

チリ打ちとは、【塵打ち】。
つまり、帛紗についた塵を払うための所作ですが、何故するのか疑問に思ったことはありませんか?
本来、帛紗は清らかなもので、使い終われば、羽根で浄め、綺麗にしておくべきもので、点前座で道具を浄めるために使います。
では塵打ちを何故行うのか?長年疑問に思っていましたが、いろいろな説に腑に落ちぬものを感じていました。
様々な流派を見ていますと、帛紗を腰から前に持ってきて広げたあと、右手で吊ったまま、左手を無造作に離す流派があり、これを「帛紗を落とす」と言っていることを知りました。
また、上田宗箇流さんなどでは、右手でとった帛紗を左膝に広げで「落とす」と称されることを知りました。また、藪内さんでは「帛紗に武器を隠していないことを示す」そうです。
そして、ツイ友さんから貴重な情報を得ました。なんでも畳に落とす流派があるとのこと。
そこで前に書物で読んだ「武野紹鷗は左の袖から懐中していた帛紗を出していた」という話を組み合わせると……なるほど、古流では、本来腰につけず、懐中していた帛紗を袖から取り出し、一度畳に落としてから帛紗を用いるため、塵打ちをしていたのだと考えられる訳です。
これならば、塵打ちの意味が明瞭になります。
これが略されて「片手だけになった」り、「左側に開くだけになった」り、「縦にして摘むだけになった」リト変化したのだろうと言うことも見えて来ました。
これらは懐中から出すのではなく、最初から腰に付けて出るように合理化されたことから派生した変化であると考えると、利休が改めたとはいえ、それ以前から茶坊主(同朋衆ら)がしていたことなのではないかと思います。
一手、この古法、点前でやってみたいと思います。
今日は旧暦九月十三日、十三夜です。
これは「後の月」や「後の名月」と呼ばれる催しです。この「後の名月」は日本独自の風習で、一説には宇多法皇が、九月十三夜の月を愛で「無双」と称したことに因んで、醍醐天皇が延喜十九年に観月の宴を催し、これが風習化したものだと言われています。
十五夜は芋を供えることが多いことから「芋名月」などと呼ばれ、十三夜は栗や豆を供えることから「栗名月」や「豆名月」と呼ばれています。
また、江戸時代の遊里(遊郭)では、十五夜と十三夜の両方を祝い、どちらか片方の月見しかしない客は「片月見」または「片見月」で縁起が悪いと遊女らに嫌われました。これは二度目の通いを確実に行うための誘い文句で、十五夜に有力な客を誘って十三夜にも通わせるという風習だったといいます。験を担ぐ傾向が強い江戸時代ならではの風習ですね^^
十三夜は満月に届かぬ月になりますので、欠けたのではなく、これから満ちる不完全さを愛でるということで、日本人らしい名月かと思います♪
この十三夜こそ、「掬水月在手」の軸が相応しいと思います。
不昧公は瓢(ふくべ)花入を吊りで用いたという。
あんなでっかいものを?!と私も思ったんですが、この不昧公好の瓢花入の実物が全く見当たらないんですね。
ほんと、どこかの出版社は自分の流派のことばっかりじゃなくて、こうした「過去の偉人の好みものを集めた図鑑とか出してほしい」よなぁ~と思います。
それはさておき、今回色々瓢花入を探してみたのですが、本当に千差万別。
小さいものから大きな物まで、色々ありすぎて困りましたが一番は「作家が見当たらない」こと。
探し出したのは栃木県の「ふくべ洞」さん
そしてこのふくべ洞さんの製品を通販しているのがこちら「手仕事専科」さん
こちらに、オリジナルで吊りの瓢花入を頼むとどのぐらい掛かるか?をお尋ねしました。
制作期間も合わせてどのぐらい必要なのかも聞かないといけませんね。
瓢は形も色々あると思うので、一回、現地で打ち合わせとかしないといけないのかもしれませんが。ちょっとだけワクワクしています。
