ドクターと呼ばれたくて… ~ダン、博士への軌跡~ 

自己紹介


名前:ダン


職業:大学院生


経歴: 1983年5月、元気な男の子として東京都世田谷区に誕生。


兄貴に続いて1990年、慶應義塾幼稚舎に入学。このころは比較的勉強が得意だった。しかし、「算数」という分野に出会い、撃沈。小学2年生にして算数テスト0点を記録。


その後、1996年に慶應義塾中等部に進学。1年生の時は成績良好だった。しかし2年生から「数学」のわなにハマり挫折。3年次に英語教師に喫煙がバレるも何とか見逃してもらう。何度となく留年の危機を彷徨いつつも、どうにか卒業。


1999年、英語が得意だから、という理由で、帰国子女が多い慶應義塾湘南藤沢高等部に進学。遅刻・欠席・喫煙・睡眠の常習犯となり、数学・物理の成績では学年で下から3番目と言われる。しかしなんとか得意な社会と英語でカバー。留年せずに卒業を果たす。3年生の時、慶應義塾大学への進学希望学部を提出するが、成績は中の下~下の上のクセに、大人気の法学部・政治学科を第一志望に。理由は「一生数式を見たくないから」。もちろん、行けるはずもなく、第三希望の経済学部に強制入学決定。萎える。


2002年、慶應義塾大学経済学部に入学。経済学にあまりにも数学が多用されていることに驚き、「絶対に4年で卒業できない」と悟る。ちなみに当時の俺は、因数分解すらできなかった。分数の掛け算すら怪しかった。


2003年、経済学に嫌気が差し、突如台湾に移住。テスト時期だけ日本に帰ってきてテスト勉強をしたものの、もちろん留年。当然の結果にも関わらず、少しショックを受ける。


留年した時、兄貴からさんざんバカにされ、笑われ、「バカだ!」となじられ、生まれ変わることを決意。留年したお陰でヒマになったので、人生で初めて経済学書を購入し読み始める。その時に出会った分野が「経済思想史」。


「経済学にも数学を使わない分野があるんだ!」と知り、絶対に経済学をマスターしてやることを誓う。そして3年生に進学する時、経済学史・思想史のゼミに入る。しかしこのゼミがヤバかった。同期13人中12人が留年しており、授業に来る人は4人だけ。飲み会だけは毎週開催される。しかし、このヤバいゼミであるからこそ、ゼミ代表のポストをゲット。勉強をもっと頑張ろうと誓った。先生は俺のことを「できる子」だと勘違いしてしまう。


大学3年生の暮れ、指導教授に勧められるがまま、経済学部の論文コンテストに嫌々応募する。その論文が何を間違えたか衝撃の入賞。授賞式で現在の指導教授に出会い、人間的に魅了される。そして、受賞を機に調子に乗り、大学院への進学を目指すことを決意。


大学4年進学時、数理経済学の先生にお世話になり、数学の面白さを初めて実感。そして二回目の賞受賞でさらに調子に乗り、「バカキャラ」返上を達成したものと勝手に思い込む。9月の大学院入試の4日前、私生活において事件が発生。完全にノー勉で入試に挑む。絶対に落ちたと思っていたら、奇跡の合格。面接では緊張のあまり脂汗をかきまくり、先生たちから笑われる。


2007年、慶應義塾大学経済学部を決して優秀とは言い難い成績で5年間かけて卒業し、慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程に入学。「開発経済学」を専攻。周りのあまりにものレベルの高さに圧倒され、しかも研究科内で唯一の茶髪・ロン毛で悪目立ち。それでも日々努力を重ね、修士論文執筆に向けてまい進中。


そして2013年に博士(経済学)Ph.D. of Economics学位を取得することを目指して頑張っています。たとえ勉強が苦手でも、気合と根性と情熱と努力で博士になれることを証明するために…。

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このままじゃあかん

最近の俺はホントにいかん。つーか、毎日仕事して、酒飲んで、朝になって仕事して…。え、論文は?


論文書かなきゃマジでやばい時期になって、なんで今さら仕事の依頼が来るかねー…


読者の中ではご存じない方もいるかもしれませんが、ダンは日本の慶應義塾大学大学院で勉強しながら、台湾の台北市で貿易コンサル会社を起業していて、何気に毎月半分近くは台北でお仕事してたりするんです。


尊敬する先生であり、飲み友達にもなって下さっている寺出先生から、「君はつまらない男になりなさい」と言われてから早3か月弱。たしかに言われたとおり、余計な本は読んでいない。


