美味しくなければ、お茶(抹茶)じゃない。


 甘くないければ茶の湯じゃない。


 あなたも流儀を離れて「美味しさの追求」してみませんか?


 点茶教室「美味しい抹茶の点て方講座」ではテアニンに注目した美味しい抹茶の点て方講座をいたします。


 お一人様3000円〜。

 3名様以上で承ります。


 ・テーブルコース(薄茶)3000円

 ・畳コース(薄茶)4000円

 ・濃茶コース(畳)5000円


 にて承ります。


 ※人数によっては助手が必要になりますので、その場合は別途費用が掛かります。


 ※畳コース・濃茶コースは月桑庵改装中のため、出張のみ承ります。

 出張・イベント出張も承ります(要別途交通費、出張は助手が必要になりますので、別途料金が掛かります)

 ※道具は応相談。


 企業様からのご相談は料金が異なりますのでご注意ください。


 開催日は土日祝のみ承ります。


 

購入元:ヤフオク
購入額:★☆
 
 替茶器に興味が出てまして、こちらをポチりました。
 
 替茶器とは、薄茶をもう一服所望された時に用いるもので、当流では薄茶器に漆器を城使ったら替茶器は陶磁器、薄茶器に陶磁器を使ったら漆器という決まりがあります。
 
 これは濃茶とのバランスもあり、濃茶で土物を使うことが多いので替茶器は磁器が好まれますが、これは必ずしもそうでなければならないということはありません。
 
 あくまで違うものであれば良く、よく使われるのは四滴茶入(水滴・油滴・手甕・弦甕)と手桶ですが、共蓋の茶入やこうした陶棗も使われます。
 
 月桑庵には黄瀬戸と青磁の手桶茶入と四滴茶入がありますが、もう少し拡充したくて買い求めました♪
 
 なんの変哲もない安南手の陶器なんですが、なんというかほっこりしません?(笑)
 
 現代の写しにしては上手く滲みを表現していて、安南染付の絞り手と呼ばれる分類になるでしょうか。
 
 安南は
・無地安南
・安南染付(絞り手)
・安南青磁
・呉須安南
・紅安南(安南赤絵)
 に分類されますが、景徳鎮などの本土の磁器に比べて素朴な風合いを持った磁器です。特に私は紅安南が好きですが、気に入った写がなくて御家流さんで出る紅安南に恋い焦がれています(あれは手に入らない)。
 
 安南というのは、ベトナムの異称とも言われますが、唐の時代にベトナム北部を支配した「安南都護府」が由来です。
 
 明の時代になると、交易が禁止され、朝貢貿易に限定されると、安南や交趾が経由地となり、日本との交易が盛んになります。
 
 安南焼は現在バチャン焼と呼ばれ、ハノイなどで売られています。バチャン焼は五世紀頃から始まったと言われ、支那王朝の磁器文化を素直に取り入れ発展したと言われています。
 
 川尻一寛は京磁器の作家です。昭和5年、京都府京都市日吉で生まれ、清水六兵衛に師事、伝統的な京磁器を守りつつ、大胆な造形を試みる人物だったそうです。平成20年歿。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近ThreadsばかりでTwitterに出没してない曲斎です(笑)

 

 ふとThreadsを眺めていると「茶道には興味あるんだけど……ハードルが高い」というようなコメントを見ました。

 

 何が心理抵抗になってるのか?と思い、レスしてみました。もしかして「先生の自宅に伺うことに心理抵抗があるのでは?」と、聞いてみました。

 

 そうしましたら、案の定です。

 

 なので、茶道では大量の道具を使うこと、その道具は流儀ごとに違うこと、公民館や文化会館、貸し茶室などでは、貸し道具がないわけではないが、流儀の道具は先生が自分で持っていかなければならず、破損などの保証もなく、なんでもかんでも持ってこられるものではないため、自宅の教室の方が、道具を豊富に持っているいい先生に巡り会える機会が多いですよ――と案内しました。

 

 前に書いた記事ですが、 

 

 この記事も「自宅で教えている」ことが前提条件になっています。

 

 単に「茶道の世界を覗いてみたい」のなら、体験講座や見学、カルチャーセンターもいいでしょう。

 

