俺、つまらない男になります。
今日は、2限・3限と連続で、尊敬する農業経済学者、寺出道雄先生の「農業経済論」と「産業論演習」があるため、学校へ。
寺出先生の授業は、履修者が僕ともう一人しかいないので、先生の気まぐれで大学院校舎の小教室でやったり、先生の研究室でやったり色々だ。
今日は、もう一人が風邪で休んでしまい、俺一人だったので研究室でのんびりと授業があった。
寺出先生は、慶應義塾経済学部の中ではおそらく一番異色の学者である。本来は、マルクス経済学に基づいた農業経済論の研究者だが、新古典派経済学やケインズ経済学など近代経済学体系にめちゃめちゃ詳しい。最近は、非常に大きなスケールではマルクスの唯物史観を尊重しつつも、セクターごとの分析や実証では近代経済学的手法を使っておられて、ある意味では最もバランスのとれた経済学者でもある。
さらには、ここ数年はプロレタリアート文学史や、ロシアン・アバンギャルド思想の研究など、僕には到底想像すらできないような分野の研究をしている。先生曰く、「社会科学の歴史」という大きな研究テーマの中の一環なんだそうだ。毛沢東の直筆書簡などを図書館で整理しているのも寺出先生。うーむ、ナゾの男。
そんな寺出先生からは、以前より「大学院っていうのは、とにかく自分を無理やり型にハメ込む場所なんだよ」と言われていた。
経済学にはいくつかの、お決まりの分析手法があって、その中から一つを選んでその中に無理やり自分を埋め込まなきゃいけない、と。
それでも好奇心旺盛な俺のこと、今日の授業でも、経済思想や哲学、さらにはマルクスの方法論について色々な質問をしていた。それに的確に答えつつも先生が一言。
「君もねぇ、そろそろそういうお子ちゃまなところから卒業しないと」
「え?」
「だからね、前にも言ったでしょ、大学院っていうのは自分を無理やり型にはめ込んで、論文マシーンになる場所なんだよね、ある意味では」
「はぁ…。つまり?」
「つまりね、修士論文書いて、博士課程行って、博士論文書いて大学に就職するまでは、論文マシーンにならなきゃいけないわけ」
「そうですよね…」
「まぁつまり、しばらくは"つまらない男"にならなきゃダメなんだよ!」
「!!」
寺出先生自身、哲学や色々な方面に精通していて、様々なことに興味があったから、修士論文は相当行き詰って、結局修士に4年かかったそうだ。哲学や認識論について思索に耽る毎日。しかし、修士課程は絶対に2年間で終わらせた方がいいし、そのためにはいったんは自分が「つまらない男」にならなきゃだめだ、と。
つまりお決まりの経済学的手法の中に自分をはめ込んで、まるで論文マシーンのように業績を量産しなければ、学位をもらえないよ、と。
たしかに。俺は、大学院っていう場を学問的な「思索」を深める場だ!とどこかで思っていたけれど、それは必ずしもそうではない。大学院という場は、プロフェッショナルの「技術者」を育てる場でもあるのだ。
寺出先生は、加えて「とはいえ、最近の人は大学教員になってからも"つまらない"ままなんだよね。それじゃあ困るんだよなぁ…」と仰った。
つまり、大学院在籍中はプロフェッショナルの研究者としての「技術習得訓練期間」なのだから、その期間はひたすら「技術」の習得に努めて、その「技術」の習熟の指標たる学位を貰う。そして、学位を貰って大学の場に職を得たら、初めて自分のやりたい、本当の意味での「学問」を目指しなさい!ということだ。
たしかに、このまま思索に耽っていたら、俺は博士論文どころか修士論文すら書けない。あまり研究に直接的な関係のない本やデータばかり漁っていたら、それこそ時間の無駄になる。もちろん、そういうことにも意味がある、ってことは寺出先生も俺も承知だ。だけど、今はとにかく学位論文を書かなくてはならない。
というわけで、これから修士論文提出の1月までの間、俺は立派なつまらない男になります!現在の研究対象であるロストウとその周辺の経済成長理論の著作を中心的に読みまくります。
思想史、哲学、社会学などの領域の一切を封印させて頂きます。そして、学位貰って、とりあえず「経済分析のプロ」としてのお印を頂戴した暁には、再び色々と読み漁って、隣接分野もどんどん吸収して、「思索」の道を再開したいと思います。
寺出先生から、「だからね、僕の授業なんかでも、自分の研究に関係のない話なんか一切聞かなくていいんだよ。そんな授業で関係のない話聞いてる暇があったら、自分の研究に関する本でも読んでた方がよっぽど有意義だから」と言われた。
というわけで、しばらくは、技術者になったつもりでひたすら型にはまります。