現在、「唐物」と呼ばれる相伝の点前がありますが、これは利休時代「小壺大事」と呼ばれています。
これは、現在のように「唐物」と呼ばれている種類が多くなく、大名物・名物・唐物ぐらいしかありませんでしたから、あくまで「その他の茶入より大事に扱う」ということから「小壺大事」と呼ばれていたようです。
これが、唐物と呼ばれるようになるのは、江戸時代に入ってからのことで、いわゆる家元制度始まった時代で、唐物は大名茶に使われましたが、千家では扱わなくなっていったことからの話ではないかと思われます。
ここで「唐物」と呼ばれているのは広義の意味での唐物で、「漢作唐物」と「(和作)唐物(素材または技法が支那伝来のもの)」のみならず、「高麗物」「嶋物」「南蛮物」「和物(素材も技法も日本のもの)」を含む概念です。
私はこれをわかりやすいように「唐物扱い」と呼んでいます。
これを唐物とだけ言ってしまうと、本来の唐物=和作唐物の意味が不明瞭になってしまうからです。
茶入の場合だけでなく、加藤四郎左衛門景正が、瀬戸の土で作ったものが「古瀬戸」、入唐し、持ち帰った土で作ったものが「唐物」、その後に瀬戸の土で作ったものが「春慶(隠居号)」、祖母壊の土で焼かれたものは「祖母壊」というように細かい分類があります。二代目が焼いたものは「藤四郎窯」または「真中古」、三代目が焼いた「金華山窯」と四代目が焼いた「破風窯」を「中古」、それ以後に焼かれた瀬戸・美濃・京のものを「後窯」といい、「利休」「織部」「宗伯」「鳴海」「正意」など指導したとされる人物の名を取って呼んでいます。
これらを和物といいます。
それ以外の陶器は「国焼」といい、和物ではありません。
この頃の小壺大事では、この和物までのものを大事に扱っていたのです。
次第に○○名物や中興名物などが増え、小壺大事の範囲が広がって行きます。
当然ですが、唐物扱いといっても、唐物と名物、大名物では扱い方が異なります。
但し、こうした扱いは現在武家茶以外で伝承されることは少なくなってしまったようですが。