入会する気のない人からの問い合わせを断る先生がいたという話が、Threadsでありました。

 

 え?

 

 見学するだけの人が居てもいいじゃない。

 どんな先生か知りたいですよねぇ?

 

 私は、母が先に習っていて、先生を知っていた(というか先生がやってみる?と誘ったので)し、次の先生も家元からご紹介いただいた大先生(最初の先生の先生)だったので、ある意味どんな先生か分かっていたという安心感はありました。

 

 他の記事でも書いていますが、私は見学推奨派です。

 

 一箇所行って決めないほうがいい!とさえ思ってます。

 私の所に見えたときも、そこで決めてしまいたい!とい逸る心を押さえつけて「よく考えてからお返事くださいね」とお願いします。

 

 そう、先生の私がお願いします。

 

 これ当たり前です。

 

 だって、その方の茶道人生預かるんですよ? 責任重大じゃないですか。だから、貴方が私に茶道人生預けてもいいと思えるかどうかよーく考えてほしいんです。

 

 個人的には見学より、「お茶会へ行こう」に一度来ていただきたいです。作法なんかできなくてもいいんですよ(※お茶会へ行こうは未経験者OKな稽古茶会)。その場で教えますw

 

 何より「私の点てたお茶を飲んでいただきたい」からです。

 

 私は先生を探している人に「先生の点てたお茶が美味しい方に習う」ことをオススメしています。

 

 先生が美味しければ、弟子も美味しい。これ常識。

 弟子が不味いってことは、先生も不味い。これも常識。

 

 茶道は「お茶が美味しいことが本義」と家元先生はおっしゃいます。

 

 だからこそ、美味しいお茶が点てられる人かどうか、「お茶会へ行こう」で確認してもらいたいのですね。

 

 私の点てたお茶、薄茶も濃茶も美味しいからwwww

 

 見学を受け付けない、茶道体験を受け付けないような教室は行かなくていいと思います。

 

 ただ、折角来ても、簡単に辞めてしまう人がネット経由だと多いのも事実です。私もそういう経験を沢山してきました。

 

 でも、間口を閉じることはしたくはない。

 

 そう思います。

 ようやく、改装のための物の移動が終わりました。

 

 いやぁ、よくぞここまで物を入れていましたよね……というほどかなりの量が入ってました(呆)

 

 二段ベッドの上にうず高く載った荷物。

 二階のテーブルの上に載った荷物。

 

 圧迫して部屋が狭いですwwwww


 27日(明日ですね)から着工。引き渡しは2月末~3月上旬。

 

 改装の様子は随時写真撮っていこうと思います。

 

 完成まで一ヶ月半ほど。

 

 愉しみです!

 大物崩れの前の戦いを現在書いていますが、池田城の戦い、記述のある場所によって表現が違います。

 

 池田城の戦いは享禄四年三月六日に落城ということは分かっていますが、

 

池田城(Wikipedia)は

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%9F%8E_(%E6%91%82%E6%B4%A5%E5%9B%BD)

 

享禄4年(1531年)の大物崩れでも高国の攻撃を受け、この戦いの後に城の復興で主郭の堀を広げ周りに土塁を設け、南側にも連郭状の曲輪を設け防御陣地を広げていった。

 

とかなりあっさり。

池田信正(Wikipedia)は

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E4%BF%A1%E6%AD%A3

 

享禄4年(1531年)に高国と連合を組んだ浦上村宗に池田城を攻め落とされたり

 

こちらは浦上村宗に攻め落とされてます。

中嶋の戦い(Wikipedia)では

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B6%8B%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 

3月6日には勝軍地蔵山城から出撃してきた内藤彦七らによって、摂津の要所であった池田城を落城させた。

 

とこちらでは内藤彦七が落城させています。

 

見方によって、いろいろ書いていることが違うの困るんですよねぇ(笑)

 

・高国陣営が池田城を攻めた

・浦上村宗が池田城を攻めた

・内藤彦七が池田城を攻めた

 

 これらは全部事実であったと考えると、細川高国が同陣していない可能性が高く、本陣として後方にいた。浦上村宗は高国の指示で攻めた。内藤彦七が将軍地蔵山城から援軍に駆けつけて落城した。

 

 となる訳ですよね。

 

 そして3/10に中嶋の戦いに突入。

 

 いやはや、急展開!という感じ。一先ず、大物崩れまで書いていきます。

 濃茶席の正伝庵を辞しまして、次は薄茶席の十方庵。

 

 こちらは書院。そこにデデーン!と宗徧流正伝庵さんの立礼卓。

 

 これは表千家の末広棚に似ていますが、膝丈までしかない独自の棚物で、私の大好きな棚です。御家元のお姉様が席主です。

 

 真塗りの末広の立礼卓に華やかさを添えるのは、砂金袋水指。松喰鶴の図案で、袋の襞には唐草文。

 

 はてさてどういう趣向かな?と思っていると、群鶴の高坏に鶴と松の干菓子。

 

 え? 鶴に鶴に鶴?!

