旧暦十二月十三日は織田有楽斎の命日です。

 織田有楽斎というのは、織田長益といい、織田信長の弟です。亡くなったのは元和七年十二月十三日。


 有楽流・貞置流の流祖であり、利休十哲の一人でもあり、台子伝授の一人でもあります。

 洒落者の信長の弟らしく、最初は南蛮数寄だったようですが、秀吉の禁教令以後は南蛮数寄をピタリと辞め、侘びすぎず、華美すぎず、中庸の茶を進んだと言われます。ただし、織部と似た感性を持っていたのか、有名な有楽の茶杓は、奇抜な形をしています (茶杓「玉ぶりぶり」は節裏が段差になっています)。削った茶杓は下がり節が多いとのこと。

 有楽が受けた台子伝授は古い方の台子だったようで、有楽流・貞置流の奥秘は四段といわれています(極真三段に乱れ一段)。これはそもそもの有楽の茶の湯の師である平手政秀が東山流の茶の湯を嗜んでいたからであるようです。

 有楽で挙げるとすれば、如庵と有楽井戸(大井戸茶盌)でしょうか。棚物では台目構えの自在棚。


 ちなみに如庵は有楽斎の庵号でもあります。庵号が庵名として残ったという方がただしいでしょうか。

 
 それと東京の有楽町(ゆうらくちょう)は有楽斎の名前から新しく生まれた地名です。

 有楽の残した言葉で有名なのは「それ茶の湯は客をもてなす道理を本意とする也(茶道織有伝)」でしょうか。

 有楽忌には是非、有楽井戸で一服如何?

 大島紬を卒園式に着ていきたい!というスレから発展してThreadsの着物クラスタが盛り上がってます。

 

 多種多様な意見がある中で、私はいつもの「礼装は本来法令で定めたもの。勝手に変えていいものじゃないんです。紋付き以外は礼装じゃありません」というスタンス。

 

 私のブログをいつもご覧の方は「ああ、曲斎さんまたやってる」と思われるでしょうが、はい。またやってますw

 

 そもそも、五つ紋の黒付羽織袴が正装となったのは、御前会議に五つ紋の黒紋付羽織袴で出ることが許されたからです。

 

 それまでは、五つ紋の黒紋付羽織袴は「武士のブラックスーツ」で、町を歩くものでしたし、登城して裃に着替えるまでの平服です。

 

 女性もこれに準じて黒紋付(現在喪服とされているもの)が正装とされ、後に同格であった留袖も正装となりますが、留袖が霽(は)れの着物であるのに対し、黒紋付が霽れと褻(け)どちらでも着られるため、留袖が霽れ、黒紋付が褻として定着してしまいました。

 

 別に霽れの場に女性が黒紋付着てもいいんですけどね。

 

 女性の羽織は明治に入って幕府が倒れたことから、幕府の禁令を無視して流行したもので、これは元々、花街の花魁が旦那(特定の方)の羽織を貰って手付きであることを示すという風習から起こったものであるため、礼装としてはふさわしくないのですが、奢侈禁止令が発布された際に出兵している旦那の羽織をはおって礼装代わりにしたものが定着したと言われます。

 

 大学の卒業式などで定番の女性の袴も、大河ドラマ「八重の桜」で有名になった「鵺スタイル」が定着したもので、跡見学園が制服として指定したことから学生の場合、礼装に準じるものとして受け入れられました(学生は制服が礼装になるので)。

 

 さて、式典というものは「紋付き」が最低ラインです。

 

 何故?

 

 着物というのは、「家紋によって身分と身許を明らかにすることで相手に対して敬意を示す」というものであるからです。

 

 この数によって、その重みが変わるとされています。

 

 このあたり、フォーマルの意味を考えれば分かりますが、紋は先に準備しておかないといけないもので、「相手にとっては紋がついていればきちんと調えて来た」ことが分かるものです。

 

 こうしたものを取り揃えることが、「きちんとした家である証」になるからこその、紋付きな訳です。

 

 こういうことを言っていると「時代が違う」とか「今どきねー」なんて言う人も居ますが、最初に言った通り、「礼装は本来法令で定めるべきものであり、それが改められていない以上、それに基づくもの」と考えます。

 

 勿論、地域的な約束事(町方で三つ紋を正装とするとか、奄美大島で大島紬を正装とするとか)は別の話です。ローカルルールはローカルルールに任せましょう。

 

