月桑庵は水屋増築工事のため、9月~10月(11月も?)の間、お休みとなります。

 

 9月・10月は丸々お休みで、11月につきましては進捗に拠りますが、今年は玄猪(炉開き)が閏月の関係で12月初旬になりますので、12月に再開となる可能性がございます。

 

 再開の目処が立ちましたら、再度告知させていただきますので、よろしくお願いいたします。

 

 今回の改装では

 

・床

・床脇の収納
・貴人口
・茶道口
・蛭釘

・水屋

・玄関

・玄関脇の収納

・玄関と廊下の天井収納

 

 とかなりいろいろな改装を含んでいます。

 

 改装が終わりましたら、再度募集を掛けさせていただきますので。何卒よろしくお願いいたします。

 今年は閏六月がありましたので、8月29日が旧暦七月七日、七夕です。

 七夕は「棚機(たなばた)」や「棚幡」とも書き、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と結びついて、精霊棚とその幡を安置するのが7日の夕方であることから「七夕」と書くようになったのだとか。

 棚機津女とは、個人の名前ではなく、村で選ばれた巫女のことで、水辺で神の降臨を待つという「禊ぎ(みそぎ)」の行事があったそうです。これは「神=マレヒト」の考え方もあったかと思います。

 この行事は「雨乞い」の行事でもあり、水に関わる農耕儀礼であったといわれます。

 機(はた)という言葉がつくことからも解るように、神の着る衣(神御衣)を織って、神の訪れを待つ少女のことであり、水辺の機屋(はたや)に籠り、六日に訪れた神は七日に帰り、このとき水辺で禊ぎ(みそぎ)を行うと災難とのかかわりを取り去ってくれると考えられました。

 棚機津女が七日に出てくると、精霊棚(しょうりょうだな)を組んで、精霊馬として、胡瓜の馬に茄子の牛を備えます。馬が迎えというのは神が早く来るように、牛が送りというのは神がゆっくりと帰る(できるだけ近くにいてもらいたい)という表れです。

 これが、女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きっこうでん/きこうでん)や佛教の盂蘭盆会(お盆)、牽牛織女の伝説と結びつきました。短冊などを笹に飾る風習は、夏越の大祓に設置される茅の輪の両脇の笹竹に因んで江戸時代から始まったとされています。

 ちなみに「五色の短冊」は五行にちなんだもので、「緑(木)・紅(火)・黄(金)・白(水)・黒(土)」を意味します。

 また、イモの葉の露で墨をすると習字が上達するといい、7枚のカジ(梶)の葉に歌を書いてたむける風習もあります。このことから「梶の節句」とも言います。

 茶道の道具としてはこの短冊にちなんだ「短冊箪笥」などがあります。当流では、茶事などにおいて短冊箪笥の倹飩蓋裏に短冊を仕込んで、薄茶点前の際に用います。短冊は著名な方のものによるのではなく、七夕に因んで詠んだ歌を掛けます。当然、初座や待合の軸には短冊を掛けることができなくなりますが(笑)

 月桑庵では、この短冊箪笥に総織部竹形水指を飾り、点前をさせていただいております。8/14の「お茶会へ行こう」でも少々遅い七夕となりますが、七夕にちなんだ道具立てを考えております。

 七夕の軸としては 「銀河落九天」とか、「瀧直下三千丈」も七夕によく掛けられます。「月落不離天」というのも、天の川を連想させるように思います。

 小堀遠州が好んだ銘に「歌銘」というものがあります。

 

 これは、義政公以来の銘の付け方に由来があります。

 

 例えば「初花」に匹敵する茶入として有名な「遅桜」の銘は

 

夏山の 青葉まじりのおそ桜
初花よりもめづらしきかな

 

 という『金葉集』の歌に因んで足利義政が銘をつけたとされています。

 

 現代でも、武家茶では生きていて、鎮信流の御宗家・松浦宏月公が、安藤家御家流の御宗家・安藤綾冠さまにお贈りになられた茶杓が自作の歌を添えた歌銘になっておりました。

 

