ある意味ロックな、劇団四季『ジーザス』@京都(1) | Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

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稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

 

唐十郎さんが亡くなって、俺は悲しい。少なくとも、俺はね。

なので(?)劇団四季『ジーザスクライスト・スーパースター』のエルサレム・バージョンを京都劇場で観てきました。

 

先ずはお天気話的に、枕。

曇天の本日は、「降るのか降らないのか、雨!」状態。いちおう折りたたみ傘を持参したものの、ほんのちょっぴりポツポツきたのは宝塚に帰り着いた16時過ぎ。傘など要らんかったですね。

 

低賃金労働者の自分は少しでも交通費を節約せむと、劇場がJR京都駅にあるにもかかわらず、ほぼほぼ阪急で出動。烏丸からのんびり歩く。

仏光寺通の郵便局のATMで金を補充し、少し下がって ー 京都では南下するのを〝下がる〝といいます ー ファミマの前でゆっくりエンタ(煙草)。さてそろそろ行きますか。

ここで気づいたのは、ファミマとセブンばっかりで、あの辺ローソンが皆無なこと。そして、めっちゃ混んでる清水・東山方面や、西の嵐山・嵯峨方面ではなく、仏光寺通といふいわば裏通り(?)のあたりでも、外人さん率が高かったこと。あと、元は商店だったと思しき古い小ちゃなお家が、たくさん空き家になっていたこと。

地方都市には空き家がめっさ多いけど、京都のど真ん中でも一本脇に入ると同じなのね。。。

 

眉間に皺を寄せ、白ふちの色つき眼鏡。パトリック・コックスの真っ赤な英国Tシャツにブッ太い黒ベルト・ロンドンデニムの黒ジーパンといふ、殆どヤクザの俺ながら、そんなことを思いました。

英国ヤクザ?

 

開演は13時。ところがワタクシ、1時間間違えて家を出たので時間が余りまくった。四条烏丸からJR京都駅まではだいたい1.3㎞。人間の歩行速度は平均4㎞/Hであるから、ふつうに歩くと30分ほどで着く計算。

烏丸通りをぐんぐん下がると東本願寺のでっかい伽藍が。京都劇場まで、もうすぐ。うーん、でも開演までまだ早いなぁ。

 

仕方がないので、どこぞでもう一服。ところが京都駅近辺てば、煙草を吸うと直ちに逮捕拘禁、シベリア送りつーじゃないですか。

合法的にエンタを吹かせる場所を探して延々と。なんなら橋を渡って南口、都ホテルのあたりまで。

それで約20分経過。豈図らんや、ちゃんと北口に喫煙場所があったわけだが。

 

宝塚、なんなら吉本でもミュージカル(?)といえば所用時間は3Hが基本。宝塚の場合、1部の芝居が1.5H、休憩挟んで2部のショーが1H弱といふ仕組みになっており、はあ、劇団四季を観るのは10数年ぶりだが確か似たような構成だったはず。

短い休憩時間の間のため、いかにエンタ場所を確保するかがわたしのような者にとっては勝負っちゃ勝負。要は後顧の憂いを排除して、それだけ舞台に集中したいぜ。的な。

 

開演10分前。周知のとおり劇団四季のシステムは、宝塚のスターシステムとは真逆で当日その場でキャストが発表される。ゆえに、先ずそれをチェックせねばならない。

本日のキャストは、

 

・ジーザスが神永氏

・イスカリオテのユダが佐久間氏

・マグダラのマリアは守山ちひろ氏

・カヤパは例の、高井治さん

・カヤパの養父アンナスに吉賀陶馬ワイスさん

・司祭はこれまた例の佐野正幸さん、そして中橋耕平・真田司の各氏

・シモンが大森瑞樹氏

・ペテロは辻雄飛さん

・ピラトが山田充人氏

・ヘロデ王に北澤祐輔さん

 

そんな感じ。

 

実は今回、またもやブロ友兄ィのご厚意で観劇するに至ったもの。で、事前に兄さんおっしゃるには

 

「ジーザスが神永さん、ユダが佐久間さん。カヤパが高井さんだったら🎯ですぜ」

 

マジすか!

 

3分の2の確率で、ワタクシ当選。まことに寿である✌️

 

そろそろ本題。

🔳本作の便覧、つーか概要

神の教えを述べ伝え、民を癒して奇跡を起こしたジーザスも、さすがにぼちぼち疲れてきた。弟子のユダはそんなジーザス見るにつけ「さて、これは一発彼を重荷から解き放ってやろうかしらん」。そこでイスカリオテのユダは、あろうことかジーザスをカヤパ、ヘロデ王、ピラトら権力者に売り渡す。

ジーザスは、兎にも角にも人気があって、権力者には煙たい存在。この思惑とユダの(曲がった)愛情が一致を見、ジーザスは逮捕拘禁・十字架刑に処せられる。本作は、その最後の15日間を描いた作品である。

 

🔳履歴

作曲はご存知ALW(アンドリュー・ロイド=ウェーバー)。そして作詞はティム・ライスといふゴールデンコンビ。71年、ブロードウェイにて初演。次いでウエストエンド@ロンドンにて約8年にわたるロングラン。

我が国初は劇団四季の1973年。鹿賀丈史のブレイク作品でもある。

※ 余談だが、自分が本作を知ったのは74年ごろ、クラプトン&イヴォンヌ・エリマンで。

マグダラのマリアを演じたイヴォンヌ・エリマンは、この曲で有名。

 

 

🔳感想

 

1、良かったところ

劇団四季の特長は、キャストによって波がないといふ点。いかな演者であろうとも、ボーカリストやダンサーだろうがその品質は、一定している。

ここが他のカンパニーとの大きな違い。劇団四季のOBOGが多い、This Is音楽座にも通ずる点。

ゆえに今日のキャストも実力は折り紙つき。

 

冒頭出てくるユダ役の佐久間さん。まろやか的に懐疑を表し、一転でっかいボーカルで、ジーザスへの愛を語る。愛するがゆえの懐疑である。

次いでジーザス登場。神永東吾のジーザスは、ユダの「動」に対して「静」の香り。やわらかく透き通った歌唱で観客に肩の力を抜かせる。ただし歌っているのはむしろ、絶望に近い。

 

民の期待を一身に集め、くたびれちゃったジーザス氏。マグダラのマリア(ちひろさん)が彼の髪に香油を塗りつつ、氏を癒す。

◆Everything's Alright 。まぁ、香油を塗ってると思いねぇ。

 

 

守山ちひろ氏のボーカルは、神永氏以上に透き通ってやわらかい。『ジーザスー』は地の台詞がなく歌唱で全てを表すから、筋はもちろん感情の起伏をこんな具合に表現してくれるのが有難い。

 

。。。

 

なんか疲れちゃったので、続きは後日(えっ?)