『君の名は』と『だるまんの陰陽五行』 | だるまんブログ

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生きる知恵である陰陽五行についてだるまんと語るブログ。『だるまんの陰陽五行』(三冬社)より発行。

昨日、やっと話題の映画『君の名は』を見てきました。一度見てきた家内に連れられて家内は二度目、私は最初の鑑賞です。

実に、「陰陽」の分離、和合をテーマにした映画でした。上っ面ではなく、どっぷりとこのテーマに浸った映画で見応えがありました。

ある方が「『君の名は』は『だるまんの陰陽五行』とも通じるものがあると思うからぜひ見て!」とも言っていたのですが、本当にそのとおりで、むしろ私としては「勝手に兄弟分!」とさせて頂きたい位の感銘を受けました。

なんで兄弟分と言えるのかというと、以下のとおりです。

①テーマが陰陽(『だるまんの陰陽五行』では陰陽と五行ですが…)

②世に出たのが同じタイミング(2016年晩夏で『だるまんの陰陽五行』正編シリーズの最終巻と同じタイミング)

③マンガで描かれるということ

④互いの半身である男女が登場する

 

さて気になる内容ですが、まだ見てない方もいるでしょうからネタバレにならない程度にお話するのですが、「陰陽」の伏線だらけで物語が進みます。

大きなテーマは『陰陽の分離ゆえの苦しみはどう克服されるか…』ということなると思います。

これは男女という陰陽はもちろん、現代と過去、過去と未来、地球と彗星、彗星の二分割、受精卵の二分割、神に捧げる半身(口噛み酒)…、など多く登場します。

陰と陽は互いに互いを含みあい、同時に心底から相まみえることはない関係です。たとえば昼と夜は互いの背面にありつつ、それが相まみえるのは夕暮れと朝焼けのタイミングだけ。映画の中でも夕暮れ時を「黄昏(誰ぞ彼)」という形で陰陽の出会いで説明しています。

 

まず地球にティアマトという彗星がぶつかるとはどういうことでしょうか?ティアマトとはメソポタミア神話に出てくる地母神で、息子マルドクによって悪神として殺されバラバラにされます。その結果世界が二分化され、私たちの住む世界(すべてが陰陽というふたつのものから成る相対化の世界)が出来上がったというものです。

私たちの住む陰陽の世界とはこのことからも、二つに別れ、互いがその半身を見出すことのない辛い世界だという意味なのです。

 

しかし、この辛さは克服できるのです。キーワードは「次元転換」です。次元というとSFの世界と思いきや、日常ふつうに起きていることなのです。たとえば同じ世界を眺めてみても自分の意識次第でどうにでも変わります。暗い気持ちで眺めるのと明るい気持ちで眺めるのでは印象が変わります。印象が変わると行動が変わります。そしてもしあなたが核のスイッチを持っているとしたらどうでしょう。世界は壊滅にもなるし楽園にもなるのです。

映画の中では「次元転換」のスイッチは「口噛み酒」という形で現れます。三葉ちゃんのおばあちゃんはこれは「神さまに捧げる半身」だと言っていますが、まさにそれだと理解できます。その酒を捧げる神の居場所は宮水神社の奥の院でした。そしてそこはまるで死火山の噴火口跡のようなドーナツ型のくぼみの真ん中の湿地帯でした。これは和歌山県の熊野神社の本宮の昔の姿にも似ています(『だるまんの陰陽五行』「金」の章142話参照)。つまりは女性の陰部の象徴です。そうです。地母神の陰部であり、形のないものから形のあるものがやってくる(出産の象徴)ところなのです。だからこそ、まさに次元を転換する、時間をも越えることのできる場であり、ツールでもあることがわかると思います。

 

結果として、あい出会わぬものが出会うのです。「黄昏(誰ぞ彼)」時にほんの一時、ふたりは出会うという憎い演出です。しかし出会わぬ者の宿命として、互いに互いの名前も存在も忘れ去ってしまうのです。

 

『だるまんの陰陽五行』の中では、この一連の流れを「土」から「水」への進化の中で語っています(「水」の章前編後編)。「土」とは地面なので、この現実を示しています。つまりは陰陽に分離されたこの世界です。そしてそれは蟻地獄のような穴を作って私たちを呑み込み、私たちを陰陽の迷妄へと陥れています。言い換えると地母神の悪魔的な側面です。この「呑みこむ」という現象から「すべてを呑みこむ蛇」の連想が広がり、地母神ティアマトは蛇の姿で描かれることも多いのです。しかし地母神は悪ではないのです。悪といえる側面を試練として私たちに与えているということなのです。これを乗り越えていけということなのです。まさにスパルタ的な「親」なのです。

 

乗り越えるとは、ティアマトの息子のように反乱を起こして親殺しをすることではく、「悪と見えるものも自分と理解して受け入れろ!」ということなのです。

視えなくなった半身(視えていない陰陽の半身)を打ち消すのではなく、求め、受け入れろというメッセージがここに込められています。

これができたとき、人は「土」を卒業して「水」へと進むのです。

『だるまんの陰陽五行』の中では男である皆本クンが女である真子ちゃんを受け入れることになり、『君の名は』では三葉ちゃんと滝くんが求めあい、受け入れいていくことに相当します。ここには多くの苦しみも存在することも確かなのですが、その結果として次元が転換されて、新しい現実が目の前に展開されていくことになります。この現実はすでに次元が上がっているので、五行では「水」の時代と表現するわけです。

 

今私たちの居る現実とも見事にリンクしています。映画の中で彗星の落ちた2013年はまさに一般的に「反転」のタイミングだったときで、私も含めて、多くの方々にショッキングな出来事が会った時です。三葉ちゃんと滝くんのタイムラグは三年なので、これが2016年とリンクすることもまさに現実のとおり。世界的にも「反転」の結果が今、現れています(英国のEU離脱やトランプ当選など)。今、まさに次元転換の時を迎えています。

『君の名は』も『だるまんの陰陽五行』も、今という時代をどう生きるか、その意味と方法について語っているのです。

 

画像は、映画館にあった監督のサイン入りポスターです。