 

 目を凝らしてみれば、蓋置は南鐐の鶴の丸(二羽の鶴が互い違いになっているもの、向き合っているのは対鶴)。

 

 やられたーーーーw

 

 棗は盛り蒔絵の海老。形は「碁笥」とのことなのですが、形としては「尻張」にしか見えないのが不思議でした。

 

 茶杓は宗徧(使ったのは違う茶杓)。

 時代のいい色をしているんですが、筒が特に面白く、口が曲がっているんですよw しかも胡麻筒。珍しすぎます。

 

 床は例年の飾りで軸が……覚えきれないほど長い禅語w(ぉぃ

 

 建水の鈴(りん/仏具の鳴り物の一。鐘)が面白かったです。これは砂張で、物凄く上品。うっとりするほど滑らかな砂張ですが、あれ、口のところ指をすべらせたら切れそうですwww

 

 

 

 主茶盌も鶴。立鶴の「古曽部」。

 時代のもので、まぁ、軽い軽い。薄造りなため、熱がダイレクトに手に感じられるのが困り物で「裂をお使いください」とのことなので、古帛紗を使わせていただきました。

 

 本当に見事な古曽部で、私も古曽部が欲しくなりました!

 

 飽きがこないように、連客の茶盌も全て違うもの。やっぱり私も6月の茶会、お題持っていくかなぁ……ああいうのいいよな、やっぱり。

 

 帰りに、王仁ちゃんのリクエストでジェラートを食べて、帰りました。

 令和8年1月17日(土)は、宗徧流正伝庵の岩田宗匠よりお招きいただきまして、初釜に伺いました。

 

 母と二人で行く予定だったのですが、正月の緊急入院でTwi友の王仁ちゃんに代役?をお願いして、祐天寺駅前で待ち合わせ。

 

 ちょっと約束の時間が早すぎましたねw

 

 公園で時間を潰して、受付に。

 

 やはり、「お母様は?」となりますよね。宗和先生(WAさん)や宗歌先生だと「奥様?」という顔をされてしまうので、王仁ちゃんを誘ったのですが、こちらは「お弟子さん?」という顔。まぁ、目論見通りですがw

 

 私は薄茶の正客に、とのこと。

 

 待合では、いつものように賑やかに(やかましく?)おしゃべりをして、和気藹々といった様子に。

 

 こちらには「丙午」の正月飾り(神鈴)と時計の香合。正午を差しているので「午」の趣向。こういう遊びが、岩田宗匠のウマさですよね。

 

 しかも、この香合は和尚が抹香を持ち運んで、いつでも時計を見れるようにしていたものではないか?とのこと。師走には相応しい一品ですw(旧暦でもまだ師走ではなかったですが)

 

 露地を初めて通していただきまして、正伝庵に躙口から上がります。

 

 掛物は「不二」。字そのものが景色になっているというもので、一富士。

 

 花入がなんと「茄子」。正伝庵は昏いので手燭が灯して有り、その光を頼りに目を凝らすと、口のどころか「ヘタ」になってました。非常に珍しい古銅の花入でした。かすかにヘタが膨らむ前の首のところに書いてあるんですね。茄子の振出とか香合はあっても、花入は初めて見た!とお正客さま(表千家の先生)や連客さまも頷く。

 

 入れてあった曙橋はそれは見事な蕾で、たっぷり栄養をもらって大事に育てられたんだろうなぁ〜という感じでしたよ。

 

 香盒は時代の赤楽。獅子ですので、正月の獅子舞でしょうか。

 

 釜は鬼霰で、毬栗にしか見えない(笑)

 正伝庵さんにしては新し目の釜で、前に伊勢丹でみた異形の鬼霰とは違い、調和するのがすごいな~と思いましたが、鬼に金棒を連想してしまうトゲトゲに、「寅年にもいけそう」と思っていました(虎に翼 ⇒ 鬼に金棒)。

 

 炉椽は古材でまるで毬栗が当たって虫喰になったんじゃないの?!という所に付いていたのが面白かったです。

 

 水指は打出の小槌で、鼠が摘み。午年ですから、子が守護干支。俵づくりになっているそうで、箱には小槌が福槌となっているとか(笑)こちらは「萩」か「志野」かでしょうか。白釉がたっぷりと掛かった見事な品でした。透明感的には長石釉ではないと思うので、おそらく大道土の白ではないかと。

 

 蓋置は駅鈴。最初は仕付棚に柄杓とともに飾り置きされていて、水指の鼠と対にしてありましたよ(子午)。

 

 そしてでてきたのは、菓子器。

 

 総螺鈿の椽高……というか重箱? 

 

 これがまた、手燭の光が揺れるたびにぬらぬらと光り方が変わるんですよ。思わず一同「ほおぅ……」とため息。その光方に目を奪われます。

 

 主茶盌は瀬戸黒。形はやや下膨っぽい感じで、口作りが段になっていて腰蓑風。桃山風の作りですが、江戸前期〜中期といった頃合いでしょうか。

 

 そして、仕覆に収まった茶入がある訳ですが、こちらはなんの仕覆か分からないほどかすれてしまっていますが、江戸前期頃のものでしょうか。

 

 そして、そこからでてきたのは、高取の鮟鱇。小振りで、胴が縦にやや長めという感じで、鮟鱇を回してお茶を入れられるのが新鮮でした(ウチは鮟鱇茶入は回さず大海などと同じに扱うので)。

 

 この高取が「たか」で「トリ(最後)」というのがまたニクいですねぇ。

 

 建水は曲げでした。

 

 茶杓は節が前後に歪んでいて、有楽の「玉ぶりぶり」を彷彿とさせる形に深い薬研樋で、深過ぎて割れた跡があり、朱漆で継いでありました。正月にはもってこいの一振りですよねぇ〜。 

 

 岩田宗匠らしい素敵な物語が副えられた道具組みに「茶の湯はやはりこうでなくちゃ!」と思いを新たにしました。