ご訪問くださりありがとうございます
龍村修先生の
「沖ヨガ思想研究会」を
今年の1月から受講しています。
毎月1回の講座なのですが、
各回1度聞いたきりになっていました。
「聞きっぱなし」。
資料も「放りっぱなし」。
断捨離は
「○○しっぱなし」を嫌います。
第1回から
復習することを誓います。
(3日坊主の私には
「宣誓作戦」は機能します)
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断捨離の源である沖ヨガ。
沖ヨガの創始者は沖正弘先生。
龍村修先生は
沖ヨガを分かり易く
かみ砕いて伝えてくださいます。
龍村修先生
「沖ヨガ思想研究会」
沖先生の機関誌の文章を輪読しながら、
龍村が解説を加え講義します。
「沖ヨガ思想研究会」では、
沖正弘先生の生き方・在り方を学ぶことができます。
沖先生と龍村先生との思い出話も聴けるので、
毎月、とても愉しみにしている講義です。
詳しい情報は
コチラの画像をクリックしてください。
断捨離とヨガ
沖ヨガ
沖正弘先生
龍村修先生
なんのこっちゃ
そんな疑問をお持ちの方へ
ご参考までに
☆ひでこさんのブログ☆





内なる眼と外なる眼とがあります。外なる眼は簡単です。唯読めばよい、聞けばよいのです。内なる眼は体験しなければ絶対に覚めません。外なる眼で見ることを「見る」と書き、内なる眼で見ることを「観る」と書きます。我々には外なる眼と内なる眼の両方が必要です。
(中略)
「観自在菩薩」とは「自らを観ればそこに菩薩が在る」ということです。菩薩・観音菩薩というけれどもそんなものが居るのではありません。どんな意味かというと「体験すればわかるよ」「あなた方、たたいてみなさい。音がするよ。小さくたたけば小さな音、大きくたたけば大きな音がするよ」ということなのです。「色眼鏡をかけているからその色のように見える。自分が知っていることしかできない。たたけばたたかれる。憎めば憎まれる。怠ければ怠けた結果を与えられる」これを「観音菩薩」というのです。
(中略)
「悟る」為には自分が自分に誘い水を入れるようにするのです。中から本物の水が出てくるまで五年でも十年でも二十年でも命の続く限り実行していくのです。
1977年9月号
宗教心を持って生きる
沖正弘
一部抜粋
改めて
やましたひでこ著『自在力』の
「あとがき」を読み直しました。
以前は読んでも理解できなかった「あとがき」でしたが、
今日は「あとがき」に込めたひでこさんの思いを
少し深められたように思います。
「あとがき」だけではわからなかったこと、
「沖ヨガ思想研究会」だけではわからなかったこと。
双方向から読むことで
少しづつ理解が深まっています。
沖正弘先生の教えの一部を、
そして
龍村先生とひでこさんの
生き方・在り方の一部を、
またひとつ
具体的に学ぶことができました。
「沖ヨガ思想研究会」
詳しい情報は
コチラの画像をクリックしてください。
ではまた
断捨離®トレーナー&
トレーナー・インターンのブログは
こちらをクリックしていただけると
ご覧いただけます。
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ありがとうございました
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