少し時間が掛かりましたが、「『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』第廿八服 山岳可崩」が書き終わりました。

 

 今はツイ友のかりんさんにルビ振りチェックをしてもらってます♪

 

 

 

 


 今回登場する茶道具はこちら、「古染付蟹形蓋置」です。

 

 

 これは史実に出てくる訳ではないのですが、今回の主役級の登場人物である島村貫則(史実では貴則)に因んだ道具となってます。

 

 あまり詳らかに語られることのない上洛戦の中の摂津攻略ですが、柳本賢治が死亡して後の摂津で戦力を消耗せず、三好元長と対峙できたのは島村貫則のお陰であることを書いておきたかったので。

 

 次回は舞台が京方面へと移ります。内藤彦七と木沢長政の話ですね。木沢長政は典型的な悪役ですが、父親の木沢浮泛の嫌われっぷりはその上を行くという(笑)

 

 その割にこの人伝手が広い。恐らく灰汁の強い人物ではありながら、礼儀についてはきちんとしており、祝儀などもしっかり出す人なんだと思います(どちらかというと人より多めに出すぐらい)。但し、守銭奴でがめつい。出したら出しただけの饗応や見返りを求めたのではないかと。

 

 茶の湯の世界でも、恋愛でも、結婚でも、見返りを、求める打算的な付き合いは嫌ですよね。

 

『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』

(前回のあらすじ)

 柳本賢治が死んだ。撤退する堺勢に襲いかかる依藤村忠と島村貫則。奮戦する柳本治久と柳本治頼だったが…… 

 

第三章 干戈騒乱
第廿八服 山岳可崩 7955/7500字【校正中】

 

※現在、ルビ振り依頼をしつつ、校閲中です。

 

 本日は旧暦九月九日、重陽、菊の節供です。

 茶道でも馴染み深い「陰陽」と「五行」ですが、これらは十干十二支にも関わっています。


 十干とは太陽が十個あって、毎日違う太陽が昇り十日で一巡(なので月は十日ごとに分けて旬と呼びます)すると考えられていた商民族の思想です。王族が十氏族あったとされ甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の王族があったといわれています。

 十日で一巡することを旬といい、一か月が丁度三十日であることは月の満ち欠けによりますが、三旬してひと月になるという符合は面白いと思います。

 五行は五惑星に相当するといわれ、水星・金星・火星・木星・土星と符合します(というよりも、符合して名づけられたと考える方が正しいですが)。

 この十干、陰陽、五行は元々別の思想でしたが、徐々に結びつき、春秋戦国時代には陰陽五行説として定着します。

 十干と陰陽・五行は簡単に結びつきます。五行を陰陽に分ければ十干となりますので、自然な流れでしたが、十二支の方は月との結びつきによります。一か月は三旬ですから、陽の旬と陰の旬が交互に来ると考えると、月はもともと陰陽に結びついています。月も平均29.5日ですから、陽月と陰月に分けて30日と29日の月が生まています。これが五行と結びついて年を示す暦(六十年)が一巡するようになります。太陰暦は354日で、月平均29.5日、つまり陽の月と陰の月があることになります。

 これは日にも振られ、360日で一巡しますので若干ずれます。ですが、実際には公転日数は365.2422日ですので、一年ごとに太陽の動きとは徐々にずれて行きます。正確には月の公転日数による一年は354.3671日で11日ほど短くなります。このため、三年に一度閏月を置いて暦を修正します。

 さて、数字に陰陽があり、同じ数字が重なることを重陽といって、古くは凶事の日として祓いをしたものですが、いつしかそれが祀りとなり、祝いの日とされるようになっていきます。元日を除いた三月三日(上巳)、五月五日(端午)、七月七日(七夕)、九月九日(重陽)と、一月七日(人日)を合わせて五節供と言います。ここにも五行の思想があります。面白いのは十一月十一日は数えられないのですね(笑)

 これは、十干の外の数字であるからとも言われます。

 さて、重陽の四節供がいつごろから祓いから祀りに変わったのかは、正確に分かってはいませんが、孟嘗君の故事から、既に戦国時代には祝い事と一般にとらえられていたことが解ります。ただし、貴人たちは本来の意味から凶事を祓う意味として執り行っていたことも窺えます。

 本来は四節供すべてが重陽なのですが、上巳・端午・七夕と呼ばれるようになり、重陽という言葉は九月九日を指すようになったのも春秋戦国時代と考えられています。上巳が桃の節供、端午が菖蒲の節供、七夕が梶の節供と呼ばれるように、重陽も菊の節供と呼ばれます。

 重陽の節供に因んだ席では、菊花酒(菊の花弁を散らした酒)を振る舞ったり、秋雛をしたり、長寿を祝うために「茶是長寿友」の掛軸を用いたりします。ちなみに、明治以降十六八重表菊は使用が禁じられ、皇室の紋として「菊の御紋」と呼ばれます。弁数を減らした十五菊、十四菊、十二菊や十菊、などが用いられ、代紋とされています。

 相応しい掛軸としては「茶是長寿友」「采菊東籬下」「秋菊有佳色」あたりでしょうか♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 道具組みを色々かんがえながら、ヤフオクをみていたら、こんな物を発見!
 
 明治以降、茶道は茶書ブームが起こり、様々な流派で本が出版されましたが、こちらは昭和十八年に発行された初版一〇〇〇部の一つ、『不昧流茶道手前』です。
 
 富田八千穂という人物はおそらく有沢家(不昧流家元家)の弟子であったと思われます。もう一つの流派は石州流不昧派と称している藤井家の茶統です。
 
 この人物について調べても、何もでてこないので、詳しくご存知の方がいらっしゃれば、是非ご教示願いたく。
 
 こうした茶書、ちょっと集めたくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オープンチャット「茶道で交流いたしましょ♪」はSNSでの交流を可能ならリアルにフィードバックしよう!とかんがえている交流の場です。

 

 なかなか出会えない、茶友ができるきっかけになったら嬉しいな♪と思って始めました。

 

 オープンチャットですから、まぁ、喧嘩腰の人がいたり(強制退会にしましたが)、特定の流派の事ばかり聞く人もいます(こちらは特定流派のサブチャットを作るなり、特定流派のオプチャで話をしてもらうようお願いしました)が、概ね流派ごとの特徴を互いに出して「違ってて面白いねー!」という話になります。

 

 そういう違いはとても勉強になり、何故そうするのか?ということをみんなで話し合うことになります。

 

 是非、そういう場がありますので、みなさんもご参加いただければと思います。

 まだ、詳細は出ておりませんが、来年の4月25日(土)・26日(日)の護国寺が決まりました。

 

 我が板橋区は26日(日)で艸雷庵。

 杉並区は25日(土)で不昧軒。

 

 私は二日とも護国寺に居りますw

 

 板橋の方は誰がやるかはまだお聞きしておりません。杉並の方は手伝いをお願いされております。

 

 今回は、ちょっと面白いことを提案しているので、特に千家の方は驚くこと請け合いです(何をやるのかは内緒です)。

 

 詳細は判明次第、再度告知いたします。

 

 皆様のご臨席を賜れますことを愉しみに♪

 

 

 ご予約はdarkpent@gmail.comまで