日曜日はお茶会へ行こうでした。


 コロナ前は三ヶ月前に予約が埋まっていた霙点前の月でしたが、お客様2名様を迎えてとなりました。


 昨年買った二振りの茶杓がこの月に登場です。


 水無月は晩夏。最後の夏ですので、切合風炉にしたいのですが、月桑庵には切合風炉が唐銅鬼面風炉と唐銅朝鮮風炉しかなく、唐銅鬼面風炉は真台子に使うので、本来は普段に使いたくないのですが、足りないため使っている状態です。


 琉球風炉を買うことにしたので、来年からは余裕を持って回せそうですが(笑)


 常連のOさんと久々に宗歌先生がお見えになられました。


 和やかな会となりましたが、人がなかなか集まらない状況に、「なんとかしないとねー」という話も出て、次回から


・おしのぎは【松花堂弁当】をつける

・初回特典?としてお試し価格で半額の【2500円】にする

・大学生以下は学割で【3000円】※お試し価格との併用は出来ません。


 ことが決まりました。

 一回来てみていただいて、良い!と思ったら二回目からは通常料金で、来ていただこうよ!という宗靜先生の意見を汲みました。


今月の道具組みは


令和五年六月十三日 癸卯己未己丑

床 軸   白雲抱幽石 翠山景正筆
  香盒  埋木 荒井関仙堂造
  花入 蝉籠
  花  季のもの

 釜 唐銅鬼面風炉 川辺庄造作
  水指  信楽 平 西尾照幸(卯山窯)作
  茶器  丹波 文琳茶入 市野信水作 銘『不易』
   仕覆 蕎麦縞唐草金襴 京仕立て
  茶盌 主 飴釉 馬盥 吉田多年作
        芦葉庵井沢宗達彫字
        長嘯庵横山宗顯 銘 竹葉
     次 白楽 馬盥 彭寿文 島荷平作
     替 赤楽 馬盥 小西平内作
     替 黄楽 馬盥 清水七兵衛信翠作
  茶杓  横山宗顕作 大塲鎮之竹 拙銘『竹帛』
   建水 曲 面桶 高木誠明作
   蓋置 瘤竹 銘 空蝉
 菓子器  織部 四方喰籠 加藤隆倫作
 菓子司  薯蕷饅頭 江戸明石 塩瀬総本家
 御 茶 神楽殿 城州宇治 山政小山園詰

 棚 桑小卓 仙叟好
  水指  和蘭写 長 吉村楽入作
  茶器  甲赤棗 裏千家不休斎好
  茶盌 主 今高麗 金三竜作 先代家元銘「黒潮」
     次 瀬戸 黄瀬戸緋襷 加藤釥作
     替 御本手 片口 森里陶楽作
     替 古平戸手 平戸大四郎作
  茶杓  横山宗樹 銘「蝉しぐれ」
   建水 唐銅 鉄盥 中川浄益作
   蓋置 志野 墨台 川本晴雲作
 菓子器  南鐐仕立盛器
 菓子司  あんこ玉
      干苺
      和三盆 洛中烏丸 亀屋則克
 御 茶 四方の薫 城州宇治 山政小山園詰

 昭和己卯は昭和十四年の間違いでした。失礼いたしましたm(_ _)m

 横山宗顕と横山宗樹は祖父と孫で、共に裏千家の茶家だそうです。元々、横山宗顕が銘した吉田多年の馬盥茶盌を持っていて、それに合わせて横山宗顕の茶杓を手に入れたのですが、季節柄ピッタリなお孫さんの茶杓も見つけ、揃えて使っています。

 来月は【8月20日】!となりました。氷点前です!

 残暑厳しい頃とは思いますが、皆様のお出掛けをお待ちしております!

 ここ連日書いている『茶の湯の歴史を問い直す〜創られた伝説から真実へ〜』の記述を鵜呑みにせず、再度考えてみようと土曜日は本を開かず、彼是考えてみたのですが、それには珠光のいう「和漢」とはなんのことか?を突き詰める必要があると考えました。


 本に拠れば「唐物」と「和物」という対比軸になっているのですが、私の解釈(私だけの解釈ではありませんが)だと、和物は広義の唐物の一種にすぎず、唐物との対比軸にはなりえません。


 では、そもそも唐物とは何か?となる訳です。


 本の書きようだと「舶来品」「渡来品」のことを指しているように見受けられました。しかし、これは違います。私も嘗てそう考えていましたが、今は明確に「違う」と言うことができます。


 舶来品や渡来品だからといって唐物としては扱われないことを知っているからです。


 そもそもの今日唐物と呼ばれる物は「珍品・名品として献上され、また下賜され、誰かに愛玩されたり、大切に伝えられてきたもの」であるからです。


 そして、今日いう「唐物」には、


・漢作唐物

・唐物

・古瀬戸(ふるせと)

・和物

・高麗物

・嶋物

・南蛮物

・大名物

・名物

・中興名物

・○○名物


 といったものが含まれています。ここまで述べたところで「あ!」と思われた方はいらっしゃると思いますが、今日の唐物では珠光の理念である「和漢の間を紛らかす」状態になっていることが分かります。


