湯桶と湯桶は、どちらも同じ漢字ですが、読み方も違えば、形も大きく違う道具です。


 湯桶【ゆおけ】は、寒中に用いる曲水指が大きくなって持ち手が付いて、蓋が割蓋になったようなお湯を入れておく露地道具です。


 蹲踞の横にある湯桶石に置くのが決まりだそうですが、侘敷(小間)では湯桶石を置かず、手水に湯を張るのが良く、寂敷(広間)では湯桶を用いるのが良いとされます。


 広間には広い蹲踞処を、小間には簡素な蹲踞処を設けるべきということなのでしょう。


 もう一つは湯桶【ゆとう】で、こちらは懐石の最後に焦げ湯(お焦げを入れたお湯)を出すときに使う水次【みずつぎ】に三つ足の付いた道具です。


 元々は湯次【ゆつぎ】と呼ばれ、飯器【はんき】とともに両次【りょうつぎ】と呼ばれており、飯器も飯次【めしつぎ】であったことが分かります。


 湯桶【ゆおけ】は曲で、曲を塗った物もあります。


 湯桶【ゆとう】は塗物で、曲の物もあるようですが、あまり一般的ではありません。手と注ぎ口がありますので、湯桶とは形状が大きく異なります。私としては今後、「湯次」と呼ぶことにしようと思います!

 旧暦十二月十三日は織田有楽斎の命日です。

 織田有楽斎というのは、織田源五郎長益といい、織田信長の弟です。亡くなったのは元和七年十二月十三日。
 有楽流・貞置流の流祖であり、利休十哲の一人でもあり、台子伝授の一人でもあります。

 洒落者の信長の弟らしく、最初は南蛮数寄だったようですが、秀吉の禁教令以後は南蛮数寄をピタリと辞め、侘びすぎず、華美すぎず、中庸の茶を進んだと言われます。ただし、織部と似た感性を持っていたのか、有名な有楽の茶杓は、奇抜な形をしています (茶杓「玉ぶりぶり」は節裏が段差になっています)。削った茶杓は下がり節が多いとのこと。

 有楽が受けた台子伝授は古い方の台子だったようで、有楽流・貞置流の奥秘は四段といわれています(極真三段に乱れ一段)。

 有楽で挙げるとすれば、如庵と有楽井戸(大井戸茶盌)でしょうか。
 ちなみに如庵は有楽斎の庵号でもあります。庵号が庵名として残ったという方がただしいでしょうか。

 
 それと東京の有楽町(ゆうらくちょう)は有楽斎の名前から新しく生まれた地名とも言われますが、実際には違うらしいですよ。

 有楽の残した言葉で有名なのは「それ茶の湯は客をもてなす道理を本意とする也(茶道織有伝)」でしょうか。

 有楽忌には是非、有楽井戸写で一服如何?

 昨日は、新暦正月ではありますが、月桑庵としては旧暦十二月十一日……ということで、寒中の設えにてお迎えいたしました。


 蕎麦懐石……といっても、蕎麦掻きなどを出すのではなく、麺蕎麦を色々な形で食べていただく「つけ蕎麦」懐石です。


 ご飯の代わりに、蕎麦。

 汁の代わりにつけだれ。

 煮物椀には鴨南蛮。

 焼物には天麩羅。


 こういうオリジナル懐石をしてもいいでしょ!年越蕎麦代わりに!ということで始まった研究会ですので、いろんな地域の蕎麦を買ってきては試しています。


 つけ蕎麦懐石を始める前からしていた御汁粉は今年で最後にすることにしました。


 来年からは何がいいですかねぇ〜?


 宗靜先生と相談していて、北窓にしようか?という話にもなりました。胡麻餡の北窓ってできないかな……相談してみよう!


 月桑庵は今頃西王母が咲いておりまして、WAさんがお持ちくださった曙と可憐さを競わせましたが、一緒にお持ちくださった白梅の枝が一番可憐でしたね(笑)


 Oさん、宗歌先生、WAさんがお出掛けくださいました。


 来月は流茶会のため、「お茶会へ行こう」「お茶事へ行こう」はお休みです。次は3月、初午の設えになります。


 では献立・道具立は以下の通りです!