 これにちなんで私も笹葉写の茶杓には「馬来田」とつけ

馬来田の嶺ろの笹葉の露霜の

濡れて別きなば汝は恋ふばそも

 の歌銘を筒に書きました。

 

 銘の他に歌が添えられているというのは、大変趣が深くなり、物語に彩りを添えてくれたりします。

 

 皆様も、家元に「箱書お願いします!」ではなく、自分で銘を考えて、歌を添えてみるとか、既にある銘から歌を選んでみるとか、詠んでみるとかしてみませんか?

つごもりを過ぎて去りゆく閏月
新たし月も未だ暑きに

 

 こちらは、Twitterの短歌スペースで、お題「月」で詠んだ歌です。

 

 以前伺っていたREALITYの歌会みたいな感じですが、Twi友のHAYちゃんが時々やってます。

 

 丁度、閏六月が終わったばかりで、七月朔日の深夜(0時を超えていたので、二日といえば二日)だったので、二日月(繊月)を詠んでも良かったですね。

 

わずかにぞ のぞく明るき 月影の

糸のごときに ほそく出たる

 

 なんてのも良かったかも?

 

 こうして和歌を記事にするのは茶道に和歌の趣が必要だと考えているからでもあります。

 

 誰でも詠めるものなので、歌を下手でも詠み続けることは茶道の深淵に挑み続けることになるんじゃないかと思うわけです。

 

 皆様には是非、上手・下手を気にせず、どしどし歌を読んでいただければと思います。

 

 よかったら、この歌に返歌をコメントしてみてください♪

 現在、「唐物」と呼ばれる相伝の点前がありますが、これは利休時代「小壺大事」と呼ばれています。

 

 これは、現在のように「唐物」と呼ばれている種類が多くなく、大名物・名物・唐物ぐらいしかありませんでしたから、あくまで「その他の茶入より大事に扱う」ということから「小壺大事」と呼ばれていたようです。

 

 これが、唐物と呼ばれるようになるのは、江戸時代に入ってからのことで、いわゆる家元制度始まった時代で、唐物は大名茶に使われましたが、千家では扱わなくなっていったことからの話ではないかと思われます。

 

 ここで「唐物」と呼ばれているのは広義の意味での唐物で、「漢作唐物」と「(和作)唐物(素材または技法が支那伝来のもの)」のみならず、「高麗物」「嶋物」「南蛮物」「和物(素材も技法も日本のもの)」を含む概念です。

 

 私はこれをわかりやすいように「唐物扱い」と呼んでいます。

 

 これを唐物とだけ言ってしまうと、本来の唐物=和作唐物の意味が不明瞭になってしまうからです。

 

 茶入の場合だけでなく、加藤四郎左衛門景正が、瀬戸の土で作ったものが「古瀬戸」、入唐し、持ち帰った土で作ったものが「唐物」、その後に瀬戸の土で作ったものが「春慶(隠居号)」、祖母壊の土で焼かれたものは「祖母壊」というように細かい分類があります。二代目が焼いたものは「藤四郎窯」または「真中古」、三代目が焼いた「金華山窯」と四代目が焼いた「破風窯」を「中古」、それ以後に焼かれた瀬戸・美濃・京のものを「後窯」といい、「利休」「織部」「宗伯」「鳴海」「正意」など指導したとされる人物の名を取って呼んでいます。

 

 これらを和物といいます。

 

 それ以外の陶器は「国焼」といい、和物ではありません。

 

 この頃の小壺大事では、この和物までのものを大事に扱っていたのです。


 次第に○○名物や中興名物などが増え、小壺大事の範囲が広がって行きます。


 当然ですが、唐物扱いといっても、唐物と名物、大名物では扱い方が異なります。


 但し、こうした扱いは現在武家茶以外で伝承されることは少なくなってしまったようですが。