくなると思います。自分の感情をコントロールし、少しづつでも困難という壁を上り続けていればやがて超えられるものと信じております。一歩一歩、自分の苦手感情を克服し、乗り越えられる1年にしたいと思います。★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
新年あけましておめでとうございます。皆様方におかれましては、新春を晴々しい気持ちでお迎えのこととお慶び申し上げます。さて、昨年はコロナ禍により全世界が未曾有の災難に見舞われました。しかし、こういう時こそ武道家、空手家としての本質が問われると思います。武医同源という言葉がありますが、本来武術と医術は表裏一体です。私は達真空手の宗家でもありますが、だるま整体の宗家でもあります。コロナウィルスとは何か、医学とは何か、医療とは何か、日本にある伝統医学、東洋医学、予防医学、免疫学など様々な視点でコロナ問題を契機に、あらためて私は研究に取り組みました。世界はワクチンさえ完成すれば元の世界に戻ると信じている人々が多数ですが、それは実際には難しいでしょう。ワクチンについて徹底的に調べるほど、ワクチン投与では、未来は暗く悲しい世界がやってくるとしか言わざるを得ません。真の武士道というのは上からの命令に黙って従うのが、本物ではありません。ロボットではないのですから、より最善を尽くすためには自ら主体的に考え行動することが大切です。たとえ、殿様でも間違っていたら、間違いであることをはっきりと直言することが真の家臣であり、武人(侍)です。ですから、私は日本政府や厚生労働省並びに日本の医師会に直言します。コロナワクチン投与は間違っています。ウィルスは酸素に弱く熱にも弱いです。重篤になる前になんらかの疾患を持っているような方には、最初からすぐに酸素吸入をしてみてはどうでしょうか?低酸素血症による重篤な状態になってしまってからでは、酸素吸入も人工呼吸もすでに手遅れのはずです。助かる命も助かる可能性が低くなります。また危険な成分を入れたコロナワクチンを投与しては、ますます人体を死に近づけることになるでしょう。紅茶やお茶がコロナウィルスを無害化することがわかっていたら、なぜこの天然ワクチンとも言える安全な方法を国民にキチンと伝えないのでしょうか?ペストがヨーロッパで流行り人口が半分になった時、生姜はペストの脅威から護る救世主の役割を果たしました。それを記念して、ジンジャークッキーをお祝いなどでも食べるようになりましたが、なぜウィルスに生姜が強いことを正式に発表しないのでしょうか?もし知らないのなら、無知としか言いようがありませんし、もし紅茶や生姜の効能を知っているのに意図的に人々にそれを伝えないのなら何か目的があるのでしょうか?紅茶は、これまでの医学研究により、コロナウィルスだけでなく、インフルエンザウィルスやノロウィルス、O-157など殆どのウィルスに無害化という効果を発揮します。安全な天然由来の食材などを用いることで、免疫力を高めることこそ今、一番大切なのではないでしょうか。国も義務教育をするなら、小学生の時からこのような生きてゆく上で大切なことを教えてほしいものです。利権を中心とし狂った世界を、もう終わらせて欲しいものです。私は、達真空手の門下生には空手だけでなく、生きる術を伝授しています。本年も、世の中の不合理に立ち向かい、決してコロナウィルスをはじめあらゆるウィルスにも負けない強靭な身体と心と魂を門下生たちに訓練して参りたいと思います。以下に生姜紅茶レシピを解説させていただきます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。皆さまにとって希望あふれる一年となりますよう祈っております。2021年 元旦 ☆吉報☆『生姜紅茶(蜂蜜入り)』コロナウィルス対策には、昨年末に奈良医大から発表されましたように、紅茶がコロナウィルスを99.99パーセント無害化いたします。また、ヨーロッパでペストが蔓延した際に救世主となったのが生姜です。生姜はウィルスに強いだけでなく漢方薬の80パーセントに使われるほどの万能薬です。さらに蜂蜜には天然の抗生物質と言われるほど殺菌作用もあり、栄養価も高く免疫力を強化します。三つが合わさることで最高の天然ワクチンが完成です。紅茶は、茶葉やティーバッグなどお湯で入れた物が効果が高く、生姜はパウダー(スーパーやネット販売などを活用)を使用し紅茶に入れ、天然の蜂蜜(安っぽい蜂蜜には水飴を含む物もあり)を小さじ一杯ほど入れて飲みましょう。朝の一杯をそれで飲めば、午後は1〜2回ほど生姜紅茶だけでも飲んだ方が良いかと思います。紅茶を作り置きしてうがいに使用するとさらに効果抜群です。達真空手門下生とその家族たちも実践している蜂蜜入り生姜紅茶で、ぜひ予防対策にご活用ください。 ★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
