皆さん、着物と浴衣の違いってなんだかご存知ですか?

 

 素材? 柄? 形は一緒ですね。

 

 実は「襟」が違います。

 

 といってもこれは女物だけの話なんですが。

 

 女物は、礼装用や御洒落着は「広襟」、普段着は「撥襟」で仕立てられていますが、浴衣は男物と同じ「棒襟」というのが本来の襟になります。

 

 ところが、大正ぐらいから、撥襟で仕立てる人が出始めます。これが「外行着としての浴衣の始まり」とされています。

 

 そもそも浴衣というのは、屋内着で一年中着ていいもので、風呂上がりの汗取り着です。それを着て夕涼みに出かけるようになったのが、外着としての始まりですが、あくまで夕涼みの時間帯に歩いていける距離の範疇でのことになります。

 

 ところが、大正時代ぐらいから、初詣の習慣が生まれると、祭りに遠出するということが始まります。

 

 この頃に仕立てられた浴衣に撥襟の浴衣があり、「半襟を付けて出かけた」と言われています。

 

 そして昭和になり、呉服屋さんが「着物としても着られますから」と撥襟で仕立てる事を勧め始めます。

 

 こうして、棒襟ではないお仕立ての浴衣と棒襟の吊るしの浴衣が生まれます。

 

 男物は、礼装から浴衣まで全て棒襟のため、基本見分けがつきません(笑)

 

 褝(単衣)の着物にしては生地が薄いというのはあるのですが、まぁ、着物として着るのは可能です。私はどちらかというと寝間着にしてしまっていますが。

 

 ま、普段着の一つですから、そんなことはどうでもいいことなんですけれどもね。知っておいて損はないと思います。

 稽古そのものは、洋服でもいいのですが、気をつけないといけないのは、「動き方」です。

 

 洋服と和服の根本的な違いは「線の動き」か「円の動き」かです。

 

 洋服というのは立体裁断をしているので、体にフィットした形をしており、体をある意味自由に動かすことが可能で、普通にしていると「最短距離で動く」=「線の動き」になります。

 

 ところが、和服というのは、平面断裁でつくられていて余分な裂地がたくさんある構造なため、体の動かし方を「着物に合わせる」必要があり、これをスムースにするのが「円の動き」になります。

 

 例えば、膝に(正確には太もも)手を置いていて、水指の蓋を開けるとき、洋服ならすっと手を伸ばして直線的に動かせば、何にも邪魔されず蓋が取れます。

 

 しかし、着物では、膝をまぁるく触るようにして指建礼の体勢になってから、円を意識してすーーっと手を前に伸ばすと「袖から手がニョッキリ出ず、袂で茶杓を落とすこともない」のです(膝から直接蓋にいくと大抵茶杓を袂で払います)。

 

 指建礼から前に手を出すときは、薬指⇒中指⇒人差し指と畳につけてから離れると美しい溜めになります。

 

 だから、昔気質の人は、「お茶のお稽古は着物でしなきゃ」というんですが、私は気をつけるポイントがわかっていれば、洋服でも同じ所作を身に付けさせれば好いと考えています。

 

 この膝から指建礼という所作は全ての予備動作として、月桑庵の弟子には必ずやらせるようにしています。ここが身についていれば、洋服で稽古しても、着物を着たとき慌てないで済むんです。

 

 他にもいろいろポイントがありますので、是非、習いに来てください♪

 

 ※勿論着物でやったほうがいいに決まってますけどね。

 カジュアル茶道・テーブル茶道……私の大嫌いな言葉です(笑)

 

 カジュアル茶道は喫茶のことで、日常の茶。テーブル茶道は立礼式のこと。

 

 言い換える必要があるなら「茶道」じゃなくて「テーブルで点てる抹茶」とか「カジュアルに抹茶を喫(の)もう」な訳ですよ。

 

 こういうアプローチは「間口を広げよう」と目的にフューチャーしすぎて、手段と目的があべこべになってしまう結果を生みます。

 

 最終的な目的は

 

・正しい教えを伝える

 

 ことであって、人数を増やして終わりではなく、「正しい教えを伝えるために、型を崩したり規矩を無視してはいけません」よね。

 

 私はそういうカジュアルだのテーブルだのよりも「洋服でいいの!」ということが一番大事だと思います。

 

 袂の稽古は羽織とか浴衣とかを洋服の上からはおってすればいいので、普段のお稽古は洋服でいいです。

 

 そのうち着物を着ようかな?、着物で稽古しようかな?と思えるようになったら着物で稽古してくれればいいんです。

 

 なんでハードル(参入障壁)が高いのか?は着物が高いからですよね。だったら、着なくていいんです。

 

 ってか、着物持ってなくても、先生や先輩がくれたり貸してくれたり、譲ってくれたりしますからw(そのうちリサイクル着物見に行こう!となるかもしれません)

 とにかく大事なのは「始めること」です。

 

 着物のことを気にせず、お稽古始めてください♪

 よく「先生を変える」と言い出す人がいます。そうすると「ウチに来る?」と言い出す先生がいます。

 

 もし私に相談されたら「まず話を聞こうか」と言いますが、最終的に「先生を変えるのを辞めさせる」ように話します。

 

 先生も人です。

 

 というか、最初から完璧な先生なんて居ないんですよ。

 

 先生に物足りなさを覚えたのなら、それは自身の成長です。先生の背中に追いつき始めたということです。それでも、自分は先生じゃない。まずは資格を手に入れて、稽古場と道具を揃えるところまでやってみてください。

 

 それと、先生の事ばかりあーだこーだ言う人がいますが、自分は弟子として出来ていたのか?を内省してほしいです。

 

 弟子として先生を支えられましたか?