 茶陶に限って言えば唐物は「加藤四郎景正が渡航し持ち帰った唐国の土で作った漢作写」のことであり、古瀬戸は「加藤四郎景正が祖母懐の土で作った物」のことであり、和物とは「加藤四郎景正が隠居して以後から四代藤四郎までの窯で焼かれた物」になります。


 では、いつ頃からこの分類になったのか?ということを解き明かさねば、珠光のいう「和漢とはなにか?」が分からないかと言えばそうではないと思います。


 注目すべきは漢作唐物という言葉です。

 唐物が渡来品であるならば敢えて「漢作」とつける必要もないですし、漢作唐物と呼ぶ必要もありません。


 この漢作唐物という言葉から見いだせるのは「唐物とは扱い方の区分である」ということです。


 当流の口伝には「唐物扱い」という言い方があり、器物区分の唐物とはニュアンスが異なります。


 故に「唐物とは良品の代名詞である」という結論が出せます。


 しかし、このことは、珠光以後起こったこととも考えられるのです。


 それはどうしてか?というと藤四郎の話がある意味伝説を多分に含んでいることから、これはブランド戦略の遣り方にそっくりだからです。


 ブランド戦略とは、歴史の浅いメーカーが人々に良品であると認識してもらうための販売手法です。


 印のないものと自社製品を区別してもらえ、そのマークが入ったものを誇りに持ってもらえるようなデザインをし、イメージ戦略を同時に行うことで、他の物と差別化していきます。


 つまり、藤四郎という伝説を作ることで、他の国産品と区別し、品位を保たせるために藤四郎伝説は生み出された可能性があるということです。


 これは取りも直さず、その当時の国産品は良品であってもブランド力がなく、見向きもされていなかったと考えることができます。


 そこを珠光が「こんなにいいものなのに漢作に拘って目が曇ってるんじゃないか、こいつら」と言わんばかりに言い出したのが「和漢の間を紛らかす」ということではないかと。


 つまり、珠光の言わんとしている「和漢」は和作と漢作の意味であり、「和漢の間を紛らかす」とは「和物と唐物」ではなく「和作と漢作を分け隔てて考えるのではなく、同じ俎上に載せよ」ということでしょう。


 良い物は良い。


 それを潔く認めよ、と。


 それが私が辿り着いた「和漢の間を紛らかす」という言葉の意味になります。


 皆さんはどうお考えですか?

 

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「抹茶は甘い飲み物です」

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 お抹茶に抱くイメージってどんなものがありますか?
 お茶会ってどんなところでしょ?
 茶道ってどんなことしてるんでしょ?

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 実は、お茶会って愉(たの)しいところなんです!

 一般的なイメージだとしゃべっちゃいけないみたいな感じですかね?

 でも、本当はそんなことなくて、正客と亭主の会話の邪魔をしなければ、話していいんですよ。雑談はダメですけどネ(笑)

 そして、抹茶はとても甘い物なんです。

 苦い抹茶は「安い抹茶」とか「点てる人が下手」ということ。上手な人は甘い抹茶を点てられます。

 さらに、自分たちだけのために用意された小さな美術館として、日本の伝統工芸に身近に触れられます。陶器、漆器、指物、竹工、金工、羽細工、鋳物、織物、染物、建築、造園、書や香などが所せましとそこにあります。

 そして着物で出掛ける場所としてこれほど相応しい場所もありません。

 月桑茶道教室では、そうしたお茶会へ行くための心構えや喫(の)み方、お菓子の頂き方など、様々なシチュエーションで体験いただけます。

 ご興味ございましたら是非お出掛けください(*˘︶˘*).。.:*♡

 コロナ対策は手洗いの徹底、マスクの着用にて各自お願いいたします。当日発熱の方はご参加をお断りすることがございます。予めご了承ください。
 

 8月20日は旧暦七月五日ですので、七夕に因んだ設えでおもてなしいたします。月桑庵の定番【氷点前】です。

 

 会終了後はおしのぎに【季節の松花堂弁当】がございます。

 お時間の許す方はお召し上がりくださいm(_ _)m

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 濃茶 
 薄茶 氷点前


 定員5名(別途手伝い枠3名)
 

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■日時
 令和5年8月20日(日)
 濃茶:13:00~14:30
 薄茶:15:00~16:30
 

 開始15分前までにお越しください。
 時間はあくまで目安です。時間通りに終わるとは限りませんのでご理解ください。
 茶事終了後、お時間のある方はお残りください。簡単な酒席がございます。
 

※濃茶【こいちゃ】
 本来のお茶。一般的に思い浮かべる抹茶よりもどろっとして濃い抹茶。菓子は上生菓子を添える。
 

※薄茶【うすちゃ】
 一般的に抹茶といわれると思い浮かべる抹茶。菓子は干菓子または半生菓子を三種以上添える。
 大寄せでは上生菓子にてお出しすることも多いです(笑) 
 

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■会費
 5000円(濃茶・薄茶)
 会費は当日封筒に入れてお出しください。
 

