寒い日の過ごし方を教えて!
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先日つっても3ヶ月前ではあるが。。。
立春を過ぎてだいぶ経つのに微妙に寒い。
今年は近年稀にみる暖冬だそうだ。確かに昨年より過ごしやすいし、実際、エアコン代(電気料金)が去年の約半分で済んでいる。
それでも寄る年波か、はたまた酒を飲んでいるせいか。。。
※ お酒を飲むと、ひとまず温くなるけど後で寒くなりますよね。
ご下問に答えると、屋内でも厚着して、熱い文学や熱い音を聴くとイイですよ。
文学は、これをば数十年ぶりに再読中。
人間の自由とは何か。本書が表しているのはこれだけじゃないけど、最も来るのは「自由について」。
自由といっても、政治的経済的の自由ではない。原罪と密接に絡んでいて、つまり、キリスト教がわからないとピンと来ないかも知れない。
アダムとエヴァ(イヴ)がサタンの誘惑により禁断の木の実を食べてから、人間は歴代、生まれながらに罪を背負ったとされる。いわば罪とは犯罪云々ではなく、罪を持たぬ神が、せっかくご自身に似せて人間を造られたのに、嗚呼。といふ罪。
さらに、「食うな」という神の命令に叛いた。この二重の意味で罪を背負った。
次に自由意志の問題。
1、そもそも人間には、〝あれをしてこれをしない〝といふ自由意志がある。← 第一の自由
2、いかに原罪を持つ人間とは言い条、そこで後天的に(?)、あなたは罪を重ねますか重ねませんか。← 「罪を犯さない、という自由」=第二の自由
自由とは、アウグスティヌス的には斯くなる構造と相成る。
※ 4月のAugustって、アウグスティヌスが語源じゃないかしら。マスターズをやるオーガスタも。
もともと原罪があるところへもってきて、キリスト=イエスの十字架によって人間は罪を贖われた。ではイエスが「むかしいまし、今いまし」の神ならば、罪を重ねても赦されるんじゃね?
そう考える向きに対してパウロはこう答えている。
「それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうしてその中に生きていられるでしょうか」
(ローマ書 6章1-2)
ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』では、次男イワンが、幼児虐待をはじめエグいほど罪を羅列する。サタンの側についた大審問官は、罪を以て、人間を自由という重荷から解放したと主張する。
まず極端にアンチテーゼを呈示して、物語全体でアウフヘーベンする ー ドストエフスキーがポリフォニック(多声的)と言われる所以である ー のだが、どうしてもキリスト教は避けて通れない。
・・・ポリフォニックも何も、ドストエフスキーの登場人物はとにかくめちゃくちゃ喋るんだが😅
まあ、熱いスよ。
熱い音は次の三曲。
◆トム・ジョーンズ ー Kiss(プリンスのカヴァー)
◆綺麗なチャンねーがいっぱい出てくる、Seal ー The Right Life
屋敷豪太が叩きまくってドライヴ増し増し、シンプリーレッドは92年モントルーのテイク。
◆Something Got Me Started
ーーー
ほーら、温くなってきた🫠