剣道部を始めてから三ヶ月が過ぎようとしていた。ついに、新品の防具を私は買ってもらった。もう、あの臭い剣道着と防具を身につけなくて済むのだ。私は勉強には全く身が入らず、朝から剣道の部活時間が楽しみで仕方なかった。死ぬほど嫌いだった剣道が、一番大切になっていた。その頃、すでに剣道部の一年生は10人ほどに減っていた。半分以上は辞めていった。言葉は悪いが逃げたという表現が合っている。まるで戦国時代のような雰囲気を醸し出していた南中剣道部に残るのは大変なことだったと今更ながら思う。それほど先輩が怖かった。ただ怖いだけではなく、尊敬出来る立派な先輩たちだった。厳しくはあってもイジメは一切無かった。私達には、三年生の先輩たちが、まるで大学生のように大人びて見えていた。師匠の福田先生になるとさらに雲の上だった。福田先生は体つきはブルースリーそっくりで、顔もほんの少し似ていたがブルースリーの顔よりも甘いマスクをしていた。まさに映画俳優と言われてもおかしくないほどカッコ良かった。ちなみに、007(15作16作)ジェームズ・ボント役ティモシー・ダルトンにも少し似ている。ただ、映画俳優でないことがすぐにわかることがあった。究極の鹿児島弁だったことだ。薩摩弁の中でも、極め付けの薩摩弁と言えるほど薩摩田舎のイントネーションは、筋金入りだった。ボロボロに疲れ果てた部活が終わってからの帰り道、一年生の大将格の中村健一郎がよく言った。「ふっだ先生は、話さんやったらブルース・リーじゃっどん、ひとこと話したらわっぜぇかごんま弁やっどな」健一郎の言葉で、良く大爆笑になったものだ。時代はその頃、空前のブルース・リーズームだったのだ。誰もが、ヌンチャク作りに挑戦していた。手作りヌンチャクで、片方がぶっ飛んでガラスを割った経験がある男たちも少なくないはずだ。余談がすぎた。さて、その日私は新しい道着と防具を付けて、嬉しさいっぱいで稽古に励んでいた。技の稽古が終わり、館園先輩から掛かり稽古の指示が出た。掛かり稽古は、元立ち(受ける側)と掛かり手(打つ側)の二人が一組になって、掛かり手が元立ちに対して全力で面、小手、胴を絶え間なく打ち込む稽古法だ。30秒から1分間ほど休みなく激しく打ち込む稽古を何セットもしていくため、剣道の中でも最も厳しい稽古となる。掛かり稽古の1セット目が終わると体育教官室のドアが空いて福田先生が現れた。福田先生は稽古場の隅の古い応接用椅子にドカンと座った。福田先生が現れると先輩たちの気合いはさらに激しくなる。私は、まだ慣れない竹刀に振り回されながら必死に面、小手、胴を必死に狙い打った。南中で掛かり稽古は、とても重要視していたので時間も長く、何セットもやるために、かなりキツイ稽古だった。5セットを過ぎてからは、竹刀をまともに持てず、立っているのもままならないほど辛くなってきた。それでも先輩たちの勢いは変わらなかった。「やめーっ」そう叫んだのは、福田先生だった。福田先生がゆっくりと近づいて来た。「一年生!わい達がやる掛かり稽古はいっちょん、なっちょらん。そげな稽古は、やっせんど」(一年生、お前たちがやる掛かり稽古は全くなってない。そんな稽古ではダメだ)全力でこっちはやっている。防具を着て激しく動いて必死に竹刀を打ちまくるのは、全力で走るよりも遥かにきつい。こんなに苦しいのは生まれて初めでの経験だ。もう精一杯だった。それが全くダメだ、と言うのか・・・いくら福田先生の言葉でも腹立たしくなってきた。「たっぞん」「はいっ」館園先輩が頭を下げて歩み寄った。「手本を見せっめ」(手本を見せてみなさい)館園先輩は深く頭を下げてから、橋田先輩の前に立ち間合いをとった。二人が、竹刀を抜き正眼の構えになる。この瞬間、空気が変わった。静寂の中に張り詰めた緊張感が漂い始めた。えぃーっその気合いは、私の心臓まで震わせた。ど迫力の気合いと共に打ち出された一撃一撃の技。その打ち込みは、まさしく剣道で理想とする気・剣・体が完全に一致した技だった。受け手の橋田先輩に対して、四方八方から確実に的を得たように館園先輩の技が打ち込まれていく。電光石火の如く、しかもその動きは、まるで蝶が舞うようで芸術的で完璧と言えた。私は感動して鳥肌が立っていた。涙が溢れそうになった。正直美しいと思った。この瞬間、私は剣道を志して良かったと心底確信した。福田先生が、お前たちの掛かり稽古はやっせん、と言った意味が良くわかった。帰り道、剣道部の仲間たちと館園先輩の素晴らしい掛かり稽古の話で持ちきりだった。私は、なぜかこれ以降は掛かり稽古が一番好きになった。いつか自分も館園先輩のような掛かり稽古出来るようになりたい、と憧れた。私は一層稽古に励むようになっていった。以下次回。★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
