明治5年11月12日太政官布告第339号(大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件)をもって文官と非役有位者の大礼服を含む服制が規定され、明治5年11月29日太政官布告第373号 (大礼服及通常礼服著用日ノ件) により着用規定が定められた。大礼服は当時ヨーロッパ宮廷での最上級正装として使用されていた宮廷制服(Court uniform)に倣って新たに定められた。

 

 第339号布告では、これらの大礼服に対して現代の正装であるホワイトタイの燕尾服が通常礼服とされた。通常礼服は小礼服とも呼ばれ、民間人などの大礼服が制定されていない者はこれを正装とした。そして、通常服はフロックコートであった。太政官布告で「大礼服並上下一般通常礼服ヲ定メ、衣冠ヲ祭服トナシ、直垂、直衣、裃等ヲ廃ス」として和服は祭事のみで、洋服が正式になっています。

 

 しかし、この礼服は未だ下級官吏まで十分に行き渡っていなかったため、新たに1877年(明治10年)9月18日の太政官達により、判任官以下は羽織・袴(紋付)を礼服(大礼服・中礼服・小礼服)の代用とすることが定められました。

 

 これが現存する和服の礼装の始まりです。

 

 この大礼服・中礼服・小礼服に対応するため、紋の数を定めて大礼服=五つ紋・中礼服=三つ紋・小礼服=一つ紋として、当てはめ現在の紋の数の由来となっています。

 

 

 あーーーーーーーーー! めっちゃスッキリした。

 

 『日本風俗史事典』 日本風俗史学会 弘文堂 1994年 p.505

 

購入元:ヤフオク
購入額:★★★★☆
 
 何気なくみていたら面白そうな茶杓がありました。
 
 なになに
 
「聖徳太子古戦場勝軍寺境内菩提樹にて作之
            観心寺 真状」
 
 と書いてあるようです。
 観心寺というのは河内長野にある寺で、真言宗の寺院。弘法大師や楠木正成、後村上天皇に縁ある寺のようです。

 

 

 勝軍寺は大聖勝軍寺というのが正式名称で、大阪府八尾市にある真言宗の寺院。こちらは聖徳太子が物部守屋と戦った古戦場にある寺で、聖徳太子を守った椋の木の伝説があります。

 

 

 この大聖勝軍寺の境内に一願不動尊というのがあり、その前に菩提樹があります。その菩提樹の一枝からつくられたのがこの茶杓です。

 

 観心寺の修行僧が大聖勝軍寺に行った際に、枝を貰って削った茶杓ということでしょうか。

 

 菩提樹というのは、日本における印度菩提樹(インドボダイジュ)の代用樹で、小葉科木(コバシナノキ)と言います。これは印度菩提樹が中国では育たない(熱帯性植物のため)ために、似たような植物である小葉科木を栄西が日本に持ってきたと言われます。

 

 栄西と聞くとなにやら茶道がらみに感じてしまうのは、茶道家の悪い癖ですw

 

 無憂樹(釈尊誕生の木)・沙羅双樹(釈尊入滅の木)と合わせて、釈尊悟得の木として仏教の三大聖樹とされます(本当は印度菩提樹ですが)。

 

 ちなみに沙羅双樹も日本では「夏椿(ナツツバキ)」を代用樹として植えています。

 

茶杓の形はやや右に傾いた感じのつくりで、真形ではあります(節づくりがない)。
 
反り腰で、ややカーブが深いので、拝見に出す際は転がりそうなので横向きに出したいところですね。
 
 問題は銘の「夕寿ゝみ」。
 
 これは「ゆうすずみ(夕涼み)」のことだと思われますが、由来が全く分からない。
 
 菩提樹の下でうたた寝していたんだから、夕涼みじゃなくて昼寝とか転寝なら分かるんですけどねぇ。
 
藤原有家の「夕すずみ 閨へもいらぬ うたた寝の夢をのこしてあくるしののめ」という和歌を引けばいいのかも知れません。

 一願不動尊の前の菩提樹ということで、不動明王にちなんだ銘に変えてもいいかとは思います。
 
 夕涼みには不動明王の祀られた寺が選ばれることもあるからなんでしょうかねぇ。
 
 しばらくは晩夏の茶杓としてそのままの銘で使いますが、いつかしっくり来る銘を付けたいものです。

 本日は旧暦十二月十七日。二十四節気の第一、立春です。

 暦の上では春。

 二十四節気では新年を迎えたことになります。旧暦とはまだずれがありますが、立春を迎えると干支が変わることになります。

 また、厄年なども本来は立春を過ぎてからということになり、古い風習の残る地域では、これから厄払いが始まります。

 今年も閏月の関係で、年内立春(旧暦12月の内に立春を迎えること)となります。これはだいたい半分ぐらいの割合で新年立春(新暦1月前半の内に立春を迎えること)となります。稀に、朔旦立春(旧暦元日に立春を迎えること)となりますが、三十年に一度ぐらいの割合で非常に縁起の良い日とされます。

