こういうことを言い出すと、「また言わんでいいことを」と言われてしまう案件なんでしょうけれども(笑)
またぞろ、 「教えてもらえないから知らない」という人が「水屋ができないのは~」などと言い出した訳です。
結論から言えば「教えてもらえないから知らない」などと、言っていいのは小学生までです。
小学生までの勉強というのは、勉強の仕方を教えてくれている訳で、中学はそれを習慣化させるため。高校はそれを高度にするための工程でしかありません。思考を習熟させるために似たような内容を徐々に深掘りして理解度を高めている訳ですから。
それに対して、大学というのは、自分で学ぶための場であって、人から教えてもらうのを待つ場ではないですよね。
これは「道」のつく習い事も同じです。
「教えてもらってないから知らない」という言葉を吐く人は、餌を待ってるだけの雛と同じです。
そういう人は、茶人ではないし、茶道家でもない。 私はハッキリと物を言う人なので、嫌われようが言いますが、【だから市井の先生の大半は物を知らない】のです。
学ぶってのは学び続けるってことで、つまりは家元が「流儀で教えることは高校レベルのことまでです」というのは、内容が高校レベルというのとではなく、学習の考え方のことなんですよね。
ウチの宗靜先生も、よく「教わってない」というけれど、心のなかで「それは違うと思うよ」と零してます(笑)
流儀のことだけを教わっていればいいというものではないのが、茶道。 多くの流派が他流の道具とよく似た好物を新たに出すのは何故か。 学んだからでしょう? そのまま使うのは憚られるから、塗を変えたり、透かしを変えたりして好み直したり、一部を作り変えてさらに工夫をしたりして。
裏千家の瓢棚だって、宗徧流の琵琶棚そっくりですよね。 裏千家はそうやって他流の良さを取り込んできたのだと思います。つまり、学んで、切磋琢磨してきている訳ですよね? 武家茶の流儀は他流から棚を貰ってそのまま使う流派もあります。 当流も他流の棚物のそのまま使いますし(笑)
勿論、他流の点前をそのままやるのではなく、自流の点前や規矩に即して使います。 それでいいと思いますし、そうして新たな可能性を探るのが茶道ではありませんか? 私は規矩に煩いですが、新たな点前をいくつも考えて試してますし、それを家元以外がやってはいけないなどと思っていません。
それは学び続けているからで、常に何かを取り入れよう、そして規矩に反しないようにと考えています。 物語が尽くせるように勉強し、道具の良し悪しも分かるように学び、苦手な花も教わりながら自らも調べ学び、実践し、試行錯誤しています。
それが利休の言う「他人と違うことをせよ」ではないのです? 創意工夫を失ったらそれは単に猿真似でしかないと思いますよ。
学ぼうという気持ちのない人は、いつまで経っても「教えてもらってない」といいくさると思っています。
あなたは自ら学んでますか?