皆さまこんにちは、竜宮 いかです!達真空手には私の先輩が沢山おります。それはもちろん入門した順番というのもありますが、それ以外にも理由があります。それは生きてきた時間です。私の周りにはこれまで生きてきた人生の時間が、私の生きてきた時間より多い方達が圧倒的におられます。年を取れば若い頃より出来ないことが増えていくとよく聞きます。体力も衰え、思考力も低下し、どんどん自分一人では出来ることが限られていく、と仕事先の先輩や親戚の叔父叔母に言われたこともありました。ですが、達真空手に来られる先輩方はとてもパワフルで活気に満ちており、実際の年齢層よりも若々しくエネルギッシュに見えました。また、時には先輩方のパワーとエネルギーでこちら側がパワーや元気を分け与えてもらえていると感じるほど満ち溢れていました。そしてもうひとつ先輩からは、並々ならぬ意欲的に貪欲に挑み続ける意志の強さも感じられました。諦めてへこたれることなくむしろ立ち向かい挑戦していく姿は、私も見習い、そして学び、負けないように必死に食らいつくくらいの気持ちでいかなければ!と思わされる程でした。なぜ、突然この事を皆さまにお伝えしたのかといいますと、それは私の日常の中のとある疑問と気づきが発端でした。以下発端となった方のお話になります。長くなりますがご了承くださいませ。私は普段接客業の仕事をしていますが、接客の仕方も時代と共に変化していき、デジタル化に伴い注文の方法も大幅に変わりました。私のところでは、以前ですとお客様の注文を席の方へ行ってお客様から直接聞き、聞いた注文を手打ちで一つ一つこちら側で入力し、そして最後に入力したものを確認して送信するのが主流でした。それが今ではタブレットが導入されデジタルメニューになり、お客様自身に画面をタッチして注文を入力していただき、そして注文が中の厨房の方にそのまま送信されるといったものに変わりました。そうすることで回転率が上がり、効率もよくなりメリットと感じる部分が多くありました。ですが今回この記事を書く発端となったものは、メリットではなくデメリットに感じる部分に関係していました。それはなにかと言いますと、『操作方法が分からず注文するのを諦めてしまう人が多い』という所でした。ボタンで呼ばれお客様の席へ向かうと、第一声目に「申し訳ないけどこういうの全くわからない、だから変わりにやってほしい」と伝えられました。これは特にご年配の方から言われることが多いのですが、時々中年の方や稀に若い人にですら言われたこともありました。中には面倒だから帰ると言って注文をしていかずに帰ってしまう人もいました。確かに、画面の文字は小さく、どう進めるのか、どうメニューを見るのか、項目の変え方はどうするのか、変更はどうしたらいいのか、どうしたら注文が入るのか、など機械の操作がわからない人であれば難しいと思う点が多くありました。(手間だと感じるのもあったと思います)私は機械が苦手で、そうした部分の気持ちがとてもわかりました。従業員の私でさえ、わからないと思うところがあったりもするので仕方がないことなのだとも思いました。それに目が悪かったり手がうまく動かせなかったりといったことも重なっていたのにも原因はあると思います。それでも中にはご年配の方でも意欲的に「操作方法がわからないのだけど教えてもらえる?」と仰って下さる方もいて、そうした方にはなるべく分かりやすく、理解が出来るようにとゆっくり丁寧に操作方法をお伝えしました。そうするとそうした対応のあとのお客様の反応にも違いがありました。すべて任せちゃってごめんなさいと悲しそうにする人、理解をしてすっきりしてはつらつと元気に感謝を伝えてくる人がいました。後者の方からはとてもきらきらとしたエネルギーを感じ、説明してよかった、なんだかその笑顔とエネルギーで元気をもらえたと感じたりしました。そうした様々な対応をしているうちにふと感じたことがありました。年齢に関係なく、"出来ないからわかりたい"と思う人と"わからないから出来ない"という考えの人にわかれていたということでした。問題に対してどう捉え、どう取り組むのか、そうした問題に対する姿勢の違いからくる結果のエネルギーがこちら側にも伝わってきているのだと思いました。