月桑庵改装計画、9月着工の予定でありましたが、なんでも今年の四月に改正になった建築法の所為で、確認申請に2~3ヶ月も掛かることが判明。

 

「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 

 最初の話では確認申請は要らないと言われていましたが、途中で「確認申請が必要になります」と変わり、「2~3ヶ月掛かる」と。

 

 

 

 

 えーーーーっと、今から2~3ヶ月掛かったら、11月~12月に着工で、そこから2ヶ月工事が掛かるんですよね?

 

 そうなると、月桑庵が完成するの、早くて1月、遅ければ2月末ですよ?その間ずーーっと茶会できないんですか?

 

 とりあえず、宗靜先生と相談ですが、10月は急遽「お茶会へ行こう」を開くことになると思います。

 

 解体した水屋は最低限だけ戻して、あとのものは、片付けましょう。

 

 9/20~24まで、仕事の関係で連休をいただいていますので、そこでガッツリ片付けます。

 

 

https://www.mlit.go.jp/common/001766698.pdf

 

 

 吉村楽入先生の楽入窯が、いよてつ高島屋で行われる【京の老舗名品展】に出店されるそうです。

 

 伊予松山は母・宗靜先生の故郷。

 

 いつか個展でもされることがあったら手伝いに行きますね!と言っていたところなのですが、今回は個展はなさらないようなので、ご協力まで★彡

 

 四国勢のみなさん、是非、お出かけください♪

 Threadsで、書道家の方とちらりと話したのですが、そこで知ったのは「書家の書道史は、伝聞が多く、いい加減です それが本になってしまってる」という事実です。

 

 あれ? これどっかで聞いたフレーズですね。

 

 ああ! 茶道の「茶人の由来は伝聞が多く、いい加減で、本にもなっている」のと同じですwwwww

 

 例えば、有名な「千利休の屋号は【魚屋】」というのも、女婿の家系である宗旦の子・江岑宗左が紀州家に仕えて提出した『千家由緒書』に書かれていることから言われていることで、ここでも「とと屋」となっていて、「魚屋」と書くようになったのは大正時代であることは、以前にも書きました。

 

 しかし、これは「過去の内容を書面に起こした」とされてはいるものの、この手の書状は誇張されていたり、「当時そうだと思われていた」内容が盛り込まれるので一次史料としては茶道界だけが高く評価しているという事実があります。

 

 茶道で検証が必要なものは「伝・◯◯◯◯作」とか「伝・◯◯◯◯所持」とかいうもので、この辺りかなり眉唾物が多いそうです。

 

 ただし、否定もできないため(否定の仕様がない)、放置されているのが現状だとか。

 

 小説『数寄の長者』で珠光青磁の茶盌を十一としていますが、珠光が所持していた珠光青磁の茶盌は四つ。それ以外は「同手(似たようなもの)」であったと思われます。

 

 後年、珠光所持の珠光名物は増え続け、珠光が富豪であったとされていきますが、珠光は一介の商家であり、豪商といえるレベルではなかったからこその、侘数寄という「新たな美意識の提唱」を始めたのかも知れません。

 

 茶道史もそろそろ後世の附会を正して、正確な歴史を詳らかにする時期に来ているのではないかと思います。

 世の中には「歴史小説はエンターテイメントでなければならないから必ずしも史実でなくていい」という考え方と「歴史小説は史実に則り書かれるべきである」という考え方があります。

 

 本当は、エンターテイメントでいいのです。そこから「真実の歴史」を知るようになってくれるのであれば。

 

 ところが近現代になって、小説を事実のように誤認識する人たちが一定以上出てきたのです。勿論、それ以前にも「軍記物」と呼ばれる物を史実だと思い込む人たちがいたのと同じ構図でした。

 

 いや、まさか。

 

 そう思われる方も多いと思いますが、山本菅助(小説やドラマのイメージ:軍師⇒史実:板垣信方・山県昌景の足軽大将または信玄の取次)、坂本龍馬(小説やドラマのイメージ:維新の立役者⇒史実:イギリス商人に支援を受けた武器商人)のように物語を史実として捉えている人はかなり多く、坂本龍馬に到っては教科書に載ってしまうほどの影響力を見せています。

 

 これらは、小説やドラマなどの影響力の大きさを感じさせるとともに、大衆の「小説への理解度の低さ」でもあると考えられます。

 

 小説は筆者が「物語を面白くするために改変した部分のある物語」であるのに対し、読者は「推論かもしれないが史実に基づいた物語」として読んでいるのです。

 

 こうした差異をみるにつけ、私は歴史小説は史実に基づくべきという現在の考え方に到った訳です。

 

 しかし、史実は史実としても、その狭間に登場人物の心境やどうしてそうなったのか?という歴史では見えない部分があり、そこにこそ、腕を揮うべきであると私は考えています。

 

 数寄の長者はそうした考えの下に書かれており、創作部分は創作であることを人物紹介やあとがきなどで明記するようにしています。

 

 歴史小説を書かれる方は、是非ともその辺りを勘案していただきたいと思う次第です。

 本日は旧暦七月十六日。

 

 『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」とあることから「白露」と名づけられた二十四節気の第十五節気が本日からの約二週間です。

 秋が極まる秋分までの最後の夏の名残りになります。

 和服の衣更えとしては、本日から「褝(ひとえ)」に変わります。
 我が家でも小千谷縮を仕舞いまして、褝を出しています♪

 暑がりな私は薄物でも大汗だったのですが、褝になってしまうと余計に大汗ですね^_^;A


 とはいえ、もう麻竹や小千谷は着られないので洗うしかないのですけれども(秋分までは着てもいいという流れもあります)。

 また、この時期は秋の長雨が始まる頃ですので、正絹も着づらく、着物選びが困ってしまいます(苦笑)

 茶道の御道具では、いよいよ秋の強い道具立てが相応しくなってきますが、白露というと、螺鈿や青貝の細工物で一点だけ露を示したものが喜ばれるように思います。

 寒暖の差が大きくなる頃ですので、皆さまお風邪など御召になられませんように^^

 白露に相応しい御軸としては「清秋白露香」「紅蓮白露秋」 「明歴歴露堂堂」などは如何でしょう♫