 ですが、真剣に習いたいと思ったら、絶対に自宅の先生をおすすめします。

 雨が心配された11月1日。さすがの晴れ女ぶりを見せた宗靜先生ですが、体調が思わしくなく、この日も行けるかどうか?という所でした。

 

 朝からなんとか行けそうということで、少々遅れ気味ながらもタクシーで護国寺に駆けつけました。

 

 松平さまにご挨拶申し上げ、私の茶友さんたち(WAさん、王仁ちゃん、宗歌先生)と合流して席を目指そうと思ったのですが、宗歌先生から電車が止まったまま缶詰にされていると連絡が。

 

 濃茶席なので、最初に月窓軒(家元席)に向かおうと決めましたら、三席待つとのことで、もしかしたら間に合うかも?と言っていましたら、本当に間に合いました。

 お聞きしたら蘇我で乗り換えもできずにずーーっと電車が止まっていたとか。

 


 総武線の人身事故に倒木に、蘇我駅でホーム転落……とんでもなく色々が重なることってあるんですね……

 

 さて、お部屋に入ろうとすると、最近はいつも清水くんが案内役で、「お正客ばかりで飽きられました?」と聞かれましたので「正客は飽きることはないですよ、頼まれれば」とお答えしまして、「お願いします~」との流れで上がらせていただきました。

 

 ここ何年か正客に上がらずに観ていましたが、千家の茶席に慣れている人には武家茶の席は難しいのか、綾冠さまが話が続かず困っておられるような気がいたしましたし、話が弾まないと退屈で口を開いてしまうので、良かったのかもしれません。

 

 床には、上冷泉為頼卿の御筆で、西行法師の

思い志(し)る 人あり明の 世なりせば

 つきせす身をは 恨みさらまし

 現代語訳は「もし、私の恋心を深く理解してくれる人がいたならば、その人との逢瀬が叶わないこのつらい境遇を、これほどまでしきりに恨むことはないだろうに」という新古今和歌集の恋の歌です。

 

 本歌は「知」であったものを上冷泉為頼卿が「志」としたのは、恋の歌を茶の湯の志の歌と書き換えたからなのではないか?と推察します。

 

 上冷泉為頼卿は、為満卿の子で、この為満卿が世話役の山科言継や兄の四条隆昌とともに所領問題をめぐって正親町天皇の勅勘を蒙り、所払いされ、しばらく京を離れて大坂に住していましたが、慶長5年(1600年)に徳川家康の執奏で勅勘宥免があり帰京したという経緯を持ちます。

 

 この縁で、為頼卿の歌を軸装する際に葵の一文字で軸装したとのこと。権現様(徳川家康)繋がりでしたか。

 

 竹花入は根を上にするという本来の使い方で造られた末広形の古作だそうで、とても均整のとれた惚れ惚れするもの。時代が付いているのが分かるのに新品のように綺麗なのが素晴らしい。磨かれながら大切に使われてきたのが分かります。

 

 古色をつけるといって放置してホコリまみれにする人もいる中、こういうことが大事ですよね。

 

 琵琶床には、手鑑(てかがみ)。こういうの私も欲しいです!

 

 風炉先は聚光院庫裡(くり)古材で、小野沢虎洞和尚より送られたものだそうで、先代綾信公が愛用なさったもの。

 

 炉椽は安藤家の稲荷の鳥居の前にあるなぐり門が古くなって交換するときにその古材を用いて造られたものだそうですが、この安藤稲荷というのが、元々は下屋敷にあったもので、陸軍の練兵場に接収され、ご利益著しいということで、戦後よく働いてくれたから、安藤家に戻して休んでいただろうということで戻されたのだそうですよ。

 

 綾信が懐かしんでご覧になられたであろうことは間違いないですね。

 

 席入りしたときに一番最初に目についたのは、色絵魚草文蜜柑水指。やや青みがかった「侘びた唐物」です。明代のものとのことですが、おそらく明末のものではないかと。

 

 そもそも色絵の蜜柑が珍しい上に、侘びた磁器というのが驚きです。それを何気なくさらりとお使いになるのが「あるものをつかう」という境地なのだなぁと。 我々市井の者では、こうはいかないというものです。