そしてそれは説明をし終えたあとの私の心とからだに影響していました。最後まで丁寧に説明してもやっぱり無理、年だからわからない、もう来ないと言われてしまうとどっと疲れと空しさが充満しました。ですがその逆になるほどこれで次はもう大丈夫、もうすこしで理解しそうだから次こそは覚える、ありがとうと言われるととてもすっきりし、充実さで心が満ちていきからだも軽く感じました。これを感じたとき私はなぜか推手と組手が頭に浮かびました。恐らくですが、推手でお互いが練り上げていくエネルギーの空間やエネルギーの受け渡しそして一体感、また組手をし終えたあとの充実さと爽快感にこの感覚が似ていたことから浮かんだのではないかと思いました。ひとつの目的に向かって一緒に真剣に取り組み、自分の持ち得る知識と経験でどう対応するべきか、次にくる行動や言動にはどの方法を選択し対応するべきか、そうした自分が思っていたよりも複雑な道を辿っていたためにそのように心とからだに変化と影響が出てきているのではないかとも思いました。これは空手でも通ずる所なのではないかと考えました。己を鍛えるために一緒に真剣に取り組み、自分の知識と経験で相手にどう立ち向かうか、次くる一手はどの動きか、そしてそれを受け流しつつ自分の攻撃を相手にいれるにはどう対応すべきか、そうした考えが体だけではなく内側の精神や思考の鍛練にもなっていたのではないか。そんな風に仕事をしながら頭のなかで考えておりました。これは私のただの偏見ではありますが、そうした複雑な思考の道を何度も何度も経験した人ほど、エネルギーに満ちており、とてもいきいきとして若々しいのではないかと感じました。余談ですが、気のせいかもしれませんが、"出来ないからわかりたい"という反応をされたご年配の方は姿勢がよかったり、杖をついている人がほとんどいなかったように思いました。それはそうした思考の鍛練を普段から行っているためそれによってその他にも影響していき、からだの鍛練にも自然と繋がっていくのかと思いました。そのような人生の先輩方の姿勢とエネルギーを見習いつつ、そして"年だから"、"わからないから"と自分に負けないようにいつまでも鍛練を重ねていきたいと思います。長くなりましたが今回はここまでとなります。最後まで読んで下さりありがとうございました!それではまた次の記事でお会いしましょう。竜宮 いかでした!★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半(金曜日の だるま体操 夜6時半〜8時も参加出来ます)入会金10000円 月謝5000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝4000円)※道着代・保険代は別途稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~17:00)※定休日:木曜日・日曜日
林太郎です。ご覧くださり、ありがとうございます。【80%】この数字は、あくまでも私感ですが、僕が組手の時に視力に頼っていた割合を表すと大体こんな感じになっていたと思います。自分が組手をするときも、また、諸先輩方の組手を見学するときも同じような割合で"見ること"に頼っていたように思います。いま現在はこの数字がすこし減ってきて平均して50%くらいではないかと思っているのですが、その日のコンディションによってバラつきがあるのと、組手の前におこなう『力禅(りきぜん)』の集中具合によっても変わります。視力に頼らない分は何に頼っているかという事については、察しの良い方ならお分かりかと思いますが、それについては後で触れたいと思います。いま考えてみますと、視力にばかり頼っていたときは組手の相手の全体(全身)が見えておらず、相手の腕や足の動きにばかり向けて視線が忙しく動いていたように思いますし、相手の誘い(フェイント)に簡単に乗せられてしまっていました。結果として自分の動きが大きくなり、無駄な動きも増え、攻撃を受けてしまう確率も高かったと思います。でも、視力に頼るのを辞めた途端に自分の動きが変わり相手の攻撃を受ける確率も減りました。特に面白いと感じたのは、相手がフェイントを仕掛けようとしている時などは相手の意図が分かるので、相手の動きに乗せられて自分が手を出すことがなくなった事です。こういう状態と言いますかモードになっているときには、相手がどのタイミングで攻撃してくるかも何となく分かっていて体が勝手に反応しているようなこともあるように思います。そしてこういう感覚で組手ができたときというのは、何かとても気持ちがよく、組手を終えた後には爽快感に包まれるような、そんな感覚になることもありました。