読み書きは別として、外国語会話習得の基本は「耳コピ」だと思うのです。
古い言葉ならば「声帯模写」でしょうか。
テキストブックの表記などを全く気にせず、聞こえた音の通りに再現すれば良いわけですが、そのように心がけても、日本語を母語とする人(普通に言えば日本人ですが)が中々区別しない、または区別しにくい要素があると思うのです。
1.声調
中国語が代表的ですが、タイ語なんかもそうですし、ベトナム語なんかも確かそうじゃなかったかと思います。
これは声調によって全く意味が違ったりするので重要です。
2.子音だけの発音
お隣の国の人は「日本人はkimchiをkimuchiと発音する。ウェーハッハッ!」などとおっしゃってますが。英語のkick、spoonなどもkicku、supoonになりがちですね。
あんまり気にしなくても良いような気がします。
3.有気音と無気音の区別
日本人の発音する、k、p、tのような発音は息の吐き出しが足りないらしく、g、b、dに聞こえることがあるらしいです。逆に中国語が母語の人達の発音する「僕」はどうしても「ポク」に聞こえますが。
また、ヒンディー語が母語の話者も有気音と無気音に非常に敏感なようで、聞いた話ですが、日本人が発音する「会社へ行きますか?」の中の「会社」の中の「カ」と「ますか?」の中の「カ」は明らかに違うらしいです、「k」と「kh」の違いらしいのですが。
相手が聞き分けていると思うと、変に意識して「アウッ、アワワ」状態になってしまいます(^_^;)
4.二重母音とか母音の長さとか
英語で言えば「caught」と「coat」の違い、「bought」と「boat」の違い。「コート」と「コウト」、「ボート」と「ボウト」みたいな?却って昔の小説なんかにはそれぞれの後者のような表記がありましたよね。
幼児が(時によっては周りの神経質な大人を苛立たせるくらいに)同じ言葉を意味もなく何度も繰り返したりするのは、とても重要なのことなのだなと海外で生活するようになって初めて解りました。
貧乏旅行をしているとイスラエル人をよく見かけます。
一人でいることはあまりなく、大抵グループ。
よってあまり会話をすることもないのですが、フィリピンのボラカイ島で出会った女の子は何故か一人で長期滞在。
2年(?)の兵役を終えたのでインド回った後、フィリピンにやって来たとのこと。
イスラエル人の多くは兵役を終えた後、世界一周の旅に出るのだというようなことを言っていました。
世界一周航空券で、一回だけ今までに回ってきた方向とは逆方向へ飛べるオプションを行使して、日本へ行き旅費を稼ぎたいとも。
そう言えば一昔前の都内でのアクセサリー売り外人って皆イスラエル人でしたよね。
ショバ代なんかはどう折り合いがついていたんだろ?
地方都市のスナックなんかにもイスラエル人の女性がいたなー。
(英語しかしゃべれないっていうのがかえってインテリ系のお客さんにはステータスだったみたい(^_^;))
ワーキングホリデーや世界一周の旅に出ようとしている若い方々には出発前に日本で稼いでおくことをお勧めします。
「失われた20年」とか「非正規労働者」とか言ってもねー、時給10ドルを稼げる国なんてそう多くはありません。
一人でいることはあまりなく、大抵グループ。
よってあまり会話をすることもないのですが、フィリピンのボラカイ島で出会った女の子は何故か一人で長期滞在。
2年(?)の兵役を終えたのでインド回った後、フィリピンにやって来たとのこと。
イスラエル人の多くは兵役を終えた後、世界一周の旅に出るのだというようなことを言っていました。
世界一周航空券で、一回だけ今までに回ってきた方向とは逆方向へ飛べるオプションを行使して、日本へ行き旅費を稼ぎたいとも。
そう言えば一昔前の都内でのアクセサリー売り外人って皆イスラエル人でしたよね。
ショバ代なんかはどう折り合いがついていたんだろ?
地方都市のスナックなんかにもイスラエル人の女性がいたなー。
(英語しかしゃべれないっていうのがかえってインテリ系のお客さんにはステータスだったみたい(^_^;))
ワーキングホリデーや世界一周の旅に出ようとしている若い方々には出発前に日本で稼いでおくことをお勧めします。
「失われた20年」とか「非正規労働者」とか言ってもねー、時給10ドルを稼げる国なんてそう多くはありません。
最近、「バンコク」、その中でも「ヤワラー」という「キーワード」を含む小説を探して読んでいますが、その内の一つがこの小説「赤道」です。
ちょっと残念なのが、ぱっとしない商社の駐在員である主人公のアパートが「ヤワラー」であるという設定。
経済的な理由だったら住むところ、他にも沢山ありますからね。
ヤワラーを描くならば、ジュライと言わなくてもせめてスリクロンあたりに2、3ヶ月滞在しながら書いたらよかったんじゃないかなーと思います(谷恒生さんは楽宮ではなくてスリクロンに泊まってたという噂がありますね)。
当時だったら、思いのほか日本人がうろうろしているのを見て考え直したかもしれません(^_^;)
それを考えたら、台北旅社に住み着いて小説を書いていた岡本朋久先生はやっぱり偉大だなーと思います。
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以下はアフィリエイト広告ですが岡本先生を世に知らしめたいと思いまして(^_^;)
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経済的な理由だったら住むところ、他にも沢山ありますからね。
ヤワラーを描くならば、ジュライと言わなくてもせめてスリクロンあたりに2、3ヶ月滞在しながら書いたらよかったんじゃないかなーと思います(谷恒生さんは楽宮ではなくてスリクロンに泊まってたという噂がありますね)。
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