が。研究に関係する本まで読んでいない。要するに、本を読んでいない。



博士への道が一歩一歩遠ざかってゆく。


というわけで、気合を入れて本を読み、ちゃんと文章にして起こしていくことにした。


それにしても俺ってやっぱり頭悪い…。頭悪いから、本読んでもすぐ忘れてしまう。


そんな俺の勉強のお伴は、DHAサプリ。頭よくなった気分になれるし、たしかにマジで集中力が高まります。


試験前、論文執筆中など、マジでおすすめです。

俺、つまらない男になります。


今日は、2限・3限と連続で、尊敬する農業経済学者、寺出道雄先生の「農業経済論」と「産業論演習」があるため、学校へ。

寺出先生の授業は、履修者が僕ともう一人しかいないので、先生の気まぐれで大学院校舎の小教室でやったり、先生の研究室でやったり色々だ。

今日は、もう一人が風邪で休んでしまい、俺一人だったので研究室でのんびりと授業があった。

寺出先生は、慶應義塾経済学部の中ではおそらく一番異色の学者である。本来は、マルクス経済学に基づいた農業経済論の研究者だが、新古典派経済学やケインズ経済学など近代経済学体系にめちゃめちゃ詳しい。最近は、非常に大きなスケールではマルクスの唯物史観を尊重しつつも、セクターごとの分析や実証では近代経済学的手法を使っておられて、ある意味では最もバランスのとれた経済学者でもある。

さらには、ここ数年はプロレタリアート文学史や、ロシアン・アバンギャルド思想の研究など、僕には到底想像すらできないような分野の研究をしている。先生曰く、「社会科学の歴史」という大きな研究テーマの中の一環なんだそうだ。毛沢東の直筆書簡などを図書館で整理しているのも寺出先生。うーむ、ナゾの男。

そんな寺出先生からは、以前より「大学院っていうのは、とにかく自分を無理やり型にハメ込む場所なんだよ」と言われていた。

経済学にはいくつかの、お決まりの分析手法があって、その中から一つを選んでその中に無理やり自分を埋め込まなきゃいけない、と。

それでも好奇心旺盛な俺のこと、今日の授業でも、経済思想や哲学、さらにはマルクスの方法論について色々な質問をしていた。それに的確に答えつつも先生が一言。

「君もねぇ、そろそろそういうお子ちゃまなところから卒業しないと」

「え?」

「だからね、前にも言ったでしょ、大学院っていうのは自分を無理やり型にはめ込んで、論文マシーンになる場所なんだよね、ある意味では」

「はぁ…。つまり?」

「つまりね、修士論文書いて、博士課程行って、博士論文書いて大学に就職するまでは、論文マシーンにならなきゃいけないわけ」

「そうですよね…」

「まぁつまり、しばらくは"つまらない男"にならなきゃダメなんだよ!」

「!!」


寺出先生自身、哲学や色々な方面に精通していて、様々なことに興味があったから、修士論文は相当行き詰って、結局修士に4年かかったそうだ。哲学や認識論について思索に耽る毎日。しかし、修士課程は絶対に2年間で終わらせた方がいいし、そのためにはいったんは自分が「つまらない男」にならなきゃだめだ、と。

つまりお決まりの経済学的手法の中に自分をはめ込んで、まるで論文マシーンのように業績を量産しなければ、学位をもらえないよ、と。

たしかに。俺は、大学院っていう場を学問的な「思索」を深める場だ!とどこかで思っていたけれど、それは必ずしもそうではない。大学院という場は、プロフェッショナルの「技術者」を育てる場でもあるのだ。

寺出先生は、加えて「とはいえ、最近の人は大学教員になってからも"つまらない"ままなんだよね。それじゃあ困るんだよなぁ…」と仰った。

つまり、大学院在籍中はプロフェッショナルの研究者としての「技術習得訓練期間」なのだから、その期間はひたすら「技術」の習得に努めて、その「技術」の習熟の指標たる学位を貰う。そして、学位を貰って大学の場に職を得たら、初めて自分のやりたい、本当の意味での「学問」を目指しなさい!ということだ。

たしかに、このまま思索に耽っていたら、俺は博士論文どころか修士論文すら書けない。あまり研究に直接的な関係のない本やデータばかり漁っていたら、それこそ時間の無駄になる。もちろん、そういうことにも意味がある、ってことは寺出先生も俺も承知だ。だけど、今はとにかく学位論文を書かなくてはならない。


というわけで、これから修士論文提出の1月までの間、俺は立派なつまらない男になります!現在の研究対象であるロストウとその周辺の経済成長理論の著作を中心的に読みまくります。

思想史、哲学、社会学などの領域の一切を封印させて頂きます。そして、学位貰って、とりあえず「経済分析のプロ」としてのお印を頂戴した暁には、再び色々と読み漁って、隣接分野もどんどん吸収して、「思索」の道を再開したいと思います。

寺出先生から、「だからね、僕の授業なんかでも、自分の研究に関係のない話なんか一切聞かなくていいんだよ。そんな授業で関係のない話聞いてる暇があったら、自分の研究に関する本でも読んでた方がよっぽど有意義だから」と言われた。

というわけで、しばらくは、技術者になったつもりでひたすら型にはまります。

今年度初ブログ

仕事と研究に勤しんでいたら、すっかりブログの存在を忘れていた…。


お陰さまで無事、修士課程2年になりました。てか、大学院には「留年」っていう制度がないことを初めて知った。そりゃそうだ、だって2年間での必要取得単位数は相当少ないのだから、むしろ留年する方が難しい。修士論文が審査通らなかったり、書けなかったりすれば、もちろん修了はできないから必然的にM3突入ですがね!


