この記事で、内穂が「村田珠光の指示で鷹山宗砌が工夫をしたもの」であると書きましたが、こうであるならば、「中茶」の存在が脚光を浴びるのではないか?と考えました。
天目では、現在のようなドロっとした濃茶を喫(の)むのに向いていないんです。
点てるのも難しい。
天目では煉るのが難易度高いですからね。
そして内穂もないとなると、もっとサラサラで、抹茶の量が多い薄茶と濃茶の中間である「中茶」がぴったりとなります。
これは何を表しているかというと、濃茶は珠光が生み出した可能性があるということです。
珠光は天目ではない侘びた唐物茶盌で点てるために内穂のある茶筅を生み出させた訳ですが、これが実は中茶より濃い、濃茶を生み出したのではないか?という推論です。
道具が変われば、点て方も変わる。
点て方が変われば、点てる物も変わるのではないか?
こういうことは考えても埒が明かないことではあるのですけれども、愉しいんですよね。