このような組手がいつも出来るわけではないのですが、確実に言えることは、視力以外のものに意識を集中させることによってスウィッチが入るということです。それが何なのかについてはあくまでも僕なりの答えになりますが、それは相手の"氣"であり"気配"ではないかと考えています。相手が無心でない限りは攻撃の前には必ず思考が介在するはずですが、"気配"というのは恐らくその思考に関係しているのではないかと思います。「気配を消す」と言いますが、それはもしかすると思考をなくす事と同じ事なのではないかと思ったりします。相手の"気配"に集中することは、相手が実際に腕や足を動かして攻撃を繰り出すよりも早く相手の意図を察知するので、結果として攻撃をかわし易くなるのだと思います。そして恐らくですが、"氣"というものに意識を集中することによって身体の無駄な力が抜けて自然な動きとなるので、それが心地良さや爽快感に繋がってくるのではないかと考えています。こうした感覚というのは実際に組手をしてみないと得られないものではないかと思うのですが、聞くところによると組手を採り入れていない空手道場もあるそうです。そんな話を耳にすると、達真空手で組手をさせていただけることはとても有り難いことだと思います。でも、その組手の基礎となるのは達真空手の場合は『力禅』です。『力禅』を通じて脱力の感覚を養いますが、脱力の感覚が養われていくのに比例して"気配"を感じ取る感覚も増していくように思います。『力禅』は組手に繋がるだけではなく、日常生活においても危険回避に繋がる素晴らしい稽古法になっていると思いますし、様々な感覚を養うのにも良い稽古法ではないかと思っています。以上河辺林太郎でした。 ★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
押忍。赤井です。いつもブログをご覧いただきありがとうございます。ご唱和ください!我の名を!ウルトラマンゼェェェェット!!はい、最近「ウルトラマンZ」を観始めました。面白くてハマっています。実はウルトラマンZ、宇宙拳法を使う戦士で、主人公ハルキが変身し戦うのですがハルキも空手の達人で、「ストレイジ」という特殊部隊の隊員で彼だけ返事が「了解」ではなく「押忍!!」というところに共感しています(笑)さて、なんで今ウルトラマン?と思われるかもしれませんが、今回のウルトラマンから少し特別なものを感じたからです。自分が幼い頃、ウルトラマンのビデオがありそれを繰り返し観ていた記憶があります。その時に観ていたのが「帰ってきたウルトラマン」そして「ウルトラマンA」でした。実はウルトラマン、観たことのない人は分からないかもしれませんが、重厚な設定、そして非常に道徳倫理の深い話が多く、作品を通してのメッセージ性が強いことを大人になって見返してみると改めて感じるのです。基本的にシリーズで続いている作品というのは時代に合わせて作品のコンセプトが見直されたりし、シリーズ初期に込められたメッセージと後期に作られた作品でメッセージが変化してしまうというのは少なからずあり、ファンの間では古参ファンと新規ファンの間で論争が勃発することは珍しくありません。しかし、その作品コンセプトの大筋を変えることなく50年以上続けていくことは決して容易ではなく、また実際に続けている「ウルトラマン」というシリーズは非常に素晴らしい作品だと思うのです。自分が幼い頃観ていた作品も例外は無く、今回触れたいのは「ウルトラマンA(エース)」にあります。ウルトラマンAはシリーズ4作目の作品で初期の作品にあたります。幼い頃の自分にはウルトラマンがただただカッコいいという印象しか持っていなかったのですが、それでも最終話でウルトラマンAが残した最後の言葉はとても印象深く記憶に残っています。「優しさを失わないでくれ。弱いものをいたわり、互いに助け合い、どこの国の人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようと。それが私の最後の願いだ」その言葉を残してウルトラマンAは宇宙の彼方へと帰っていきます。この作品でウルトラマンAが戦い続けた相手、ヤプール人は非常に狡猾で怪獣を超える力を持つ超獣を生み出し、その力を使って人類の心を操りウルトラマンAの信用を失わせることで地球を侵略しようと目論みました。まんまとヤプール人の罠によって、ウルトラマンAである北斗は人からの信頼を失ってしまう。そこで残された決断は人々の前でウルトラマンに変身し理解をしてもらう他にないという事態になってしまいます。