 

 間違っている!と思ったことを責めるのではなく、質問(疑問じゃなくて)できましたか?

 

 茶会で客を意識できるようになるのはいいことですが、他のお弟子さんやお点前さん(亭主)、半東、席主(東)のフォローなど、できるようになっていますか?

 

 道具を買わされた!と喚く人も居ますが、無理にでも買わされていなかったらその道具買いました?

 

 茶道具は一気に買うことはまず出来ません。先生になる気がなくても、少しずつ先生が買わせてくれているとやる気になったときにある程度先生をやれる程度に揃っていたりするものなんですが、そんな事考えたこともなかったのではないですか?

 

 先生というのは、一年二年ではなく、十年二十年という単位で弟子を見なければなりません。ですから、女性の場合、結婚している女性や家付きの女性が多いのですね。男性でも家付きや寺などの場所に教室を開ける人が多いです。

 

 確かに、先生というのは弟子の三倍の知識がなければいけないもので(理想ですが)すが、その先生だって成長途中だったりします。

 

 不満があったら、まず相談すべきは私でも友達でもなく、先生なんですよ。

 

 もしかしたら、上の先生に付けてくれるかもしれない(資格と実力が備わっていれば)のです。

 

 私の先生は四人師匠がいたそうで、最初の先生は中伝まで、次は奥伝まで、次は教授まで、そして家元に習うようになったのだとか。

 

 上の先生でなくても、先輩先生を紹介してくれるかもしれません。

 

 安易に先生を変える人は成長しないと思います。

 

 稽古に大事なのは「忍」耐です。

 

 先生に必要なのは堪「忍」です。

 

 互いに「忍」の心で切磋琢磨していきませんか?

 

 どうしても変わりたいというなら、しばらくお休みして他流さんの教室に遊びに行かせてもらったらどうでしょう?(習うのではなくね)

 

 ウチの「お茶会へ行こう」なんか如何ですか?w

 海外留学や駐在した人が帰国すると和文化に目覚めるという話を聞いたことはないでしょうか?

 

 外国に長期滞在すると、大抵向こうの国の人に「着物」や「和文化(多くは茶道が中心)」のこと、そして「歴史」のことを聞かれることが増えます。

 

 これは、その人達がそうしたことに興味があるということではなく、その人を理解するためのバックボーンを知りたがっているのです。

 

 ですが、今の日本人はこうしたものに触れない人が増えています。そして、向こうの人に「なんだ、この人は国際人ではないのね」という見られ方をします。

 

 海外では、外国で自分の国のことを説明できない人は「国際人ではない」という認識を受けます。この国際人とは「自国内の教養(文化・歴史の知識・見識=ナレッジ)を持っていて、他国の文化・歴史を尊重し認識できる教養人」という意味です。

 

 これが出来ないといつまで経っても「言葉を喋れる猿」という一段低い見方を辞めてくれません。

 

 こうした認識は欧米諸国だけでなく、東南アジアなどの国々でもあまり変わらない印象を受けます。

 

 茶道のブログで何故こういうことを言い出すか?というと、茶道は「様々な海外の道具を取り入れている」ということがあるからです。

 

 主に支那から輸入されたものが珍重されてきたのは事実ですが、それ以外にも様々な国から入ってきています。

 

 例えば

・宋胡録
 タイの古窯場であるスワンカローク窯のこと。

・阿蘭陀

 オランダのこと。オランダが中国陶磁の影響で作ったデルフト焼のことで、イタリア・イギリス・フランスの焼物もある。伊太利、英吉利、仏蘭西といった焼名がつけられているものもある。

・呂宋

 フィリピンのルソン島から渡来した焼物。

・南蛮

 東南アジア広域で作られている素焼の器の総称

・モール(毛織)

 ムガール帝国のこと。ムガール帝国から支那に輸入されていた毛織物がモールと呼ばれ、その後ムガール帝国から輸入された打出銅器のことも指すようになったもの。※ムガール帝国はインドのイスラム王朝。始祖がモンゴルの血を引いていたことからムガール=モンゴルと名乗ったもの。

 

 こうしたことから、それぞれの国とのつながりが生まれることもある訳です。

 

 ドイツのマイセンなどは日本の染付の技術が元になっていたり、柿右衛門のツボなどはヨーロッパで珍重されていたりする訳です。

 

 ですから、相互に相手の文化を尊重する上で、知識を身に着けて置くことはとても大事です。

 

 国際人になりたいと思うなら英語よりまず日本の文化を知ることをお勧めします。