twitterやface bookを利用していると、
知り合いや友達も利用していることを知った時、私達は喜びや驚きを感じますが、
その友達が、また別の友達と繋がっていることを知れた時、
私達はそれ以上に大きな驚きに襲われたりもします。
これほどネットが普及する前にも人と人とが繋がるチャンスは確かにありましたが、
「え? あの人と知り合いなの?」
というところまでたどり着くには、それなりの時間を要したものです。
ネットが使えるかどうかで自らの便利にも少なからず影響を受け、
得手な方はたやすく人と繋がることが出来るようになってもなお、
大きく心を揺さぶられるのはやはり、
顔と顔とを向かい合わせて対話することからなのかもしれません。
年賀状1枚をとってみても、
文字や絵にいくら工夫を施しても、
パソコンの中から生まれてきたという枠を超えることはなく、
手書きのものには到底及ばないのと同じであるように。
文字通り有り難さとは、
便利なものや普及したものとは、
相反するところに存在するものなのかもしれません。
しかし、
「神戸が大変だった時お世話になたから。その恩返しのつもりで来ました。」
そんな言葉を東北では耳にすることもありました。
有り難きことはちゃんと存在します。
便利なもので溢れ返っているゆえ、それに気付きにくいだけなのかもしれません。