そして北斗はウルトラマンAであることを明かし、最後の変身(自分の正体がバレると二度と人間の状態になれなくなる)をし、超獣と戦い、無事勝利を収めたのです。先にあげたメッセージがその時最後に残した言葉でした。コロナ禍で人同士の分断が引き起こされている昨今において非常に刺さる言葉だなと思います。恐怖と混乱が続く中、求められるのは支え合う気持ちであり、人同士の優しさであると私は言葉通り感じます。さて、前置き話をウルトラマンZに戻しますが実は最近のウルトラマンZでなんとウルトラマンAが再登場したのです。実はその回でウルトラマンZの名前の由来が明かされます。実はウルトラマンZという名前はウルトラマンAがつけたものであり、「Zは地球では最後という意味を持っている。この宇宙から争いを無くし平和をもたらす最後の勇者となれ」という願いのもとつけられた名前だったのです。優しさと正義の心を持って戦うウルトラマン、本当の強さは強い心。ウルトラマンAの北斗はどんなに人々から嘘つき呼ばわりされても決して見放さず、戦い続けたのも心の強さと優しさを持っていたからだと思います。そのAからZへ託された想い、押忍の精神で戦うZ…。武の強さを力ではなく心においている達真空手と無関係では無い!!と思った次第です。自分も押忍の精神とウルトラマンのメッセージを心に稽古に励んで行こうと思いました。⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎宣伝告知⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎この度、達真空手の道を歩む俳優たちが、初の映画デビューを果たした。短編映画『告白』第二話である。第一話は、ビデオドラマになるが、第二話は映画として制作された。米国アカデミー賞公認の国際ショートフィルムコンテストに出品も決まった。先駆けて、YouTubeにて公開することになったので、ぜひご覧頂ければ幸いです。真崎 明。↓↓↓↓↓↓↓以下写真クリックで動画ページへ飛びます↓↓↓↓↓↓↓https://youtu.be/A-KQsyHEVbg【短編映画】『告白』~第二話~【劇団真怪魚】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆待望の続編、ついに完成!!☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 劇団真怪魚 初のドラマ作品『告白』の公開から半年、コロナウィルスの影響を容赦なく受けて続編の撮影は困難が付き纏い、ようやく完成に漕ぎ着けました。 『告白』第2話は短編映画として制作され、国際ショートフィルムコンテストにも出品予...youtu.be★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
『俳優たるもの武道家たれ』これは、私が武の道を歩み始めた頃からの信念である。近年特に増えている芸能人の麻薬犯罪を始めとした不祥事問題。不安やストレスから麻薬に手が出てしまうのか・・酒に溺れるほど飲まなければ寂しさを紛らわすことができないのか・・己の名誉と地位を守ために他者の命を軽んじてしまうのか・・有名人だから、社会が目を瞑ってくれるなんてことはない。むしろ、社会的な制裁は一般人以上に厳しいかもしれない。映画が公開されなくなったりCMや番組が放映出来なくなったり、商品のイメージが悪くなったり、その関係者には膨大な被害が及んでしまう。賠償金はとんでもない額になるだろう。また、ファンや親族も、どれほどの辛い苦しみや悲しみに打ちひしがれるだろうか。俳優という存在は、時に政治家よりも民衆に影響を与える力があると私は思う。それゆえに、常日頃から己を厳しく律さなければならない、と最近の芸能人不祥事報道を見るたびに思う。子供の頃から役者稼業に憧れた私は、中学時代にはそういう考えが生まれていた。中学生で初の映画作りをする一方で、剣道部では日々稽古鍛錬に励んでいたことによる影響だったのだろう。私のこの考えは40年以上の歳月が流れても変わらない。だから今、我が劇団真怪魚の劇団員は全員が空手の稽古を通して武の道をも歩ませている。一般的な俳優養成所や劇団とは違い、本格的な空手を学ばせている。つまり、空手衣を着用して稽古に参加、昇級昇段試験も当然ながら受けてもらう。利点は多い。発声が上達し、役者として必要な身体の動きからアクションまでこなせるようになる。礼節が備わり、強靭な精神力を養うと同時に博愛の心を育てる。また、ストレスを解消させ、エネルギーをチャージ出来るために、麻薬以上の効果がある。