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■参加方法
下記予約ボタンより予約をお願いいたします。

 

STORES 予約 から予約する


■申し込み締め切り
 定員になり次第募集終了です。
 また、菓子の都合もありますので、一週間前には締め切らせていただきます。ご注意ください。
 加えて、キャンセルもそれまでの受付とさせていただきます。キャンセル料は全額お支払いいただきますので、ご了承ください。


■ご新規さまへのお願い
 当日キャンセル後、ご連絡取れない方が多いため、ご新規さまにつきまして会費の事前振込をお願いすることになりました。何卒ご協力おねがいいたします。


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■服装
 洋装OKです。
 ただし、できるだけゆったりとした【外出着】でお越しください。ジーンズやミニスカートはお控えください(できるだけ膝丈より長いもの)。カジュアルすぎる物はお避け下さい。
 男性は七分裾などの短いものはNGです。
 また、当会はお稽古会ですので、お着物の場合は小紋、浴衣、絣など普段着や紬などの普段着・お洒落着(無紋の訪問着)でOKです。
※通常のお茶会は色無地紋付以上の礼装となります。

 

■ご用意いただくもの
・懐紙【かいし】
 お菓子を頂いたりする際に用います。
 

・菓子切り【かしきり】
 菓子を着る金属や竹などでできた楊枝です。金楊枝ともいいます。
 

・扇子【せんす】
 茶道用の扇子です。礼をする際などに必要です。五寸、五寸五分、六寸、六寸五分があります。
 

・帛紗【ふくさ】
 茶道用の帛紗。点前をする際に亭主が腰につけ、道具を清めるのに用います。
 ※習われている方以外は不要です。
 

・小帛紗【こぶくさ】または出し帛紗【だしぶくさ】など
 茶盌(ちゃわん)が熱いときや道具を拝見する際に用います。濃茶には必須です。
 ※お貸しいたします。
 

 以上のものにつきましては、
 ・薄茶席の方はできるだけお持ちください。
 ・濃茶席の方はお持ちください。
※ご用意のない場合はお貸しいたします(未経験の方)。
 

・替え白足袋または白靴下
 足袋カバーをお脱ぎいただいても構いません。洋装の方は履き替えていただきますので、必ずご持参ください。
 

・封筒
 会費は封筒に入れてお名前をお書き添えの上、ご持参ください

 

 こちらを読んでいて、残念なことが一つありました。

 それは第10章の中にでてくる「和物」という意味を「一般的な広義」で解釈していたことです。

 

 特に茶陶を論ずる際に、和物というのは「渡来品としての唐物に対する日本国産という意味での和物を意味しない」ということがあります。

 

 日本国産品という意味では「国焼」という言葉があるからです。

 

 というのは、唐物の話のところでも書きましたが、和物とは「初代~四代までの藤四郎窯で焼かれた祖母懐の土を用いた陶器」を意味するからです。

 

 そして、「セトちやわん」とは、鉄釉の茶盌を意味しています。

 

 この論文についてのみ、頭の中で和物と書かれたところを国焼と読み替えながら読み進めないといけないため、非常に読みづらいものがあります(まだ途中)。

 

 非常に興味深い論文を書かれているのに用語定義が違うだけでこれほどの拒絶反応を自分がするとは思いませんでした。

 

 これが、茶道のハードルなのかもしれません。

釣り釜や 今は昔と なりぬるも
炉風炉を不問 釜を懸けりて 道舜

【口語訳】
釣り釜というと、今は昔のこととなってしまいましたが、炉風炉を問わず釜を懸けていました。

 釣り釜は現在、新暦3月〜4月(旧暦二月〜三月)に懸けられるものとして定着していますが、利休以前では炉でも、風炉でも行われていたものでした。

 炉の時期、旅箪笥と共に用いられることの多い釣り釜ですが、小田原征伐において利休が始めたとされていますが、実はそれ以前から箪笥物と置き合わせて用いられていることが分かりました。

 その当時の箪笥物は、唐物箪笥であり、銭屋宗納が所持したものが有名ですが、それ以外のものもあったのか、小田原征伐前の茶会記にも度々登場しています。

 桐木地の旅箪笥は利休好で、利休箪笥とも呼ばれ、先にあった小田原征伐で初めて点前に用いられました。流派によっては風炉でも用いるそうですが、多くの流派では炉用です。

 釣り釜というと、不白が不時の茶事にした釣り釜の話があります。不白が早々に炉を閉めてしまって、まだ風炉には早いという時期に、寒の戻りがあり、不意に訪れた客を饗すのに、面取風炉を出し、自在で釣り釜をした――のだそうです。この逸話は武家茶道の磐城平藩安藤家御家流に遺されていたそうで、一度、その点前を拝見したことがあります。

「和漢の間を紛らかす」の話でもそうでしたが、先入観を持たず、臨機応変をするということの妙を見せてもらった気がいたしました。

 私は臨機応変が苦手で、どちらかというと杓子定規なので、多くのことを知り貯えて、その場になったら先達がどうしていたかを流儀に拘らず行っていきたいものです。