1977年7月、三年生の先輩たちにとって最後の剣道大会が開催された。
他校との交流練習試合では、先輩たちはとても強かった。
私は優勝すると思っていた。
ところが、3回戦で惜しくも負けてしまった。
練習では強くても、本番で緊張するあまり実力を発揮出来ないということがあるが、まさにそれだった。
私達一年生には、先輩たちの敗北は衝撃的だった。
先輩たちは、一学期の終業式後の部活動稽古をもって三年間の中学時代の剣道生活は幕を閉じる。
あとは受験勉強だ。
最後の稽古の日、私は館園先輩を相手に掛かり稽古をやった。
私は全力でかかっていった。
館園先輩は、私の勢いが衰えると面の一撃を私に食らわし「もう一本っ」と叫んだ。
私は必死にもう一本面を打ち込む。
「やっせん、もう一本」
力を振り絞ってもう一度打ち込む。
「気合いが足りん、もう一本」
私は、ありったけの声を張り上げて懸命に打ち込んだ。
「気・剣・体が一致しちょらん、もう一本」
この頃、福田先生が私達に繰り返し言っていたのが、気・剣・体の一致の重要性である。
気とは、気力であり精神、心、気合いにも通じるだろう。
剣とは竹刀だが、本来は刀である。
刀であれば切れなければ意味がない。確かな剣の振り捌きが重要だ。
体とは、力、動作、体捌き、それらが一つになっていなければならない。
『気剣体の一致』とは、これらの三つが調和され完全一致した状態のことをいう。
この『気剣体の一致』した一撃を、無念無双の境地で成し得ることこそ剣の道をゆく者たちの目指すところであると、福田先生は常日頃そう説いた。
私は、精魂を込めて館園先輩の面に向かって一撃を放った。
今までで一番良いと思える一打だった。
終わった、そう思ったが・・
「まだまだ、もう一本っ、気合い!」
館園先輩のもう一本は、ひたすら繰り返された。
立っていることすらできないほど、フラフラになったが、私が朦朧とすると館園先輩は、面に一撃を加えて喝を入れた。
「こらぁっ、油断するなっ!」
限界だった・・
「真崎っ、根性見みせんかーっ」
私は再び竹刀を振り上げて立ち向かっていった。
一体どのくらいの時間が経ったのだろう。全てが終わって面を取った時には、頭から湯気が出ていた。
「茹で蛸じゃっど、真崎」
知花が笑いながら言った。
掃除を終えて着替えている時だった。
「真崎っ」
館園先輩が呼んでいた。
私は、また何か怒られるのかと思い、慌てて先輩の元に急いだ。
「今日は、わいは、ほんのこち、ようきばったど
」(今日お前は本当によく頑張った)
怒られるんじゃなかったのか・・えっ今、俺はもしかして褒められたのか?
入部して以来、私にとって館園先輩は、とても怖い鬼にしか見えなかった。
その鬼が今、褒めたのか・・
私はキョトンとしていただろう。
館園先輩は私の肩をポンと叩いた。
「真崎っ、あとは南中の剣道部を頼んだど」
館園先輩は満面の笑顔を私に向けてから去って行った。
私は泣きそうになった。
明日から、鬼がいなくなるという寂しさと褒められた嬉しさで急に悲しみが込み上げてきたのだ。
しかも、あとを頼むってなんなのだ。
意味が分からん。
私は剣道部で一番下手くそで、幼少から長年剣道をやってきた同級生は部員にたくさんいるというのに。
なぜ、俺なんか下手くそのビリッケツにそんなことを館園先輩は言ったのか・・
外に出ると、西の空は夕焼け色だった。
かすかに噴煙をあげる桜島は紅く染まり始めていた。
私はその美しい雄大な姿に見とれた。
「帰っど、真崎」
知花が後ろから声をかけた。
「まだ汗が出てくっど」
言いながら、そっと涙を袖でぬぐって歩き出した。
以下次回。
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