最近、「茶道は廃れる」だの「辞めました」だのという投稿を見ていて、いやいやいや、それを嫌がる人だから続かないんだよ……と思わざるを得ませんでした。



①月謝の手渡しが嫌

「キャッシュレス派だから」とのことですが、月謝の手渡しは「授受の稽古」です。この段階で、礼儀作法を実践する気がないんだろうなぁ〜というのが垣間見えるんですよね。


「道」は「礼に始まり礼に終るもの」ですから、礼儀作法の稽古をしたくないなら、本当に向いてません。



②月謝は新札が嫌

これも「キャッシュレス派だから」というのと「同じお金なのに」という人とが居ましたが、「あなた方は祝儀でも同じことを言うのか?」と思った項目です。


毎月の月謝で用意をしておく習慣を付けておけば、いざというときに困りません。


新札というのは「態々準備をしておく必要のあるもの」ですから、御祝のときに「おめでとう」という気持ちがより伝わる(その日のために準備をしていたというその気持ちが)というものなんですね。


この辺りで最早暗雲が深くなっています。


茶道家の方が「ハードルを下げよう」としていますが、本当にハードル下げる必要ありますか?


正直、この程度のことが嫌なら「習い事しない方がいいよ?」としか言えません。


ここを乗り越えてくれなければ、茶の湯なんてお約束事がてんこ盛りです。



③先生にいいように使われるのが嫌

これを言う人は先生をなんだと思っているんでしょうかねぇ?


先生は親と同じとも言われ、敬意を払う対象です。それこそ庭の雑草取りからトイレ掃除までするの普通です。


特にトイレなどはお借りすること絶対ありますからね。弟子の方で綺麗にするの基本です。私は勝手に綺麗にしてましたよ。


稽古場の掃除も当たり前。先生の家の掃除や、道具の入れ替え、道具の整理などは「させていただく」もので、「手伝うものではない」んですよ。


この辺りを「使われている」と考える人は茶道に向かない人と言えるのではないかと。


④月謝以外にお金がかかる

これは許状(流派によっては免状)にお金がかかることや、教室によっては他に催事がある場合など様々ですが、よく聞くのが「別に愉しみたいから来ているのに免状なんか必要ない」という発言ですね。


うん。道を極めても居ない人が、先生が次の段階へ行きましょうというのに「必要ない」とか言うな!と私は思います。勿論、お金も掛かることなので、そこは応相談という奴ではありますが、先生側は取らないのならなんで続けるの???となります。


「お茶を飲んでお菓子が食べたいだけなんです」と言うなら、茶道なんか習わずとも、私が催そうとしている【美味しい抹茶の点て方講座】のようなもので点て方だけ身につけたらいいと思います。


流儀の茶会は当然ありますのでそのお茶券代、先生が席持ちすると点前をさせていただけるので御点前料がが掛かり、茶道の目的は自分で茶事を開けるようになることなので「初釜」には参加すべきとなりますので、その参加費が必要です。


御中元・御歳暮は月謝のウチ、御年賀は礼儀のウチなので、私からすると「ウチは取りません!」という方は何かを勘違いされた先生の可能性がありますね(時代だから変えていいことじゃないので)。


そういえば、「七事式」は特別稽古とやらで別料金という話を聞いたことがあります。当流には元々ないものなので、無くて良かった!と思います(笑)


■まとめ

茶道は「修行」です。


遊び感覚で始めてはいけないとは言いませんが、茶道の愉しさは、茶会を開くところに有るので、「習いたいだけでは茶道の本当の愉しさは味わえない」ということは先に理解して置いて欲しいです。

 明治5年11月12日太政官布告第339号(大礼服及通常礼服ヲ定メ衣冠ヲ祭服ト為ス等ノ件)をもって文官と非役有位者の大礼服を含む服制が規定され、明治5年11月29日太政官布告第373号 (大礼服及通常礼服著用日ノ件) により着用規定が定められた。大礼服は当時ヨーロッパ宮廷での最上級正装として使用されていた宮廷制服(Court uniform)に倣って新たに定められた。

 

 第339号布告では、これらの大礼服に対して現代の正装であるホワイトタイの燕尾服が通常礼服とされた。通常礼服は小礼服とも呼ばれ、民間人などの大礼服が制定されていない者はこれを正装とした。そして、通常服はフロックコートであった。太政官布告で「大礼服並上下一般通常礼服ヲ定メ、衣冠ヲ祭服トナシ、直垂、直衣、裃等ヲ廃ス」として和服は祭事のみで、洋服が正式になっています。

 

 しかし、この礼服は未だ下級官吏まで十分に行き渡っていなかったため、新たに1877年(明治10年)9月18日の太政官達により、判任官以下は羽織・袴(紋付)を礼服(大礼服・中礼服・小礼服)の代用とすることが定められました。

 

 これが現存する和服の礼装の始まりです。

 

 この大礼服・中礼服・小礼服に対応するため、紋の数を定めて大礼服=五つ紋・中礼服=三つ紋・小礼服=一つ紋として、当てはめ現在の紋の数の由来となっています。

 

 

 あーーーーーーーーー! めっちゃスッキリした。

 

 『日本風俗史事典』 日本風俗史学会 弘文堂 1994年 p.505

 

購入元:ヤフオク
購入額:★★★★☆
 
 何気なくみていたら面白そうな茶杓がありました。
 
 なになに
 
「聖徳太子古戦場勝軍寺境内菩提樹にて作之
            観心寺 真状」
 
 と書いてあるようです。
 観心寺というのは河内長野にある寺で、真言宗の寺院。弘法大師や楠木正成、後村上天皇に縁ある寺のようです。

 