学部時代は、3月初旬に学業成績表が送られてくるたびに、マジでビビっておりました。一度コケてる身、しかも勉強ができなかったので、いつも取得単位はぎりぎり。大学院生になって、あのドキドキを味わえなくなったのは、逆にちょいと寂しくもあり…。


さて、現在台北で仕事中。今年度は、頼まれた案件も多くて、毎月半分ちょいは東京で研究して、残りの半分は台北でお仕事しなきゃいけない。


指導教授の高梨先生は、お優しくて、「君はね、一方ではアダム・スミスや古典派経済学とか非常に本質的なことをやりつつ、一方ではビジネスで現実社会を見ているわけだから、非常にいいと思うよ」なんておっしゃって下さったのだが、何分まったく両立できてない。


修士論文の研究計画は、今年の4月に突如変更するハメになり、完全にゼロからのスタート。正直に言って、M3突入もあながちあり得ない話ではない。学部時代の卒論なんかは、本稿は1か月くらいで超手抜きで書いてしまった記憶があるが、修士論文に関しては学位論文であるからこそ、そんなわけにはいかない。だって製本されて図書館にも未来永劫所蔵されるわけで、生半可なものは書けないし、そもそも生半可では審査に通らない。


タバコと酒の量は増えるばっかりで、元々オツムの弱い俺のこと、今はライターと爪切りを間違えて、なんと爪切りでタバコに火をつけようと奮闘していた。


アホすぎ!



しかし、新年度を迎えて、とりあえず色々と環境も変わった。まず、タメで一番仲のよかったM2のメンバーが修了して社会に旅立ってしまった。そして、来年定年を迎える高梨先生にとっては最後の教え子となるタイ人留学生がM1で入ってきた。


ウチの研究室のいいところは、メンバー6人の専門分野が全く違う、ということ。


一人は理論経済学のエキスパート。彼女は、俺が足りない頭でうんうん唸りながら適当にしゃべったことを、いつのまにかノートに数理モデル化してくれて、あとでさりげなく渡してくれる。


一人は計量経済学の実証研究のエキスパート。彼は、俺には意味不明の数字の羅列にしか見えないパネルデータとかいうものを、見事な計量モデルの式に当てはめて、なんかかっこいい結論を出してくる。うーん、しぶいね。職人って感じだ。


一人は環境政策のエキスパート。環境経済学がもともとの専門の人だから、開発と環境という視点をいつも与えてくれる。


一人は貿易理論のエキスパート。しかも英語の読解力がすごい。コメントが超クリティカル。


じゃあ俺は…? 辛うじて言うなら学説史と思想史が得意。昔の理論をほじくり返してきて、検討したりいじったりするのが好き。


それぞれ全く得意分野が違うから、お互いの足りない部分を補いあって、効率的な補完的関係を築いています。


あー、あんなに勉強できなかったのに、今の俺はこんなにすごい人たちと机を並べて勉強してる!っていう現実だけで満足しちゃいそうなのだが、論文書かないと学位は貰えない。新しいテーマに移ってからは何の本を読んだらいいのかもわからない。



そんな中で今年度の嬉しかったことは、学部時代のゼミの一番かわいがっていた優秀な後輩の一人が、大学院に来てくれたこと。彼は、俺なんかとは比べ物にならないほどの研究者としての資質を持っているし、忍耐力と根気と、そしてすごい読書力を誇っている。彼は学部時代から継続して、経済学説史と経済思想史が専門なのだが、重商主義を専門的に研究しているので、その時代のとてつもなく分厚い、見ただけであくびが出そうな、下手したら武器にでもなっちゃいそーな書物をじっくりと読みながら思索を深めている。


実は今年は彼と同じ演習科目を取っているのだが、お互いの発表にちんぷんかんぷん。でも、なんかすごくうれしい。彼はね、学部時代、ゼミに入る時は経済学なんか全然興味がなかったわけ。俺と同じでね。


だけど、ちょうどそのころの俺は経済学に燃えはじめていた時だったから、ゼミに入った後はひたすら経済学の面白さと経済思想の面白さを伝え続けた。


そうしたら、、彼は本当にその素晴らしさを知ってくれちゃって、大学院にまで付いてきてくれた。ありがたすぎるぜ。


俺は果てしなく勉強ができなかったので、勉強らしい知識は一切教えられなかったと思うけど、経済学ってとても面白い科学なんだよー!っていう情熱だけは通じたらしい。それだけで、なんか「学問やっててよかったなー」って思う。


年度が変わって髪もウルフっぽく切ったし、色も変わったし、論文テーマも変わったし、心機一転博士号取得に向けて頑張ります☆