武の道を真剣に歩んでいる人なら、誰でもこの内容には賛同出来るはずである。だから、『俳優たるもの武道家たれ』なのだ。この度、達真空手の道を歩む俳優たちが、初の映画デビューを果たした。短編映画『告白』第二話である。第一話は、ビデオドラマになるが、第二話は映画として制作された。米国アカデミー賞公認の国際ショートフィルムコンテストに出品も決まった。先駆けて、YouTubeにて公開することになったので、ぜひご覧頂ければ幸いです。真崎 明。↓↓↓↓↓↓↓以下写真クリックで動画ページへ飛びます↓↓↓↓↓↓↓https://youtu.be/A-KQsyHEVbg【短編映画】『告白』~第二話~【劇団真怪魚】☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆待望の続編、ついに完成!!☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 劇団真怪魚 初のドラマ作品『告白』の公開から半年、コロナウィルスの影響を容赦なく受けて続編の撮影は困難が付き纏い、ようやく完成に漕ぎ着けました。 『告白』第2話は短編映画として制作され、国際ショートフィルムコンテストにも出品予...youtu.be ★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日
皆さまこんにちは、竜宮 いかです!先輩方と組手をしている最中、その度に思う疑問がありました。相手に攻撃をいれるタイミングや反撃の仕方はどうやっているのだろう?ということでした。この書き方だとアバウトでいまいちピンと来ないかもしれません。ただこの時の私は自分が相手へ攻撃をするときの防御の意識、またその逆で相手が攻撃をしてきつつ防御をしているときにどう反撃をするべきなのか、意識の低さも合間ってよく理解出来ておりませんでした。この時点での私は、相手に攻撃をされたらただ防御に徹する、相手が防御していたら拳を入れる、という風になんの工夫も捻りもないワンパターンの攻防ばかりでした。しかも相手は自分よりも力がある相手ですので、防御に徹していると攻撃ばかりもらってしまい、更には自分の攻撃はワンパターンのため全て防御されてしまいます。その上私自身の攻撃の威力も弱いので相手の鋼のような防御にむしろこちら側が体力を削られてしまい、当然のようにどんどん持続力や体力の差が生まれてしまいました。自分より力も持続力も威力も対処法も上の相手にどう対応すればいいのか?それが今の私の課題のひとつとなりました。どれだけ自分では攻撃をいれているようでも、それは他から見れば何一つ変わっておらず今まで同様ワンパターンでしかないため、相手からすれば"この動きをこれからしますので次は私のここに隙が出来るのでここに攻撃を入れてください"と導いているようにしかなっておりませんでした。そして攻撃に意識が向きすぎてしまい、その結果逆に防御が疎かになり相手にとっては格好の餌食といわんばかりに隙だらけで全く稽古にならない相手になってしまっていたのです。どうすれば自分より上の相手に劣ることなくむしろ反撃して食らいついていけるのか、自分の中でうまく答えが見つからず悩んでおりました。そんなとき、それを見ていた宗家が2つ私にアドバイスを下さいました。それは何かと言いますと、相手の攻撃をしている時が反撃のチャンスだということ、そして"その隙にどれだけ相手の倍の数の攻撃を入れつつ防御を崩さずにいられるか"ここがポイントになるということでした。そのアドバイスを意識して先輩と組手を再度試みてました。(相手が攻撃をしてきた時がチャンス……でも攻撃を仕掛けられていても防御は崩さないこと…そしてなによりワンパターンにならないように、その隙にたくさん様々な方法で相手に攻撃を入れること…)それを何度も頭の中で繰り返し強く意識して相手に集中しました。すると不思議と相手が攻撃をしてきた時に相手のどこに隙が出来ているか、なんとなく感じ取ることが出来たのです。(あれ、今上半身側に攻撃が集中しているから防御を崩さずに相手の足側に攻撃を入れれば相手のリズムを崩せるのではないか…?)こんなニュアンスの感覚が瞬間的に頭によぎったのです。そして答えに至る前に体を動かし、相手に蹴りを入れました。すると少し先輩の攻撃の手が緩んだように感じました。(分かりやすくそのように先輩がして下さったのかもしれませんが)その瞬間を逃さず私は反撃の手を更に撃ち込みました。ワンパターンではなく、ひたすらに拳を入れ続けたり、間に蹴りを取り入れてみたり、違う角度から違う技を撃ち込んでみたり、相手が私に攻撃を入れてくる隙を与えないように、そしてなるべく防御の姿勢も崩さないように自分なりに意識して動きました。