購入元:ヤフオク
購入額:★★☆

 水屋甕【みずやがめ】。水を汲んで置く甕で、水屋の寸法に作られたものを言います。

 昔は井戸から汲み上げた水を入れておいたのですが、現在は水道水のカルキ抜きをするのにも使われます。

 朝汲みの水道水ではカルキは抜けないので、一度沸かしたお湯を入れて冷ますのが綺麗にカルキが抜けて美味しいお茶が点てられます。

 充実し始めた月桑庵の水屋。

 増築が愉しみです。

 水屋道具を充実させている月桑庵ですが、次は水屋甕を視野に入れています。

 

 水屋甕を手に入れたら必要になってくるのが

 

・掻器

・水漉

 

 という道具です。

 

 え? 読めない?

 

 掻器は【かいげ】、水漉は【みずこし】と読みます。

 

 掻器は、水屋柄杓ともいい、水屋甕から水を汲み出し、さまざまな道具に移すさいに用います。

 

 その時、ゴミが混入しないようにするための道具が「水漉」です。

 

 その二つをヤフオクで探しますと、おおぅ……軒並み4000円以上。

 

 新品でも同じぐらいです。

 

 ほかの消耗品より寿命が長いとはいえ、まぁ、消耗品だもんなぁ。

 

 水屋増築までには入手しておこうとおもいます。

 

 

 

 

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「抹茶は甘い飲み物です」

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 お抹茶に抱くイメージってどんなものがありますか?
 お茶会ってどんなところでしょ?
 茶道ってどんなことしてるんでしょ?

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 実は、お茶会って愉(たの)しいところなんです!

 一般的なイメージだとしゃべっちゃいけないみたいな感じですかね?

 でも、本当はそんなことなくて、正客と亭主の会話の邪魔をしなければ、話していいんですよ。雑談はダメですけどネ(笑)

 そして、抹茶はとても甘い物なんです。

 苦い抹茶は「安い抹茶」とか「点てる人が下手」ということ。上手な人は甘い抹茶を点てられます。

 さらに、自分たちだけのために用意された小さな美術館として、日本の伝統工芸に身近に触れられます。陶器、漆器、指物、竹工、金工、羽細工、鋳物、織物、染物、建築、造園、書や香などが所せましとそこにあります。

 そして着物で出掛ける場所としてこれほど相応しい場所もありません。

 月桑茶道教室では、そうしたお茶会へ行くための心構えや喫(の)み方、お菓子の頂き方など、様々なシチュエーションで体験いただけます。

 ご興味ございましたら是非お出掛けください(*˘︶˘*).。.:*♡

 コロナ対策は手洗いの徹底、マスクの着用にて各自お願いいたします。当日発熱の方はご参加をお断りすることがございます。予めご了承ください。
 

 6月22日は旧暦五月廿七日、端午は過ぎておりますが、端午の設えでお迎えいたします。

 

 

 また、会終了後はおしのぎがございます。

 お時間の許す方はお召し上がりくださいm(_ _)m

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 濃茶 
 薄茶 


 定員5名(別途手伝い枠3名)
 

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■日時
 令和7年6月22日(日)
 濃茶:13:00~14:30
 薄茶:15:00~16:30
 

 開始15分前までにお越しください。
 時間はあくまで目安です。時間通りに終わるとは限りませんのでご理解ください。
 茶事終了後、お時間のある方はお残りください。簡単な酒席がございます。
 

※濃茶【こいちゃ】
 本来のお茶。一般的に思い浮かべる抹茶よりもどろっとして濃い抹茶。菓子は上生菓子を添える。
 

※薄茶【うすちゃ】
 一般的に抹茶といわれると思い浮かべる抹茶。菓子は干菓子または半生菓子を三種以上添える。
 大寄せでは上生菓子にてお出しすることも多いです(笑) 
 

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■会費
 5000円(濃茶・薄茶)
 会費は当日封筒に入れてお出しください。
 

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■参加方法
下記予約ボタンより予約をお願いいたします。

 

STORES 予約 から予約する


■申し込み締め切り
 定員になり次第募集終了です。
 また、菓子の都合もありますので、一週間前には締め切らせていただきます。ご注意ください。
 加えて、キャンセルもそれまでの受付とさせていただきます。キャンセル料は全額お支払いいただきますので、ご了承ください。


■ご新規さまへのお願い
 当日キャンセル後、ご連絡取れない方が多いため、ご新規さまにつきまして会費の事前振込をお願いすることになりました。何卒ご協力おねがいいたします。


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■服装
 洋装OKです。
 ただし、できるだけゆったりとした【外出着】でお越しください。ジーンズやミニスカートはお控えください(できるだけ膝丈より長いもの)。カジュアルすぎる物はお避け下さい。
 男性は七分裾などの短いものはNGです。
 また、当会はお稽古会ですので、お着物の場合は小紋、浴衣、絣など普段着や紬などの普段着・お洒落着(無紋の訪問着)でOKです。
※通常のお茶会は色無地紋付以上の礼装となります。

 