 

 そして、茶入。

 

 仕覆からでてきたのは「赤楽」なんですが、楽を員茶盌に使う事すら珍しい武家茶さんで、茶入に使うというのはなにか意味のあることだろうとお尋ねすると

 

「父が護光さんの個展で買い求めたもので、これからの時代はこういうものも取り入れていかなければと申しておりました」とのこと。武家茶も変わろうとしているのかも知れませんね。

 

 茶入や茶盌に銘を付けないことで知られる御家流さんには珍しく「地蔵」と綾信公がお付けになられたのだとか。

 

 もうすぐ三回忌ですものね。お元気な頃の綾信公が目に浮かびます。

 

 それにしても、綾冠さまとお話しているとどうしても綾信公の思い出話に花が咲いていきます。会の主旨としては、正しいのでしょうが、古いことを知らない人もいる中ですので、あまりその話題ばかりにならないようにセーブします。

 

 綾信公は細川護熙公とも親しかったそうで、その縁で護光さんの個展に行かれたのでしょう。侘びたいい佇まいの芋頭というよりも、子芋のようなずんぐりとした侘び茶入でした。

 

 千家でも濃茶に楽を使うのかは分かりませんが、ウチはほぼ使いませんし、武家茶でもみたことがないです。そういえば薄茶器に例はあっても(江戸千家の大渡茶器など)、濃茶には本当に珍しいですよね。

 

 炉ではあったものの、風炉の名残の雰囲気もあり、侘びた唐物の接がれた大皿がご馳走です。高台の中まで拝見しようとしたり、接がれたところを手にとって裏返そうとするのは、如何なものか?と思いました。

 

 以前伺ったことのある某大学茶道部の顧問も見えておられましたが、唐物の大皿の見方ご存知ないのでしょうか。ひっくり返して拝見されていました。出帛紗(唐物帛紗)も、使帛紗も出さずに、です。

 

 せめて小帛紗(古帛紗)でも出してくださればいいのですが……。

 

 茶盌は高麗の刷毛目ですが、目跡が5つくっきりと出ており、粉引と言われてもわからないほど見込み側が白い茶盌です。

 

 しかも、目跡の部分が丁度茶筅の大きさぐらいに凹みがあり、茶溜まりになっています。

 

 ああ、本物はこうして茶溜まりになりえそうな物がある品を取り上げて、使っていたのだなぁ……と感動いたしました。

 

 細かい道具の解説はさておき、全体に綾信公を偲んだ縁の品々で、三回忌というのは、十王信仰における最後の審判を終える時です。綾冠さまの祈りが届きますように。

 

 綾信公から教わりましたこと、私も後世に伝えてまいります。

 

 

 今日は二十四節気の第十九節、立冬です。


 毎年、だいたい私の誕生日かその翌日。今年はジャスト誕生日!


 私、秋生まれだとばかり思っていたら実は冬生まれだったというw

 さて、立冬は四立(しりゅう)の一つで、季節の変わり目です。


 冬の気が立つことから、立冬と呼ばれます。朝晩の冷え込みが一段と深くなり、日中の陽射しが弱まりはじめます。木枯らしや初雪もこの頃です。

 霜降で霜が出来始めますが、目にするようになるのは立冬を過ぎてから。

 和服も、人形仕立てから袷へと変え始めてもいい頃です(人形仕立ては小雪には着なくなります)。

 茶道では新暦の月合せや旧暦合せでない限り、この立冬を目安に開炉となります(二十四節気は太陽の運行で決まるので旧暦に関わりがないのです)が、まぁ、基本的には「玄猪(一の亥)」か「二の亥」に開炉するのが普通ですね^^


 今年は玄猪が11月26日で、大分遅い炉開きになりそうですね(月桑庵は改装準備中で炉開きないですが)。

 近年はどのお流派も10月に開炉されてしまうそうで、私的には些か「早すぎる」と批判の目を向けたいところですw

 炉の火の暖かさが御馳走の季節の始まりです♪


 この頃のお軸としてぴったりなのは「冬日傍窓暖」「閑居冬朝」でしょうか。もう一つぐらい見つけておきたいものです。