雨が心配された11月1日。さすがの晴れ女ぶりを見せた宗靜先生ですが、体調が思わしくなく、この日も行けるかどうか?という所でした。
朝からなんとか行けそうということで、少々遅れ気味ながらもタクシーで護国寺に駆けつけました。
松平さまにご挨拶申し上げ、私の茶友さんたち(WAさん、王仁ちゃん、宗歌先生)と合流して席を目指そうと思ったのですが、宗歌先生から電車が止まったまま缶詰にされていると連絡が。
濃茶席なので、最初に月窓軒(家元席)に向かおうと決めましたら、三席待つとのことで、もしかしたら間に合うかも?と言っていましたら、本当に間に合いました。
お聞きしたら蘇我で乗り換えもできずにずーーっと電車が止まっていたとか。
総武線の人身事故に倒木に、蘇我駅でホーム転落……とんでもなく色々が重なることってあるんですね……
さて、お部屋に入ろうとすると、最近はいつも清水くんが案内役で、「お正客ばかりで飽きられました?」と聞かれましたので「正客は飽きることはないですよ、頼まれれば」とお答えしまして、「お願いします~」との流れで上がらせていただきました。
ここ何年か正客に上がらずに観ていましたが、千家の茶席に慣れている人には武家茶の席は難しいのか、綾冠さまが話が続かず困っておられるような気がいたしましたし、話が弾まないと退屈で口を開いてしまうので、良かったのかもしれません。
床には、上冷泉為頼卿の御筆で、西行法師の
思い志(し)る 人あり明の 世なりせば
つきせす身をは 恨みさらまし
現代語訳は「もし、私の恋心を深く理解してくれる人がいたならば、その人との逢瀬が叶わないこのつらい境遇を、これほどまでしきりに恨むことはないだろうに」という新古今和歌集の恋の歌です。
本歌は「知」であったものを上冷泉為頼卿が「志」としたのは、恋の歌を茶の湯の志の歌と書き換えたからなのではないか?と推察します。
上冷泉為頼卿は、為満卿の子で、この為満卿が世話役の山科言継や兄の四条隆昌とともに所領問題をめぐって正親町天皇の勅勘を蒙り、所払いされ、しばらく京を離れて大坂に住していましたが、慶長5年(1600年)に徳川家康の執奏で勅勘宥免があり帰京したという経緯を持ちます。
この縁で、為頼卿の歌を軸装する際に葵の一文字で軸装したとのこと。権現様(徳川家康)繋がりでしたか。
竹花入は根を上にするという本来の使い方で造られた末広形の古作だそうで、とても均整のとれた惚れ惚れするもの。時代が付いているのが分かるのに新品のように綺麗なのが素晴らしい。磨かれながら大切に使われてきたのが分かります。
古色をつけるといって放置してホコリまみれにする人もいる中、こういうことが大事ですよね。
琵琶床には、手鑑(てかがみ)。こういうの私も欲しいです!
風炉先は聚光院庫裡(くり)古材で、小野沢虎洞和尚より送られたものだそうで、先代綾信公が愛用なさったもの。
炉椽は安藤家の稲荷の鳥居の前にあるなぐり門が古くなって交換するときにその古材を用いて造られたものだそうですが、この安藤稲荷というのが、元々は下屋敷にあったもので、陸軍の練兵場に接収され、ご利益著しいということで、戦後よく働いてくれたから、安藤家に戻して休んでいただろうということで戻されたのだそうですよ。
綾信が懐かしんでご覧になられたであろうことは間違いないですね。
席入りしたときに一番最初に目についたのは、色絵魚草文蜜柑水指。やや青みがかった「侘びた唐物」です。明代のものとのことですが、おそらく明末のものではないかと。
そもそも色絵の蜜柑が珍しい上に、侘びた磁器というのが驚きです。それを何気なくさらりとお使いになるのが「あるものをつかう」という境地なのだなぁと。 我々市井の者では、こうはいかないというものです。
そして、茶入。
仕覆からでてきたのは「赤楽」なんですが、楽を員茶盌に使う事すら珍しい武家茶さんで、茶入に使うというのはなにか意味のあることだろうとお尋ねすると
「父が護光さんの個展で買い求めたもので、これからの時代はこういうものも取り入れていかなければと申しておりました」とのこと。武家茶も変わろうとしているのかも知れませんね。
茶入や茶盌に銘を付けないことで知られる御家流さんには珍しく「地蔵」と綾信公がお付けになられたのだとか。
もうすぐ三回忌ですものね。お元気な頃の綾信公が目に浮かびます。
それにしても、綾冠さまとお話しているとどうしても綾信公の思い出話に花が咲いていきます。会の主旨としては、正しいのでしょうが、古いことを知らない人もいる中ですので、あまりその話題ばかりにならないようにセーブします。
綾信公は細川護熙公とも親しかったそうで、その縁で護光さんの個展に行かれたのでしょう。侘びたいい佇まいの芋頭というよりも、子芋のようなずんぐりとした侘び茶入でした。
千家でも濃茶に楽を使うのかは分かりませんが、ウチはほぼ使いませんし、武家茶でもみたことがないです。そういえば薄茶器に例はあっても(江戸千家の大渡茶器など)、濃茶には本当に珍しいですよね。
炉ではあったものの、風炉の名残の雰囲気もあり、侘びた唐物の接がれた大皿がご馳走です。高台の中まで拝見しようとしたり、接がれたところを手にとって裏返そうとするのは、如何なものか?と思いました。
以前伺ったことのある某大学茶道部の顧問も見えておられましたが、唐物の大皿の見方ご存知ないのでしょうか。ひっくり返して拝見されていました。出帛紗(唐物帛紗)も、使帛紗も出さずに、です。
せめて小帛紗(古帛紗)でも出してくださればいいのですが……。
茶盌は高麗の刷毛目ですが、目跡が5つくっきりと出ており、粉引と言われてもわからないほど見込み側が白い茶盌です。
しかも、目跡の部分が丁度茶筅の大きさぐらいに凹みがあり、茶溜まりになっています。
ああ、本物はこうして茶溜まりになりえそうな物がある品を取り上げて、使っていたのだなぁ……と感動いたしました。
細かい道具の解説はさておき、全体に綾信公を偲んだ縁の品々で、三回忌というのは、十王信仰における最後の審判を終える時です。綾冠さまの祈りが届きますように。
綾信公から教わりましたこと、私も後世に伝えてまいります。