 

 勝軍寺は大聖勝軍寺というのが正式名称で、大阪府八尾市にある真言宗の寺院。こちらは聖徳太子が物部守屋と戦った古戦場にある寺で、聖徳太子を守った椋の木の伝説があります。

 

 

 この大聖勝軍寺の境内に一願不動尊というのがあり、その前に菩提樹があります。その菩提樹の一枝からつくられたのがこの茶杓です。

 

 観心寺の修行僧が大聖勝軍寺に行った際に、枝を貰って削った茶杓ということでしょうか。

 

 菩提樹というのは、日本における印度菩提樹(インドボダイジュ)の代用樹で、小葉科木(コバシナノキ)と言います。これは印度菩提樹が中国では育たない(熱帯性植物のため)ために、似たような植物である小葉科木を栄西が日本に持ってきたと言われます。

 

 栄西と聞くとなにやら茶道がらみに感じてしまうのは、茶道家の悪い癖ですw

 

 無憂樹(釈尊誕生の木)・沙羅双樹(釈尊入滅の木)と合わせて、釈尊悟得の木として仏教の三大聖樹とされます(本当は印度菩提樹ですが)。

 

 ちなみに沙羅双樹も日本では「夏椿(ナツツバキ)」を代用樹として植えています。

 

茶杓の形はやや右に傾いた感じのつくりで、真形ではあります(節づくりがない)。
 
反り腰で、ややカーブが深いので、拝見に出す際は転がりそうなので横向きに出したいところですね。
 
 問題は銘の「夕寿ゝみ」。
 
 これは「ゆうすずみ(夕涼み)」のことだと思われますが、由来が全く分からない。
 
 菩提樹の下でうたた寝していたんだから、夕涼みじゃなくて昼寝とか転寝なら分かるんですけどねぇ。
 
藤原有家の「夕すずみ 閨へもいらぬ うたた寝の夢をのこしてあくるしののめ」という和歌を引けばいいのかも知れません。

 一願不動尊の前の菩提樹ということで、不動明王にちなんだ銘に変えてもいいかとは思います。
 
 夕涼みには不動明王の祀られた寺が選ばれることもあるからなんでしょうかねぇ。
 
 しばらくは晩夏の茶杓としてそのままの銘で使いますが、いつかしっくり来る銘を付けたいものです。

 本日は旧暦十二月十七日。二十四節気の第一、立春です。

 暦の上では春。

 二十四節気では新年を迎えたことになります。旧暦とはまだずれがありますが、立春を迎えると干支が変わることになります。

 また、厄年なども本来は立春を過ぎてからということになり、古い風習の残る地域では、これから厄払いが始まります。

 今年も閏月の関係で、年内立春(旧暦12月の内に立春を迎えること)となります。これはだいたい半分ぐらいの割合で新年立春(新暦1月前半の内に立春を迎えること)となります。稀に、朔旦立春(旧暦元日に立春を迎えること)となりますが、三十年に一度ぐらいの割合で非常に縁起の良い日とされます。

 立春は、雑節の八十八夜、二百十日、二百二十日の起点となっている季節の分かれ目です。

 大寒がようやく過ぎ、空気が湿り気を帯びてくるため、関東などでは雪が降りやすくなり、「二月のドカ雪」があったりします。梅の花がほころび始め、徐々に暖かくなる季節ではありますが、残寒や余寒といって、まだまだ寒さがのこるのもこの時期の特徴です。

 寒中見舞いは節分までとなり、立春已後は「余寒見舞い」となります。余寒見舞いは雨水(2月下旬)前までですので、年賀状や寒中見舞いを出しそびれていた方は、余寒見舞いをお出しになることをお勧めします。

 この時期の掛軸としては「寒梅著花未」や「梅自発清香」、「渓梅一朶花」など「梅」を詠んだ句が好まれますでしょうか。花を主題にしたものは、この時期よりもっと後になってからが似合いますね♪

 本日は旧暦十二月十六日、節分です。

 

 節分というと「豆まき」というイメージでしょうか。「鬼は外、福は内」と叫びながら、入り大豆(福豆)を撒くと厄が払われるという行事ですね。

 実は、節分とは四立(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことで、「季節を分ける」という意味です。現在では特に立春の前日のことだけを指すようになりました。

 節分が2月3日なのは、現在立春がだいたい2月4日だからであり、2月3日とはかぎりません。2月2日~2月4日の間を行ったり来たりする感じになります。

 ちなみに、節分では、「鬼」という字のつく名字の家や地域では「鬼も内」というそうです。

 また、鬼(酒呑童子)退治で有名な渡辺綱の子孫ということで渡辺の姓の家では豆まきをしないのだとか。鬼が寄り付かないんだそうです♪

 大寒の最終日にあたる節分。
 年の数だけ豆を食べて、元気をつけまっしょい♪

 節分にふさわしい掛軸というと、やはり「竹有上下節」「安分以養福」でしょうかね。そして「不苦者有智. 遠仁者疎道」がベストでしょう!
 
 これは「ふくわうち・おにはそと」と読みながらも「苦しまざる者は智有り・仁に遠き者は道に疎し」とも読むことが出来る言葉です。これは江戸時代に儒学者が考えた語呂合わせだそうです。私はこれが欲しいです!(笑)