 ですが、基準となるものは法令に基づかなければならない。

 

 大日本帝国では洋装についてきちんと法令で定めています。また、宮中の儀式については、伝統衣裳を用いることとなっています。

 

 定めがないのは、和装だけなんです。

 

 そこで、明治の最初に御前会議で許された(天皇陛下の前ですから、神前と同じです)和装を正装と考えた訳です。

 

 江戸時代だと、身分等々で色々違ってしまうので、全国統一で基準と出来たのがここだったわけです。

 

 それ以後、新しい和装の服飾令はでていません。

 

 つまり、そこを基にするしかないんです。

 

 礼装を簡略化したい!という熱意があるなら、政府に法令を定めてもらうよう運動を起こしたら良いと思いますよ。勝手に崩して論争を起こすより。

 

 また、私は礼装を崩すような人は、式典に着物を着ていかない方が良いと思ってます。

 

 普段着だけでいいじゃないですか。

 普段着は自由ですよ。何やっても好き嫌いでしか物は言われません。

 

 礼装でそれをやると「表立っては何も言われなくても裏で『あの人見た? ねぇ~?』なんて言われる」んですよ。

 

 表立って言われなければいい?

 

 それ、自己満足のためですよね?

 

 そもそも、そこから違います。礼装というのは、「主役を祝福するため」「主催者に敬意を表すため」の召し物です。そうした心を他人に見せるための装いです。

 

 自分のためにするのはお洒落着までにしといてください。

 

基礎工事少し進みました。
型を作った所にコンクリートの流し込みが行われまして、これから乾かして、基礎を固めます。
 

近くに寄るとコンクリートが入っているのが分かりますね。
 
これは、床と地面の高さを調整するための基礎であり、水が入ってきたり虫が入ってきたりすることを防ぐ目的もあります。
 
少しずつ、進んでいくの愉しいですね♪
 
1/31まではコンクリートが固まるのを待つそうなので、次の進展は週明け2月に入ってからですね^^
 

 
 月桑庵の増築工事が始まりました。
 先ずは基礎工事ですね。
 
 右側はドアが付きます。今は水屋側の床下工事。
 
 工事が進むたびに記録していこうと思います。

 

 

 入会する気のない人からの問い合わせを断る先生がいたという話が、Threadsでありました。

 

 え?

 

 見学するだけの人が居てもいいじゃない。

 どんな先生か知りたいですよねぇ?

 

 私は、母が先に習っていて、先生を知っていた(というか先生がやってみる?と誘ったので)し、次の先生も家元からご紹介いただいた大先生(最初の先生の先生)だったので、ある意味どんな先生か分かっていたという安心感はありました。

 

 他の記事でも書いていますが、私は見学推奨派です。

 

 一箇所行って決めないほうがいい!とさえ思ってます。

 私の所に見えたときも、そこで決めてしまいたい!とい逸る心を押さえつけて「よく考えてからお返事くださいね」とお願いします。

 

 そう、先生の私がお願いします。

 

 これ当たり前です。

 

 だって、その方の茶道人生預かるんですよ? 責任重大じゃないですか。だから、貴方が私に茶道人生預けてもいいと思えるかどうかよーく考えてほしいんです。

 

 個人的には見学より、「お茶会へ行こう」に一度来ていただきたいです。作法なんかできなくてもいいんですよ(※お茶会へ行こうは未経験者OKな稽古茶会)。その場で教えますw

 

 何より「私の点てたお茶を飲んでいただきたい」からです。

 

 私は先生を探している人に「先生の点てたお茶が美味しい方に習う」ことをオススメしています。

 

 先生が美味しければ、弟子も美味しい。これ常識。

 弟子が不味いってことは、先生も不味い。これも常識。

 

 茶道は「お茶が美味しいことが本義」と家元先生はおっしゃいます。

 

 だからこそ、美味しいお茶が点てられる人かどうか、「お茶会へ行こう」で確認してもらいたいのですね。

 

 私の点てたお茶、薄茶も濃茶も美味しいからwwww

 

 見学を受け付けない、茶道体験を受け付けないような教室は行かなくていいと思います。

 

 ただ、折角来ても、簡単に辞めてしまう人がネット経由だと多いのも事実です。私もそういう経験を沢山してきました。

 

 でも、間口を閉じることはしたくはない。

 

 そう思います。