沖正弘先生、100歳のお誕生日御目出度うございます。 | やましたひでこオフィシャルブログ「断捨離」Powered by Ameba

沖正弘先生、100歳のお誕生日御目出度うございます。

沖正弘先生 生誕100周年によせて
 
 
 
 

思えば、学生時代に、たまたま、ヨガをやってみようと思いたち、そして、たまたま、行き当たったのが沖ヨガ。

 

 もしも、あの時、ヨガではなく、違うものをしていたとしたら。

 もしも、あの時、同じヨガでも、冲ヨガではなかったとしたら。

 

 そう振り返ってみると、今の私は、沖ヨガとの幸運な出逢いを果たした「若き日のわたし」を大いに褒めてあげなくてはいけない。

 

 その幸運の出逢いから受けた恩恵は、以来四十数年、途切れることなくずっと続いていることを思うと、人生は、いつ、どこで、なにに、そして、なにより、誰と、出逢うかで、大きくその歩みを変えて行くに違いないと感じざるを得ない。

 

 20代前半、自分自身に大いに戸惑いを覚えていた時。

 静岡三島、世界中から原理原則を学ぼうとする人々が集う道場。

 沖ヨガの「生命即神」という教え。

 沖正弘先生という傑出した人物である師。

 

いつ、どこで、なにを、だれに。

 

 この見事なばかりの一致を、二つの「たまたま」の重なりで果たした当時の私が、その高い価値を見抜けるはずもなく、けれど、魅入られようにして繰り返し道場に通っていたのです。

 

 

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 それでも、「生命即神」には震える思いだった。

 

 そうか、私の命こそが神、もちろん私自身は神でもなんでもないごく平凡な人間。それでも、私を生かそうとする命のメカニズムが働いているとは。その命のメカニズムを「神」と看破して表現断言するとは。沖正弘先生は、沖ヨガは、なんと凄まじい程の躍動に満ちているのだろう。

 

 その驚きと感動は、さらに、「一人一宗」という教えにも繋がる。

 

 なんて、自由なんだろう。

 なんて、自在なんだろう。

 

 それは、宗派に縛られることもなく、既成の教義に囚われることもなく、自分自身で、自分自身のための生き方の哲学を自分自身で築きあげて行きなさい、という、沖正弘先生からの強い示唆だと、私は捉えた。

 

 けれど、抽象度の高い思想であるにもかかわらず、沖正弘先生は、沖ヨガは「生活ヨガ」であると言い放っておられた。

 

 道場という場で、そう、社会から隔てられた時空間で学んだ沖ヨガを、日常の生活空間で生かせなかったとしたら、日常の生活時間で機能させることができなかったとしたら、それは、何の意味もなさないと、いつも強く私たちを諭しておられた。

 

 だからこそなのか、私は、沖ヨガから得た「断行・捨行・離行」を、そうか、もしかしたら、それも「たまたま」だったのかもしれない、その「断行・捨行・離行」を、道場から私の日常に持ち帰ったのだと思う。

 

 それを「断捨離」として、生活の「片づけ」に落とし込むことによって、私自身も、そして、私と縁ある人々にも、誰もが実践可能な「自己探訪メソッド」として構築しはじめたのです。

 

 その過程は、試行錯誤であり、いえ、右往左往と言った方が適当であったけれど、ひたすら断捨離を進化発展させることに懸命であったよう。そして、それは今も変わらないこと。

 

 それにしても思うことは、これ。

 

 私が出逢った時、沖正弘先生は57歳であられた。なんということか、今、私はその年齢を超えている。その時、こうして、沖正弘先生の生誕100周年の記念集に拙文を寄せることになるとは、想像すらしなかったこと。

 

 たまたまの出逢いが、こんな道を私に辿らせることになるとは、神様は、ほんとうに摩訶不思議なことを私に強いるものです。

 

 沖正弘先生、100歳のお誕生日御目出度うございます。

 


 
 
 
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心からのいっぱいの感謝を込めて。
 
 
やましたひでこ 寄稿
 
「生命即神」
2109年11月8日 沖正弘先生
生誕100周年感謝会記念発行誌 
 
 
沖正弘 ヨガ指導家 思想家
1921年11月8日誕生
1985年7月25日入定
 
 

 

 

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