令和6年1月21日 晩冬

令和癸卯年乙子月丁丑日


つけ蕎麦懐石

飯椀  茶そば へぎ蕎麦 蔵王銀嶺そば

汁椀  出汁つゆ

向附  雲丹 唐千寿

煮物椀 鴨南蛮

揚物  天麩羅 大根おろし


 軸   無事是貴人 佛通寺管長 藤井虎山筆

  花入 赤楽 四方蹲 拙作

  花  季のもの


 釜 広口政所釜 佐藤浄清作

  炉椽 京塗 踊桐蒔絵 浄白作 笠井宗裕贈


 棚 一閑黒 丸卓 宗旦好写

  水指  瀬戸 鉄釉鮟鱇 中島卓作

  茶器  京瀬戸 瓢形 桶谷定一作

  飾棗  飛騨春慶 中棗

  茶盌  主 萩 鬼萩 渋谷泥詩作 銘『鬼十河』

      替 神懸 飴釉白流 室井香悦作 銘『白熊』

  茶杓  先代家元・荒木宗仙作 銘「老松」  

   建水 伊羅保 餌畚

   蓋置 唐銅 火舎 銘『六瓢』

  菓子器 会津塗 溜 御汁粉椀 鈴善造

  菓子司 御汁粉 自家製

  御 茶 神楽殿 城州宇治 山政小山園詰


 棚 都棚 笠井宗裕贈

  水指  織部 平 加東五陶作 笠井宗裕贈

  茶器  南京赤絵 時代物 仕覆 長楽寺裂

       髙信青年預かりの品

  飾棗  甲赤 常叟好

  茶盌  主 玉取龍 筒 吉田多年作

      次 鳥の子手 筒 原祥雲作

      替 唐人笛 服部宗晴作

      替 かせ釉 黒楽 吉村楽入作

      替 粉引 半筒 和田厚作

      替 乾山写 猫柳絵塩笥 田中渓峰作

      替 赤楽 繁雪に猪 筒 八坂焼

  茶杓 

   建水 高取 鉄釉 笹山登古作

   蓋置 竹 中節

 菓子器  漆芸塗 四方盆 松濤園 玉嶺作

 菓子司  和三盆 洛中烏丸 亀屋則克

      福は内 洛中西陣 鶴屋吉信

      松の葉 武州深谷 遊煎

 御茶   四方の薫 城州宇治 山政小山園詰


 

 本日は旧暦十二月十日、癸卯年乙丑月癸未日、二十四節気の第二十四、大寒です。

 大寒は、一年で最も寒い時期になり、二十四節気最後の節気です。


 寒稽古や寒気を利用した食べ物(凍り豆腐、寒天、酒、味噌など)を仕込む時期でもあります。

 『暦便覧』では「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」とされ、節分までのこの期間は一年で最も寒くなります。

 茶道では、暁の茶事の時期で、厳寒の朝の夜明けを愉しむという趣向を行う頃でもあります。大晦日と元日にかけて行う「年越の茶事」の前触れともいう茶事ですね♪(暁の茶事は2月ごろまで行います)

 また、小寒から大寒にかけての寒中は、筒茶盌で暖かい抹茶で体を温めるのが趣向の一つでもあります。

 この時期の御軸としては、旧暦合の歳末ですので「寒儘不知年」「寒松一色千年別」「歳月不待人」などもこの時期のものとして相応しいかと存じます。

 今年の大晦日は2月9日。節分や立春を過ぎてからとなります。また歳末のご挨拶はその頃にいたしとう存じます♪

 茶友が道具を預けたいとのことで、日曜日に月桑庵ヘみえた。


 預かったものは


・砂摺棗 銘 いそのかみ

・宋胡禄茶入

・高台寺蒔絵平棗

・瀬戸平茶盌


 宋胡禄は隣で焼かれた器物に熔けた釉薬が付いてそれを割って取り出したか、相方が割れたかしたようで、取れた痕がある茶入でした。


 蓋も風情があり、銘がないのは勿体ない。


 それならと「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」の歌を引いて、「早瀬」は如何?というと、お気に召されたご様子でした。


 いそのかみも、「石上 布留の神杉 神びにし 我れやさらさら 恋にあひにける」という歌から引かれたものでしょうから、神代杉(埋もれたもの)から作られたのだと分かります。


 どちらも恋の歌ですので、季節は春に割り振られます。


 これはどちらかというと新春の初々しさよりも、盛春〜晩春の頃が似合う気がしますねぇ〜♪


 平茶盌は、箱から出すと「黄色い唐津」っぽい感じなのに、いざ茶を点てると確かに瀬戸でした。


 これには驚きましたよ!


 いいものを見せていただきました。


 早く茶室を再建して取りに来てくださいましね!