 立春は、雑節の八十八夜、二百十日、二百二十日の起点となっている季節の分かれ目です。

 大寒がようやく過ぎ、空気が湿り気を帯びてくるため、関東などでは雪が降りやすくなり、「二月のドカ雪」があったりします。梅の花がほころび始め、徐々に暖かくなる季節ではありますが、残寒や余寒といって、まだまだ寒さがのこるのもこの時期の特徴です。

 寒中見舞いは節分までとなり、立春已後は「余寒見舞い」となります。余寒見舞いは雨水(2月下旬)前までですので、年賀状や寒中見舞いを出しそびれていた方は、余寒見舞いをお出しになることをお勧めします。

 この時期の掛軸としては「寒梅著花未」や「梅自発清香」、「渓梅一朶花」など「梅」を詠んだ句が好まれますでしょうか。花を主題にしたものは、この時期よりもっと後になってからが似合いますね♪

 本日は旧暦十二月十六日、節分です。

 

 節分というと「豆まき」というイメージでしょうか。「鬼は外、福は内」と叫びながら、入り大豆(福豆)を撒くと厄が払われるという行事ですね。

 実は、節分とは四立(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、「季節を分ける」という意味です。現在では特に立春の前日のことだけを指すようになりました。

 節分が2月3日なのは、現在立春がだいたい2月4日だからであり、2月3日とはかぎりません。2月2日~2月4日の間を行ったり来たりする感じになります。

 ちなみに、節分では、「鬼」という字のつく名字の家や地域では「鬼も内」というそうです。

 また、鬼(酒呑童子)退治で有名な渡辺綱の子孫ということで渡辺の姓の家では豆まきをしないのだとか。鬼が寄り付かないんだそうです♪

 大寒の最終日にあたる節分。
 年の数だけ豆を食べて、元気をつけまっしょい♪

 節分にふさわしい掛軸というと、やはり「竹有上下節」「安分以養福」でしょうかね。そして「不苦者有智. 遠仁者疎道」がベストでしょう!
 
 これは「ふくわうち・おにはそと」と読みながらも「苦しまざる者は智有り・仁に遠き者は道に疎し」とも読むことが出来る言葉です。これは江戸時代に儒学者が考えた語呂合わせだそうです。私はこれが欲しいです!(笑)

 Threadsの着物論争もそろそろ落ち着きましたかね。

 

 土日すごい数のスレが乱立していました。

 

 この中で気づいたのは呉服屋さんのよく言うセリフで「訪問着はフォーマルになる」という言葉。

 

 これが問題だったのではないかと感じました。

 

 これは「紋を付ければ」という言葉が省かれていますが、間違いではありません。

 

 しかし、「紋を付けなくてもそのままなる」と自分の都合のいいように勘違いした人たちが大量発生しました。

 

 これが「訪問着は無紋でもフォーマル」の大間違いの原因だと思われますね。

 

 そもそも、これは呉服屋さんの言葉が間違いです。

 

 というのは、一つ紋を付けてもなれるのは「平服」で、洋装の「インフォーマル(=略礼装)」に当たります。

 

 これについては前に書きましたこちらの記事を御覧ください。

 

 

 

  結論からいえば、インフォーマルは「礼装(フォーマル)ではありません」。インフォーマルの「イン」は「否定」の接頭辞だからです。

 

 フォーマルではないがカジュアルでもないからこその「平服」なんです。

 

 つまり、呉服屋さんは売るときに「訪問着は紋を付ければ、インフォーマルにも、フォーマルにもなる格の高い着物です。そのままでも洒落着としては最上格ですよ」と言わなければいけなかった。

 

 それだけのこと。

 

 先の記事とこの記事でいいたいのは、「紋付きが礼装・平服と普段着・洒落着の区分け」であるということであって、全員がこれを絶対に守れ!ではないです。

 

 そもそも、ドレスコードを指定するのは主催者。参加者ではないんですね。参加者は、主催者のドレスコードに従えば良い。

 

 それと、礼装は自己主張不要なので、何の目的で着るのかを今一度考えて欲しいです。

 

 それと、式典のグレードや主催者の意図によっては礼装が不要なこともあります。

 

 ただし、どんな場面でも、式典とつけば、一つ紋は場違いじゃないです(場違いだと思う人がいたらその人の感覚が変)。

 

 三つ紋だと礼装になりますが、一つ紋は平服ですから、かしこまりすぎてはいない。

 

 デートだとちょっとかしこまって高級レストランにでもエスコートしてくれるの?案件ですがw