■ご用意いただくもの
・懐紙【かいし】
 お菓子を頂いたりする際に用います。
 

・菓子切り【かしきり】
 菓子を着る金属や竹などでできた楊枝です。金楊枝ともいいます。
 

・扇子【せんす】
 茶道用の扇子です。礼をする際などに必要です。五寸、五寸五分、六寸、六寸五分があります。
 

・帛紗【ふくさ】
 茶道用の帛紗。点前をする際に亭主が腰につけ、道具を清めるのに用います。
 ※習われている方以外は不要です。
 

・小帛紗【こぶくさ】または出し帛紗【だしぶくさ】など
 茶盌(ちゃわん)が熱いときや道具を拝見する際に用います。濃茶には必須です。
 ※お貸しいたします。
 

 以上のものにつきましては、
 ・薄茶席の方はできるだけお持ちください。
 ・濃茶席の方はお持ちください。
※ご用意のない場合はお貸しいたします(未経験の方)。
 

・替え白足袋または白靴下
 足袋カバーをお脱ぎいただいても構いません。洋装の方は履き替えていただきますので、必ずご持参ください。
 

・封筒
 会費は封筒に入れてお名前をお書き添えの上、ご持参ください

 

 本日は五節供の一つ、端午の節供。
 

 端午は菖蒲の節供ともいい、菖蒲(しょうぶ)が勝負に通じることから武家でも特に男子の節供として祝われるようになったものです。
 
 もともとは、午の月(旧暦五月)の最初の午の日を祝う風習だったのですが、午が五に通じることから、五月五日と定まり、端午は「毎月五日」を意味するものでしたが、いつしか五月五日だけを指すようになりました。
 
 端午の節供に粽を食べるのは、戦国時代、楚の名臣屈原が身投げをしたことを知った国民が魚が屈原の体をついばまないようにと粽を投げ入れたことから食すようになったものだといわれます(本来無縁であったものが結びついたといわれる)。
 
 日本では、五月忌という男性が出払い、女性が家に閉じこもって田植えの前に穢れを祓い、身を清める儀式があり、これが支那からわたってきた端午の節供と結びついたといわれます。古代においては端午は女性の節供であったあったといわれます。
 
 鎌倉時代になり、菖蒲が尚武・勝負と通じることや菖蒲の葉が剣を連想させることから、端午は男子の節供とされ、男の子の成長を祝い、健康を祈るようになります。鎧・刀・兜を飾り、金太郎や武蔵坊弁慶などの人形を飾るようになります。鯉幟(こいのぼり)は江戸時代に入ってから、関東の風習として広まったもので、登竜門の故事に五色の吹き流しを組み合わせたものだといわれます。
 
 柏餅を食べる風習は日本独自のもので、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まっていったとされています。
 
 端午の掛軸としては「瀧 直下三千丈」や「白珪尚可磨」、「三級浪高魚化龍(さんきゅう なみたかうして うお りゅうと かす)」などがいいでしょうか♪

 本日は道薫忌。
 遠祖・荒木道薫の命日です。
 天正十四年五月四日に亡くなりました。

 流儀として特に何かをしていた記憶は一つもないのですが、毎年言ってますが、道薫が所持していたという名物に因んだ物を使いたいところですよね。
 
 道薫が所持していたと伝わる名物は
 
・兵庫壺
・寅申壺
・荒木高麗
・牧渓画遠浦帰帆絵
・ももしり
・定家の色紙

 とされています。
 「ももしり」とは花入で、古銅花入の一種です。細口で無耳、下部が桃の形のように膨らみ、高台がなく、上下五段に区切られた文様帯があり、その文様帯の中に饕餮文の退化した文様(結び龍)のあるものをいうようです。桃尻は、明代のもので、室町末期に到来したものといわれます。
 
 荒木高麗は高麗の染付で、千利休から荒木村重に渡り、その後家康に渡り、尾張徳川家に伝来します。安南のような文でありながらも、釉がやわらかく枇杷色の肌をしており、見込みに井戸のような白釉流れがあり、高麗茶盌の特徴をしています。

 できればこの二つの写しでも手に入れて、点前をしたいものですねぇ。

 兵庫壺とは茶壷のことで、かつて武野紹鷗が持っていた名物だそうです。

 定家色紙も武野紹鴎が藤原定家の歌論に共感した紹鷗が、定家の書「小倉色紙」を床に用いたとされており、これも武野紹鴎由来であることが分かります。

 

 

 伝牧渓画 遠浦帰帆絵はこちら。

 これの写しでも欲しくなりますね!

 

 

 寅申壺は、荒木村重が石山合戦の折、天王寺付近の砦を任されていた際、天王寺の市で見つけたというので「寅申」と銘したのだそうです。天王寺の市は当時、寅の日と申の日に市が立っていたそうで、そこから寅申なのだそうですが、何故?寅の日に見つけて、申の日に買ったのでしょうか?

 

 それとも当時「寅申」といえば天王寺の市のことだったのでしょうか?

 

 このあたりも小説に盛り込めたらいいですね♪