神と人の関係 | だるまんブログ

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生きる知恵である陰陽五行についてだるまんと語るブログ。『だるまんの陰陽五行』(三冬社)より発行。

 かの小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の書いた『仏の畑の落穂』という本(平井呈一.訳)の中に『生き神様』という小編があります。そこに以下のような一節があります。

 

「かりに、わたくしがもし神になったとしたら、わたくしの住むところは、まず小人のすみかほどの、ごく小さなところであろう。

しかし、神となった以上は、わたくしにはもう、きまった大きさもなければ形もないはずであるから、どんな場所だって、狭くて住めないということはないはずだ。わたくしはただ振動にすぎない。エーテルか磁気のような、目に見えない、ただの振動にしかすぎないのだ。もっとも、自分で姿を現わしたいとおもう時には、いつなんどきでも、もとの姿に似た影になって現われることはできるが。

  空飛ぶ烏、水くぐる魚、それにも似て、わたくしの霊は、どんな物体をも潜りぬけることができる。

 わたくしは心のままに、自分のすみかの壁をくぐりぬけて、日光の黄金風呂のなかを泳ぎまわることもできるし、花の芯のなかに恍惚と身をしびれさすこともできるし、あるいはまた、トンボの背に乗って、スイスイ飛びまわることもできるのだ。

  生と死を越えた神通の力。これこそば、神なるわたくしのものだ。自分をどんな大きさにもできる力、また、自分をどんな数にもふやすことのできる力、また、自分をどんなところにも同時に通在させることのできる力、これも神なるわたくしのものだ。

  わたくしは一どに百の家庭でわたくしを拝んでくれる声を聞くこともできるし、百粁の家の供物の気を同時に扱うこともできるし、百の家庭の神棚にあるわたくしの席から、赤い土器や真鍮の油皿にともされる灯明を見ることもできる。この灯明こそは、浄い油をついで、浄い火でともされる、みたま神の御灯だ。

 わたくしは山のふもとの自分の社で、それよりももっと大きな尊崇を受ける。

 わたくしは自分の社のなかで、わたくしの無数の分身を随時に呼びあつめる。

 そして、参詣者の祈願にこたえてやるために、私の力を統合する。

 さて、そうやって、わたくしが自分の御霊屋の薄暗がりのなかで、わらじをはいた足がやってくるのを待っていると、やがてのことに、日に焼けたしなやかな指が、誓いのしるしの紙を、わたくしの社の格子戸の桟に結びつけているのが見え、参詣人のくちびるが動いて、祈願を唱えているのが見える。」

 

これを読んでどう思われますでしょうか。憧れの日本にやってきたハーン(後に帰化して小泉八雲となる)がここかしこの村の自然に溶け込んだ祠や人々の自然な姿の信仰に感動した姿が目に浮かびます。そして本来の「人と神の関係」が、異国に生まれ異国の信仰のもとに育ったはずの彼の目を通して、その真髄に目覚めているのがわかります。

 

陰陽五行の世界観では、人の一生(低我…「木」「土」「水」)と神の一生(高我…「火」「金」「木」)が一体となってそれぞれがペアとなって高め合っていく姿が浮き彫りになっています。

人は神の命令のままに生きている奴隷のような存在だというイメージを持っていませんか?神の気分のままに祟りすら受けてしまう合われな生き物と思っていませんか?逆に、神とは人がどれだけ望んでも放置しているような無慈悲な存在だと思っていませんか?どれだけ悪人が跋扈して社会を悪くしてしまっても無視するということは神という存在は居ない証拠だと思っていませんか?

 

私たち人間がもともと持っているこの世界の原則のひとつに「陰陽」があります。男と女、昼と夜、親と子…などなどすべてがまずこの原則の上に成り立っています。そしてこの陰陽は常に流転しており、影響しあっているのです。

この観点を持つ以上、神という目に見えない存在は、人と陰陽の関係にあるのだと理解できると思います。

しかし、あまりにも理不尽なことの多いこの世界ではこの観点を忘れがちになるのです。

西洋の唯物的世界観の中で育った八雲には、あまりにも自然な観点を持つ日本人が眩しく写ったに違い有りません。

 

今の時代、一般市民である我々にとっても、あまりにもひどい状況が続いています。あれほどの地震被害が出ている能登地方に対して国は何もせず、その上、援助すべきお金を自分の懐に入れたり他国の援助に使ったりしている政治家を見て腹立たしく思うことしかできないのでしょうか?こんな状況で自分の生活のことだけを思っている自分が情けなくならないでしょうか?

また、怪しげな注射を推進する人々、嘘八百を並べて自分の利益のためだけに邁進する人々、そんな人々の中にあって他人を信用することが難しいと諦めてしまってはいないでしょうか?

 

陰陽五行研究科としての私に言えることは、こんな時代は時代の末期(「土」時代の末期)にあるがゆえの「見えやすくなった現実」であり、こういうタイミングこそ神(高我)との協力が必要だと言うことです。

なにも「神頼みをしろ」と言ってるわけではありません。しかし「神頼み」に近いかもしれません。

というのは、現代人は神と人の共通言語に気づいていないからです。

共通言語とは智慧と波動です。

人と神が協力関係にあるということを知るための智慧と

物質的な波動に染まっている現代人を高い波動に上げる習慣です。

 

こういったことを以下の講座でお話する予定です。

 

▶ 5月26日(日)『霊的世界の階梯と現実のステージ』 ※後日映像配信あります

 場所 横浜駅東口 崎陽軒ビル6F会議室

 会費  5000円(税込み)

 時間  午前11時~午後1時

 

▶【特別講座(仙台) 五行で観る「霊魂」「神々」「日本酒」】 ※後日映像配信あります

2024.6.28(金) 1600~18:00 鹽竈神社と仙台の話(限定8名)

2024.6.29(土)  9:30~12:00 「思い」のあり方で始まる人生

         13:00~16:00「思い」の修正で終わる人生と神々との関係 

2024.6.30(日) 鹽竈神社参拝

場所

2024.6.28(金) BIZcomfort仙台クリスロード 

         〒980-0021 宮城県仙台市青葉区中央2-2-30 日興ビル3F・4F

     https://bizcomfort.jp/miyagi/sendai-clisroad.html

2024.6.29(土) 山口ビル会議室A

〒980-0811 仙台市青葉区一番町一丁目1番31号

   TEL:022-211-9030    http://yamaguchi-bld.jp

受講料 2024.6.28(金) 15:00~16:00  3000円(税込み)

    2024.6.29(土)  午前9:30~12:00       7000円(税込み)

    2024.6.29(土)   午後13:00~16:00      7000円(税込み)

 

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        もしくは メール daruman@mac.com までお便りください。