するとアドバイスを受ける前より自分の中で感じる痛みや相手の威圧感、体力の消耗感が抑えられたように感じたのです。そして、なんとなく疲労感というよりも達成感のようなすっきりとした感覚が自分のなかに広がっていたように思いました。この時ようやく(あぁ、相手と組手をする、拳を交える、稽古をするってこういうことの連続なんだな…)と理解することができました。この経験とアドバイスを忘れることなく次に活かして更なる進化を遂げ、そして実力差があるからといって臆することなくむしろ相手に食らいついていく精神で諦めることなく今後も取り組みたいと思いました。今回はここまでとなります。最後まで読んで下さりありがとうございました!それではまた次の記事でお会いしましょう。竜宮 いかでした!★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半(金曜日の だるま体操 夜6時半〜8時も参加出来ます)入会金10000円 月謝5000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝4000円)※道着代・保険代は別途稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~17:00)※定休日:木曜日・日曜日
林太郎です。脱力と「爆力(ばくりき)」を意識した技のスピードを追求しようとするあまり、技の正確性が疎かになっていることを指摘され、宗家より『スピード追求禁止令』が発令されています。これは、以前に発令された『攻撃禁止令』に次いで2度目の禁止令となります。そのため基本技や型の稽古は全て「動力禅(どうりきぜん)」のゆっくりとした動きでおこなうようになったのですが、ここへ来てあらためて基本の大切さを感じています。正確な技というのは、技を構成する一つひとつのパーツ(拳、腕や肘や足の角度など)が正確にできている必要がありますし、それらのパーツが体軸を中心として一体化した動きにならなければ成立しません。しかしこれらの基礎の基礎となるものは「力禅(りきぜん)」の稽古によって生み出される低重心や体軸や脱力であることを、いまあらためて感じています。「力禅」によって得られる体感覚があってこそ拳の握りに余計な力が入らず、且つ、大地にへばり付いた足の裏からの力が体の内側を通って拳に伝わってくる感覚が得られます。「力禅」が疎かになっている状態で技を出しても、それは表面的でとても軽い、逆に言えば重みを伴わない技になってしまうように思います。こうした感覚に気付けるのも、スピードを追求することを止めて技の正確性に意識を向けるようになったからだと思うのですが、宗家の一言がなければこうしたことを忘れたまま表面的な技を追求して、結果的には基本から掛け離れた空手をすることになってしまうだろうと思います。ですから、こうして適切な指導を受けられることはとても有り難いことだと思いますし、達真空手に入門して8年目になりますが、伝統を継承していくということがどういうことなのか?それは簡単なことではないということをしみじみと感じています。基本の拳の握り方でさえまだできていないというのに、それを出来ているつもりになって慢心して自分自身を顧みることをしないでいると、いつの間にか違う方向に行ってしまうのです。「これで良いのか?大丈夫だろうか?」という疑問を常に自分に投げかける習慣を付けていかないと、どこかで突然落とし穴にハマってしまうということに成り兼ねません。これはビジネスにおいても、どんなことにおいても当てはまることだと思います。常に向上していく気持ちを絶やすことなく自分自身に対して謙虚な姿勢を持ち続けられるようで在りたいと思います。以上。河辺林太郎でした。箱根仙石原にて撮影 ★こちらもご覧ください【動画・達真空手演武〜日本刀VS空手〜】https://m.youtube.com/watch?v=X2cSlqip8T4※ブログランキングに挑戦しています。記事がよかったらクリックお願いします《入会は随時募集しています》ー 稽古日 ー毎週月曜日夜7時〜9時半 金曜日夜6時半〜8時【金曜は、だるま体操&達真空手の基礎稽古になります】入会金10000円 月謝7000円(高校以上学生 入会金5000円 月謝5000円)※道着代・保険代は別途かかります。 稽古場 だるま堂療術院★達真空手 本部★東京都調布市菊野台1-13-6 トービル柴崎2-2F だるま堂内TEL.042-446-1511(10:00~16:00)※定休日:木曜日・日曜日